軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【10ー12】傀儡が死の淵で思うこと

フェリクスは猟銃を担ぎ、夜道を駆ける。本当は馬を連れていきたかったが、馬小屋に馬丁の姿があったので諦めた。

今からすることは、他の誰かに見られるわけにはいかないのだ。

「ウィル、呪竜の位置は?」

フェリクスの言葉に、トカゲに化けたウィルは胸ポケットから顔を出して、申し訳なさそうに答えた。

「北北東、距離は……すみません、まだ明確には」

「そうか。分かり次第教えてくれ」

ウィルの感知能力は然程高くはないので、漠然とした方向しか分からない。それでも呪竜の巨体ともなれば、ある程度近づけば視認できる筈だ。

フェリクスは自身が呪竜に対して風下になるよう気をつけつつ移動した。射撃をするなら、ある程度高さのある場所がいい。

少し走ったところで、彼は程よく小高い丘を見つけた。適度に木々が生えているから、姿を隠すには丁度いい。夜の闇もそれを手伝ってくれる。

フェリクスは懐から小さなケースを取り出し、中から弾丸を取り出した。

昼間の狩猟に使った物とは違う特製の弾丸は、魔力を溜めやすい銀でコーティングされた物だ。

「ウィル」

フェリクスの声に応え、ウィルは弾丸に氷の魔力を注ぎ込む。魔術師で言うところの「付帯魔術」だ。それも、とびきり強力な。

竜は魔力耐性の高い生き物だが寒さに弱く、氷の魔術に弱い。それを体内に叩き込んでやれば、動きを止めることができる。

「本当は昼間もこの弾丸を使いたかったのだけどね。君の力を人前で晒すわけにはいかないから、仕方がない」

呟き、フェリクスは魔力を注いだ弾丸を猟銃にセットする。

そろそろ頃合いか。

「……殿下、呪竜がきます」

「分かった」

フェリクスが射撃ポイントに着いてほどなく、ズルズルと巨大な何かが這う音が聞こえてきた。何か、なんて言うまでもない──呪竜だ。

かつて緑竜だったものは、全身を蠢く黒い影に引きずられるようにして、地を這っていた。そこに上位種の竜の威厳などない。

あれは全身を呪いに蝕まれた、哀れな生き物の成れの果てだ。

「……惨めな姿だ。種こそ違えど、尊厳を汚された姿は同情に値する」

呟き、フェリクスは猟銃を構えた。

猟銃の射程は決して長くはない。撃ち込むにはもう少し呪竜の接近を待つ必要がある。

「今、楽にしてあげよう」

狙いを定めるのは然程難しくはなかった。的は大きいし、なにより動きが鈍い。昼間の馬上から飛翔する竜の眉間を狙うのに比べたら児戯に等しい。

フェリクスの指が、引き金を引く。

一発目の弾丸は、半開きになった緑竜の口の中に吸い込まれていった。緑竜の動きが一瞬止まる。竜の喉に刺さった弾丸が、口腔内で氷の槍となって炸裂したのだ。

竜は鳴き声をあげることすらなく、その場をのたうちまわり始める。

フェリクスは迷うことなく二発目の弾丸を装填し、引き金を引いた。

二発目は緑竜の右目を正確に貫く。右目から頭部に入り込んだ弾丸は氷の槍を放出し、竜の頭部をズタズタにかき混ぜた。

口腔や右目から氷の槍が飛び出した竜の死骸は、どこか不気味なオブジェじみてすらいる。

だが、竜の動きは止まらない。

それどころか、竜は進行方向をフェリクスの方へと変えた。竜を先導する大蛇のような黒い影が、フェリクスに狙いを定めている。

ウィルがフェリクスのポケットの中で「そんな馬鹿な!」と悲鳴じみた声で叫んだ。

