作品タイトル不明
第55話
百を超えるニードルマウスの群れが、テンジたちの周囲をぐるりと完全に包囲していた。
すでに水江は活路がないと判断したのか、覚悟を決めたような顔をしている。
立華は未だに動揺から抜けきれておらず、きょろきょろと逃げ道を探していた。
そんな中、テンジはもう自分が行動するしか逃げ道がないのではないかと考え始めていた。
(例え、小鬼二体を召喚したとしても……この数はさすがに捌ききれないと思う。そこに僕が加わったとしても、今のステータスでは正直足手まといにしかならない)
小鬼は確かに強い。
もしかしたら地獄領域で四等級モンスターたちと日々戦い続けて、これくらいのレベルならば余裕かもしれない。
しかし、小鬼の数とニードルマウスの数を比較すると、明らかに手数が足りなくなってジリ貧になるのは明白だ。テンジはダンジョンで数の強さというものを何度も経験してきた。
例え強い探索師がパーティーにいても、モンスターに数で押し切られたら誰だってジリ貧になることが多いのがこの世界だ。
そこに守るべき対象が三人もいれば、小鬼と言えど立ち回りもかなり制限されてしまう。
(一体どうしたら……レベルアップの恩恵に望みをかけるしかないのか?)
テンジはどうにかここから生き延びる活路を見出すべく、必死に思考を加速させていた。
逃げる、戦う、助けを祈る、どれを取ってもやはり難しかった。
――その時だった。
水江が背中合わせにしていた仲間のテンジと立華に、見たこともない笑顔で優しく笑いかけた。
「残念ながら、これはチャリオットの試験ではないようだな。二人の考えが正解だったようだ」
「水江……くん?」
「例え武器を持っていたとしても、一般人は四等級モンスターの群れには敵わない。これは常識だ。それが今、目の前に数え切れないほどいる……誰がどう考えたって、俺たちの手に余る敵だよ。そんな敵をチャリオットがわざわざ準備するはずがない。違うか?」
「…………」
「…………」
「静寂は昔から肯定だって相場が決まっているんだ。どうする? 少しでも抗ってみるか?」
「あ、抗うと言っても……この数に対してどうしろって言うのですか?」
「目、脳、心臓、これさえ針に貫かれなければそうそう死なないさ。そこだけを守り抜いて、針で体中を貫かれること覚悟で戦うんだよ。それか無抵抗で死ぬかだな」
水江の観念したような言葉に、立華は顔を真っ青に染め口を閉ざした。
自分が今日死ぬと考えると、やり残したことがありすぎて後悔が溢れ出てきたのだ。それと同時に目の前に集まっているニードルマウスにただならぬ恐怖を抱いてしまう。
「い、嫌よ! 私、まだ死にたくない! こんなところで!」
「立華の覚悟はそんなものだったのか? 探索師を目指すなら、死ぬ覚悟くらいしておけ。覚悟できないなら探索師にはなれないぞ」
「そ、そうだけど! でも! こんなの変じゃない! なんで、ただの入団試験で死ななきゃならないの!?」
「そんなこと俺に言われても、ただ聞いてやることしかできないぞ。運が悪かった、俺たちの運命はこれが全てだったんだ」
「運が悪かったで、私は死ぬの!?」
「そうだ、受け入れろ。それが探索師という生き物だ」
「嫌よ!」
「我儘な女だな。だったら最後に何をしたい? 何を望む? こういう時に天職に覚醒した話もいくつか聞く。それを祈るしかないぞ」
立華は自分が喚いても何にもならないと悟ったのか、最後は反論せずに水江の瞳を見つめ返す。そして次に、テンジの瞳を見つめ始めた。
テンジの純粋な瞳を見て、立華は何かを思い出したようにハッと顔色を変える。
「テンジくん」
「な、なんですか?」
立華は突然、考え事をしていたテンジへと語り掛けた。
あまり立華とは絡みのなかったテンジからすると、今からどんな言葉が語られるのか思わずドキドキしてしまう。
「失礼を承知で聞きます。テンジくんは先日の御茶ノ水事件の生存者ですよね?」
「――えっ? な、何で知っているのですか?」
「私の知り合いが協会で働いているんです。春芽麻美子という女性なんですが、日本探索師高校のとある黒制服の青年がブラックケロベロスを前にして四日間生き抜いたと聞いています。その青年はつい最近、《剣士》に目覚めたらしいです。あなたですよね?」
「え?」
テンジは困惑していた。
立華がたった今話した情報は極秘中の極秘案件なのだ。それこそあのレイドに参加して生き延びた25人の探索師とリオン、海童、そして協会のごく一部の上層部とテンジに関わった医師たちだけしか知らない情報であった。
だから、たかが一般の女性が知るわけがなかったのだ。
(春芽麻美子……知らない名前だけど、要注意人物かもしれない)
