作品タイトル不明
86.お礼SS 肉球スタンプ
おでこに触れる優しい手でシャイナは目を覚ました。
「……ん」
「おはよう、シャイナ」
目を開けると、エスカリオットが爽やかな笑顔でシャイナの顔にかかった髪をかきあげていた。
エスカリオットは寝起きではなく、すっかり身支度を整えている。
「あれ? 私、寝過ごしてますか?」
まだはっきりしない頭でむくりと起き上がって部屋を見回す。窓から差し込む光は柔らかくいつもの朝の時間だ。
「俺が早く起きただけだ」
エスカリオットはそう言ってシャイナの額にキスをする。
甘い。
寝起きでぼんやりしていなければ真っ赤になるところだが、少々寝ぼけているシャイナはえへへと笑った。
「シャイナ、狼になれるか?」
爽やかな笑顔のままエスカリオットがそう聞いてくる。
通常状態のシャイナなら、エスカリオットが“狐”ではなく“狼”と言ったことに不信感を抱いただろうが、何分寝起きだったのでシャイナは深く考えずに狼になった。
「なれますよ、えい」
ベッドの上に現れる白いモフモフ。
「…………ほう、寝起きを狙えば簡単なのだな。これからはこれでいこう」
エスカリオットが一瞬悪い顔になる。
「エスカリオットさん?」
ぽやぽやと呼びかけるとにっこりされて抱き上げられた。
「俺の狐は今日も可愛いな」
「狼です」
ぼんやりしながらもそこは譲れない。
ぽやぽやしたシャイナを抱いてエスカリオットは居間へと移動した。
テーブルには朝食の用意ではなく、インクと小皿と紙が並べられていた。
「ん?」
だんだん頭がはっきりしてくるシャイナ。
テーブルの上にはバケツと布巾もある。
「何か作るんですか?」
「ああ」
「バケツは?」
「足が汚れるからな」
「足が汚れる?」
(汚れるなら手では?)
戸惑うシャイナに構わずにエスカリオットは小皿にインクを垂らす。
それからシャイナの右手、もとい右前足をそっと掴むと小皿のインクに付けた。
「んん?」
シャイナがびっくりしている間に前足はぺたりと紙に押し付けられる。
エスカリオットはそれをゆっくりと上へ戻した。
「ふむ、いいな」
エスカリオットが満足そうに呟く。
真っ白な紙にはばっちり肉球の形が残っている。
「エスカリオットさん、これは?」
完全にはっきりしてきた頭でシャイナがエスカリオットを見上げると、輝く笑顔を返された。
「肉球のスタンプだな」
「それは見れば分かりますよ。突然どうしたんですか? なぜスタンプを?」
「昨日、野良猫を触ろうとしたら猫パンチを繰り出されたのだが」
「話が唐突ですね。まあいいでしょう。猫パンチですね」
「甘んじてそれを受けると、袖にそいつの肉球の跡が残った」
「ふむふむ」
「なかなか愛らしくてな。今朝、起きてからシャイナでもやってみようと思い立った」
「なるほど……」
事情を理解したシャイナの前足が取られて、ペタペタと紙に押される。乱舞する肉球達。確かにちょっと可愛い。
「やはり愛らしいな。お前の名刺に押してはどうだ? Aランク魔法使いの名刺は持っているだろう?」
「えっ、持ってますけど押しませんよ。あれを出すのは仕事の時です。ふざけてんのかってなりますよ」
確かに名刺ならいちおう作ってあるし、依頼主への挨拶で渡すこともあるが、そこに肉球スタンプはいらないと思う。ただでさえ見た目で舐められがちなのに、ますます舐められるじゃないか。
「そうか?」
「そうです」
「残念だな」
「押したければ自分の名刺作って、そこに押してください」
深く考えずにそう言ったシャイナだったのだが、エスカリオットは考え込みだした。
「…………ふむ、これを機に冒険者としてギルドに登録して名刺を作ってもいいな」
「え?」
驚くシャイナにエスカリオットは真剣な思案顔だ。
「冒険者登録するんですか?」
「奴隷ではなくなったし、どこかに属しておいてもいいだろうとは思っていた。シャイナの夫ともなったし無職というのは外聞も悪い」
「外聞……」
そんなことを考えていたなんて意外である。ジゴロでいいと言っていたじゃないか。
「登録して名刺を作れば肉球も押せる」
「………………」
外聞とかじゃなくて、肉球付きの名刺を作りたいだけなんじゃ……と思うシャイナ。
(それに本気で肉球押すの? 私はまだウェアウルフだから理由がつくけど、エスカリオットさんが肉球押す意味はないよね)
そんなもの渡したらぽかんとされるのではないだろうか。
でも、普段のエスカリオットは威圧が強いし、場を和ませる効果はあるかもしれない。
(いやいや、かえって怖くならない?)
死神エスカリオットが可愛い肉球スタンプ付きの名刺を差し出すのは不気味だと思う。
「………」
(止めた方がいいのかな?)
悩むシャイナの足を使ってエスカリオットはもうしばらく肉球スタンプを楽しんだ。