軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

千五百七十六年 五月下旬

信長達が賑やかな花見の酒宴を催している頃、石山本願寺では対照的に打ち捨てられた廃墟のような 寂寥(せきりょう) 感に満ちていた。

本願寺内部では 頼廉(らいれん) 率いる穏健派が主流となり、 教如(きょうにょ) のように徹底抗戦を唱える強硬派は勢いを失っていた。

しかし、追い詰められた組織がより過激に先鋭化するのは世の常であり、ご多分に漏れず教如たち強硬派も武装解除に応じず山中の僧房を占拠し立て籠もっていた。

またそのどちらの勢力にも属さない僧たちは、持てるだけの財産を抱えて既に包囲の解かれた本願寺から脱していた。

その姿を見た信徒たちも本願寺の行く末を悟り、沈みゆく船から鼠が逃げ出すかのように我先にと離散していった。

武装解除に応じたとは言え、多くの人々が生活できるだけの環境であった本願寺内には様々な物資が蓄えられており、信徒たちは行き掛けの駄賃とばかりに鍋や釜といった生活雑貨まで持ち去ってしまった。

かつては各山門前に山と積まれた武具類は、織田軍の手によって運び去られたため、信徒たちが手に出来る金目の物が限られていたとも言える。

それらについて報告を受けた頼廉は、「そうか」とだけ呟いたのみで、何ら対応を取ろうとはしなかった。

「法主」

頼廉は 顕如(けんにょ) が幽閉されている牢の前で立ち尽くしていた。現在の本願寺代表は頼廉であり、法主の座を追われた顕如は単なる一僧侶に過ぎない。

それでも頼廉にとっての法主とは顕如しかいない。織田家と交渉するには本願寺代表となるしかなく、顕如を幽閉した後も頼廉自身が法主を名乗ることはなかった。

「法主」

夕闇が迫ろうと言うのに灯りすら使わない牢の主に向かい、頼廉が再び声を掛けた。しかし、牢から 応(いら) えが返ることはなかった。

頼廉は返事が無いのを当然と考えていた。どう言い 繕(つくろ) ったところで本願寺にとって己は裏切り者に過ぎない。

顕如が 頑(かたく) なに会話を拒むのも当然と捉え、返事がなくともこうして日参し、日々の報告を闇に向かって続けている。

「法主、織田との和睦は順調に進んでおります。この和睦を以て、我らは織田の管理下に置かれることとなり、その証拠としてここ本願寺を明け渡します」

信長との和睦に於いて、絶対に呑まねばならぬ条件。それが一向宗の総本山である、石山本願寺の放棄であった。

石山本願寺とは日ノ本各地に散った本願寺門徒にとって信仰の拠り所であり、史実に於いて信長と足掛け10年以上に亘って戦うことが出来た要塞でもあった。

それ故に信長が和睦を結ぶ上での最低条件として本願寺からの退去を言い渡すことは確実であった。裏を返せば、本願寺さえ抑えていれば、各地で一向一揆が勃発しようとも如何様にも対処できるという自信の表れでもある。

「他にも戦費を 贖(あがな) うため、様々な条件を突き付けられることでしょう。そして、最後まで残った 信徒(・・) たちは雑賀衆が受け入れてくれることとなりました」

頼廉は 予(かね) てより顕如が気に掛けていた信徒の今後についてを語った。末端の信徒については 咎(とが) が及ばぬよう手を尽くしたが、上層部の指導者たちに関してはその限りではない。

頼廉は信長との密約によって、本願寺門徒について本願寺退去後も信教の自由を保証するとの 言質(げんち) を取り付けていた。

信長が本願寺に禁じたのは二点。一つは武力を持つことの禁止、もう一つは政治への介入禁止である。

信長にとっての宗教とは生活の規範であり、精神の拠り所でさえあれば良く、仏の威光を借りて信徒たちの未来を舵取りするなど 不遜(ふそん) と考えていた。

「……何か動きがあれば、また参ります」

結局最後まで顕如からの答えは無かった。しかし、頼廉にとってそれは毎度のことであり、牢に向かって一礼するとその場をあとにした。

頼廉が立ち去った暫くのち、闇に閉ざされた牢内より 懊悩(おうのう) を 湛(たた) えた声が漏れた。

「すまぬ、頼廉。事がここに至っても、未だ肉親の情を断つことができぬ。もっと早くに私が教如を処断しておれば……」

それ以上は言葉とならず、再び牢は静寂に飲み込まれた。

ところ変わって 播磨(はりま) では秀吉が手を焼いていた。播磨とは、今日でいう兵庫県の南西部に当たる。領内に姫路港などの大きな港を 擁(よう) し、港湾都市を中心に経済が発達しており、それ故に多くの勢力が互いに利権を巡って争うこととなる。

