作品タイトル不明
第164話
寝待月の僅かな月明りだけが照らすこの戦場で、ゆっくりと炎が隣に立つ。
テンジは少し驚くが、すぐに「お久しぶりです」と冷静になって答えた。
「さっきまでは忙しくて話す時間もろくになかったから、ちょうどよかった。まだ先制の合図までは時間がありそうだ」
「そうですね」
お互いに黒繭から目を離すわけにもいかないので、正面を見ながらも話を続ける。
僅かに間が空くと、突然炎が申し訳なさそうに言った。
「すまん……碌に約束も果たせなくて」
「いいんです。忙しいって意味がこういうことなら仕方ないです。炎さんは僕個人の願いを叶えるよりも先に、世界を代表する探索師なんですから」
テンジは当たり前のように淡々と答える。
探索師を目指す学生らしい模範解答であったが、その答えに少し納得がいっていない様子の炎は少しだけ視線をテンジへと向ける。
しかし、あくまで冷静に対応しようと心掛けているテンジの横顔を見て、再びモンスターへと視線を戻した。
「こんな未来……俺はまるで予想できなかった」
僅かに、炎の声音が高くなった。
「僕も同じです。たったの半年でここまで来れるなんて、まるで想像できませんでした」
「成長したな、もう……俺から教えられることも少ないだろう。いい師にも出会えたようだし、下手に矯正するわけにもいかなくなった。だからせめて、この先制攻撃の一端を任された身として、その技量だけでも盗んで欲しい」
「なるほど、それはいい案ですね。では、遠慮なく勉強させていただきますね。これで約束もチャラということで」
「あぁ、そうだな」
テンジが優しく笑って答えると、不器用で有名な炎が嬉々として笑みを浮かべていた。
そんな炎の笑顔を見て一番驚いていたのは、同じギルドに所属する探索師たちの方であった。今までこんなに笑った炎を見たことがないと言わんばかりに驚いていた。
緊迫した空気感がほどよく和らいだ、その時であった。
チームの戦闘に立っていた九条団長が片手を真横へと勢いよく伸ばした。
そのたった一つの動作だけで、ここにいる全員の視線を一心に集めてしまう。
世界も認めるカリスマ性を持つ九条が、ゆっくりと口を開いた。
「そろそろ始まるぞ。全員、一度深呼吸しろ。緊張しすぎだ、馬鹿ども」
その言葉を聞き、この場にいた総勢21名の探索師たちが深呼吸をする。
緊張のやわらぎを感じ取った九条は次に、ニヤリと獰猛に笑って見せた。
その綺麗で切れ長な瞳が、寝待月の灯りに照らされる。
そんな九条の表情を見てテンジと冬喜の心は震えていた。
九条ほどの優れた指揮で戦いが始まろうとしているのだと思うと、改めてその凄さを肌で感じ取っていたのだ。武者震いに近い感覚なのかもしれない。
そして――、
黒繭の殻を破って、モンスターがその顔を顕にした。
「ルルォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォオッッッッ!!」
けたたましい雄たけび。
黒繭から上半身が勢いよく乗り出し、奇形な上半身をくっきりと視界に映す。
全身を真っ白に染めたモンスターだった。
体に流れるような曲線は一つもなく、直線や四角だけで顔、首、胸、腰、腕、関節、手を形作った奇妙な姿を形成していた。それらのほとんどは汚れ一つない真っ白な色で染まりきっており、所々にオレンジ色の文様が刻まれている。
遠くから確認する限りでは、口も、目も、区別はつかない能面であるように見える。それでもどこが顔で、どこが胸なのかはなんとなく理解できた。
白いモンスターが黒繭の上部分を「邪魔だ」と言わんばかりに片手で吹き飛ばし、その縁に手を置くようにゆっくりと上体を起こし始めた。
そして愉悦に浸ったような不気味な顔で、薄黄色の寝待月を見上げた。
ねちょり――と、糸を引くようにダイヤ型の顔部分に横へと亀裂が走った。
ギザギザと亀裂が走っていくと、そこに大きな口が現れる。
目がぱっくりと開いた。
顔の上部分に現れた二つの空洞――その縁には夕日色の丸い円が描かれており、その奥に除く瞳は吸い込まれそうなほどに美しい 白(・) 色(・) をしていた。
初めて見たその異形の姿を見て、階層全体に有無を言わせない緊迫感が奔った。
ほぼそれと同時にこの北東から北西間を任された指揮官、九条団長が横に伸ばしていた右手を強く握り締め、真上へと勢いよく掲げた。
「先制隊、構えろ」
まるで未来でも予知していたかのような指示だと、テンジは思った。
九条団長のその指示と全くの同じタイミングだった。
ガチャンッ、と。
階層全体を網羅するほどの人口照明が一斉に点灯した。
それは地上でもよく見る巨大な人口照明器具。
学校のグラウンドやサッカーコートにもよくある、どこにでもありふれた人類の叡智。
それと時同じくして――赤と白の照明弾がダンジョンの夜空へと撃ち放たれた。
はっきりと全探索師の視界に、奴の全貌があらわになる。
それが先制総攻撃の合図だった。
「テンジくん、見ていてくれ。これがプロの力だ」
炎が左足を大きく後ろへと引くと、どっしりと構える姿勢で大地を力強く踏みしめた。足を置いていた地面が、その体重と力みに負け僅かに凹む。
世界を代表する一級探索師、稲垣炎が右腕を大きく振りかぶりると、僅かなタメを作る。
ゴゥと真っ赤な溶岩が右腕に宿った。
皮膚から浮き出てくるように、次々と熱々な溶岩が湧き出てくる。
「『溶岩力』『空豪炎』『神通』『不動石』――合成弾【飛溶】」