軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【2-6】沈黙の魔女、ヤドカリになる

屋根裏部屋にはカーテンなんて物はないので、朝日がそのまま室内を照らす。

起床したモニカは身嗜みを整えるよりも先に、荷物袋からコーヒーポットを取り出した。

山小屋を出る時にモニカが荷物袋に詰めた物と言えば、コーヒーポット、ミル、コーヒー豆、あとは黒猫のネロぐらいである。人と関わらずに生きてきたモニカには、大事な物が少ない。

モニカは無詠唱魔術を起動し、コーヒーポットに飲料水を溜めた。

魔術で精製した水は少なからず魔力を含んでいるので、飲料には適さないと言われている。人間の体はあまり沢山の魔力を溜めておけないので、魔力を含んだ水を大量摂取すると魔力中毒を起こすからだ。だから、モニカも普段は井戸で水を汲んでいる。

それでも少量なら問題は無いだろう。元より七賢人のモニカは常人よりも魔力許容量が多いのだ。簡単には魔力中毒になったりはしない。

モニカはポットに精製した水を注ぎ、コーヒー豆をミルで挽いてポットにセットした。

更に小さな鉄製の三脚を取り出し、その上にポットを乗せて、無詠唱魔術で火を起こす。

この小さな火も一定の火力と位置座標を維持しなくてはならないので、緻密な術式と操作が必要とされるものである。

黒猫の姿でベッドをゴロゴロしていたネロが、呆れたようにモニカを見た。

「コーヒー一杯淹れるのに、技術の無駄遣いすぎねぇ?」

「だ、だって……勝手に厨房を使うわけにもいかないし……」

モニカは小声で言い訳をし、ポットのコーヒーをカップに注いだ。

舌の上を流れる熱くて苦いコーヒーは、モニカの頭をシャッキリ目覚めさせてくれる。

ふと、亡き父の言葉が頭をよぎった。

──まずは、無駄なものを削ぎ落としてごらん。そうすると、残った数字は至ってシンプルだ。

(……無駄って、何だろう)

例えばモニカにとって、朝のコーヒーは決して無駄なものではない、大事なものだ。けれど、コーヒーが嫌いな人には無駄に見えるのだろう。

(……数式なら、すぐに答えが分かるのに)

人の心の「無駄」を見つけるというのは、なんて難しいのだろう。

モニカはカップにふぅふぅと息を吹きかけながら、机の上に乗せたままのリボンと木の実をちらりと見る。

今までモニカは髪型なんて気にしたことがなかった。だから、今までのモニカだったら、リボンなんて無駄なものだと言いきれただろう。

木の実だってそうだ。モニカは食べることに興味が薄いから、木の実がなければ、まぁいいやと昼食を一回抜いていた。

モニカは机の上の木の実を摘んで、ポリポリとかじる。普段は味わって食べていないけれど、今はなんだかとても大事に食べたい気分だったので、しっかりと味わってから飲み込んだ。

