軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【7ー2】勝負はテーブルに着く前から始まっているのですよ、同期殿

コリー・リプソンはセレンディア学園高等科三年の男子生徒である。

男爵家の三男坊である彼は特に秀でた特技もなく、選択授業は無難にチェスの授業を選択した。チェスだけは幼い頃から兄達と興じていたので、まぁ人並み程度にはできると思っていたからだ。

ところがどっこい、セレンディア学園のチェスの授業は、コリーが想定していたより遥かにレベルが高かった。

チェスの授業は実力に応じて上位、中位、下位の三グループに分けられる。基本的に同じグループの人間同士で対局をし、勝率によってグループが変動するのだ。

過去に入賞経験があったり、既に前年度もチェスの授業を受けている者は授業開始時点から上位や中位グループになるが、コリーは下位グループからのスタートだった。しかも、下位グループの更に下の方。

そういう底辺組の三年生は、一年二年の面倒を見る役目を自然と押し付けられることになる。

「はいはい、そんじゃ一年、二年はその辺で適当にペア組んで始めて」

コリーが雑に指示をすれば、後輩達は近くにいる者同士でペアを組んで対局を始める。

だが、一人だけ誰ともペアを組めずにポツンと立ち尽くしている女子生徒がいた。薄茶の髪の小柄な少女だ。中等科の生徒が紛れ込んだのかと思うぐらい小さいが、袖飾りから察するに高等科の二年生か。

「あー、ペアからあぶれちゃったかー。じゃあ、ボクとね」

「は、は、はいっ、よよよよ、よろ、よろひくおねがいしまふっ」

女子生徒はペコペコと頭を下げながらコリーの向かいの席に座る。チェスの授業で女子生徒なんて珍しい。

チェスの授業を受ける女子生徒はさほど多くはなく、そして男子よりも弱い傾向にあった。そもそもチェスは男の嗜みなのだ。

良い鴨だな、とコリーは密かにほくそ笑む。

この授業では勝敗の記録をつけていき、勝率が高ければ上位グループに移動ができる。

この少女にサクッと勝って、勝率を上げさせて貰おうじゃないか、とコリーはチェス駒を並べながら算段した。

「君、チェス歴は何年? 何か大会に出たことある?」

「さ、最近、始めた、ばかり、です……昨日、教本を読んで、ルールと定跡だけ、学びました」

(あーあー、いるいる。教本を読んだだけで、チェスが出来るようになった気になるやつ)

他でもないコリーのことである。

「記録につける対局だから、ハンデなしだけど良い?」

「は、はい、大丈夫、です」

少女はコクコクと頷き、じっと盤面を見つめる。

あぁ、こりゃ楽勝だな。とコリーは顔に出さず笑った。

「……チェックメイト、です」

少女が黒のナイトを動かして宣言する。

コリーはダラダラと冷や汗を流しながら、盤面を見下ろした。

(……いやいやいやいや)

ちょっとだけ盤面から目を逸らし、目頭を揉む。

そしてもう一度盤面を見直し……。

(……いやいやいやいや、なんだこれ、なんだこれ、えー……)

とうとう両手で顔を覆って項垂れた。

この対局の感想を正直に述べるなら、たった一言「なんかいつの間にか負けてた」これに尽きる。

恐ろしいほどの速さと正確さで、少女はコリーを圧倒した。その容赦ない強さをコリーは知っている。上位グループの人間とチェスをした時と同じ……下手をしたら、それ以上だ。

「……負けました」

コリーが降参すると、少女はほぅぅと息を吐いて胸を撫で下ろす。

すると、突然コリーの肩がずっしりと重くなった。別に敗北感に打ちひしがれて肩を落としているわけじゃない。誰かがコリーの肩に腕をついて、のしかかっているのだ。

コリーが首を捻れば、自分の肩に同学年のエリオット・ハワードがもたれて盤面を覗きこんでいた。

これがただのクラスメイトなら、何をするんだと言って振り払うところだが、エリオット・ハワードは特待クラスで、かつ生徒会役員なのだ。平凡な男爵家の三男坊であるコリーとは格が違いすぎる。

エリオットはひとしきり盤面を眺めた後、もたれていた上半身を起こして、コリーの肩を叩いた。

「俺と代わってくれないか?」

「あ、はい」

コリーがそそくさと席を譲れば、エリオットはコリーに代わって椅子に深々と腰掛ける。

向かいに座る少女が、ピクリと肩を震わせた。そんな少女に、エリオットはいつもと変わらぬ軽薄な笑みを浮かべて言う。

「よぅ、ノートン嬢。今度は俺と勝負してくれよ」

「で、でも、あの、グループが、違う、のでは……?」

「問題ないさ。グループが違っても勝負はできるんだぜ」

確かにエリオットの言う通り、上位グループと下位グループが対局をしてはいけないというルールはない。ただしこの場合、上位の者が勝っても記録に加算はされないのだ。一方、下位の者が勝てば勝率が大きく変動する。

