軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

キングストンは早く十歳になりたい①

十年の月日がたった。

シルフィの栽培に成功し、量産を可能にしたことでウェストモント領は、片田舎の領地から、最も人が集まる賑やかな領地へと変わった。

人々が求めるものは、シルフィを使った香辛料や香水、薬草。そのほか、新しい商品も続々開発されていて、その勢いは止まることを知らない。

また、野菜の品種改良も進み、農地を拡大したおかげで他領への出荷も増え、交易も盛んだ。

ザイオン領もウェストモント領と同じくシルフィを栽培し、マレーナと共同で改良した野菜を育て、交易をし、領地はこれまでになく活気で溢れている。

また、サイレスは爵位を息子に譲り、ウェストモント領に住みついて、ほとんどの時間をイリーカ山で過ごしている。イリーカ山にはいまだに発見されていない動植物があり、サイレスの好奇心は尽きないらしい。

ティータイムを過ぎたころ、ウェストモント伯爵邸の前に、家紋入りの馬車が止まった。馬車から降りてきたのは、銀色の髪に青みがかった黒い瞳を持つ、マレーナの息子キングストン。

キングストンは屋敷に入ってヨハンを見つけると、にこやかな笑顔で近寄った。

「ヨハン」

「おかえりなさいませ、坊ちゃま」

「ただいま、ヨハン。母様はどこ?」

「マレーナ様でしたら、執務室にいらっしゃいます」

「わかった。ありがとう」

そう言うと、キングストンは階段を駆けあがってマレーナの執務室へと向かった。執務室のドアをノックすると、静かにドアが開いて侍女のベスがそっと顔をのぞかせる。

「坊ちゃま、おかえりなさいませ」

「ただいま、母様はいる?」

ベスが声をひそめたので、それに倣ってキングストンも声をひそめる。そっと部屋をのぞきこむと、ソファーで眠っているマレーナが見えた。

「先ほどお休みになられました。三十分ほどしたら起こしてほしいと」

「わかった。僕が見ているから、ベスは下がっていいよ」

「かしこまりました」

ベスは静かに部屋を出た。

このやりとりは今日に始まったことではない。キングストンが忙しいマレーナと一緒に過ごす貴重な時間だから、ベスが気を利かせて二人きりにしてくれるのだ。

キングストンは、マレーナが眠るソファーの向かいのソファーに座り、その寝顔を見つめている。

キングストンはマレーナが大好きだ。年齢より若く見えるマレーナは、キングストンから見ても美しく、それでいて豪胆で気前がいい。領民からも尊敬されているマレーナはキングストンの誇りだ。

だからこそ、ときおり見せる涙の意味を考えてしまう。

眠っているとき、数回だけ見てしまった母の涙。そして……。

父親はいない。誰も教えてくれないし姿絵さえ見たことがない。誰の屋敷にも必ずある家族の肖像画も、この屋敷にはない。マレーナとキングストンの二人きりの肖像画はあるけれど。だからキングストンは父親のことをなにも知らない。

いや、残念なことについ最近、お前の父親はロクでもない奴だった、と学友がおもしろ半分にキングストンに話して聞かせてくれた。

ついでに、マレーナは夫を屋敷から追いだした冷たい女だ、とか、女のくせに伯爵なんて偉そうだ、とかなんとか。

べつに自分がなにを言われようとかまわないが、母を侮辱するようなことを言うのは許せない。

カッとなったキングストンが相手に飛びかかって馬乗りになり、腹の立つその顔に何発かくらわせて、マレーナが学園に呼びだされたのはつい数日前。

マレーナに叱られることを覚悟していたキングストンだったが、予想に反してマレーナはなにも言わず、それどころかキングストンを抱きしめてくれた。そして翌日には、キングストンが殴ってしまった相手が、青い顔をして謝ってきた。

「……」

宿題の紙に答えを書きこんで手を止めて、少し考えて、またペンを走らせる。

あと数日したら誕生日が来て、キングストンは十歳になる。もう大人の仲間入りだと言っていいだろう。

実は、十歳になったら、休みの日に馬車に乗って一人でお出かけをしてもいいことになっている。但し、護衛付き。でも、自分の行きたい所に自由に行くことができるのだ。

だから早く十歳になりたい。

「そろそろ起こさないと」

ソファーから立ちあがり、マレーナのそばまで行って穏やかな寝顔を見つめ、もう少し寝かせてあげたいなぁ、と思いつつ静かに声をかける。

「母様、起きてください。母様」

キングストンが優しく揺らすとマレーナが覚醒し、ゆっくりと目を開ける。

「ルイス……」

「……」

(ルイス……)