鎌倉時代から朝廷や武家、仏家らが食指を伸ばしたことで戦乱に呑まれ、それがために中央政権に対して強い反骨精神を抱くに至った。

中でも有名なのが赤松氏であった。彼らは、日本史上に於いて朝廷や幕府と言った体制側に最も反抗した一族と言っても過言ではない。

例を挙げれば1333年、後に足利幕府を開き将軍となる 足利(あしかが) 尊氏(たかうじ) が京を攻めた際、鎌倉幕府の重要拠点であった 六波羅(ろくはら) 探題(たんだい) を攻め落とした。

その際に播磨国人を率いて大きな手柄を立てたのが赤松氏第四代当主の赤松 則村(のりむら) (後に出家し、法名を 円心(えんしん) とした)であった。

その後、 建武(けんむ) 政権から冷遇されたため(政争に巻き込まれたとも言われている)、尊氏の挙兵に呼応し建武政権を討ち室町幕府の成立に多大な貢献をする。

その後は足利方に 与(くみ) していたが、室町幕府六代将軍であり恐怖政治を指向し、苛烈な処断を繰り返して万人恐怖との異名を持つ足利 義教(よしのり) を宴会の席で殺害してみせたのも赤松 満祐(みつすけ) である。

このように赤松氏は政権の勢力争いに翻弄されることが多く、その為か独立独歩の気風を持ち、反骨精神も並外れて高い。

特に己の「飯の種」が奪われんとしたとき、その精神が遺憾なく発揮されることとなる。

「はっはっは。なかなかに気骨があるではないか」

そのような背景から秀吉の播磨攻略は 件(くだん) の赤松氏による猛烈な反抗を受け難航していた。

秀吉の苦境をよそに、静子軍より派遣された 真田(さなだ) 昌幸(まさゆき) 率いる狙撃部隊は着実に成果を挙げていた。彼らは表向き信長の命により新兵器の実地試験をするため、秀吉軍に参加しているとされている。

戦況が思わしくないため、馬鹿正直に援軍を要請したなどと明かせば苦戦を強いられている秀吉軍の士気は崩壊してしまう。そこで信長の 直命(じきめい) を受けた特殊部隊として取り扱い、遊撃的に運用することで他部隊との接点を最小限にする。

その結果、秀吉軍の大部分にとって狙撃部隊の存在は腫れものに触るような扱いとなった。更に行動を共にした部隊からは、狙撃部隊の勇猛さからかけ離れた戦いぶりに対し非難や侮蔑に近い印象を持たれるに至っている。

それもそのはず、未だに個人の武勇が尊ばれる秀吉軍に於いて、彼らの 戦闘教義(ドクトリン) は異質すぎた。基本的に物陰に潜み、高所に布陣して索敵を行い、兵卒を纏めて指示を出している下士官のみを狙撃するだけでさっさと後退してしまうのだ。

直接的な交戦を可能な限り回避し、どうしても避けられない場合は敵軍の予想侵攻ルート上に罠を仕込み、足止めをした上で一方的に虐殺しつつ逃げまわるという、いくさ場の 誉(ほまれ) から最もかけ離れた戦法を取る。

有体(ありてい) に言ってしまえば 卑怯(ひきょう) かつ 姑息(こそく) であり、秀吉軍の将兵から見ればチマチマと敵に出血を強いるのみで、決定的な戦果を挙げない臆病者として認識されるのだ。

そしてこの戦法は反骨精神に溢れる赤松氏に見事にハマった。敵の姿すら見えない中、己の軍の下士官のみが次々に討ち取られるという状況に陥れば、通常の精神力では耐え切れず兵も我先にと逃げ出すのが通常だ。

このような状況下では下士官がまず怖気づく。なぜならば下士官以外は攻撃されないのだから、部隊のまとめ役になりたがる者がいなくなるのは当然の帰結と言えた。

しかし赤松氏に限ってはこの常識が当てはまらなかった。損害が出れば出る程に遮二無二突きかかってくるのだ。まず隊長の鎧が重厚なものへと変えられた。それすらも貫通するのを見れば、外聞など捨て去って体に竹や木で作った盾を括り付けさえした。

