軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【15ー6】遺された物

風の精霊シェフィールドが春の風を運ぶ「シェフィールドの祭日」を過ぎれば、リディル王国はめっきり春めき、森は新緑の色に染まるものだが、リディル王国北部のヴェランジェ山はまだまだ日陰に雪が残っている。

そんな冬の気配が色濃い山道を、厚手のコートを着込んだ若い修道女が歩いていた。修道女、と呼べるのは彼女が修道女の頭巾をかぶっているからで、それ以外はとても修道女とは思えないいでたちだ。

なにせ、その修道女は背中には木を編んだ籠を背負っており、手にはボウガンを握りしめている。

ザクザクと霜のおりた土を踏みながら歩く修道女は、その場にしゃがみ込み、獣の足跡を確認するついでに、春の山菜をプチプチと摘んで背中の籠に放り込んだ。実に無駄のない、流れるような手際である。

(今日は山菜ばかり見つかるわね。できれば、食卓にお肉も欲しいのだけれど)

宗派によっては聖職者に狩りや肉食を禁じている地域も珍しくないが、彼女が仕える精霊神は狩りも肉食も禁じていなかった。むしろ狩りが大好きで、一部では狩猟の神として崇められているほどである。

何より、食糧が手に入りにくい痩せた北の土地では、狩猟で得た肉は貴重な栄養源だ。

彼女が暮らす修道院は年を取った女が多いので、若い修道女である彼女が主な食料調達係だった。月に二度ほど町に下りて買い物に行くが、新鮮な肉はなかなか手に入る物ではない。

久しぶりに脂ののった肉が食べたいなぁ、と密かに唾を飲んでいると、彼女の耳は微かな足音をとらえた。足音は徐々にこちらへと近づいてくる。

はて、方角的にこちらが風上の筈だけど、どうして獲物が近づいてくるのやら。

怪訝に思いつつボウガンを構えた修道女は、木の影から見えた影に目を丸くする。

「ひぁあっ、ままま待って、ううう、うた、うたた、撃たない、でぇ……っ」

ブルブルと震えているのは、腕に黒猫を抱いた小柄な少女だ。

修道女──ケイシー・グローヴは、その少女を知っている。

リディル王国における魔術師の最高峰、七賢人が一人〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット。

「…………モニカ?」

ケイシーがボウガンを下ろしながらモニカの名を口にすれば、モニカはへなへなと脱力しながら、頼りなさげに笑った。

「久しぶり、ケイシー」

* * *

「そこ、滑りやすいから気をつけてね」

「うん、わ、わわっ……」

注意されたそばから転びそうになるモニカの腕を、ケイシーが慌てて引っ掴む。

「大丈夫?」

「う、うん……あり、がとう」

モニカがもじもじと礼を言えば、ケイシーは気まずそうに頬をかいて、また先を歩き出した。

ケイシーと最後に言葉を交わしてから、もう何ヶ月が経つだろう。

ケイシーはもう、モニカのことを友達だと思ってはいないのだろうけれど、モニカはまだケイシーのことを友達だと思っている。

それでも、ここでモニカが友達気分であれこれ話しかけたら、きっとケイシーを困らせてしまうだろう。彼女は優しいから、嫌な顔こそしないだろうけれど。

気まずく黙り込んだまま歩く二人は、やがて古びた修道院に到着した。ここが今、ケイシーが身を寄せている施設なのだ。

腕に抱き込んだネロが寒そうに、にゃうぅぅと鳴く。

この修道院のそばまでモニカを運んでくれたのは、他でもないネロであった。モニカは飛行魔術が使えないし、そもそも人間は飛行魔術を長時間使えるほどの魔力がない。

かと言って、この僻地の修道院まで馬車を乗り継いて行くには、あまりにも時間がかかりすぎる。

そこでモニカは、黒竜本来の姿に戻ったネロの背中に乗せてもらって、ここまでやってきたのだ。

竜の背中に乗って空を飛ぶだなんて、正直、物語の中だけだと思っていた。

好奇心旺盛なグレンあたりは羨ましがりそうであるが、モニカの感想は「高くて寒くて怖かった」に尽きる。

特にリディル王国北部は、まだまだ空気が冷たく冬の気配が色濃く残っているのだ。寒さの苦手なネロは到着するなり猫の姿に化けて、モニカの服の中に潜り込んできたほどである。

「その猫は? モニカの使い魔?」

ケイシーがモニカを振り返って訊ねる。

「……うん、えっと、そんな感じ、なんだけど……修道院に入れちゃ、ダメ、かな……?」

モニカの腕の中でネロが「にゃうっ!?」と不本意そうに鳴いた。

──オレ様、寒い中がんばって空飛んだのに! 外に放り出すのか!

