軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

episode80

(だとしたら……誰を助けたいのだろう)

彼は私のことをよく知っているけれど、私は彼のことをあまりよく知らない。ウィオレス様は秘密主義で、あまり彼自身のことを教えてくれないのだ。

妹がいると以前零していたが、それ以外の例えば家名についても私は知らない。家名が分からないから貴族なのか平民なのか、それともその大量の魔力を見込んだ有力貴族の養子に入っているのか。何一つだ。

前、興味本位で尋ねたことはあるけれどはぐらかされてしまった。ならばと比較的仲が良いように見えたジョシュア様に尋ねてみたが、こちらの返答も芳しくない。ジョシュア様もウィオレス様のことはあまり詳しくないようだった。

彼にも隠したいことがあるのかもしれない。私だって色々隠し事があるくらいだ。無理やり暴くようなことはしたくないし、そこで興味を捨てたのだが。

(貴重な材料を集め、試行錯誤を重ねてこのような高度な魔法薬を作っては効果を確かめるくらい、助けたい人がいるとしたら血縁者かしら)

それか命の恩人か。あのように魔法に長けたウィオレス様が誰かに助けられるなんて想像がつかないけれど。これほど努力を惜しまないというのは、相手に強い思いがある証拠だ。

「まあ、私が覚悟もなしに生半可で触れていい話題ではないわ」

ここに記載がある魔法薬をもってしても治せなかったのだ。私が使える回復魔法で治せるものであるならいつもお世話になっているし直ぐに手を貸すけれど、現状確証はない。ぬか喜びに終わっては申し訳ないし、頭の片隅に残しておいて一旦見なかったことにしよう。

(それに私も、ルーファス陛下の件について本腰を入れて調べ始めると忙しくなるもの。中途半端に手を出してどっちつかずの状態になってもいけないわ)

もし、ウィオレス様が助けを求めてきたらその時は力を貸すけれど、今までだって求められていないのだ。私がどうにかできる範疇にないのだろう。

大きくバツ印が書き込まれた書物を閉じて元の場所に戻し、残っていた書類を整理する。全てが終わってもウィオレス様は帰ってこないので、書き置きを残して帰宅することにした。ペーパーウェイトで押さえておけば、部屋を出たあとも飛ばされることはないだろう。

部屋を後にし、廊下を歩いていると足音が響く。石畳を踏む音が近づき、前方に歩いてくる人物の姿が見えた。

私は立ち止まり、裾を摘んでその場でカーテシーをする。

「お久しぶりですアルバート殿下」

「ああ、久しぶりだな。……春休みの間、息災だったか」

「はい」

答えると彼は少しだけ表情を崩した。

この五年で一気に身長を伸ばした殿下は、今や前世の記憶と違わない、いや、もしかしたら超えるほどの美男子に成長していた。

彫刻のように整った顔立ちは、柔らかな日差しの下では一層際立つ。高い鼻梁、長い睫毛が縁取る涼やかな天色の瞳。薄く引き締まった唇は、かつて私を傷つける言葉を紡いでいたものの、今世ではそのような言葉を紡いだことはないし、向けられる眼差しも、まだレリーナが現れていないからか柔らかいままだ。

(前世ではあまり気にしていなかったけれど、アルバート殿下の容姿は驚くほど整っているわ)

今世の学校では彼がちょっと何かをする度に周りの女子生徒が色めき立つ。私は前世で小さい頃から婚約者として何度も顔を合わせていたから耐性があるのかもしれない。隣で黄色い悲鳴が飛び交っているのに少しも動揺しないので、アイリーン様には「リティは凄いですね」と関心された。

「アルバート殿下もお元気でしたか」

「元気だ。貴女も知っているだろう。公務ばかりで休む暇がない」

「そうでしたね。つい先日も地方に視察に向かったと耳にしました。春休みの間もご公務お疲れ様です」

来週から新学期が始まり、私たちは五年生になる。アルバート殿下は学年が上がるにつれて、その肩に乗る公務の量も多くなり、学校を欠席されることが多くなった。

長期休暇といえば学生は課題に追われず自由な時間を謳歌する期間であるが、彼は違う。ここぞとばかりに宿泊を伴う公務が詰め込まれ、忙しさに拍車がかかっていた。

「くれぐれも体調を崩されませんよう。週明け、お会いできるのを楽しみにしております」

この五年間で私も少しずつ成長している。

前世を忘れることはできないけれど、こうやって社交辞令を自然に返せる程度には、彼に対する拒絶が和らいでいた。

「……私もまた通えるのを楽しみにしているよ」

相好を崩すとはまた少し違うが。柔らかい表情だ。

「ところで貴女はウィオレスのところから来たのか? 彼は部屋にいるか?」

「いいえ、出かけております」

(ウィオレス様に用事があったのね)

