軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

契約とこれからと 3

「ティアナ」

耳元で甘い声で囁かれ、心臓が跳ねる。

次の瞬間には頬に柔らかい感触がして、それが何なのか気づいた途端、口からは「ひぇ」という間抜けな声が漏れた。

(は、恥ずかしさとか照れに耐えきれないわ……!)

顔から火が出るのではないかというくらい、頬が火照っていく。一方、フェリクスはいつも通り、むしろ楽しげにも見える。

彼は私の髪を一束掬い取り、唇に押し当てた。

「これからはもう、遠慮しなくていいんだよね?」

何も変わらないなんて、私の勘違いだったのだと思い知らされる。一瞬にして、何もかもが変わったような気さえしてしまう。

私が固まったまま黙っていることで、フェリクスは「ティアナ?」と眉を寄せた。

「あっ、ごめんなさい! その、とてもびっくりしただけで……ほら、フェリクスって普段そんな感じじゃなかったから」

「結婚をしてもこれまでと何も変わらない、夫の立場を利用して近づいたりもしないと宣言してしまったからね。後から少し後悔したくらい、辛かったけど」

「そ、そうなの?」

「すぐ手の届く場所に愛する女性がいて、何もしないなんて拷問みたいなものだよ」

フェリクスは困ったように笑うと、私の頬を撫でた。

「ティアナが思っている以上に、俺は下心のある男だから」

どうやら私はまだまだ、フェリクスのことを分かっていなかったらしい。こんなにも綺麗な顔をして、いつだって誠実な彼には「下心」なんて言葉はあまりにも似合わない。

「俺にそんな顔をしてくれるんだ? 嬉しいな」

「……っ」

「もう契約結婚は終わりってことでいい?」

私達の結婚は、細かい契約書の上に成り立っていたことを思い出す。

いつからかそのほとんどを無視して暮らしていたから、ほとんど意味は成していないようなものだった。

「そうね、書類は破棄しましょうか」

改めて内容を思い出してみても、必要最低限しか関わらないためのものだし、不要だろう。

私が頷くなりフェリクスは立ち上がり、部屋の金庫から書類を取り出した。

「はい」

そして既に懐かしさすら覚える契約書を手渡された私は、目を瞬いた。

「えっ……今? 今この場で破棄するの?」

「うん、今」

眩しい笑顔のフェリクスは、今すぐにでも契約書を破棄するつもりらしい。

別にこんなにも急ぐ必要はないのではと思いながらも、断る理由もなく。受け取った書類の小さな魔法陣に指先で触れた。

お互いに取り決めた約束を違えることがないよう、制約魔法が織り込まれている。

もちろん内容を少し破ったからといって罰がある、なんてものではなく、私の場合は無断で帝国から逃げ出さないというのが主だったはず。

「──契約解除」

フェリクスが魔力を流したのを確認した後にそう告げると、紙の一部が青白く光った。

無事に破棄されたことで、書類が端から溶けるように消えていく。

「これでもう、契約結婚は──」

終わりねと言いかけて顔を上げると、フェリクスの顔が近づいてきていることに気付く。

それを不思議に思う間もないまま、唇が重なった。

視界いっぱいにフェリクスの美しい顔があって、何が起きているのか理解するまでに、かなりの時間を要した。

呆然とする私を見て、フェリクスは綺麗に微笑む。

「終わりだね?」

「……っ」

我に返った私は口元を両手で覆い、後ろに飛びのく。

そうして離れた直後、フェリクスによって腕を掴まれ、再び距離を詰められる。もうソファの私の後ろには逃げ場所はない。

(ま、待って、何がなんだか……)

まだ状況を理解しきれていないけれど、私はフェリクスとキスをしてしまったらしい。

顔からは火が噴き出しそうで、心臓はうるさいくらいに大きな音を立てている。動揺し続ける私をよそにフェリクスは再び顔を近づけてきて、小さく悲鳴が漏れた。

「ごめんね、我慢できなかった」

「お、お願いだから待って!」

「ずっとティアナに触れたくて仕方なかったんだ」

こちらは既にいっぱいいっぱいだというのに、フェリクスはさらに追い討ちをかけてくる。

「嫌だった?」

「い、嫌では、ないけど……」

「良かった」

ふっと笑うフェリクスはなんだか、これまでと様子が違う。今までは私の意志を尊重して、何をするにも気遣ってくれていたのに。

「ティアナ」

私を見つめる瞳だって、今までにないくらい熱を帯びている。

急にフェリクスが「男の人」に見えて、落ち着かない。私はまだまだ、フェリクスのことを分かっていなかったのかもしれない。

「俺の『好き』はこういう好きだよ、それも十七年分の」

「……っ」

「覚悟しておいて」

フェリクスの言う「覚悟」というのは一体、何のことなのだろう。それでも超恋愛初心者の私には、まだ何もかもが早すぎる気がしてならない。

それでもフェリクスがどれほど私を想ってくれているのかは、十分なくらい分かっている。恋愛に関してお子様レベルの私ですら、フェリクスに触れたいと思う気持ちはあった。

そう思うとフェリクスの気持ちは計り知れないし、結婚をしていて思い合っている以上、しっかり応えていくべきではないだろうか。

「わ、分かったわ。任せて!」

ぐっと両手を握りしめ、気合を入れて返事をすると、フェリクスは目を瞬く。

そして私の耳には届かないくらいの声で、何かを呟いた。

「……本当に分かっているのかな」

「何か言った?」

「ううん、何でもないよ。先は長そうだと思っただけで」

「…………?」

フェリクスはふっと笑い、私の頬に軽くキスを落とす。

──そして私達の認識に大きな差があったことを知るのは、もう少し先の話。