それでも着弾の衝撃による落馬が避けられないと知ると、ついには下馬して足軽に混じり行軍してくるという 形振(なりふ) り構わなさを見せた。これには流石の昌幸も驚愕し、前述の言葉が思わず口をついて出るに至った。

卑怯な戦法にも 挫(くじ) けず、知恵を絞って対処しながら真っすぐに向かってくる敵に対し、あくまでも交戦を避ける戦術を貫く昌幸の姿勢に、秀吉軍の将たちはわざと聞こえるように陰口を叩くにまでなった。

「大将。言われっぱなしにしておいて良いのかい?」

狙撃部隊の一人、菊が撤収準備をしながら昌幸に訊ねた。菊という名前から判るように、 狙撃兵(スナイパー) というエリート中のエリート兵科でありながら彼女は女性なのだ。

さらに狙撃兵とセットで運用される 観測手(スポッター) は彼女の兄である一郎と、妹のちさが担う。彼女たちは他の軍と比較して例外だらけの静子軍に於いてすら珍しい、兄妹が 三人(スリーマン) 一組(セル) を構成しているのだ。

尤も彼女らが従軍する理由はそれぞれに異なる。菊は敬愛する静子の為であり、兄の一郎は妹たちを飢えさせず腹一杯に食わせてやれるからであり、最年少のちさは兄姉と離れて暮らすのが嫌だという理由だ。

「別に構いやせんよ。我々は元々異物ゆえ、 疎(うと) まれるのは当然だ。我らは彼らにできない狙撃という遠距離攻撃ができる、逆に彼らは寡兵の我らにはできない近接攻撃ができる。どちらが優れているという話ではなく、使い道が根本的に違う道具なのだ。魚を 捌(さば) くのに 鋸(のこぎり) は使わぬだろう? そういうことよ」

昌幸は菊のともすれば横柄とも言える口調を気にした様子もなく、自身も身分差など無いかの如く気軽に応じた。

「まあ私を評価して下さるのは静子様だから、他の 塵(ちり) 芥(あくた) どもが何を言おうが構わないけどさ。それで静子様までが侮られるのは見過ごせないよ?」

「織田家という大樹の陰を共有する者同士とは言え、所詮は他軍ゆえ我らの常識は通用せんよ。まあ彼らも公の場で静子様を非難する程愚かではないと祈るとしよう」

「菊、懐に入れた帳面を出せ。やはり暗殺帳か……そう毎度ことが露見せぬとは限らぬのだから辛抱せよ」

そう言うと一郎は菊から取り上げた帳面から一枚を破り取った。そこには先ほど狙撃部隊への悪口にかこつけて、卑怯な戦いぶりは主君が女々しいからだと口にした者の特徴と所属部隊が記されていた。

一郎のやはりという言葉通り、菊がこうした報復を企むのはこれが初めてではない。夜闇に乗じた上に事故に見せかけて襲撃するため、今のところ露見していないが、彼女の手によって傷を負ったものは五指では収まらない。

「ふむ。やるなら静子様に決してご迷惑が掛からぬようにやるのだぞ?」

「あの……真田様。姉を煽らないで下さい。姉は静子様のこととなると歯止めが利きませんから……」

面白がって菊を煽った昌幸に対して、ちさから苦情が届く。彼女の言う通り、菊は静子教原理主義者と言っても過言ではない程に静子に入れ込んでおり、崇拝対象である静子に対する侮辱へは罰を以て応じる。

幸いにして今のところ死者は出ていないのだが、何か別の報復手段なりガス抜き方法を見つけねば、遠からず人死にが出ることは予想に難くない。

「冗談はさておき。意外に命中するものだな、狙撃というのは十回に一回当たれば良い方だと聞いていたのだが」

「それは、あたしが優秀だからさ。静子様直々にお褒めの言葉を賜ったほどだからね!」

年齢からすれば哀しい程に薄い胸を反らした菊が得意げに言う。

アニメや映画のそれとは異なり、現実の狙撃兵とは恐ろしく地味な仕事を繰り返す忍耐力が求められる。激昂しやすい菊には不向きに思えるが、彼女は特異な状況下で異常な集中力を発揮するという特性を持っていた。