どうして魔法省に殿下が? と思ったが、彼に用事があるのなら納得だ。

アルバート殿下の護衛であるジョシュア様は魔法省所属の魔術師ではあるが、殿下自身が魔法省に足を運ぶことは少なく、私が彼とこの場で顔を合わせることはほとんどない。

「お約束でもありましたか? 一応、呼び戻すことは可能ですが」

指に嵌めた指輪に触れる。これは魔力制御の練習でウィオレス様に迎えに来てもらうために頂いたものだが、最近はもっぱら彼を呼び出すために使用している。

彼は指輪によって呼ばれると基本的に転移してきてくれるが、頻繁に呼び出さないように言われている。

(アルバート殿下だもの。呼び出しても許されるはずよ)

「必要ない。私が早く来すぎてしまっただけだから何処かで時間を潰そう」

「でしたらお茶をお淹れしますよ」

(お客様用の茶葉がまだ残っていたはず)

棚に並べられた茶葉の銘柄を思い出す。ウィオレス様は外部のお客様を招くことは少ないが、稀にあるので最高品質のものが用意されている。

「ウィオレス様がお戻りになるまでごゆっくりされればよいかと」

殿下は時間を潰すと言っていたけれど、魔法省内において彼のような身分の者がゆっくり出来る場所はない。研究や仕事一筋の魔術師様たちは、身の回りの整理整頓が下手な方が多く、共有空間もとっちらかっているのだ。

ふらふらと歩き回るしかなくなるなら、先にご案内してお待ちいただいた方がきっといい。

私はアルバート殿下を連れて来た道を引き返す。

ウィオレス様の部屋は空間魔法で執務部屋と仮眠部屋、応接室──等などに分かれている。魔法というのは便利なもので、彼の部屋のドアノブを決められたやり方で捻ると目的の空間に直通できる。

アルバート殿下を応接室に案内し、ソファに座っていただく。

「少しお待ちください」

軽く一礼して、入ってきたドアとはまた違うドアを通じて備品を保管している部屋に向かう。茶葉を棚から取り出し、魔法で湯を沸かし、カップを用意する。茶菓子もどこかにあったはずだ。全て準備してアルバート殿下の元に戻る。

「慣れたものだな」

お茶を淹れ始めると殿下はそんなことをぽつりと呟く。

「何度も練習しましたから」

──貴方のために。と心の中で付け足す。皇族の殿下は執務や公務に忙殺され余暇の時間はほとんどなかった。婚約者として共に出かけることもなく、お会いした時は決まってお茶を飲んだ。だから何度も何度も練習した。

(美味しい紅茶を淹れられるようになれば、その時だけは殿下の記憶に残るかなと)

カップに紅茶を注ぐとふわりと湯気が立ち上り、過去の記憶が蘇る。

会う度に淹れ方を変えて試行錯誤して、アルバート殿下の好みに合わせていった。 花嫁修業を兼ねてもいたからお母様からも厳しく知識を詰め込まされた。旬のものから領地ごとの特産茶葉、品質の見分け方。ポットやカップ、ソーサーだってその時々に合わせて替えていた。無言で口に含むばかりで感想を何一つ言わなかったアルバート殿下は、私のそんな細やかな努力なんて興味なかっただろうし、多分知らない。

角砂糖三個。気まぐれにミルクを少量。熱々よりも手でコップを包み込んでも火傷しない程度のじんわりと温かい温度が好み──すべて覚えている。

「どうぞ」

注ぎ終わりお出しする。

「貴女が淹れた茶は美味しいな。私の好みだ」

「…………ありがとうございます」

感謝を述べると彼はまた口をつける。

「うん、美味しい。これほどの腕前になるには相当努力したのだろう? 流石だな」

感心したかのような声音にきゅっとスカートの裾を握った。上手く笑えているだろうか。笑えていないと困る。

(っ! 動揺するなんて。この言葉をかけて欲しかったのは……前世の私よ)

周回遅れの言葉であっても、捨て去った恋心に届くらしい。胸の一部がぎゅうっと痛むのを感じた。

それっきり少しの間沈黙が訪れる。

「…………リーティア嬢」

突然名前を呼ばれて胸が軽く跳ねた。アルバート殿下はカップの水面から視線を上げた。

「貴女にとって魔法省で過ごす日々は楽しいか?」

予想外の質問に少しだけ戸惑う。アルバート殿下が私個人、中でも魔法省の件について触れることは今まで一切なかったのだ。

彼は私がどうしてここに通うことになったのか知っている数少ない人だ。他の人とは異なり、事情を知っているのに質問を投げかけてくる意図を掴めない。

(もしかして無理強いされていると思っているのかしら?)

自分の意思でここにいるのだが、彼にはそう見えないのかもしれない。

「はい。魔法について学校よりも詳しく学べますし、充実した時間を過ごせています」

殿下はカップを軽く揺らしながら視線を外した。

「……そうか。それならいい」

その声はどこか複雑な感情が入り交じっているように聞こえた。アルバート殿下はカップに残った紅茶をグイッと一気に飲み干し、テーブルに置いた。

私が追加を注ごうとすると手で制される。

「必要ない。どうやら戻ってきたようだから」

その言葉とほぼ同時に、部屋のドアが開いた。