軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【14ー7】理想の王子様

フェリクス・アーク・リディルは自分のことが嫌いだ。

物覚えが悪くて、少し体を動かしただけで具合が悪くなって倒れて、人前に出ると上手に喋れなくなる。弱くて無能な王子様。

どんなに頑張ったつもりでも、周囲の期待には届かない。祖父を喜ばせることができない。

フェリクスは母親の顔を殆ど覚えていないけれども、アイリーン妃は美しく聡明な女性であったと誰もが口を揃えて言う。

クロックフォード公爵にとっても、自慢の娘だったのだろう。だから、祖父はことあるごとにアイリーンの名を口にする。

アイリーンはフェリクスを産んだことで体調を崩し、そのまま亡くなったのだという。

──それならば出産は諦めて、アイリーン様の命を繋ぐべきだったのだ。

──命と引き換えに産んだのが、あんな王子だなんて。

──お子様など、また産めば良かったのだ。

この屋敷の使用人達がそう話しているのを聞いた時、フェリクスは消えて無くなってしまいたいと思った。

(私なんかを産んだから、母上は死んだんだ。私なんて、生まれてこなければ良かったんだ)

そう考えたら酷く惨めで悲しい気持ちになり、フェリクスは寝台に潜り込んで声を殺して泣いた。

「……フェリクス様?」

毛布の向こう側から声がした。従者のアイザックだ。

懸命に声を噛み殺したつもりだったが、どうやら泣き声が漏れていたらしい。

「大丈夫ですか? どこか痛むのですか?」

あぁ、優しいアイザックにまで心配をかけてしまった。迷惑をかけてしまった。自分はなんてダメな王子様なのだろう。

──自分のせいで母が死んだのだ。みんなから愛されてた母が死んで、無能な自分が生まれてしまった。迷惑をかけるだけで役立たずの自分なんて、生まれてこなければ良かったのだ。

頭から毛布をかぶったまま、みっともなくしゃくれた声で本音を吐露すれば、アイザックが毛布の上からフェリクスの頭を撫でた。

「……僕は、アークがいなければ良かったなんて思わないよ」

その言葉が、どれだけフェリクスを救ってくれたことか。

* * *

フェリクスは八歳の誕生日を迎えた頃から頻繁に熱を出すようになり、寝込むことが増えてきた。

少し前まではそれなりに体調が良くて、エリオットと一緒にチェスをしたり、ブリジットと茶会やダンスの練習をしたりしていたのだが、ここ一、二ヶ月は殆ど自室に篭りきりだった。

その日は天気が良く暖かかったためか、いつもよりいくらか体調が良かった。とは言え、外出をできる程の体調でもないので、フェリクスは肩掛けを羽織ると文机に座り、日記を開く。

ここ最近はろくに日記も書いていない。だって、毎日部屋にこもっているから書くようなことがないのだ。

だから、フェリクスは戯れにペンを動かし、ノートの隅に落書きをした。サラサラとペンを動かして描くのは冠をかぶった王子様の絵。それはフェリクスが考える理想の王子様の姿だ。

フェリクスはしばし考え、絵の横に文字を書き込んだ。

【理想の王子様像】

・頭が良い(政治の難しい話も、ちゃんと分かる)

・勇気がある

・みんなに優しい

・剣も乗馬も得意

・狩りも得意

・魔術もたくさん使える

・堂々と挨拶できる(舌を噛まない)

・チェスが強い(エリオットより強い)

・女の人を上手に褒められる(ブリジットに怒られないぐらい)

・ダンスが得意(上手にリードができる、相手の足を踏まない)

・アイクみたいに、色んなことができる

そこまで書いて、フェリクスはペンを置いた。

紙面の王子様像は、どこまでもフェリクスとは遠い姿だ。

たとえば、フェリクスの兄である第一王子ライオネルは、剣や乗馬の腕に長けている。それならば、自分は魔術の分野を伸ばしていこうと考えもしたが、フェリクスの魔力量は平均値。ついでに、魔術式に関する書物を読んでも、正直ちんぷんかんぷんだ。

フェリクスの母であるアイリーン妃は魔術が得意で、水の上位精霊と契約をしていたという。上位精霊と契約できる魔術師は、国内でもごく僅かだ。

(……私も、精霊と契約ができたら、お祖父様は褒めてくれたかな。みんな、すごいって言ってくれたかな)

