作品タイトル不明
第240話
水の流れを描いたような装飾が施された、水江が左手に持つ剣。
その剣の紋章が淡く光り輝くと、それが具現化したように本物の水が現れる。
それが苦しむ灰を諫めるように、いくつもの奔流となって水繭を作り出す。ぐるぐると灰を包み込んでいくと、水江はそのまま集中するように静かに瞼を閉ざし灰の額に手を置いた。
それと同時にテンジも亡者の華と番鬼人を解除する。
すぅっと半鬼だったテンジの姿はいつもの優しい姿へと戻っていき、周囲を覆っていたおどろおどろしい修羅のMPも自然へと還っていく。
「あとは任せるよ、水江くん」
祈るようにテンジは空の上で戦う水江に言葉をかけていた。
† † †
空の上に立つ水江。
彼は水の本流に身を任せるように、空で灰の捕縛に挑んでいた。
そんな静かな時間が続くこと、三分ほど。
水の流れに乗っていた水江がゆっくりと地面へ降りてきた。額に置いていた手をそっと離すと、ゆっくりテンジの方へと瞳を向ける。
そこにはすべてを出し切った達成感に満ち溢れる水江がいた。
「任務完了だ」
淡々とした表情は相変わらず水江らしいものだった。
それでも少しだけ達成感のようなものをかみしめていることに、テンジはちゃんと気がついていた。
肉体的な戦闘時間はそう長くなかっただろう。
それでも今の能力は相当精神を消耗するのか、額には無数の玉の汗が浮かび上がっていた。
「さすが水江くんだね」
「お前ほどじゃない」
そんな何気ない会話をしつつ、テンジは灰の方へと歩いていく。ぱたりと静かになって地面に横たわる灰の顔をゆっくりと覗き込んでみた。
先ほどまでのあの殺気をまき散らしていたのが嘘だったかのように、すやすやと気持ちよさそうに寝息を立てている。それに――とても心地よさそうだった。
まるで昔の鵜飼灰の表情を見ているような気分だ。
「凄い能力だね、直接心に干渉しているの?」
「まあそんなところだ」
あまり教える気はないのか、それともいつも通りの水江勝成と言えばいいのか。
普段から口数は多い方ではないので、深く知ることはできなさそうだった。とはいっても好奇心旺盛なテンジは質問をやめなかった。
「教えてくれないの?」
「…………」
少しだけ面倒くさそうな表情をする水江。
しかし、初めておもちゃを買ってもらった子供のように瞳をきらきらと輝かせるテンジにはかなわなかったようだ。
武器を腰に携えていた鞘にしまいながら、疲れたように二人はその場に座り込む。
そうして水江は腰に携えていた水分ボトルを取り出すと、ほいっとテンジへ投げ渡す。
「ありがとう」
「おう」
「それで……教えてくれないの?」
「まあ天城ならいいだろう」
「ありがと」
水分補給を終えたテンジは、ボトルを水江に返した。
そのボトルで水江も軽く水分を補給すると、ようやく口を開く。
「正確に言うとあれは捕縛術ではない」
「そうだよね。物理的な捕縛って感じしないし」
そう言いながらテンジはすぐそこで眠る灰の顔を見る。
一般的な捕縛術と言えば、縛る、囲いに入れるなど物理的なことを表す。しかし今の灰を物理的に捕縛するような物はなく、ただすやすやと眠っているだけのようにも見えるのだ。
「敵にそう思い込ませるためにもあえてそう口に出しているだけだ。九条団長に昔教えてもらった、対人戦闘において実際に使用する能力と口に出す能力名は一致させる必要がないと」
「僕も昔師匠に教えてもらったよ」
「あれは一時的に夢を見せている状態に近い。成功させるための過程の一つに、これを捕縛術だと思い込ませることが重要になる」
「ほぅ」
「能力の効果は夢の中で今の自分の姿を鏡のように客観視させて、対象者の心を諫める技だ。本来の使い方は自分自身にかけて、戦場で冷静さを保つ技でもある」
「ん? それを敵にも使えるってこと?」
「制限はあるがな。ただ、ああいった自我を保てていない敵に対しては効果が顕著だ。今の自分を認められないからこそ、客観視した自分を許容できない。そしてこれは客観視した自分を許容できないと能力からいつまでも解放されない。ゆえに捕縛術としても機能する技だ。団長はこれ『成功率15%のクソ能力』と言っていたな」
「……新人に容赦ないね」
「ただ色々試行錯誤した結果、捕縛の言葉を敵に聞かせると成功率がぐっと上がる。だが、あれほど暴れてくれる敵だと成功率はもっと上がる。団長は最終的に『成功率35%のクソ能力』と言っていたな」
「クソ能力の評価は変わらないんだ……でもそれって強すぎない? 強制的に敵を夢落ちさせるってことでしょ?」
「だから制限はあると言っただろ。それに成功率はかなり低いし、敵に使うとこっちにもそれなりの反動がある代物だ。今は倦怠感と吐き気で死にそうだ。あと……化け物のお前には言われたくない」
