軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

千五百七十九年 十二月中旬

静子は当初一週間程度の滞在で京を離れ、尾張へと帰還する予定だったのだが、何かと理由を付けては京で足止めを食らっていた。

だが彼女とて単に朝廷を 宥(なだ) めすかす為だけに居残っているわけではない。

かねてより、彼女は西の果ては火の国こと九州の動向を注視していたのだ。

それは信長の天下統一を阻む可能性が高い仮想敵が九州の国人達だったからではなく、ここ一年で 島津(しまづ) 家が九州統一に王手をかけていたからだった。

そしてその速度は静子の予想を遥かに上回るものであった。

「つい 一昨年(おととし) まで 大友(おおとも) 、島津、 龍造寺(りゅうぞうじ) の三家 鼎立(ていりつ) (互角の実力を持つ三者が、競合しながらも安定している様子)時代だったのに、あっという間に島津家が躍進しちゃったなあ」

九州の地図を京屋敷にある静子の私室で床に広げながら静子は呟く。

彼女は九州北東部に大友家の札を置き、北西部に龍造寺の札を、最後に九州南部に島津家の札を置いた。

南部の中でも 肥後(ひご) (現在の熊本)南部に 相良(さがら) 家の札、肥後中部に 阿蘇(あそ) 家の札を置く。

この二家は大友家の支援を受けて独立を保っているため、それぞれの札の横に大友家の札も添えた。

九州南部は島津家と相良家が 睨(にら) み合う状勢であり、勇猛な将を抱える相良家といえども勢いに乗った島津家の猛攻に抗えず、劣勢を強いられている。

「大友家は大きく力を落とし、その威光に従っていた配下が多数離反。とどめと言わんばかりに龍造寺の攻勢を受けている、と」

大友家は島津家によって 日向(ひゅうが) 国を追われた伊東氏の要請を受け、大軍を率いて南下した。

これに対して島津家は最前線となった 高城(たかじょう) に籠城して迎え撃ち、後に 耳川(みみがわ) の戦いと呼ばれるいくさとなる。

当初は 寡勢(かぜい) で籠城する島津家を、大軍を擁する大友軍が包囲して数的優位を生かした攻勢を続けていた。

ところが高城自体が東と南が急崖、西は谷に囲まれ北側からしか攻め込めないという天然の要塞であり、城主の島津 家久(いえひさ) が決死の抵抗を続けたため戦況が 膠着(こうちゃく) する。

そこへ島津 義久(よしひさ) 率いる本隊が到着することで状況が一変した。

島津軍の猛反撃を受けて敗走した大友軍は、本国である 豊後(ぶんご) 国へと戻るため増水した耳川を渡らなければならず、追撃を受けた大友軍将兵の多くが川で溺死してしまった。

こうして九州の勢力図が塗り替わったのだが、島津家はその余勢を駆って肥後の相良家を降し、更にその背後に控える阿蘇家へと手を伸ばしている。

阿蘇家には知将で知られる 甲斐(かい) 宗運(そううん) が控えていたのだが、島津家は智謀を許さぬ真正面からの削りあいを仕掛けた。

それは降伏させた相良家の将兵を先兵として阿蘇家に 嗾(けしか) け、消耗を強いるという残酷な策であった。

かつての盟友同士を争わせ、どちらが勝っても島津の利益となる。完全に情を排した合理的かつ巧みな戦術であった。

「この二家を倒せば島津は南九州を完全に掌握する。一方、北の龍造寺は勢力拡大に勤しんでいるけれど……」

静子は龍造寺家の札を指先で弾いた。

現当主の龍造寺 隆信(たかのぶ) は「 肥前(ひぜん) の熊」と恐れられる猛将だが、勢力が拡大するにつれて酒色に溺れ、 猜疑(さいぎ) 心を深めているという報告が入っている。