狙撃の訓練とは狙点を定めて射撃し、次に観測を行って差異を記録するという作業の繰り返しとなる。変化に乏しい作業を延々と繰り返し、射撃ごとに環境数値や結果を事細かに記録するというのは常人には耐えがたい。

しかし、彼女は一つのことに没頭すると周囲を全く気にしなくなるほどにのめり込み易い気質を持っており、寝食を忘れる程に集中できるという得難い才能を持っていた。

ところが、彼女が持つこの性質は日常生活に於いては足かせにしかならない。特に彼女が育った農村などでは、草むしりを頼まれれば雨が降ろうが日が暮れようが黙々と草むしりのみを繰り返す菊を機転の利かない娘だとこき下ろした。

農村のような共同体に於いては、周囲の状況に合わせて臨機応変に対応をすることが求められるが、彼女にとってそれは難しい。故に彼女は幼い頃からずっと無駄飯ぐらいの 穀潰(ごくつぶ) しと呼ばれ、 蔑(さげす) まれてきた。

そんな彼女を拾い上げたのが、他ならぬ静子であった。彼女のような特性を示す人々を現代では自閉症スペクトラム症(ASD)と呼び、そうした人々の存在と特徴を知っていた静子は菊が持つ天性の才能を見出した。

それは驚異的な集中力及びその持続力と、常人離れした時間・空間認識能力にあった。彼女は時計を見ずともほぼ正確に時間を把握しており、遠く離れた場所にある物体との距離を殆ど誤差なく言い当てた。

静子は彼女の才能を活かせる場所として測量部隊や狙撃部隊を紹介し、菊たち兄妹の生活は飛躍的に向上することとなる。こうした背景もあってか、菊は己をどん底から拾い上げてくれた静子へ傾倒し、今では静子と神仏は等しいとまで思っている。

「また始まったか……」

「汗が目に入るのも気にかけず訓練している姿を見て、静子様が額に巻いて下さった手拭いを未だに神棚に 祀(まつ) っているしね」

耳にタコができる程に繰り返された菊の自分語りが始まり、一郎とちさはその全てを生暖かい眼差しで聞き流した。昌幸も当初は面食らっていたが、今では止まるまで放置するのが一番と流している。

「さぷれっさー……だったかな? 足満様が下さった部品は凄いけど、銃を撃ってるって感じがしなくて好きじゃないな」

菊はそう言いながら、銃口にねじ込む形で接続された部品を丁寧に取り外す。サプレッサー(減音器)とは銃口に装着することで、銃弾の発射音と閃光を軽減する装置である。

サプレッサーの原理とは、銃弾の発射時に勢いよく銃口から噴き出す燃焼ガスを分散させることにより、音を抑制するというものだ。コーラのペットボトルを勢いよく開ければプシュっと高い音がするが、ゆっくりと慎重に捻ればシューという気体が抜ける音しかしないのと同じ理屈である。

個人的な好みはさておいて、菊にとっても足満は恐ろしい存在だ。場の空気を読まないことに定評のある菊だが、足満と同じ空間に居るだけで生存本能に根差した恐怖で身がすくむ。