フェリクスは引き出しの中から、母の形見であるアクアマリンのネックレスを取り出した。

このアクアマリンは精霊との契約石で、ここに母と契約した水の精霊が眠っているのだという。

だが、どんなに勉強をしたところで、フェリクスはこの精霊を呼び出すことはできない。生まれ持っての得意属性が違うのだ。

はぁ、と溜息を吐いてネックレスを引き出しの中に戻すと、アイザックが扉をノックして入ってきた。

アイザックは椅子に座っているフェリクスを見て、少しだけ心配そうに眉を下げる。

「起きても大丈夫なのですか?」

「うん、今日は調子が良いんだ」

「そうですか」

アイザックは心配そうな顔を少しだけ緩めて、紅茶をのせた盆をティーテーブルに置いた。

そうしてフェリクスの方をちらりと見て、瞬きをする。

「日記、ですか?」

「わ、わっ……」

フェリクスは慌てて開きっぱなしにしていたページを腕で隠した。正直、ただの日記だったら見られても恥ずかしくないけれど、今日のこれは恥ずかしい。

だって、自分とは程遠い、理想の王子様像を真剣に考えていたなんて!

「……み、見た?」

「少し、絵が見えたように思いますが……僕が見ると、不都合な物なのですか?」

「うぅぅぅ〜〜〜」

フェリクスは口をムズムズさせていたが、やがて観念し、ノートに被せた腕を退けた。

「……アイクなら、いいよ」

従者に見られると思うと恥ずかしいが、親友のアイクなら構わない。フェリクスがポソポソと小声でそう言えば、アイザックはどれどれと日記を覗き込む。

そうして、そこに書かれた文字を見て目を丸くした。

「……『女の人を上手に褒められる』?」

「だって、この間、ブリジットにいっぱい叱られたじゃないか……『殿下は社交辞令も理解できないのですか!』って」

物語の中の王子様は、いつだって甘く素敵な言葉で女の人を上手に褒めるのだ。

まるで絹のように美しい髪ですね、とか、貴女は一輪のバラのようだ、とか。

フェリクスは大真面目にそう主張したが、アイザックはいまいちピンときていないらしい。

「それは、王子様の条件と、違うんじゃないかな……」

「……ブリジットだって、褒め上手で素敵な王子様の方が良いに決まってる。私の婚約者候補にされて……内心、迷惑だって思ってるはずだ」

フェリクスは日記に描いた理想の王子様像を見直して、だんだんと悲しくなってきた。

誰からも愛される理想の王子様と自分は、なんて程遠いのだろう。

グスッと鼻を啜ると、アイザックが手を伸ばして羽ペンを取り上げた。

一体、何をするのだろう? と思いきや、アイザックはフェリクスが書いた理想の王子様の条件の一つ「みんなに優しい」の文字に花丸をつける。

「僕は、君より優しい王子様を知らないよ」

そう言ってニコリと笑うアイザックに、彼の方が王子様みたいだ、とフェリクスはこっそり思った。

* * *

その日の午後、フェリクスはベッドからもぞもぞと抜け出すと、部屋の窓を開けた。

フェリクスの部屋は、窓を開けて少しだけ身を乗り出すと、中庭の奥の様子がよく見える。

アイザックの前でこれをやると「危ないからダメです」と叱られてしまうのだけれど、今はその心配もなかった。だって、アイザックはまさにその中庭の奥の方で、剣の訓練を受けているからだ。

アイザックは勉強ができるだけでなく、身体能力も高い。今も大柄な剣の師範を相手に、互角の立ち回りを見せている。その訓練の様子をこっそり窓から眺めるのが、フェリクスは好きだった。

「……かっこいいなぁ」

アイザックはフェリクスとは二歳しか違わないけれど、頭の回転が速いし、立ち振る舞いも品がある。フェリクスが挨拶の言葉に困っていると、さりげなく助け舟を出してくれたりもする。

(……ブリジットも、アイクが王子様の方が嬉しかっただろうな)

はぁ、と溜息を吐きながらフェリクスはアイザックの姿を目で追う。

剣の訓練は一休みになったのか、アイザックは剣を置き、汗でぐっしょりと濡れた上着を躊躇なく脱いで、頭から水をかぶった。その引き締まった背中には鞭で打たれた痕が残っている。