つまるところ、上位グループに所属する人間にとって、下位の者とのゲームは何も得をしない。はっきり言ってしまえば時間の無駄なのだ。だから、誰もやろうとはしない。

なのに、エリオットは自ら下位グループの後輩に勝負を申し出た。

エリオットは上位グループの中でも三本指に入る実力者だ。チェス大会の代表選抜もほぼ間違いないと言われている。

(そもそも、チェス大会まであと少しだろ。そんな時期に、下位グループの後輩と対局なんて、どういうつもりだよ)

コリーは訝しがりながら、次の対局相手を探すべく、席を離れた。

* * *

エリオットは白と黒の駒を一つずつ摘み上げると、それを机の下でさっと持ち替えて握り、拳をモニカの前に突きだした。

「好きな方を選びな」

「……じゃ、じゃあ、えっと、こっち、で」

モニカが指さした方の手を開けば、出てきたのは黒のキング。

エリオットが先攻の白、モニカが後攻の黒だ。

モニカがモタモタと黒の駒を並べていると、さっさと並べ終えたエリオットが頬杖をついて「なぁ」と呟いた。

モニカは駒を並べる手を止めて、エリオットを見る。

「は、はいっ、な、なんで、しょう、か」

「この間の対局」

エリオットは駒を指先でつつきながら、独り言のように言う。

「まだキャスリングを教えていなかったのに、それを俺が使って勝ったこと……なんで、皆の前で指摘しなかった?」

モニカはキョトンと瞬きをした。

この間の対局──初めてのチェスは、今でもよく覚えている。

エリオット側はクイーン無し、先攻をモニカに譲ってのゲーム。

序盤はモニカが優勢だったが、最後の最後でエリオットがルークとキングを動かす特殊な手「キャスリング」を使い、モニカは敗北した。

あの時、モニカはキャスリングという特殊なルールを知らなかったから、当然の敗北とも言える。

モニカが答えに困っていると、エリオットは更に言葉を続けた。

「ノートン嬢には、俺を責める権利があったはずだ。フェアじゃない、と」

ふとモニカは思い出す。

ここ数日、エリオットは生徒会室でモニカに何かを話しかけようとしては、そそくさと距離を開けるという不審な動きを繰り返していた。あれはもしかして、このことを言及したかったからだろうか?

「えっと、それは……」

モニカは慎重に言葉を選びながら、答える。

「……わたしの知り合いの方なら、きっと、わたしにこう言ったと思います……

『正式なルールを自分で調べもせず、他者の説明のみを鵜呑みにして勝負の席に着いた、貴女が愚かなのですよ』

……って」

その知り合いが誰のことかは、言わずもがな。

モニカがルイス・ミラーの哄笑を思い出して苦笑していると、エリオットが半目になってモニカを見た。

「おい、その知り合いって奴は、性格が悪すぎないか?」

「えっと、でも、本当にその通りだと、わたしも思う、ので…………『勝負はテーブルに着く前から始まっている』って、その人も、言ってて」

エリオットは深々とため息を吐くと、降参とばかりに両手を挙げた。

「おいおい勘弁してくれ。別に君を嵌めようと思ってキャスリングを教えなかったわけじゃない。正直、素人がキャスリングなんて理解できっこないって思ってたし、キャスリングを使わなくても楽勝だと、ノートン嬢を侮ってたんだ」

モニカが「はぁ」と曖昧な返事をすると、エリオットは調子が狂うとばかりに前髪をかき乱した。

「そこは怒るところだろう? 俺はノートン嬢を侮っていて、そのくせムキになって、教えてもいないキャスリングを使って強引に勝ったんだぜ。こんなのフェアじゃない。貴族にあるまじき、恥ずべき振る舞いだ」

「えっと……その……」

モニカは困ってしまった。エリオットの言葉のどこに怒ればいいのか、さっぱり分からなかったのだ。

自分が侮られることに関して、モニカは怒りを覚えたことがない。どちらかというと、妙に持ち上げられる方が困る。

エリオットがキャスリングを教えていなかった事に関しても、故意でないのなら尚のこと、モニカには責める理由が見当たらなかった。だって、ルールを自分で調べなかったモニカが悪い。

「……ごめんなさい。わたしには、怒る理由が、思いつかない、です」

その一言を口にすると、何故かエリオットは驚いたようにあんぐりと口を開けた。

自分はそんなにおかしなことを言っただろうか、とモニカは困惑しつつ言葉を続ける。

「わたしは、チェスができれば、それで、いいので」

モニカは残った駒を盤に並べ、エリオットを見る。

「対局、お願いします」

モニカの顔から表情が抜け落ちた。

その幼い顔にオドオドとした様子はなく、静かに凪いだ目はエリオットの初手を待っている。

エリオットはゆっくりと息を吐き、白のポーンに手をかけた。

「遠慮なしで、勝ちにいくぜ」

「……その方が、嬉しいです」

「へぇ? さっきの奴じゃ不足だったか?」

「……ハワード様としたチェスの方が、面白かった、ので」

「そいつは光栄だ」

エリオットは妙に楽しそうな顔で、白い歯を見せて笑った。