「……ねぇ、ネロにとって……無駄じゃないものって、何?」

「おぉっ? なんだ? 急に哲学的な質問だな? ……『哲学的』って言葉を知ってるオレ様賢くてカッコイイよな! 褒めろ!」

「……うん、すごいすごい」

モニカが雑に褒めると、ネロは「それだ!」と右前足の肉球でモニカをビシリと指した。

「オレ様にとって、お前の褒め言葉は無駄じゃないぞ。だから、もっと褒めろ! 称えろ! なんだったらバラード作って、小説書いて、肖像画描いて後世に伝えろ!」

最後の方は結構な無茶振りであるが、ネロにとってモニカの褒め言葉は無駄ではない、という事実がモニカには少しだけ嬉しい。

「……そっか、そっかぁ……」

「あとな、無駄を楽しむのがいいんだ……『人生は無駄だらけだ。ならば、その無駄を大いに楽しもうではないか』って、ダスティン・ギュンターも小説に書いてたぞ」

生きていくのに精一杯のモニカにとって、無駄を楽しむとはなかなかに難題だ。

それでも……

「ちょ、ちょっと、挑戦……してみる」

そう言って、モニカは机の上のリボンを手に取る。

──困難な挑戦ほど、楽しいものだよ、モニカ。

かつての父の言葉が、モニカの中で優しく蘇った。

* * *

ラナ・コレットは自分の席に座り、頬杖をつきながら薄い冊子をパラパラと捲っていた。その髪型も髪飾りも昨日見たものと違う。

モニカはラナの姿を確認すると、震える足を叱咤して彼女に近づいた。

「あ……っ、あ、あのっ……」

「……なによ」

ラナは顔を冊子に向けたまま、目だけを動かしてモニカを見る。その目がギョッと見開かれた。

「あんた、なにその髪っ!?」

モニカの髪型は昨日ラナにやってもらったような髪型でなければ、いつものおさげでもない。

頭頂部の髪を不自然に膨らませて、そこに二本のおさげを無理やり固定した前衛的な髪型だ。

「そ、その、昨日やってもらったみたいに、したくて……」

「ただのおさげの方がまだマシよ!!」

「…………あぅ」

ラナに怒鳴られたモニカは、ポケットからピン付きリボンを引っ張りだし、ラナに差し出す。

「……これ……その……きっ、昨日は、ありがとう、ございました……」

昨日のネロとの練習を思い出しながら、モニカはか細い声で礼を言う。

今にも死にそうな声になってしまったけれど、ちゃんと最後まで言えた。

だが、ラナはモニカが差し出したリボンを見ると、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く。

「いらない。それ、もう流行ってないもの」

ラナのつっけんどんな態度は、これ以上の会話を拒んでいる。

いつものモニカだったら、ここですごすごと引き下がっていただろう。

だが、モニカはその場に踏みとどまると、必死で声を絞り出した。

「……き、昨日の……やり方……お、お、教えて、もらえましぇんか」

噛んだ。

耳まで真っ赤にして俯いているモニカは気づかない。

ラナが笑いを堪えるみたいに口の端をヒクヒクムズムズさせていることに。

「し、仕方ないわね! ほら、そこ、座りなさいよ」

ラナは高慢にそう言って、顎をしゃくる。

モニカが言われたとおりに自分の椅子を持ってきて、ちょこんと座れば、ラナは手早くモニカの髪を解いた。

「まったく、どういうやり方をすれば、あんな珍妙な髪型になるのかしら! 信じられない! ねぇ、櫛は持ってる?」

「な、ないです……」

モニカが弱々しい声で言えば、ラナはモニカの髪をぐいっと引っ張った。

「……よくそんなんで、教わりたいとか言えたわね?」

「ご、ごご、ごめ、なさいっ」

ラナは呆れたように鼻を鳴らし、自分の櫛を取り出した。繊細な透かし彫りを施した銀細工の櫛は、よく見ると小さな宝石が散りばめられている。

「少し前までは、大きめの宝石がついてる金細工の櫛が流行っていたけど、最近の流行は断然こっちね。小さめの宝石を控えめに散りばめるのが可愛いのよ。特にアンメル地方の細工師は腕が良いから、一流品を買うならアンメル製にした方が……」

そこで何故かラナは口をつぐみ、無言でモニカの髪を梳き始めた。

どうして突然黙り込んだのだろう、とモニカが不思議に思っていると、ラナはモニカにしか聞こえないような小さい声で呟く。

「……つまらないでしょ、わたしの話」

どこか不貞腐れたような呟きに、モニカは目を丸くして背後のラナを見上げる。

ラナは唇をへの字に曲げて、なんだか傷ついたような顔をしていた。

「……どうせ、うちは成り金だもの。わたしの話なんて下品で、聞く価値もないって、あなたも思ってるんでしょ」

「あ、あの……えっと……」

モニカは意味もなく手をあたふたさせつつ、必死で口を動かした。

「わ、わたしも、よく話がつまらないって、言われます……す、数字の話ばかり、しちゃう、から……」

数字や数式の話になれば、幾らでも語っていられるのだが、そうすると相手の反応を見ることも忘れて、延々と語ってしまうのだ。

そのせいで、ルイス・ミラーに張り倒されたことは、一度や二度ではない。あの美貌の魔術師は、モニカの頬を容赦なく引っ叩いて「同期殿、人間に戻りましたか?」と笑顔で言うのだ。

その時のことを思い出して震え上がっていると、ラナはプッと小さくふきだした。

「なにそれ、変なの」

「へ、へへ、変、ですか……?」

「変よ。ほら、前向いて」

ラナはモニカの髪を二つに分けて、手早く三つ編みにする。この時、三つ編みを少し崩すのが可愛くするポイントらしい。そうして少し崩した三つ編みを左右に交差させて、毛先を隠してピンで留めれば完成だ。