諌言(かんげん) する忠臣を粛清し、あまつさえ重用していた義弟の 鍋島(なべしま) 直茂(なおしげ) すら遠ざけている始末だ。

「内部にいつ破裂するか分からない爆弾を抱えたままの拡大路線。史実通りなら、遠からず部下の反乱で足を 掬(すく) われる」

いずれにしても向こう数年、九州は血で血を洗う戦乱状態となるであろう。

さながら密閉した壺の中に有毒生物を閉じ込めて互いに殺し合わせる 蟲毒(こどく) と呼ばれる呪法のようだ。

他の報告書も読み込み、静子が下した結論は「静観」であった。

今こちらから手を出せば、敵対する三家が「反織田」で結束しかねない。

彼らが互いに消耗しきったところで、勝者のみを潰す「漁夫の利」を狙うが上策と考えた。

「さて、九州の方針はこれで良し。……問題は、こっちか」

静子は地図を畳み、小さく溜息を吐いた。

本日、信長より茶会の誘いがあったのだ。

京より尾張へと戻る途中で安土へ立ち寄れとの命令である。

ただの茶会なら良いが、昨今の信長の様子からして、単なる世間話で終わるはずがないという予感があった。

案内された茶室には、奇妙な空気が漂っていた。

信長は上機嫌ではないが、不機嫌でもない。

風が絶え完全に 凪(な) いだ湖面のような静けさが、逆に張り詰めた緊張を感じさせる。

「今日も良い茶と、面白い菓子だ」

茶を喫し、一息ついた信長が、同心円状の層を成した切り口を見せる菓子、バウムクーヘンを口に放り込みながら、ふいに鋭い視線を静子に向けた。

「ところで気になったのだが、貴様は周りの有象無象のように、わしの考えが気にならんのか?」

信長の言う「考え」とは、天下統一後の統治体制のことである。

関白か、征夷大将軍か、太政大臣か。

信長がどの椅子に座るかで、公家も武家も寺社も、その既得権益がどうなるかが決まる。

日ノ本中の権力者が固唾を飲んで見守っている最大の関心事だ。

「気にならぬと言えば嘘になります。ですが、上様はまだ答えを出しておられぬ、と私は考えております」

「ほう?」

「日ノ本の政道は全て上様のもの。なればこそ、既存の 枠(わく) に収まることを良しとせず、最も相応しき形を模索されている最中ではありませんか?」

静子の言葉に、信長はニヤリと笑った。

「貴様も言うようになったな。……では、貴様ならどうする? 暇つぶしだ、申してみよ」

暇つぶしと言うには、あまりに重い問いだった。

だが静子は、以前から温めていたある構想を口にすることにした。信長という「超人」がいる今だからこそ、言わねばならないことだ。

「上様。関白は朝廷の臣、将軍とて所詮は武家の頭領に過ぎません。いずれの職も、朝廷や公家、寺社といった古き権威を完全に抑え込むには、些か『器』が小そうございます」

「では如何にする?」

「人ではなく、『法』を最上位に置くのです」

「法、だと?」

「はい。武家も、公家も、民も、等しく従わねばならぬ絶対的な法を制定し、法が日ノ本を支配する形にします。さすれば、 恣意(しい) 的な権力行使を防ぎ、誰もが納得する統治が可能となりましょう」

いわゆる「法治国家」の概念である。

人の支配から法の支配へ。それは近代国家への第一歩だ。

信長は 頤(おとがい) に手を当て、静子の提案を反芻しているようだった。

やがて、彼はゆっくりと口を開いた。

その声は低く、茶室の空気が 凍(い) てつくような威圧感を 孕(はら) んでいた。

「……静子。法が最上位ということは、この信長ですら、その法に従い、縛られるということか?」

静子の背筋に冷たいものが走る。

これは「是」と答えれば主君への不敬、「否」と答えれば論理の破綻となる、究極の二択だ。

信長の眼光は、静子の魂の底まで見透かすように鋭い。嘘や誤魔化しは通じない。

静子は震える膝を自身の爪で押し留め、覚悟を決めて信長を見据えた。

「……左様でございます」

「ほう。わしに首輪をつけると言うか」

「上様はこの乱世を平らげた超人です。法などなくとも、その御威光だけで世は治まりましょう。ですが……上様の後を継ぐ者が、上様と同じ超人とは限りませぬ」

静子は畳に額を擦り付けるように平伏した。

「上様の御威光に頼った支配は、上様がいなくなった瞬間に崩れ去ります。織田の世を百年、千年と続かせるには、上様という『個』ではなく、誰にも揺るがせぬ『法』という礎が必要なのです! その為には、始祖たる上様ご自身が法に従う姿勢を見せて頂かねばなりませぬ!」