静子の為ならば命すら惜しまない菊だが、足満にだけは逆らう気すら起きない。彼は人を喰らう『鬼』だと言われても、すんなり納得できるとすら思っていた。

「ちゃんと実験データを記録しなよ?」

「付けたり外したりするたびに、照準を調整し直さないといけないから面倒なんだけど……続けなきゃダメかな?」

菊は己の狙撃スタイルに 拘(こだわ) りがあり、いつもの手順を変更することを嫌う。

「その部品には静子様も期待しておられるそうだ」

「早く帳面を返して! すぐに記録して次の射撃準備をしないと!」

一郎の一声で途端に態度を変える菊に、一同は苦笑するしかなかった。

昌幸が率いる狙撃部隊が現在何をやっているかと言えば、狙撃兵という兵科の単独運用及び、他の部隊との連携運用した際の実地訓練であった。

基本的に狙撃兵は戦闘の決定力になり得ない。そもそも特殊な兵装及び技術を要するため、数を揃える事が出来ない。

この為、物量による力押しに滅法弱く、一度でも接敵を許せば逃走すら難しい。反面、敵方に対して数倍の射程距離を誇るため効果的に運用すれば敵の士気を挫くことができる。

そして如何に訓練を積もうが、実際のいくさ場では予期しない事が常に起こり続ける。それをどのように対処するか、またどのようにして目的を達成するかを確認するのだ。

「兄さん、敵は?」

「南西の方角、距離およそ300メートル、高低差およそマイナス30メートルだ」

兄の一郎が、視差式測距儀を用いて計測結果を伝える。

「ちさ?」

「周囲の野生動物が反応していないから、付近に人間はいないよ。まだこっちは見つかっていない」

「了解。四発撃ったら移動するから準備よろしく」

菊はそう答えると肉眼では親指ほどの大きさにしか見えない標的に向かって、立て続けに四回射撃した。

ちさが引き続き周辺を警戒し、兄の一郎が測距儀から望遠鏡に持ち替えて射撃結果を伝える。

結果は二発命中、一発が至近弾、残る一発は見当違いの方向へ飛んだのか着弾を観測できなかった。

命中率5割と言えば低く思われるかも知れないが、この時代に於ける銃というのはまずもって真っすぐ弾が飛ぶことすら稀なのだ。

目の前と言えるほどの距離まで引き付けて、数を揃えて弾幕を張ることによってようやく戦力となる。

そんな常識を 嘲笑(あざわら) うかのように音も無く飛来する死の 礫(つぶて) を受けて、味方が死んだという事実は兵たちの足を 竦(すく) ませるには十分であった。

枯れ木を用いた簡易三脚から菊が銃身を外し、分解できる部品をばらすと 背嚢(はいのう) にしまい込む。

一郎が嵩張る荷物を纏めて担ぎ、ちさが自分達の痕跡を消せば移動が始まる。

「しかし、真田様も容赦がないね。隊長格を粗方潰したところで、次は『目』を奪えだもん」

体力のある一郎が先頭を務め、直後に身軽なちさが控えて進路を指示する。最後尾の菊は二人の通った跡を着いてゆけば良い。

事前の調査で見つけておいた次の狙撃地点まで、皆が黙々と進むなか不意に菊が言葉を前方に投げ掛けた。

「 斥候(せっこう) や先導役、物見なんかを先に潰してしまえば、奴らの進軍速度はがくんと落ちるからな」

昌幸はそれぞれの狙撃隊を回って指示を出しており、既にここには居ないのだが、彼が菊たちに命じた内容が前述のものだった。

敵の武将は己の命令を中継する下士官を失い、次いで敵を探すための目を失った。流石に赤松軍の武将といえど、この状況になれば撤退せざるを得ない。

見えない敵の襲撃に備えて密集形態をとると、兵を纏めて引き返していく。狙撃手たちが敵の武将を狙わないのには理由があった。

秀吉の要請を受けて派遣された狙撃部隊が次々と敵将を討ち取るという華々しい戦果を挙げてしまえば、秀吉たちの面子は丸つぶれになってしまうからだ。

「味方同士で手柄争いをしてどうしようってんだろうね?」

「手柄を競わせる方が簡単に士気を上げられるからだろう。むしろそんな事をせずとも士気を保てる静子様が傑出しておられるだけだ」

「無駄話はそろそろ終わって。もう着くよ」

三人は予定の狙撃地点に到着すると、一郎とちさが周辺を警戒しながら敵の痕跡が無いかを確認して回る。安全を確保できた段階で菊が狙撃ポイントを決め、その周辺に荷物を下ろすと再び銃を組み立てる。

特に示し合わせた訳でもないのに、三人ともが己の役割を理解しており、寸刻の遅滞なく狙撃の準備が整っていった。

「よし配置についた、指示をよろしく」

銃身に金属ガイドで連結された銃弾を込めると、菊は射撃体勢を取った。

五月に入って以来、信長の機嫌は悪化の一途を辿っていた。彼は苛立ちを隠そうともせず、ただ黙して眉間に 皺(しわ) を寄せていた。

むっつりと黙り込んだ信長のご機嫌を取ろうとする者はいない。たとえそれが濃姫であろうとも、信長の機嫌を回復させることは叶わないと皆が理解していた。

「……」

信長の苛立ちの原因は、彼が手にした文にあった。それは静子より届けられた『暇乞い(現代で言うところの休暇願)』の文だった。

その内容とはヴィットマンに続いて、 番(つが) いのバルティも体調を崩し、二頭に残された時間は少ない。

最初期から自分に寄り添ってくれていた忠臣の最期に、出来るだけ傍にいてやりたい為、暫く仕事を休ませて欲しいというものだ。

信長は静子の暇乞いに対しては立腹していなかった。むしろ『やっと休む気になったか』と安堵したほどだ。では、何を苛立っているのかと問えば、己の不明を恥じていたのである。