「ほらできた。こんなの簡単よ」

「す、すごい……早い……重要なのはピンの角度? ……ううん、三つ編みの位置と髪の量の配分も……」

「こういうのは数字じゃなくて、手で覚えるのよ。手で。ほら、一度解いて自分でやってみなさいよ」

ラナの言葉にモニカは目を見開き、ひっくり返った声で叫んだ。

「えぇっ、こんなに綺麗なのに……ほ、解いちゃうんです……か?」

こんなに綺麗なのに、の一言にラナは気を良くしたように口をムズムズさせたが、お姉さんぶった顔で咳払いをし、モニカを見下ろす。

「自分でやらなきゃ覚えられないでしょ。失敗したら最後はわたしがやってあげるから、ほら、やってごらんなさいよ」

「うぅ……完成された綺麗な数式を分解して、でたらめな数式を書きこむみたい……」

「どういう表現よ、それ……」

ラナが呆れ半分、満更でも無い気持ち半分で笑ったその時、教室が俄かにざわめきだした。

教師が来るにはまだ早い時間だ。どうしたのだろう、とモニカがざわめきの中心に目を向ければ、そこには一人の男子生徒がいた。

プラチナブロンドの長い髪を一つに束ねた、細身の男子生徒だ。彼が一歩歩くごとに、主に女子生徒が色めき立つ。

モニカの背後でラナがポツリと呟いた。

「生徒会副会長のシリル・アシュリー様よ。どうして、うちのクラスに……」

生徒会副会長ということは、第二王子の最側近にあたる人物だ。だが、モニカの知る限り、このクラスに生徒会役員はいないはずである。

シリルの周囲には、ピリピリとした空気が漂っていた。それは漠然とした雰囲気といったものではなく、魔力が微かに滲み出しているからだ。それも、恐らくは氷の魔力が。

(……もしかして、生まれつき魔力量が高い人? 魔力が漏れているのは意図してのこと? それとも魔力の制御ができていないだけ?)

そんなことを考えていると、シリルは教壇に立ち、静かだがよく響く声で告げる。

「このクラスに、モニカ・ノートンという女子生徒はいるか」

クラスメイトの視線が一気にモニカに集中した。

モニカは半ば反射的に机の下に潜り込む。できることなら、このままラナのスカートの中に潜り込んでしまいたい。流石にそれは良くないと自重し、他に隠れられる場所はないか探していると、ラナが慌ててモニカの腕を引いた。

「ちょっ、バカ、あなた何やってるの! 副会長がお呼びなのよ!?」

「わ、わわ、わたし、いません! あの、留守! 今日は留守! です!」

机の足にしがみついて、涙目で意味不明なことを口走るモニカに、シリルは早足で近づき、モニカをじろりと見下ろした。怖い。怖いけれど、これがルイス・ミラーだったら、机を蹴り飛ばして、モニカの頭に拳骨を叩き込むぐらいする。絶対する。それに比べれば、いくらかマシだ……多分。

「貴様が、モニカ・ノートンか」

「…………ひゃい」

鼻水を啜りながらモニカが答えれば、シリルは不快そうに眉間に皺を寄せた。

「理解できん。どうして、あの方は……こんな小娘を……」

苦々しげにそう呟き、シリルは軽く咳払いをしてモニカを睨む。

「ついてこい」

「あ、あの、これから、じゅ、じゅじゅ、授業……」

「私に逆らうのか?」

高圧的な態度に弱いモニカは、ガタガタ震えつつ、シリルの言葉に従い、彼の後についていった……机の下にもぐり、机をガタガタと引きずりながら。

数歩進んだところで、シリルが怒鳴る。

「なんで机に潜ったままついてくる!?」

「だ、だって、こわ、怖い……」

「置いていけ!」

「ひぃっ、ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

モニカはヘコヘコと謝りながら机を元の位置に戻すと、その足でカーテンに包まった。

シリルもクラスメイトも、呆然とその光景を眺めていたが、やがてシリルはカーテンをひん剥いてモニカを引き摺り出す。

「きっさまぁ! 何故カーテンに潜る!!」

「こ、このまま、ご、誤魔化せないかな、って……」

「ふざけるなぁ!」

シリルは早口で呪文を詠唱した。その詠唱を聞いただけで、モニカは術式の意味を理解する。

(この魔術、は……)

モニカの無詠唱魔術なら、対抗する術を即座に発動することができる。なんだったら、シリルの術が発動する前に攻撃することも。

だが、それをしたら、モニカの正体がばれてしまう。

シリルはパチンと指を鳴らした。すると、そのひとさし指の先端から氷の鎖が伸びて、モニカの手首に絡みつく。鎖はモニカの手首をぐるりと一周すると、先端が手枷の形に変わった。

束縛を目的とした氷の魔術だ。モニカが抵抗すれば、即座に手枷から凍結する仕組みだろう。

モニカを氷の手枷で拘束したシリルは、物騒な笑みを浮かべていた。その濃いブルーの瞳は、怒りでギラギラと輝いている。

「どうやら私は、珍獣の捕獲を命じられたらしい……珍獣ならば、鎖を使うのは当然だろう?」

どうして、ルイス・ミラーも、シリル・アシュリーも、モニカを人間扱いしてくれないのだろう。

かくしてモニカは珍獣のような見世物扱いで、シリル・アシュリーに連行されたのだった。