という不平不満の声が聞こえてくるかのようである。

ケイシーは修道院の扉の前で足を止めると、ネロをまじまじと眺めた。

ちなみにケイシーは暗殺未遂事件の時に、人間に化けたネロと遭遇している。

もしかして正体がバレたのでは……とモニカは内心ドキドキしていたが、ケイシーは頬を緩めて「可愛い」とネロの頭を撫でた。

「この子、おとなしい?」

「う、うんっ、すっごく、おとなしい……よ?」

大嘘である。

ついでに言うとその正体は、かつてリディル王国に恐怖と混乱をもたらした、ウォーガンの黒竜なのだが、ネロはいかにも分かってますという顔で「にゃうん」と可愛らしく鳴いた。

竜は誇り高き種族である、という伝承が疑わしくなるほど、人間に媚びた鳴き声である。

「モニカが抱っこしてるんなら、中に入れても大丈夫じゃないかな」

ケイシーはそう言って扉を開ける。

静謐な礼拝堂の中では、一人の修道女が礼拝堂の掃除をしていた。丸い眼鏡をかけた、少し厳しそうな雰囲気の老女だ。ケイシーがかぶっている頭巾と色が違うから、おそらく位の高い修道女なのだろう。

「シスター・ローナ。お客様です」

ケイシーはモニカを中に通しつつ、小声で「ここで一番偉い人よ」と耳打ちしてくれた。

モニカは居住まいを正して、挨拶をする。

「は、初め、まして……」

「ようこそ、お客人。このような何もない僻地の修道院にまで祈りにくるとは、とても信心深い方なのですね」

告げる声はどこか冷たく突き放すような空気があった。少なくとも歓迎はされていない。

この僻地にある修道院は、訳ありの人間が行き着く場所でもあった。当然、礼拝客など殆ど訪れない。

だからこそ、警戒されているのだろう。

モニカは精一杯背筋を伸ばすと、緊張に声を震わせながら、己の目的を口にする。

「わ、わたし、会いたい人が、いて……その方が、この修道院に、身を寄せていると、聞いて、やってきました」

「その者の名前は?」

探るような目を向けるシスター・ローナに、モニカは顎を引いて答える。

「……マーシー・アボットさん、です」

マーシー・アボット。それは、かつてクロックフォード公爵邸に勤めていた侍女頭の名前だ。

〈茨の魔女〉ラウル・ローズバーグの協力のもと、クロックフォード公爵邸に潜入した時、庭師の男はこう言っていた。

──幼い第二王子は従者のアイザックと、侍女頭のマーシーに懐いていた、と。

だから、マーシーに会えば、幼い頃のフェリクスやアイクの話が聞けるのではないかと、モニカは考えたのだ。

しかし、マーシーの居所をハイディに調べてもらったところ、意外なことが判明した。

本物のフェリクス王子が亡くなった直後に公爵家の仕事を辞めたマーシーは、その後は行方不明という扱いになっていたのだ。

どうやら彼女は親戚のツテを頼って土地を渡り、人の少ないこの修道院に身を寄せていたらしい。

そこまでしてマーシーが身を隠している理由は何なのか。

……恐らく彼女は知ってしまったのだ。

クロックフォード公爵にとって都合の悪い真実……第二王子とアイザック・ウォーカーの入れ替わりを。

「マーシー・アボットさんに、会わせてもらえません、か?」

「できません」

シスター・ローナは、きっぱりと言い放つ。

モニカが食い下がろうとすると、シスター・ローナは片手を持ち上げてそれを制した。

「何故なら、シスター・マーシーは一年前に肺炎で亡くなっているからです」

あぁ、とモニカは吐息を溢す。

アイクのことを知る数少ない人物が亡くなっていたという事実は、素直に胸が痛かった。

「貴方はシスター・マーシーの血縁者なのですか?」

シスター・ローナの問いにモニカはゆるゆると首を横に振る。

「……いいえ」

モニカはマーシーという侍女頭のことを人伝に聞いただけだ。どんな人物なのかすら、ろくに知らない。

どう話したら良いものかとモニカが躊躇っていると、シスター・ローナは礼拝堂の椅子に目をやり「おかけなさい」と静かに促す。

モニカがおずおずと腰掛けると、ケイシーがモニカの腕からさっとネロを抱き上げた。

「私、この子と遊んでて良い?」

「う、うん」

モニカが頷くと、ケイシーは「ありがと」と言って、ネロを抱えて礼拝堂を出て行った。恐らく、自分が聞いてはいけない話だと判断し、気を利かせてくれたのだろう。

こぢんまりとした礼拝堂も、シスター・ローナとモニカの二人だけだと、やけに広く感じる。

シスター・ローナはまるで懺悔を待つかのように、無言でモニカを見ていた。その静かな顔には聖職者特有の穏やかさと厳しさが両立している……それは、どんな話でも受け止めてくれる穏やかさと、虚言を許さぬ厳しさだ。

