軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

episode48

眩い光の後、視界に広がったのは一面の空色。

──おかしい。

目の前が壁ではなくて、空色だなんて変だ。私は室内にいたはずなのに。

ばっと下を見ると地面は遥か下で、足元にあった陣が消える。

「ひえっ、なんでぇぇえええ!!!」

私の絶叫が響き渡った。しかもチラッと見えたけど、新緑の葉が揺蕩う湖だ。

泳げなくて溺れる。いや、その前に怪我をする。

下に向かって加速していくにつれ、ぎゅぅぅっと心臓が痛い。

「いやぁぁあああ」

叫んだところで助けてくれる人はいなかった。

髪の毛が風圧によって逆さまになる。スカートは旗めく。私はなすすべもなく落ちる。とにかく落ちる。落下は止まらない。

恐怖で溢れ出る涙が重力に逆らって上に登っていく。

ぎゅっと目を瞑った次の瞬間、バシャンッッという盛大な音が耳を貫き、水飛沫が上がる。私は全身を湖面に打ち付け、水を二分するように身体が沈む。

息ができない。口を開けばこぽりと泡が出て、空気の代わりに水が入ってくる。目を開ければ、ぼやけて何も見えない。染みる。

(こんなところで死にたくない)

水を吸って重たくなった服が肌に張り付いてきて中々思うように動けない。

幸い水深は浅かったようで、直ぐに水底に足がついた。

「ぷはっ! けほっけほっ、ここっ、ど……こ……よ……?」

岸辺に辿り着いた私は飲み込んだ水を吐き出しながら、腕を支えにして顔を水面から出す。

ズキズキと全身が痛い。あの高さから落ちたのだから当たり前といえば当たり前なのだけど。命があるだけ奇跡だ。

吸って、吐いて、何とか湖から這い出た。頭まで酸素が行き渡ってから周りに意識を向ける。

まず、青々と生い茂る芝生。そして──

「な……にあの、大きな建……ぎゃあああ!」

目の前に牙を剥く白蛇がいて、驚いた拍子に後ろに後ずさってしまった。ドボンッと音がして私はまた水の中に沈む。と思ったら、何かの力によってグイッと上に引っ張られた。

そのまま宙に浮く。宙ぶらりんだ。手は動かせるので前に垂れてくる髪をかきあげ、視界を確保する。

「やはり同じだとダメなのね。ごめんなさい私の落ち度です」

地面につくほどの長いスカートを靡かせながら、金髪の女性──エルニカ猊下は申し訳なさそうに私を見上げていた。足元には私を驚かせた白蛇がいる。

「私を……殺すおつもりですか」

挨拶を忘れ、開口一番に憎々しげに言ってしまったのは許して欲しい。

手紙の差出人はエルニカ猊下だった。つまりあの魔法陣も猊下ので、座標設定も彼女がしたはず。

誰であっても空中から落とされたら死ぬ。悪戯にしてはタチが悪すぎて、本当に殺そうとしたとしか思えない。

例え違うとしても、そう勘違いしてしまうようなことをした猊下が、絶対に、悪い。

「殺そうとしたつもりは無いけれど……まさかこうなるとは思わなかったの。私のこと恨まないで?」

無理なお願いだった。反射的に首を横に振ろうとしてしまう。

「それに──こんなことで死なないわ」

「猊下なら死なないでしょうけれど……私は死にます……」

猊下は様々な魔法が使えると人づてに聞いたことがある。彼女であれば、いきなり空に放り出されても怪我ひとつなく、地面に足を付けるだろう。

顔を曇らせる私を気にもせず、猊下は右手を振る。それに合わせて地面に下ろされた。

「熱が奪われてるわ。もう秋になるから早く乾かさないと風邪をひいてしまう。人間は弱い生き物だから」

私の頬に両手を当てて顔を顰めたエルニカ猊下は、羽織っていた薄手のケープを私に渡した。

(いや、こうなったのは猊下のせいなんですけど……)

訝しむ顔を向ければ、エルニカ猊下はそれを無視して右手を振る。

ぶわっと熱風が頭から足の先まで包み、瞬く間に髪や洋服が乾く。

「怪我は? 一応かけておこうかしら。失礼するわね」

そう言って私の頬に唇をつけた。チュッと音がしたと思ったら、全身に知らない柔らかな魔力が駆け巡る。少しくすぐったい感覚が頭から足のつま先まで行くと、跡形もなく消える。