「いやいや、それほどでも」
「そこは否定しろよ」
「誉め言葉ですから」
ジョーク風に答えるテンジの相変わらずな飄々さに、思わず水江はふふっと笑う。
そんな時間が心地よかったのか、ふたりはふと宵いの空を見上げた。
まさに――そのときであった。
カツカツ、と。
一人の探索師の足音が二人の耳に飛び込んできた。
「水江くん、テンジくん。終わったんですねさすがです」
そこに現れたのは槍を杖にしつつ、糖伽に肩を借りながら歩く立花加恋だった。
戦いが終わった頃合いを見て、加恋は二人に合流するつもりだったのだろう。戦いの場に今の加恋が現れても足手まといになるだけだ。
それがわかっていたからこそ、遠くから彼女は二人を支えようと力を使った。
「なんだか入団試験を思い出しますね」
「だな」
全身の衣服をボロボロにした立花とテンジ、そして傷はないものの泥だらけで満身創痍の水江勝成。入団試験で死を感じたあの時のようだと、立花は思っていた。
そうしてふぅと疲れたため息を吐くように、立花も二人の傍に座り込む。
それを見て、テンジは糖伽に目線を向ける。
「立花さんをありがとう糖伽。もう帰って大丈夫だよ」
「ありがたき幸せです、愛しき王よ」
煙となって、糖伽の姿がこの場から消えていく。
久しぶりのその光景を見た二人の視線は、じっとテンジへ向かう。
「……な、なに?」
ばつが悪そうに、テンジは目を泳がせる。
そういえば二人はテンジが鬼を召喚することは知っていたが、糖伽は初めて見るだろうし、流暢な会話が可能なことを知らなかった。
「……まあ今はいいですよ。でもお姉さんは知りたいです」
「だな。同感だ」
「えっと…………気が向いたらね。そ、それよりも立花さんのあれは何!? びっくりしたんだけど! いきなり耳が良くなって、少し未来の音まで聞こえたよ!?」
会話の軌道を変えようと、テンジはあからさまに話題を変えた。そんなべたな方向転換が面白かったのか、立花はお姉さんらしくふふっと笑っていた。
「ああそういえば。あれなんだ」
思い出したように、水江もそんな言葉をつぶやいていた。
そんな二人に自慢したかったのか、ニシシと笑いながら立花は言う。
「二人には昔、私が実は初期覚醒の固有アビリティ持ちだってことは話しましたよね? 昔は全然使えてませんでしたが」
「うん」
「聞いた覚えはある」
「それが覚醒したんです。そしたら少し先の未来の音が聞こえるようになったのと……さっき気がついたんですが、テンジくんと水江くんの聞いている音も私に共有されてきたんです。もしかしたらと思って私の聞こえている音を二人に共有できないか試行錯誤してたら、なんとなくできちゃいました」
「えっそれって二次覚醒ってやつ!?」
「そう! それです!」
「いや、なんとなくでできるもんじゃないだろ普通」
本能型の言うことには納得できないのか、水江は呆れたように言っていた。
立花が本能型の天才だとするならば、水江は考えて努力する天才だ。二人の考えが重なることはあまりないことを知っていたテンジは、面白ろおかしく笑っていた。なんだか懐かしいなと思いながら。
ボロボロになった三人は、そうして少しの間休息を取った。それから五分ほど経った頃だった。
複数の探索師の足音が三人の耳に届いてくる。
「ようやく応援が来ましたね!」
「あぁ遅すぎるがな」
「そう言わないであげてよ水江くん。たぶんプロたちも事情があって遅くなったんだしさ」
そんな何気ない会話をしている間にも、十人以上のプロ探索師がやってくる。
ぞろぞろと現れた探索師たちは全員が満身創痍と言っていいほどにボロボロで、他の場所でも相当な死闘が繰り広げられていたことがわかった。
ただ、そんな状態なのにも関わらず学生たちの救助に全力を出していた。
そんな献身的な姿にテンジと立花は感動していた。
こういう地道な努力を惜しまないからこそ、子供たちはプロに憧れるのだ。そんな幼き気持ちを改めて思い出していた。
「大丈夫だったか!? 天城選手、水江選手、立華選手!」
三人を見つけるや否や、まっさきに駆けつけてきてくれたのは鵜飼蓮司だった。この最終予選を取り仕切っていたプロ探索師でもあり、二人が今まで戦っていた鵜飼灰の実の兄でもある人物だった。
「死んではいません!」
「僕も大丈夫です」
「同じく」
なんとか無事な三人の状態に安堵するプロたち。
しかし、すぐに周囲の戦闘痕を見てここで何があったのか察知する。
「一体誰と戦って――」
蓮司はそこで言葉を失っていた。
そこにいたのは死んだはずの弟だったのだから。
「…………灰?」