言い切った静子は、首が飛ぶことを覚悟した。

茶室に重苦しい沈黙が落ちる。

一秒が永遠のように感じられた。

やがて――。

「く、くくく……はーっはっはっは!!」

爆発するような 哄笑(こうしょう) が、静寂を打ち破った。

恐る恐る顔を上げると、そこには腹を抱えて笑う信長の姿があった。

殺気は霧散し、まるで子供のような無邪気な愉悦が顔に浮かんでいる。

「わしを型枠に押し込むか! 面白い、実に痛快だ! 己が死んだ後のことまで図面を引けるのは、貴様くらいよ」

「う、上様……?」

「良いだろう。わしが法という名の 神輿(みこし) に乗ってやろうではないか」

信長は茶碗を置くと、窓の外、尾張の方角へと視線を投げた。

「静子、貴様が尾張で作らせたという『鉄の道』の話を聞いたぞ。 黒鉄(くろがね) の馬が走るという、あれだ」

「は、はい。先日、静之にも見せた蒸気機関車のことでございましょうか?」

「うむ。あれは凄まじい力を持つそうだが、予め敷かれた鉄の 道(レール) の上しか走れぬのだったな?」

「はい。重量がありすぎますゆえ、地面を直に走れば沈んで動けなくなります。強固な地盤と、鉄の道があって初めて、あの馬鹿げた力を発揮できます」

「法とは、つまりそれよ」

信長は膝を打ち、得心がいったように頷く。

「法という名の『鉄の道』を敷き、その上を国という『車両』が走る。道があるからこそ、逸脱することなく、牛馬では到底及ばぬ速度と力で未来へと進める……そういうことではないか?」

静子は目を見開いた。

自らが提案した法治国家の概念を、信長は見たこともない鉄道システムに 喩(たと) えて、一瞬で本質を理解してみせたのだ。

「上様の仰る通りでございます。道なき道を征くのは覇王の特権ですが、それでは後に続く者が迷います。強固な鉄の道を敷くことこそ、次代への最大の贈り物かと」

「法を上に置くのは良い案じゃ。だが紙切れ一枚で誰もが従うはずもなし。ならば法を制定した後、それを守らせるようにする組織が必要となろう」

信長の問いに静子は頷く。どの様な素晴らしい法を制定しても、それを破る者が出てくるのが世の常だ。

その時、破った者を厳しく罰することができなければ、その法は意味を失う。

現在でいう 警察権(けいさつけん) を行使する 法執行機関(ほうしっこうきかん) が必要となるのだ。

「それぞれの国に法の管理を任せるのでは運用にばらつきが出よう。なれば日ノ本で統一した組織を創らねばならぬな」

「その通りでございます」

「だが権力を持たせすぎるのも毒だ。法を定め運用するのは我らとして、法を破った者を罰し、 諍(いさか) いを調停する組織は別にせねばなるまい。そして両者は互いに監視し合うのじゃ。そうでなければ為政者が法を破った時、裁くことが出来ぬ」

「ご慧眼恐れ入ります。余り一つの組織に権力が集中すると、その組織が腐敗すれば目も当てられなくなります。権力は一つ一つには小さく持たせておくのが宜しいかと存じます」