「殿下、わたくしは長い生の中で、一度だけ呪竜を見たことがあります」

「うん」

「本体である竜が死んだら、呪いも霧散するはず……なのに……」

戸惑う様子のウィルが胸ポケットから落ちぬよう、フェリクスは手でポケットの蓋を押さえ、猟銃を担いで走り出した。

「じゃあ、普通の呪いではないのだろうね」

呪竜は完全にフェリクスに狙いを定めたようだった。

フェリクスはなるべく木々の影を利用して逃げるが、呪いの黒い影は、夜の闇などものともせずにフェリクスに忍び寄る。

本来、呪竜とは「自然発生した呪い」が竜に取り憑いたものだ。

だが、フェリクスの推理が正しければ……。

「あれは恐らく、自然発生した呪いではなくて、人の手による『呪術』だ」

「それは自然発生した『呪い』とは違うのですか?」

「自然発生する『呪い』がどうかは分からないけれど、呪術なら媒介となる『呪具』がどこかにあるはずだ」

走りながらフェリクスは背後に迫りくる竜を観察する。

目に見える範囲で「呪具」らしき物は無い。

フェリクスは、もし自分ならどうやって「呪具」を竜に仕込むか考える。答えはすぐに出た。

(……餌に混ぜて、食べさせたんだろうな)

呪具が竜の腹の中に入ってしまえば、もう外から「呪具」に手を出すのは不可能に近い。

竜の体は厚い鱗に守られている。フェリクスがしたように、目や口を狙って頭部破壊をすることはできても、腹の奥まで攻撃を届けるのは簡単なことじゃない。

(この呪術を仕込んだ人間にとっても、これは予想外のことだったんだろうな……恐らく呪術が強すぎたんだ。そして、制御できなくなった)

フェリクスは木の影に隠れて弾丸を装填し、木の後ろから飛び出しながら竜の口腔目掛けて猟銃を撃つ。

三発目の弾丸も正確に竜の喉に突き刺さり、氷の槍を生み出す……が、恐らく腹の奥までは届いていない。

(あぁ、この終わり方はクロックフォード公爵も、予想していなかっただろうね)

呪いの具現化である黒い影が槍のように伸びて、フェリクスに襲いかかる。もう回避は不可能だ。

迫りくる死を前に、フェリクスは冷めた心で考える。

今ここで自分が死んだら、自分の名はどれだけ人の心に残るだろう、と。

(命と引き換えに竜害から民を守ろうとした王子……ギリギリ及第点かな)

死の間際にもなお妄執に憑かれた男を、黒い影が貫こうとし──その影は硬質な音を立てて弾かれた。

フェリクスは人形じみた無表情に、驚きを滲ませる。

彼の目の前にあるのは対呪い用の防御結界。こんなことができるのは……。

「つくづく夜遊びが好きな王子様だな」

呪竜の背後からこちらに駆け寄ってくるのは、黒髪の長身の男──バーソロミュー・アレクサンダーだ。その背に背負われているのは、杖を握りしめた〈沈黙の魔女〉。

フェリクスを間一髪で救った防御結界は、彼女が張ったのだ。

バーソロミューは〈沈黙の魔女〉を背中から下ろすと、金色の目でジトリとフェリクスを睨んだ。

「見ろよ、ご主人様。あの王子、とうとう人間の女遊びに飽きて、雌竜のケツを追い回し始めたぜ」

フェリクスは死にかけた人間とは思えない穏やかな顔で、その軽口に応えた。

「あぁ、この竜って雌だったんだ?」

「尻尾がセクシーだろうが」

軽口を叩くバーソロミューの横で〈沈黙の魔女〉が杖を振りかざす。

次の瞬間、呪竜の頭上に氷の槍が十本ほど生まれ、巨大な羽を地面に縫い付けるように串刺しにした。鱗に覆われた胴体と違って、羽は比較的薄い部分だ。そこを氷の槍で杭のように穿たれ、呪竜は怒りに満ちた声で鳴いた。