誰のことだろうか。

「……キングストン?」

「はい、母様。先ほど帰ってまいりました」

「おかえりなさい、私の天使」

そう言ってマレーナがキングストンを抱きしめた。母の匂いを嗅げば、キングストンの心はポカポカと温まって、ふふと頬が緩む。

「お疲れですね」

「昨日、ちょっと遅くまで仕事をしてしまったから。でも、お昼寝をしたからすっかり疲れが取れたわ」

「ベスを呼びます。温かいお茶を淹れてもらいましょう」

「そうね。一緒にクッキーを食べましょう」

「はい!」

キングストンが早足でドアまで向かいベスを呼ぶと、ベスはすでにワゴンにお湯とティーカップ、クッキーを用意して廊下で待機していた。ベスは仕事のできる侍女だ。

ベスが淹れた温かい紅茶とウォールナッツの入った香ばしいクッキーを食べながら、キングストンはマレーナに嬉しい報告をした。

「今度の競技大会で、剣術部門に出ることになりました」

競技大会は一年に一度行われる武術大会で、剣術のほかに、槍術、弓術、体術、馬術などの競技がある。

「まぁ、凄いわ、キングストン! 絶対に応援に行くわね」

「本当ですか? でも、お仕事でお忙しいんじゃ……」

「なにを言っているの。仕事くらいさっと終わらせてあげるわ」

さっと終わらせられるなら、毎日夜遅くまで仕事をしているわけがないのだが、マレーナがそう言うなら間違いなく来てくれる。

マレーナに無理をさせるのはちょっと申し訳ないけど、見にきてくれるのはすごくうれしい。

「僕、頑張ります!」

「ふふ、期待しているわ。でも無理はしないでね」

「はい」

キングストンは初等部の二年生だが、勝ちすすめば最終学年である三年生とも戦う可能性もある。それに、選手に選ばれる生徒のほとんどは、騎士を目指して個々に厳しい鍛錬を積んでいる実力者ばかり。

必ず優勝します! なんて強気なことが言えないのは残念なところだ。

(せめて一勝、ううん、二勝くらいはしたいな)

これからは少し早く起きて剣を振ろうかな? いや、体力づくりのために走りこんだほうがいいかな。なんてキングストンは思案中。

(ますますあの人に似てきたわ。皆、この子がメイソンとの子どもではないことに気がついているのでしょうね。それでもなにも言わず、見まもってくれている。ありがたいことだわ)

ただ、屋敷の外ではそうはいかない。おもしろおかしく噂し、ときには子どもがそれを耳にして吹聴する。

マレーナに似ているのは青みがかった黒い瞳と鼻の形くらい。メイソンに似ているのは銀色の髪だけで、それ以外に似ているところを探しても、見つけることなんてできるわけもなく。

メイソンを知っている人間なら、囁かずにはいられないマレーナの不貞。しかし相手と思われる男性の影がなく、証拠もないことから噂はずっと噂のまま。

「母様、僕はあと数日で十歳になります」

「そうね! プレゼントはなにがいいかしら?」

マレーナが聞くとキングストンが顔を輝かせて、食い気味に言葉を発した。

「馬車に一人で乗る権利を」

「護衛付き?」

「護衛付きです」

「ふふ、いいわよ。でもそれは前からの約束でしょ? プレゼントにならないわ」

『馬車に一人で乗る権利』を得るために、学園に入学してからこれまで、座学でずっと上位三位以内の成績をキープしてきたキングストン。馬車に一人で乗る権利は、キングストンが努力で勝ちとった正当な報酬だ。

「それで十分です」

「欲のない子ね。いいわ、じゃあ母様が勝手に決めてしまいましょう」

「あ、いえ、それでしたら……」

「なぁに?」

少し恥ずかしそうに頬を染め、少しだけもじもじしながら口を開くキングストン。

「母様の時間を一日、僕にください」

「私の時間?」

「僕、母様とゆっくり過ごしたいんです」

「私と……?」

言ってしまってから落ちつかなくなったのか、顔を赤くして、視線をキョロキョロと忙しなく動かすキングストン。その愛らしい姿を見て、マレーナは優しく微笑んだ。

「もちろん、いいわよ。一日と言わず二日でも三日でも」

「いえ、母様はお忙しいので、一日でいいです」

「……優しい子ね」

そう言ってマレーナはキングストンを抱きしめて頬にくちづけをした。