「そうだな。何しろ社会の構造を大きく変えるのだ。失敗したら取り返しがつかぬ」

言い終えると信長は息を吐いた。

一気に語りきったことで満足したのか、彼の 纏(まと) う空気が緩んでいく。

「よし、今日のところはこの程度で良かろう。仔細については貴様が詰めよ、急ぎすぎて高転びしては目も当てられぬわ」

快活に笑うと信長は残りの茶菓子を全て懐へ入れた。

法という名のレール、国という名の機関車。

その二つが揃った時、日ノ本はかつてない速度で発展するだろう。

信長の瞳は、すでに果てなき未来の線路を見据えているようだった。

命がけの問答を終えた静子は、逃げるように安土を後にし、尾張へと帰還した。

信長との会談での緊張感とは裏腹に、帰ってきた自邸は年末特有の殺人的な忙しさに包まれていた。

「お帰りなさいませ、静子様! ご相談したい案件が山積みでして!」

「報告します! 年末の贈答品の輸送が滞っております! 街道が荷車で溢れかえり、身動きが取れません!」

「各所の酒蔵より連絡! 樽の出荷が間に合わぬと悲鳴が上がっております!」

邸宅に足を踏み入れた瞬間、四方八方から悲鳴のような報告が飛んできた。

静子の改革により尾張の経済は爆発的に成長している。

それは喜ばしいことだが、副作用として年末年始の物流が限界を迎えていたのだ。

道という道は荷車で埋まり、港は船で溢れ、倉庫は在庫でパンク寸前。

まさに「嬉しい悲鳴」が物理的な騒音となって静子を襲っていた。

「あー、もう! 毎年毎年、学習しないなあ!」

頭を抱える静子だったが、ふと脳裏に先日の信長との会話が過った。

『鉄の道があれば、牛馬では及ばぬ力を発揮できる』

静子は顔を上げ、側にいた技師を呼びつけた。

「ねえ、実験線の機関車、動かせる?」

「は? ええ、点検は終わっておりますが……まだ客車もありませんし、本格運用は……」

「客なんて乗せなくていいわ! 貨車を繋いで! あるだけ全部! 倉庫で溢れている酒樽や米俵、全部あの『黒鉄の馬』に食わせなさい!」

静子の号令一下、現場は戦場のような慌ただしさで動き出した。

実験線はまだ短い区間だが、主要な倉庫群と港の近くを通っている。ここを繋ぐだけでも、物流の 塞栓(そくせん) は解消できるはずだ。

数刻後。黒煙を吐き出し、蒸気機関車が動き出した。

その後ろには、急造の 無蓋(むがい) 車(屋根のない貨車)が十両近くも連結されている。

満載された酒樽、米俵、木材、織物。

荷車であれば百台あっても運びきれないような物量が、たった一両の機関車によって動き始めた。

「う、動いた……あんな重さを引いて、馬より速いぞ!」

人足たちが呆気にとられて見守る中、列車は轟音と共に走り去る。

渋滞していた街道を尻目に、鉄の道の上を滑るように進むその姿は、まさに物流の革命だった。

たった数回の往復で、山積みだった在庫の山が消えていく。

「……凄い」

報告を受けた静子は、自邸の窓から遠く上がる黒煙を見つめて呟いた。

静之に見せた時は「兵器」としての側面、あるいは「支配の道具」としての側面を強調した。

だが今、目の前にあるのは、人々の生活を支え、豊かさを運ぶための純粋な「力」だった。

「法という名のレールに、経済という名の蒸気機関……か。上様の例えもあながち間違いじゃないね」

この圧倒的なパワーが、いずれ日ノ本全土を駆け巡る。

その時、国はどのような姿になっているだろうか。

積み上がった書類の山に戻りつつ、静子は忙しさの中に確かな希望(次代の萌芽)を感じていた。

「さて、次は従業員たちの休暇調整ね。実家に帰省する人への手土産も忘れずに」

大仕事を片付け、ようやく邸宅の執務室で一息つくと、家臣から報告が入った。

「お帰りなさいませ、静子様。年末年始の食材や酒の確保、完了しております」

「うん、ありがとう。実家に帰省する人への手土産も忘れずにね」

静子の邸宅で働く者たちは、年末年始に交代で里帰りをする。

武家出身者は正月に、商家や農家出身者は繁忙期を避けて十日過ぎに休みを取るのが通例となっていた。

静子は彼らのために、重箱に入ったおせち料理や、特別な手当を用意している。

「あー、そうだ。縁起袋の準備もしなきゃ」

静子の邸宅では、年始に「縁起袋」と呼ばれるボーナスを渡すのが恒例になっていた。

中身は相手の立場に関係なく一律で二千九百五十一円。

「福来い」の語呂合わせであり、割り切れない数字として縁起が良いとされる額だ。

大した額ではないが、これを楽しみにしている奉公人も多い。

「金庫から小銭を出して、袋詰めして……ああ、人が増えたから管理が大変だ」

温かい部屋で、のんびりと金勘定の心配をする。

つい数日前、天下人の前で国の在り方を問うていた自分と、今こうしてお年玉の準備に頭を悩ませている自分。

その落差に苦笑しつつも、静子はこの平和な日常を守るためにこそ「法」と「レール」が必要なのだと、改めて実感していた。

「恒例とはいえ、来年はもっと効率化しないとね」

ぼやきながらも、静子は充実した表情で仕事に取り掛かるのであった。