軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

マレーナの幸せ③

競技大会にはマレーナとルイスがそろって応援に駆けつけた。周囲の人々は好奇心を隠しきれず、マレーナとルイスをチラチラと見ては、声をひそめて囁きあっている。

マレーナは何年もこういった行事や社交の場に一人で参加していて、パートナーの同伴が必須の場には参加しないなど徹底していた。それが、突然男性を伴ってやってきたのだから、人々が驚くのも無理はない。しかもその男性が、彼女の息子であるキングストンによく似ているとくれば――。

「父様! 母様!」

二人を見つけたキングストンが、離れた所から大きく手を振ると、それに応えるように二人が手を振りかえした。それを見た周囲の人々のざわめきが大きくなる。

すると、一人の女性が扇で口元を隠しながらマレーナたちのもとへやってきた。

「まぁあ、ウェストモント伯爵」

ねっとりとした話し方が特徴的なこの女性はエッセン伯爵夫人。

夫人は噂好きで、中でも男女の醜聞が大好物。耳にした話に大袈裟なくらい色をつけて吹聴することでも有名で、マレーナのことが大嫌い。

さて、なにを言ってくるのか……まぁ、考えなくてもわかるが。

「夫人、お久しぶりですわね」

「こちらこそ、マレーナ様がお変わりないようで安心いたしました。ああ、そうそう。息子の無礼に対して、寛大な心でお許しくださったことにも感謝しますわ」

(感謝、ねぇ……。その含みのある笑顔からは、感謝なんて微塵も感じないけど)

エッセン伯爵夫妻の息子がマレーナを侮辱したことに怒ったキングストンが、息子を殴ってしまった一件。

それがもとで、取引を見あわせるとマレーナが通達したところ、青い顔をして屋敷までやってきて謝罪をくり返したエッセン伯爵。しかし、マレーナが簡単には謝罪は受けいれないと理解すると、今度はマレーナが提示する金額を支払うことを条件に、取引の再開を懇願してきた。

エッセン伯爵はよくいえば柔軟、悪くいえば変わり身の早い人だ。女のくせに伯爵を名乗る図々しい地方貴族、とばかにしていたときはマレーナを目の端にも入れなかったのに、シルフィを使った商品や品種改良した野菜で、マレーナやウェストモント領が注目され始めると、あっさりと手の平を返して、取引をしたいと言ってきた。

マレーナはそんなエッセン伯爵にいい印象を持っていなかったため、彼との取引を中止することに躊躇はなかった。しかし、エッセン伯爵があまりに必死だったことや、マレーナにとって悪い話ではなかったため、謝罪を受けいれ、取引を再開したのだ。

それに、許した、許さない、という話なら許してはいない。なぜなら、エッセン伯爵夫妻の息子は、いまだに友人と一緒にキングストンにいやがらせをしているから。つまり、以前キングストンを挑発して殴られたときの謝罪は、形だけだったということだ。

ただ、キングストンのほうが一枚も二枚も上手で、彼らの嫌がらせは常に不発だし、キングストンが特に気にも留めていないから放置をしているだけ。彼の無礼を許したわけではない。

夫人はその辺りがわかっていないようだ。だから、今も、マレーナに恥のひとつでもかかせてやろうと鼻息を荒くしている。

「女だてらに伯爵を名乗られる勇ましいマレーナ様も、子どもの前では母親らしい顔をされるのね。意外ですわ」

「まぁ、勇ましいなんてほめすぎですわ。ふふふ」

マレーナがにこやかに笑うと、夫人は頬を引きつらせて「ほめていないわよ」と舌打ちをした。

「そういえば、マレーナ様のご子息は剣術部門に出場されるそうですね?」

「ええ、そうなんです」

マレーナがそう言うと、夫人がクスクスと笑う。

「実はうちの息子も出場するんです。うちの子は幼いころから特別な講師をお呼びして、特別な指導をしていただいていますのよ」

「まぁ、すばらしいわ。うちのキングストンは、小さいときから特別な指導は受けていませんし、学園の授業でしか剣を握っていなかったのに、選手に選ばれてしまいましたの」

マレーナが夫人を見てニコッと笑うと、夫人は扇をぴしゃりと閉じて眉間をヒクヒクと痙攣させている。

マウントの取り合いで負ける気はない、とマレーナが小さく口角を上げる。

それを見たエッセン伯爵夫人はこめかみに血管を浮かびあがらせて、扇を握る手を震わせた。

「ま、まぁ、精々みっともない負け方だけはしないように、応援してあげたらいいのではなくて。……ところで」

エッセン伯爵夫人がマレーナの横に立つルイスを見て、口角を高々と上げ、再びマレーナに視線を向けた。

「伯爵のお隣にいらっしゃる男性は、どなたかしら? よろしければ紹介してくださらない?」

ようやく夫人が本来の目的を口にする。

「あら、そうでしたわ。夫のルイスです。あなた、こちらエッセン伯爵夫人」

「まぁ! マレーナ様のご夫君でいらしたの? まぁ! そう、マレーナ様の」

エッセン伯爵夫人は、大袈裟に驚いて、周囲に聞かせるかのように声を張りあげる。

「お見かけしたことがないけど、どちらの家門の方かしら。まぁ、平民なの? あらあら。ふふふふ、それって、マレーナ様と結婚をしてもいいと言ってくれる人が、平民しかいなかったってことかしら?」

エッセン伯爵夫人は、それはそれは大きな声で言いたいことを言い、マレーナはニコニコしながらそれを聞き、ルイスは目の前にいるエッセン伯爵夫人のずっと後ろのほうで、試合に出るために準備をしているキングストンを目で追っていた。