モニカは自分でも上手く整理できていない言葉を、なんとか形にして絞りだす。

「わたしの…………知り合いの人が、大変なことに、なってるんです」

──知り合いの人。

口にすると、なんて薄っぺらい響きだろうと改めてモニカは思う。それでもモニカは、アイクの存在をどう定義づければ良いのかが分からなかった。

アイクにとって、モニカは夜遊び仲間だ。

学園での彼にとって、モニカは生徒会の後輩だ。

そして彼にとって〈沈黙の魔女〉は尊敬する偉大な魔術師だ。

だが、モニカにとっての「彼」は何なのか、と問われたら、モニカは上手く言葉にできない。だから「知り合いの人」としか言えない。

「その人は……あることに、執着していて、わたしは、その人が、何故そこまでするのか、理解できなかった」

「でも、理解したいと考えているのですね」

「……はい」

そうだ。モニカはアイクのことを少しでも理解したかったのだ。だから、こうして北の土地までやってきた。

「マーシーさんは、その人のことを知っている数少ない人だから……会って、お話が聞きたかったんです」

マーシーからアイクと亡きフェリクス王子のことを聞けば、アイクの執着を理解できるかもしれないと思っていた。

……結果は、空振りだったけど。

消沈するモニカに、シスター・ローナは問う。

「その人物が大変なことになっているとのことですが、貴方はその人物のことを助けたいのですか?」

「はい」

その言葉は、驚くほどするりと出てきた。

そうだ。モニカは助けたいのだ……妄執に取り憑かれながら、それでも、魔術や〈沈黙の魔女〉に目を輝かせてしまう子どもっぽい一面もある、あの人のことを。

モニカはいまだに、自分がフェリクスのことをどう思っているのか、定義づけができない。

ラナは友人。シリルは尊敬する先輩。ならアイクは? と問われると、モニカは答えに詰まってしまう。

初めて会った時に、木の実を拾ってくれた。

強引に生徒会に勧誘して、モニカのことをいつもからかっていた。

歓楽街では、夜遊び仲間だと言って、本とネックレスを贈ってくれた。

〈沈黙の魔女〉として会った時は、尊敬の眼差しを向けてくれた。

たとえ、彼のしてきたことが許されなくても。モニカの父の死に深く関わっているとしても。

それでも、モニカは彼のことを憎みきれない。魔術が好きなのだと少年みたいに目を輝かせていた彼を、また見たいと思ってしまうのだ。

「わたしは、あの人を、助けたい、です。だからこそ、あの人のことが、知りたい」

自分に言い聞かせるように言葉を紡げば、モニカを見るシスター・ローナの顔から厳しさが消えたような気がした。

「その方の名前は、なんと仰るのです?」

「アイク……アイザック・ウォーカー、です」

モニカがその名を口にすると、シスター・ローナは何やら考え込むように黙り込んだ。そして「しばしお待ちなさい」と言いおき、礼拝堂を出て行く。

(……どうしたんだろう?)

モニカが怪訝に思っていると、シスター・ローナはすぐに戻ってきた。その手に、小さな布包みを大事そうに抱えて。

「これを、どうぞ」

そう言ってシスター・ローナは布包みをモニカに差し出す。重さと手触りから察するに、本だろうか。

モニカが困惑顔でシスター・ローナを見れば、シスター・ローナは少しだけ何かを懐かしむような顔をした。

「これはシスター・マーシーの遺品です。彼女は死の間際にこう言いました……『もし、アイザック・ウォーカーという人物が訪ねてくることがあれば、これを渡してほしい』と」

「……わたしが、預かって、いいんです、か?」

戸惑いがちに訊ねれば、シスター・ローナは目を伏せる。その横顔には、いかにも人間らしい葛藤が滲んでいた。

「貴方の様子から察するに、ウォーカー氏本人がここを訪れるのは難しいのでしょう。ならば、わたくしの独断で貴方にこれを託します」

シスター・ローナは皺だらけの指で布包みをそっと撫でる。悼むように、慈しむように。

「シスター・マーシーは常に何かに怯え、後悔していました。彼女は死の間際まで、魘されながら、誰かに謝り続けていた……貴方にこれを託すことで、シスター・マーシーが女神の膝下で安らかに眠れることを、わたくしは願っています」

モニカは一度だけ頷き、布包みをそっと開く。

包みの中身は一冊の日記帳だ。それと、日記の一ページ目には封筒が挟まれている。

日記帳はだいぶ古びていたが、装丁や箔押しなどの手のこんだ装飾から察するに、決して安い物ではないのだろう。

これはマーシーの日記なのだろうか? そう思いながら封筒の挟まったページを開いたモニカは、目を丸くする。

そこに綴られている文字は辿々しくも拙い、子どもの字だ。

(……これ、は)

そう、それは今は亡き本物の第二王子、フェリクス・アーク・リディルの日記帳だった。