軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

172.咆哮

自分は、短気な人間だと思う。自分の思い通りにならない事に対していつも喚いていたし、卑劣な手を使った事だって、一度や二度ではない。最後には法まで犯す程に、ヴィオレットの導火線は短いのだと理解していた。

その、はずなのに。ヴィオレットは今、自分の胸中に渦巻く感情を理解し切れずにいる。

今までの、崖縁に追い詰められる焦燥とはまるで違って。この身が経験した事、気持ちを、何倍にもして味合わせてやりたいという衝動。理性の壁をガシガシと削り取っていくみたいで、だんだんと、境界線が曖昧になって行く。

怒りを『負の感情』だと称する正しさを、身を持って知った気がした。

「──ん、……オちゃん」

「…………」

「ヴィオちゃん、帰らないの?」

「……へ?」

寝ていた訳でもないのに、寝起きの様に朧げだった意識が、肩に触れた大きな手によって引き戻される。振り返れば、見上げる場所にユランの笑顔があって、困惑しているヴィオレットに優しい優しい声で言い聞かせる。語り掛けるのではなく、子供に聞かせる様な声色で。

「授業終わったから迎えに来たよー」

「え?」

ユランの言葉に視線を泳がせると、室内にはユランとヴィオレットの二人しかいなかった。いつの間にこんな時間になっていたのか。机の上には午後最初の授業の用意がページも捲られずに置かれていて、一時間以上呆けていたのが察せられた。

窓の外では日が陰り始めている。ユランは、いつもなら玄関口で合流出来るのに、いつまで経っても気配の無い自分を心配して来てくれたのだろう。おかげで見回りの人に発見されるなんて恥を経験せずに済んだ。

「ごめんなさい、私……」

「久々の登校で疲れちゃったかなぁ。やっぱりもう少し休んだ方が」

「いいえ大丈夫、ちょっと……考え事してただけ」

「……そっか」

目を伏せたヴィオレットに、ユランがそれ以上突っ込んでくる事は無かった。微苦笑を浮かべはしたけれど、それだけ。手際よくヴィオレットの帰り支度を手伝って、教室を出る時にはいつも通りの蜂蜜みたいな笑顔に戻っていた。

「そういえばギアもヴィオちゃんの事心配してたよ。今度会った時に挨拶でもしてあげて」

「彼が……? こう言っては何だけれど、凄く意外に感じてしまうわね」

「大丈夫、あいつが他人に興味ないのは事実だから。心配って言っても『休んでるんだー、へー』くらいのテンションだったし」

「そこまで聞くとギアらしいわ」

何も聞かれない事に少しだけ寂しくなって、それ以上に安心した。一瞬で燃え盛った怒りは、今もまだ腹の奥で燻っている。火傷した後みたいにじくじくと痛む気がするのは、まだそこが熱を持っているからで。何の刺激で再び火柱を上げるか自分でも分からない。

「それはそれでムカつくんだけどねー」

その時の事を思い出しているのだろうか。普段の柔らかい物言いをする時とは対照的な、舌を出して嫌いな物を食べた時みたいに歪んだ表情。

ムカつくなんて言いながら、そんなギアの事も受け入れているんだろう。ギアといる時のユランは、ヴィオレットといる時とは別の種類のラフさを感じるから。好きな物を愛でている時と、外面を作らずにいられる時というのは、同じ素であっても大きく違う。

「珍しいわね、ユランがそういう風に言う相手なんて」

「あ……ちょっと言葉きつかったかな」

「そうじゃないわ。むしろ、ユランがそれだけ心を開いているんだなって……安心したの。言われているギアには少し申し訳ないけれど」

「嬉しいけど嬉しくなーい……」

今度は拗ねたみたいに唇を尖らせるユランに、ヴィオレットも思わず笑みが零れた。可愛いなんて言ったら、きっとユランは嫌がるけど。硬く角張った感情が解されて、腹に溜まった澱が隅へと追いやられていく気がした。見えなくなれば、それだけで安心出来る、気がしていた。

「ね、今日の夕飯俺も……──」

「……? ユラン、どう」

どうしたの、と続く言葉が、その視線の先を理解した瞬間に途切れた。

見慣れた送迎車が、門の傍に駐車している。遠くにいる時は他の家の物と区別出来なかったが、窓に映る人影までも認識出来る距離になれば、それが誰の為の物かなんて言われずとも理解出来た。ヴァーハン家の迎えが、ここに居る理由。ヴィオレットの為でないのなら、後は一つしかない。

運転手の手を待つ事なく扉が開くのと、ユランの背がヴィオレットの視界を遮るのはほぼ同時で、ヴィオレットに誰が降りて来たのか見る事は出来ない。

それでも、簡単に理解出来る。想像が、出来る。

後部座席から降り立つ小柄な影、天使か妖精かを連想させる、穢れなく愛らしい存在。ヴィオレットが殺したい程憎んでいた、擦り切れて割く心すら失った、半分だけの血縁者。

「お姉、様」

どれだけ言っても、捨てても、自分を姉と呼び続ける。そのひたむきな視線が、清らかな心が、何処までも健気に追い求めて来る姿が。

追いやったはずの澱を、必死に消した炎を、いとも簡単に呼び起こす。

全部お前のせいだ──そう、腹の奥で、誰かが咆えた気がした。