(つくづく己が情けない。静子が暇乞いを願う前に、あ奴の窮状を察してやれぬとは……)

思い返せば静子を拾って十年が経つ。今まで様々な無理難題を押し付けてきたが、静子は公私ともに自分を支えてくれていた。

もし『静子を拾っておらねば、 今日(こんにち) の自分はあったのか』と自問すれば、即座に否と断言できるだろう。

何かの巡り合わせで天下人に手が届くという処まで来たとしても、今ほど盤石な体制は築き得なかったであろうことは想像に難くない。

中でも一番の転機は、武田信玄の西上作戦を阻んだ時であろう。誰もが勝てるはずがないと口にした。

信長自身ですら、自軍の勝利を三割と見積もっていたほどだ。それほどまでに信玄の率いる武田軍とは強かった。

(たった一日のいくさが、わしの立場を変えた)

三方ヶ原の戦い直前までは『織田の天下もこれまでよ』と自分を見限って離れていくものが多かった。

そして明けて翌日となり、三方ヶ原の戦いの行方が知らされた途端に掌を返すものが続出したのだ。あの日を境に潮目がはっきりと変わった。

それほどの大事を成し遂げた最大の功労者だと言うのに、静子だけはいくさの前後で全く変わったところが無かった。

『ただいま戻りました』

まるで気負った処がなく、昼餉の準備が出来たとでも告げるかのような気軽さで、帰参の挨拶を述べたのだ。

信長はその時初めて静子が恐ろしいと感じた。静子は時として自分より遥か遠くを見据えていると思わせることがある。

静子にとって三方ヶ原の戦いとは、イチかバチかの運命を掛けた決戦ではなく、今日と地続きの明日へ辿り着く日常の延長でしかなかったのだ。

そんな静子が今、明らかに弱みを見せていた。信長は静子の置かれた状況を知ろうとしなかった己を恥じるとともに、妙な話だが人間らしい感情を己に吐露してくれたことを嬉しくも思っていた。

「ただの獣とは言えぬ。いつ如何なる時も静子に寄り添った最初の友だからな」

信長はかの狼に対して静子が寄せる心情は、肉親のそれに等しいと感じていた。滅多に望みを口にしない静子の願いだ、信長としては万難を排してでも叶えるつもりであった。

「今となっては、わしに出来ることなどそうありはせぬ。せめて静子が些事に囚われぬよう、手を尽くしてやるのが主君の務めか……」

そう口にすると信長は 右筆(ゆうひつ) を呼び、いくつかの書状を仕上げて各所へと届けさせた。

せめて静子が心穏やかに過ごせるよう配慮し、先回りして静子に厄介ごとを持ち込みそうな輩を牽制する。

「ふっ」

そこまで気を回している自分に気付いて信長は吹き出した。彼の苛烈な人生に於いて、こうまで相手を思いやった事など片手で数えるほどしかない。

天下人と持て 囃(はや) される自分が、娘と言っても過言ではない程に歳の離れた静子に振り回されている様がおかしかった。

(十年以上の付き合いだが、いつも奴には驚かされる)

人を人とも思わぬ鬼のようだと形容される自分に、こんな一面があったとは新鮮な驚きであった。

戦国時代に於いては、他人を信じすぎれば命取りとなる。たとえ血の繋がった肉親であろうとも、野心の為に骨肉の争いとなることも珍しくない。

(だが静子だけは違う。奴を見ていると常に裏切りに備える自分が間抜けに思える)

最初は物珍しさから拾った使い捨ての駒であった。その駒は次々と難題を乗り越え、己の価値を示した上で、更なる見果てぬ世界を教えてくれた。

媚び 諂(へつら) いをしないため、時としてぶつかる時もあるが、静子は常に正直であり続けた。一見信長の意見に反しているように見えても、常に信長の利となるよう動いてくれた。

「思えば、あ奴がわしに欲したものは妙なものばかりじゃな。畑を耕す人手に始まり、南蛮や明で栽培されている作物の種やら、見た事もないような獣やら。そのうち寺社や公家の落書きを集め出した時は、流石に気が触れたかとも思うたが、今となっては懐かしい……そして今度は休みが欲しいとはな、ほとほと静子には振り回される定めと見える」

言葉とは裏腹に、信長の表情に直前の不機嫌さはなく、楽しげな表情さえ浮かべていた。