「これで大丈夫ね」

シワがよった私のスカート部分を直し、エルニカ猊下は腰に手を当てた。

「治癒魔法が……使えるのですね」

水が衝撃を吸収したと言っても、空から落ちて打撲か何かはしていたはず。先程までは痛みがあったが、今のでそれが無くなった。むしろ落ちる前よりも身体が軽い気がする。

「これでも神殿の一番上に立っていますから。人相手に施すことはあまりしないけど」

そう言って背中を見せたエルニカ猊下は手招きしながら歩き出す。

「どうしたの?」

付いてこないのを不思議に思ったのか、首を傾げながらこちらを見たが、私はその場から動かなかった。

「ここ、何処ですか」

あらかた予想はつく。正面にある建物は眩しいほど白色。そしてエルニカ猊下がいるということはつまりあそこなのだ。

「──神殿だけど。私は外にはあまり出られないし」

「なら、公爵邸に帰してくれませんか? 手紙を読んでいたら間違って陣に触れてしまったので……ここに来たのは意図したものではないのです」

何も言わずに来てしまった。部屋に私がいないのを知ったら、大騒ぎになるだろう。一刻も早く戻らないと。

「心配しているから。ということかしら?」

「はい」

「それなら大丈夫よ。心配要らない。だからおいで、少しお話しましょう」

返事をする前にケープに着いていたフードを被せられ、手を取られ、グイグイ引っ張られる。

建物付近まで来ると神官達が物珍しそうに私を見てくる。それはそうだろう。顔は隠されているが、服装は巫女でも、神官でもない。あちらから見れば部外者。なのに、猊下に連れられている。

居心地の悪さを感じ、俯き加減に歩く。

「ここなら人は来ないから」

パタンと扉を閉じて案内されたのはそれほど広くない部屋だった。室内は白を基調にした調度品が纏められ、窓側に設置された執務机には山ほど書類が積まれている。

それ以外は小綺麗にされている空間。開け放たれた窓枠には小鳥がちょこんと居座っていた。

「座って」

扉の前で立ち止まっていた私を無理やりソファに座らせ、エルニカ猊下も向かい側に腰を下ろす。

「あの、ほんとうに帰りたいのですが」

神殿だとするなら、ここから公爵邸までは距離がある。到底徒歩では帰れない。

唯一すぐに帰れる方法は、転移魔法による移動。だが、私はまだ使えない。つまり私の帰宅は猊下にかかっている。

「まあまあ、そんなこと言わずに。ゆっくりしていけばいいのに」

(出来るわけないわ)

心の中で呟くと、ちょうどいいタイミングで猊下がこちらを向き、ビクリと肩が震えた。

「では、早く貴女が帰るためにも本題に入りましょうかね。リーティア・アリリエットさん──いや、我が主であるノルン様の 愛(・) し(・) 子(・) 」

今度は驚きで全身が上下した。腰がソファから浮く。表情を取り繕うのも忘れ、反射的にエルニカ猊下を見ると、彼女は柔らかに微笑むのみ。

私の顔は……恐怖で強ばっているだろうか。それとも怯えているだろうか。

「何故それを、という顔ね。分からないと思って?」

これがほかの人だったらまだ何とかなったかもしれない。けれど目の前にいるお方は神殿の最高権力者で、それに見合った実力をお持ちの方。

私よりも魔法や女神様のことを知っているはずで、誤魔化せはしないだろう。

そもそも女神に愛し子がいるという内容は読破してきた書物に書かれていなかった。

聖女については今世では記載されていることも多く、国民に知られているようだが……。普通ならば会話に出てこない単語。わざわざ口に出したということは猊下は確信しているのだ。

私が──どのような者なのかを。

するりと伸びてきた手が私の左腕をとる。震えるだけの腕は抗えない。

「──私だから見えるけれど、ここ、アザがある。貴女の中にある魔力も他の令嬢と質が違う」

トントンと少しのズレもなくアザの部分を軽く叩き、つーっとなぞる。触れられたところから体温を失っていくようで。冷たく、感覚がなくなる。

緊張で震え、心臓はまるで耳元にあるのかと錯覚するほどにうるさい。

愛し子だと知って、どうするというのだろうか。神に仕えろ、それならまだいい。

問題は皇宮側に話されてしまう場合だ。そうなったら……アルバート殿下の婚約者にさせられてしまうのではないだろうか。

それだけはなんとしてでも回避しないといけない。

「……仮に、そうだとして……どうするおつもりで?」

精一杯力を込めて発したはずなのに、出てきた声はか細く、掠れて、弱弱しい。

「ああ、怯えないで。ごめんなさいね。私はノルン様に仕える者。つまりあの方の意思に反することはしない。だから私は貴女の 味(・) 方(・) 」

そっと手を離し、元いた場所に戻っていく。一瞬にして張りつめた空気は消える。ようやく息ができるような気がした。

「貴女の事情も知っているわ。他の者に知らせるつもりもない。特に皇家にはね」

言いながら紅茶をテーブルに出現させる。角砂糖を一つ、二つ、入れてからエルニカ猊下は口に含んだ。

事態が呑み込めない私はぽかんとしてしまう。

「どうして……なら、呼び出したり……今、問い詰めたのも」

飲むように促された紅茶。手を付けられず、湯気を立ち昇らせる。

「貴女と話をしたかったのは本当なの。大祝祭の件でね」

「なに……か? もしや」

裏で魔力のために手伝って欲しい。そう言ったのは猊下で、今思えば爵位の高い貴族の娘と言っても小娘三人の魔力量では到底足りない。

「最初から貴女の魔力が目当て。何も言わずに祝祭当日に貰うのは詐欺に似てるなぁ……私、悪党になる? と思って先に話そうかと」

「なら、後で正式な形で連絡をくだされば」

──普通に協力したのに。そう言いかけて口を閉じる。

「私は構わないけれど、〝神殿が一人の令嬢を特別扱いしている〟そんな噂流れたら、不都合になるのでは貴女ではなくって? だから紛れ込ませたのよ。正規でなければ発覚しにくい」