「それにしても、不思議ですわねぇ。ご夫君とご子息。……ふふ、よく似ていらっしゃる。親子になるとお顔まで似てしまうのかしら? それとも……」

扇では隠しきれない夫人の悪意の視線がマレーナとルイスに絡みついてとても不快だ。

マレーナは静かに息を吐き、小さく首をすくめた。

「似てるのは当たり前ですわ。だって、血をわけた親子ですもの」

「な……!」

まさかマレーナがあけすけにそんなことを言うとは思っていなかったのか、エッセン伯爵夫人が驚いてぎょっとした顔をした。周囲の人たちのざわめきも大きい。

「そ、それはご自身が不貞を働いたとお認めになるの?」

「ふふふ、どうかしら? どう思います?」

「ごまかさないで!」

マレーナの余裕の表情が気に入らない。焦っているくせに、そんな素振りも見せない図々しいその態度が腹立たしい。

「仮に私が不貞を働いたとして、夫人になんの関係があるのかしら?」

「は?」

「もしかして、私はなにも関係のない夫人から訴えられてしまうのかしら?」

「なによ、開きなおって……!」

マレーナは余裕の笑みを崩さず、遠くを見ているルイスを見あげた。

「ねぇ、あなた、どうしましょう。私たち、訴えられてしまうかもしれないわ」

「あ、ああ、そうなのかい。それは大変だ」

ルイスの口調からは、まったく大変だと思っていないことがありありとわかる。それどころか、マレーナの耳に顔を寄せ「もうすぐキングストンの試合が始まりそうだ」と、話を早く終わらせるように訴える。

「……まったく」

マレーナは呆れたように首をすくめ、それから視線をエッセン伯爵夫人に戻した。

「エッセン伯爵夫人。子は親の鏡と言います。まさにその言葉のごとく、羽より軽いあなたの口が、ありもしない話をさも真実であるかのように語ることで、あなたのご子息から息子が不快な思いをさせられたこと、私はいまだに忘れていませんわ」

「な……」

「ですが、そのような心無い言葉になんの意味もないことを知っています。愚かな人間の言葉に傷つく必要などないことも」

「なにがおっしゃいたいの?」

「つまらない人は相手にしないってことよ」

「なんですって! 私をばかにしていますの?」

エッセン伯爵夫人は怒りを露わにして扇を握りしめた。

「そうですね。だって夫人と会話をしても、なにも生まれないんですもの」

「は? それは、どういう意味……」

「あなたと会話をすることに価値を感じないということです」

マレーナはそう言ってクスッと笑うと、一歩前に出てエッセン伯爵夫人に近づき、耳元に顔を寄せた。

「あまり他人のことで騒がないほうがよろしいのではなくて?」

「は? なんですって」

「若い画家に大金を渡しているそうですね」

「……っ!」

「先代の伯爵夫人から受けついだ大切なネックレス」

「え……?」

「いくらお金が必要だったからといって、あれを売ってしまったのはまずかったと思いますわ」

「な……なぜ、それを……?」

エッセン伯爵夫人の顔が青くなる。

「パトロンと画家というにはあまりに親密な関係だと聞きましたわ」

「だ、誰から……?」

「さぁ、誰からかしら?」

マレーナはクスリと笑ってエッセン伯爵夫人から離れ、遠くを見ているルイスに声をかける。

「あなた、話は終わったわ」

「ああ、間に合ってよかった。次が、キングストンの試合なんだ」

「あら、大変」

マレーナはエッセン伯爵夫人にニコッと微笑むと「そろそろ息子の試合が始まるので、失礼しますね」と言ってルイスと共にその場をあとにした。

エッセン伯爵夫人は顔を真っ青にして、体をぶるぶると震わせ、扇を地面に叩きつけた。

(エッセン伯爵との取引もこれまでね)

その後、再びエッセン伯爵との取引を中止し、二度と再開されることはなかった。

キングストンは三回戦で敗退したが、まったく恥じるところなどない素晴らしい内容だった。

二回戦まではキングストンと同じ二年生が相手だったが、三回戦で当たったのは三年生。体がキングストンより二回りも大きく、優勝候補と言われている選手で、周りからも、絶対に勝てないと言われていたキングストン。

それでも、諦めることなく向かっていったが力の差は大きかった。

隙をついて振りおろした剣を相手が受けとめ、力で押しかえされると、今度は相手が一気に打ちこんできた。

もし相手の剣を受けとめても、力では勝てないと判断したキングストンは、すかさず身をよじって剣をかわし、相手がわずかにバランスを崩したところを狙ったが、鍛えあげられたその肉体はキングストンが想像するよりはるかに強く、打ちこもうとした瞬間に、相手の剣が下から上に振りあげられ、その勢いで剣がキングストンの手から離れて勝敗がついた。

「よくやったぞ、キングストン」

負けたとはいえ、息子が素晴らしい試合をしたことが誇らしい。ルイスが頭をポンポンと叩くとキングストンは嬉しそうにニッコリとした。

「これからも練習を見てくれますか?」

「もちろんだ。お前はもっと強くなるからな」

夫と息子の様子を、微笑ましく眺めているマレーナ。

まさか自分にこんな幸せが訪れるとは思いもしなかった。キングストンが生まれたとき、体の奥から震えるほどの喜びがあった。これ以上の幸せはない、この子にすべてを捧げても悔いはないと思っていた。

それなのに、ルイスがいてキングストンがいるこの幸せが、あの震えるほどの喜びに勝るとは。

キングストンが手を振ってマレーナを呼んでいる。

マレーナはそれに応えるように、二人のもとへ向かって歩きだした。