串刺しになった竜の体はもう動けないし、風の魔力も自由には扱えない──が、竜を取り巻く黒い影は大蛇のように蠢いたままだった。今も執拗にフェリクスを狙っている。

やがて防御結界を破壊するのが難しいと気づいたのか、黒い影は新しい獲物〈沈黙の魔女〉とその従者に狙いを定めた。

「レディ! それは『呪術』です。恐らく『呪具』が体内のどこかに」

フェリクスが声を張り上げると、バーソロミューがギョッと目を見開いた。

「呪術だとぅ!? そりゃ人間が使うやつじゃねぇか! 人間の呪術に竜が操られるなんて、聞いたことねぇぞ!?」

無論、フェリクスも呪術で竜を操るなど聞いたことがない。だが、彼は半ば確信していた。

──これは、クロックフォード公爵の、手先の呪術師が仕掛けた「呪術」だ。

本来は、呪竜をある程度自由に操れる呪術だったのだろう。

ファルフォリアの客人達に竜をけしかけ、フェリクスが〈沈黙の魔女〉と協力して、竜を倒すように仕向ける。

そうして、ファルフォリア側に竜害の危機をアピールし、竜騎士団駐屯所の件を納得させ、同時にフェリクスに「伝説の呪竜を倒した王子」という箔をつける。

ついでにフェリクスが七賢人と信頼関係にあると、周囲に印象づけることができれば言うことなしだ。

……だが、呪術は術師の手を離れて暴走してしまった。

バーソロミューは信じられない様子だったが、聡い〈沈黙の魔女〉はすぐに行動に移った。

彼女が身の丈に合わぬ長い杖を一振りすると、呪竜を串刺しにしていた氷の槍が消え、代わりに炎の槍になる。

紅蓮に燃え上がる炎の槍。その一部が蛇のように伸び、呪竜の口の中に入り込んだ。

その間も黒い影は必死で抵抗しようと、フェリクスや〈沈黙の魔女〉を攻撃したが、全て対呪い用の結界に遮られる。

もし、緑竜としての能力がまだ生きていたら、風の刃でフェリクス達を攻撃することができただろう。だが、緑竜の体は既に魔力を失っている亡骸だ。それを無理やり呪術の力で動かしていたにすぎない。人形を糸で引きずるように。

呪いの影の抵抗も虚しく、ボンッとくぐもった爆発音が竜の腹から響いた。〈沈黙の魔女〉の炎が竜の腹の中で爆発したのだ。

竜の腹の中にあった呪いの媒介が破壊されると、呪いの影は次第に薄れ、夜の闇に溶けるかのように消えていく。

後に残ったのは、ボロボロになった緑竜の死骸のみ。その緑の鱗に呪いの黒い影は無い。

〈沈黙の魔女〉は、呪術に勝利したのだ。

「……レディ」

フェリクスは躊躇いながらも、〈沈黙の魔女〉に歩み寄る。

自分が夜中に屋敷を抜け出したことについて、問い詰められるのは覚悟の上だ。それでも、どうしても命の恩人である彼女に礼が言いたかった。

「貴女には、いつも救われてばかりだ」

あの瞬間、フェリクスは死を覚悟していたのだ。

だが〈沈黙の魔女〉は駆けつけてくれた。フェリクスの命を救ってくれた。命がけで呪竜に挑んでくれた。

尊敬とも憧憬とも違う、胸を揺さぶる強い感情がフェリクスを衝動的に動かす。

〈沈黙の魔女〉は右手で杖を握りしめて俯いていた。フェリクスはそんな彼女の左手を取る。

そしてその手の甲に感謝の口づけを落とそうとした。

……が、〈沈黙の魔女〉はその左手を力任せに振り払った。

「レディ?」

「……っ! …………ぁっ……」

ローブの下から噛み殺したような呻き声が漏れ、それと同時に〈沈黙の魔女〉はガクリと膝を折る。

その左手には、髪の毛のように細く黒い糸が巻きついていた。

「しまったっ!」

バーソロミューが悲鳴をあげて、蜘蛛の糸を払うかのように、〈沈黙の魔女〉の左手に絡まっていた黒い糸を払う。

黒い糸は空中でプツリと途切れ、その一部を〈沈黙の魔女〉の左手に残したまま、するすると緑竜の死骸に戻っていった。

それを見て、漸くフェリクスも気付く。

呪いは──呪術は、まだ生きていたのだ。

左手に呪いを受けた〈沈黙の魔女〉が、声もなく地面に崩れ落ちた。