「…………」

今の状況もたいして変わらないのでは……? 現に神官たちには誰かが来ていると知られてしまった。隠すのであれば、ちょっとやり方に隙がありすぎる。

「後、貴女は既に厄介な者に目をつけられて──」

「……何か?」

顰めっ面を向けられて、思わず怯えてしまった。美人の険しい顔は普通より怖い。

「何でもない。話を元に戻すわね。あの日までは貴女の魔力を使わせてもらうつもりだった。だけど状況が変わったの」

「では、魔力はいらないと?」

「──いるわ」

「……?」

話し方からして、そういう感じになったと思ったのだが、どうやら違うらしい。

「とある一人のせいで大きな問題が生まれてしまって……途中まで完璧だったのに」

相手に対して怒りが溜まっているか、エルニカ猊下が持っていたにティーカップにヒビが入る。

「は、はあ」

問題とは何なのか説明して欲しい。質問が喉から出かかるがぐっと堪える。

「だから大幅に修正しなくてはいけなくて、ああ、貴女以外の子の負担は増えないし、いつもの祭事と同じだと感じるはずよ」

「そうですか。少しだけほっとしました」

複雑な事情がある私が巻き込まれるのは諦めるとして、彼女達は普通の人達だ。何も知らずに、危害が加わらずに、いい思い出として大祝祭が終わるに越したことはない。

「なので、神殿の最高責任者として一点、私個人として一点、計二点お願いがあります」

声が変わる。柔らかな空気が一気に張りつめた。

「なんでしょうか」

思わずごくりと唾を飲み込み、手を膝の上に乗せて背筋を伸ばす。

「一点目、話す順番を間違えましたが貴女の体内にある魔力が必要です。力を貸してください」

「はい」

予想はついていたのでそのまま了承する。

エルニカ猊下は安堵した様子を一瞬だけ見せ、今度は指を二本立てた。

「二点目、とても個人的なお願いです。定期的に貴女が時間がある時でいいので、ここに顔を出してください」

「えっ?」

全く考えてなかったことにソファからずり落ちそうになった。

「あの、ほんとに私個人のお願いなの……」

猊下曰く、ノルン様に対する愚痴やその他諸々を話せる相手が現れて嬉しいらしい。

女神様に抱く愚痴が何なのかは少しだけ想像がつく。多分、周りのことをあまり考えずに振り回す関連だろう。

「ダメ……かしら?」

悲しそうに顔を曇らせ、小首を傾げられる。

──勘弁ください。

そうきっぱり拒否出来ればどれほどいいか。けれど立場的に上であるエルニカ猊下に、非公式であるにしても首を横には振れない。

ああ、でも────

私の事情を知っている人が近くにいて、情報交換出来れば何かあった時に助けになるかもしれない。未来がどうなるか分からない以上、選択肢は多い方がいい。

「周りの人達に気が付かれないなら」

「ほんとう?」

エルニカ猊下は花笑むように両手を口元で合わせて笑った。

あまり気乗りはしないけれど、嬉しそうな表情を見るとそのような感情を忘れてしまいそうだ。

「はい、なので帰っても?」

「うん、大丈夫よ。伝えないといけないことは伝えたし、送るわ」

そこに立ってと言われ、腰を上げれば床に魔法陣が浮かび上がる。

エルニカ猊下はそのまま指を鳴らして魔法を発動させた。私が最後に見えたのは彼女がひらひらと手を振る姿だった。

「あ、リーリーおかえり」

光が収束し、瞳を開けるとアリアが私のことを覗き込んでいた。

「ただいま」

どうやら公爵邸に帰ってきたらしい。私は自室の中央に立っていた。ちらりと時計に目を向ければ、突然飛ばされてから数分しか経っていなかった。

(不思議。どんな魔法を使ったのかしら?)

「エルさまの所行ってきたんだ」

「どうして分かるの? エルさまってエルニカ猊下のことでしょう?」

彼女は私の肩に乗って、髪の毛を弄び始める。

「うん、たぶんそうだよ。リーリーの周りに魔法の痕跡が残ってるからねー。キラッキラしてるよ。エルさまのは独特で分かりやすい」

詳しい説明を求めれば、粒子みたいなものが彼女には見えているらしい。私には当たり前だけど分からないので、精霊達の特性なのだろう。

「アリアも神殿に行こうかなぁ。会いたい」

「そう言えば精霊はどうやって遠くに行くの? 転移魔法は使わないわよね?」

いつも知らぬ間にアリアは消えて、気付いたら戻って来ている。ということばかりだ。アリアの移動手段は飛ぶこと以外に何かあるのだろうか。

「……? 使うわけないじゃん。どうやってって、ふつーにパッとしてビュッだよ」

「だからパッとしてビュッて?」

「そのままの意味だよ?」

首を横に傾ければ、私がアリアの説明を理解できない理由が分からないようで、彼女の首も同じように傾いたのだった。