その傷痕を見るたびに、フェリクスは痛ましさと罪悪感に胸が潰れそうになった。

鞭の痕から目を逸らすように視線を落としたフェリクスはふと気づく。アイザックの右の脇腹に目立つ傷痕があるのだ。

「………………え?」

フェリクスは思わず窓から離れ、自分の上着の裾を捲った。フェリクスの脇腹にもよく似た裂傷がある。いつだったか木から転落し、枝が刺さった時の傷だ。アイザックの脇腹の傷はフェリクスの傷痕と位置も大きさも、ついでにいうと治り具合も酷似していた。

「……なん、で?」

出会ったばかりの頃は、アイザックにあんな傷痕なんて無かったはずだ。

それにアイザックがあんな大きな怪我をしたという話を、フェリクスは今まで一度も聞いたことがない。

(……まさか、お祖父様が?)

フェリクスが木から転落した事件の時、もしかしたらアイザックは監督不行届きで祖父から責められたのではないだろうか? その罰でアイザックがあの傷を与えられたとしたら?

(……そんなの……そんなの……っ)

フェリクスはカタカタと震えていたが、やがてキュッと唇を噛み締め、祖父の部屋に向かった。

もし、アイザックのあの傷が不当に与えられたものだとしたら……アイザックの主人として、黙っているわけにはいかない。

祖父に歯向かうのは怖いけれど、それでもフェリクスは震える足を叱咤して、祖父の部屋を目指した。

──真実がもっと残酷だということを、知りもせず。

* * *

祖父であるクロックフォード公爵の部屋の扉は、いつだってフェリクスにはとてつもなく大きく見える。

きっと祖父に対するプレッシャーが、フェリクスにそう感じさせるのだろう。

この扉を前に、逃げたいと思ったことは一度や二度じゃない。それでも、フェリクスは自分の中にある勇気を振り絞って、扉をノックした。

「フェリクスです。お祖父様にお話ししたいことがあります」

しばしの間を開けて「入れ」と短い返事が聞こえた。

フェリクスは震える手でドアノブを握り、ゆっくりと開く。

公爵はフェリクスに背を向けるようにして、書類を書いていた。いつだってそうだ。公爵がフェリクスに目を向けるのは、侮蔑の目を向ける時だけ。

それを分かっていたから、フェリクスは祖父の背中に率直に話しかけた。

「アイザックのことで、訊きたいことがあります」

返事はない。だが、黙れと言われないのなら、言葉を続けて良いのだろう。

フェリクスはコクリと唾を飲み、舌を噛まないように気をつけつつ、言葉を紡ぐ。

「アイザックの右の脇腹に、大きな傷痕がありました。私の脇腹にあるのと、全く同じ傷痕です。アイザックの傷について、お祖父様は何かご存知なのではありませんか?」

書き物をしていた公爵の手が止まる。やはり、何か知っているのだ。

公爵はゆっくりと振り向き、無表情に己の孫を見た。

「そろそろ、良い時期か」

「……?」

訝しむフェリクスに、公爵は端的に告げた。

「アイザックは、お前の影武者として育てるべく引き取った。いずれ、肉体操作魔術で顔もお前と同じに作り替える」

「…………は?」

飲みこみの遅いフェリクスは、言われた言葉の意味をすぐに理解できなかった。

アイザックが己の影武者? 顔を作り替える?

混乱するフェリクスを見据える公爵は、いつもの侮蔑に満ちた目をしていた。

あれは、理解の遅い孫を見放す目だ。

「ゆくゆくは、公式行事でもアイザックを表に出す。お前はもう、何もしなくていい」

その言葉は明確に、フェリクスを切り捨てる言葉だった。

全てを代役に演じさせるから、役立たずのフェリクスなどもう必要無いと祖父は言う。

足元から崩れ落ちていくような深い絶望がフェリクスを襲った。

それでもフェリクスの舌が辛うじて動いたのは、彼がアイザックを信じていたからだ。

「……そのことを、アイザックは……知っているのですか?」

「引き取られた時から承知済みだ。だから、お前と同じ傷を受け入れた」

それだけ言って、公爵は再び机に向き直る。その無言の背中が語っていた。

……お前に期待することも話すことも、何も無い、と。

自分はもうとっくの昔に、祖父に見限られていた。だから、祖父は代役を用意した。

アイザックは最初から、自分がフェリクスに成り代わることを知っていた。知っていて、友達になってほしいというフェリクスの幼いおねだりを受け入れたのだ。

深く絶望した時、人は声も涙も出ないほど心が凍りつくのだということを、フェリクスは初めて知った。