作品タイトル不明
第176話
九条団長の退却指示が戦場に響き渡る。
必死に死線を越えながら戦っていた探索師たちは、一斉に後方にある崖の上へと退却を始めた。バラバラな間隔で乱戦状態だったにも関わらず、その判断は早かった。
すぐに一人の優秀なキャプテンシーを持った探索師を見つけると、彼に向かって一斉に全員が合流を果たし、颯爽と崖を目指して駆け出したのだ。
その思考から行動へのスムーズで迅速な対応力は世界でも一級品だった。
そんなプロたちと比べると、テンジと冬喜の反応は僅かに遅い。
ギルドにとって、団長の指示は絶対だ。
ましてやチャリオットともなると、その傾向がなおさらに強かった。
良くも悪くも、九条団長の舵一つで成り上がってきた実績を持つギルド。ゆえに九条団長が突然訳のわからない指示を出したとしても、それが正解だと皆が知っている。自分たちで思考するよりも先に彼女は正解を導き出してくれる。
そんな信頼感がチャリオットの芯にはあるのだ。
しかし――、
僅かに後れをとったテンジと冬喜が彼らの背中を追うことはなかった。
自分たちの意志でそこに留まる決断を下したのだ。
これはギルドの正規メンバーでないからこそ、自分の意志で考えるというプロセスがあり、その思考が二人をそこに留めたのだった。
二人のすぐ背後には、瀕死のリィメイがいた。
例え退却命令が出ていたとしても、ここにいるどんな探索師よりも生存を優先しなければならない存在がすぐ後ろで伏せていたのだ。
ちらほらと襲ってくる子飼いたちを倒しながらも、テンジと冬喜は強い視線を九条へと向けた。そこには「治癒を早く」という意思が強く宿っている。
九条団長は退却の波に乗り遅れた二人を見た瞬間、ここの戦況をはっきりと理解した。
コンマ数秒の世界の中で九条は、ここに来る途中で偶然合流したギルド【プラービリナ】の探索師二人に視線を向け、「あそこだ」と短く言う。
「クジョウ、ありがとう。ここまで助かった」
「気にするな。こっちこそ治癒助かったぞ、礼はあとで」
「礼など不要です。では、私はリィメイ学長を」
それはアレクが寄こしてくれた破格の治癒能力を有する探索師の女性だった。
彼女はともにやってきた探索師ガッツと、リィメイ目掛けて一直線に駆け出す。
(やっと! やっと治癒役の探索師が来た!)
その勇敢な行動を視界に捉えたテンジは、彼女たちが駆け付けてくれた治癒役の探索師なんだと瞬時に理解した。
――僅かにこの戦場の空気が緩む。
どことなく戦場に安心感が満ちた、その時だった。
「ルィィィィィィッッッ!!」
数少ない保護色の能力を所有する”子飼い”が一体、木の上から飛び降りてきたのだ。
その鋭く白い眼には、全力で走り抜けようとする治癒役の探索師が映っていた。
子飼いの異常発達した五指の鋭い爪が、無情にも彼女のうなじに向かって振り下ろされる。
当たれば即死。
首を持っていかれ――頭の無くなった自分の胴と対面することになる。
その奇襲には誰も気が付かなかった。
いや、気が付けなかったのだ。
たった一体――この戦場で仲間が無情に屠られていく中でもジッと指先一つ動かずに、狙いの敵が現れるそのときまで待機を命じられた個体。
治癒能力を持つ人間がやってきた場合にのみ動くように指示を出されていた、知性ある個体。
その個体が好機を見逃さずに、ようやく牙を剥いたのだ。
「え?」
一目散にリィメイ学長に向かって走っていた女性は、それに気が付くのが遅れた。
気が付いたときにはもう、細長い影と、殺気がすぐそこにあったのだ。
ようやく、ようやくここまでたどり着いた――はずだった。
何度も何度も子飼いに襲われながら一緒に来てくれた攻撃役の探索師が倒してくれ、運良く退却していくチャリオットギルドの特攻部隊と合流し、幾重もの死線を乗り越えてきた。
そして総隊長アレクに言われた任務をようやく成し遂げられると思った、矢先のことだった。
僅かに、思考が達成感に満たされてしまった。
「マリィ!?」
咄嗟に隣を走っていた探索師が、覆いかぶさるように彼女を守ろうと体を動かしていた。
この一瞬で彼に子飼いを倒すスキルを発動する余裕はなかったのだ。
彼は魔法役の探索師で、スキル発動までには僅かな猶予時間が必要になる。
だからこの場で最も重要な彼女を、咄嗟にかばう形で背中を敵に向ける決断を下した。
「ルィィィィィィィィィッ!!」
無情にもその鋭い爪は、振り下ろされていく。
知性ある子飼いの――射程圏内。
「『 喝(かつ) 』ッ!!」
バリンッ、と。
何かが割れたような音が戦場に響き渡った。
「――え?」
一向に、男性が背中に食らうはずだった攻撃がやってこない。
それどころか薄皮一枚の耳元をブゥンと鈍い音が通り過ぎていった。
突然どこからともなく現れた半透明な盾が、奇襲攻撃を逸らすしたのだ。
「『斬結』ッッ!!」
次の瞬間には――、
弧を描くように振り抜かれた赤き炎刀が、知性ある子飼いの首を焼き斬っていた。