テンジが無言を貫くからか、立華は補足するように説明し始めた。
「チャリオットとの繋がり、出発前に五道さんと親しく話していた表情、黒服の《剣士》、どこかテンジくんの話のようではありませんか?」
「そこから推測したと?」
「そうです。麻美子さんはあまり詳しくは話してくれませんでしたが、あの時どうやってブラックケロベロスから生き延びたんですか? この場でそれを実行することは可能ですか?」
その質問で、テンジは納得した。
立華は知り合いから聞いた断片情報からその人物がテンジだと特定し、この場でその方法が使えるのか聞きたかったらしい。
最後の望み、そういう気持ちで聞いたのだろう。
「テンジ……それは本当なのか?」
水江も驚いたように目を見開き、テンジを見た。
テンジはどう答えるべきか悩んだ。
答えるべきは『死体の中でやり過ごした』というリオンが作り出した作り話だ。しかし、どう考えてもこの方法はこの場所では使えない。死体が一つもないのだから。
だったら死体を作ればいい、誰かがそう考えたら最後、最悪の事態も考えられた。
これを発端に三人での殺し合いにもなりかねない状況は、絶対に避けねばならない。
そうして、立華の問いに対する真実の答えは『特級天職に覚醒した』である。
これを答える場合、テンジは小鬼を解放して、この場で全力の戦闘を行うことになる。
それでもジリ貧になるのは明白なので、レベルアップによる恩恵次第という賭けに近い戦闘を実行することになるのだ。
一体、どちらの話を伝えるべきなのか――。
(いや、ここで隠す意味はもうないか。これは明らかにチャリオットの手を離れたダンジョンであることはもう明白の事実だ。水江くんの言っていた通り、この数のニードルマウスを参加者にどうにかしろなんて試験あるわけがないのだ)
テンジは初めて自分を語ることに緊張しながらも、決意を決めたように顔を上げる。
「死体の山に隠れ潜んだ、これが答えです」
テンジの口から聞かされた想像を絶する回答に、水江も立華も顔を真っ青に変えた。
もはや言葉が出るわけがなかった。一介の高校生が死体の中に隠れ潜んで四日間もやり過ごす、明らかに精神が異常な者にしか実行できない方法だったからだ。
それか死から逃れようと死に物狂いに行動した者か、だ。
しかし、テンジはすぐに次の言葉を紡いでいく。
「――と、これは協会側についた嘘の証言です」
「は? 嘘だと?」
「え? どういうこと?」
「真実は、僕が未知の天職に覚醒してブラックケロベロスを倒した、です」
二人はぽかんと口を開く。
「ということで、今から僕の身に起こることは秘密でお願いします。深くを聞かず、誰にも話さずです。あと、かなり賭けに近い戦いになりますので、僕の指示には必ず従ってください。いいですか?」
目の前の青年がブラックケロベロスを倒した。
あまりに信じがたい言葉ではあったのだが、もしそれが本当であるならばこの場を生きて切り抜けるかもしれない。
二人は咄嗟に同じ考えに至った。
「わかった。もう俺に何もできないことは明白だ。事情は後で聞くことにするから、今は全力でこの場をどうにかしてくれ」
「はい、私も今はテンジくんを信じることにします」
「ありがとう。それじゃあ水江くん、この剣を持っていてくれる?」
テンジは即断してくれた二人に心の底から感謝を述べ、手に持っていたアイアンソードを水江へと無理矢理押し付けた。
思わず受け取ってしまった水江であったが、無手になったテンジを見て困惑した表情を浮かべる。
「い、いいのか? 俺の連撃剣を使ってもいいぞ」
「気持ちだけもらっておくよ。でも、僕にはもっと強い武器があるから心配しないで」
今まで三人で背中を合わせていたのだが、テンジはその場から一歩前に出た。
閻魔の書を宙でぱらぱらと捲りながら、あの刀を召喚する。
召喚する際には、言葉に出さずともいいことは検証済みだ。しかし、二人に今から何をするのかを言葉で示すために、テンジはあえて声に出して閻魔の書に要求を突きつける。
「出ておいで、『赤鬼刀』」
その瞬間、テンジの右手には赤黒い刀が握られていた。
赤鬼刀の禍々しさと、発せられる威圧感を肌で直感した水江は思わず、ごくりと息を飲んでいた。
立華も、その禍々しさに本能的に鳥肌を立たせていた。
「え? どこから?」
立華は声に出して、その現象に驚く。
しかし、テンジの行動はこれだけでは終わらなかった。
両手を前に突き出し、獄獣召喚の神髄でもあるもう一つの能力を行使する準備をする。
「召喚――『小鬼』」
その言葉が紡がれると――。
地面に禍々しい紫色をした小さなゲートが二つ出現した。