作品タイトル不明
05
それでもう、相手の心はどれほどこちらを垣間見ない宣言をしていることは、十分わかる。父たちにも会うことなく国を離れることになるが構わない。
「さようなら」
馬車に乗せられて声が届かない距離になってから発した言葉。母はドレスの裾を汚しながら座り込んでいた。おそらくそれが最後になる光景。
寂しくは感じず、屋敷にも何とも感じなかった。あの家は、ラディシャの家ではなかった証拠だ。わかっただけでも、人生には糧になるだろうか。
「父はあなたになんと言ったのですか?よく、許してくれましたね」
「僕が遠くの国の貴族と知ったら、特に何か聞かれないまま、婚姻の許可をする手紙を送ってきたよ」
「裏取りも、なしに?」
「うん」
全くあの人はと、夫としても父親としても価値がないと深く深く失望する。兄もなにか言えばいいのに、何も言わないとわかっているから期待をしない。きっと明日の天気を言うかのように、話しただけだろう。それとも、後ほど報告されるのかもしれない。
「身内が色々すみません」
頭を下げる。
「気にしてないよ。それ込みで求婚したからね」
優しい彼は優しい眼差しで、頭を下げないでと言う。申し訳無さすぎて頭が上げられない。
「本当にわかってて相手をしたからね。うちの国に来たら君は他の貴族の令嬢として養女になってもらう。実質縁が切れるけど……いい?」
「え、養子?」
「うん。あの家のままがいい?」
「いいえ。でも、許可されないかと」
言葉を濁すが、彼は王に許可を取ったから当主の許可を取る必要がないんだよ、と教えてくれる。驚いて彼を見つめるけれど、いつもの笑顔でのらりくらりとかわす。諦めて、彼の国へ運ばれるしかなさそうだ。
「たくさん話そう」
パルットの言った通り本当に話しはなくならなかった。ずっと喋りっぱなしだ。退屈なんてどこ吹く風の時間。話していたからか体感は長くなく、彼の国に辿り着いた。
その時には、手続きが終わり養女になっていて、他家の娘へと変更されていたのでびっくりする。手続きが早かったことで、かなり前から準備していたのだと気付く。
「私が偽装結婚するなんて」
なんだか申し訳なくなるが、彼はにこやかに僕にも利益があるからと言って押しが強い。流されておこう。
「それに、偽装結婚とはいったけど偽装新婚生活とは一言も言ってないし」
「え?えっと?んん?」
謎かけのような問いかけに、頭の上にハテナマークが浮かぶ。
「婚姻は偽装しておいて、生活は別だってこと。だって、僕は君に一目惚れしたから」
「ひ、ひと?」
ぱちぱちと目を瞬かせていると、テーブルに座るお互いの距離に今は安堵していた。ある程度距離があるおかげで、まだ心音の音が相手に聞こえないだろうし。
「さて、君の父や兄をどうする?」
「いいのですか?」
「いいよ!僕を利用して、共犯にしておくれ」
フォークにケーキを刺したものを男は寄越してくる。それを口に入れて、ゆっくり咀嚼する。ケーキの色は白くて、今の気持ちと正反対なのに美味しい。
「ドールハウスに押し込めてください。本来、彼らの家でもあるのです」
「わかった」
彼と会うまではラディシャが一人でするつもりだったことだ。やりようなんていくつもある。けれど、もううんざりだったから。不平等ではないか?と。
「君の父と兄たちから、家に戻れない理由を無くせばいい。仕事だ何だと動き回っているけど、別に忙しいわけじゃないらしいし」
「そうですよね……知ってました。あんな母がいる屋敷なんかよりも、男同士でホテルに泊まって金切り声とは無縁の生活の方が、いいに決まってますから。私だってそっちを選びます」
つまるところ、ラディシャの必死の訴えもわかっていて、それを指標に家に帰っても妻が話しかけてくる環境や娘が、母親をどうにかしろと訴えてくることが嫌で嫌で家に帰らなかっただけ。
兄も同じく。丁度いいと、妹へ母の興味が集中しているのをいいことに、家ごとラディシャたちを封じた。ヒステリックな声も、兄の友人たちが標的にならないように物理的に離れたのだ。
「圧力をかけて仕事量も減らしていずれなくせばいい。離婚したければ好きにしたらいいけど、世間体が好きらしいし形だけは残したがるかもしれない」
「それでも、まだ生活はできますよね」
憂いの顔でケーキを飲み込む。今からでも自らやった方がいいのか。でも、遠いからなと悩む。
「大丈夫、資産もある日突然、忽然と全部なくなる。君への誰かからのプレゼントが枕元に置いてあるかもしれないし、楽しみにしていてくれ」
ここまでされるほどの好感度があるなんて信じられないが、彼の家族に会って話を聞いたらパルットは全く笑わない人なのだと言われて、たまに笑っても世間的な意味でのビジネススマイルだとか。
なのでラディシャの前であれだけ笑うことが信じられないと驚かれていた。それに、彼がここまで他国で好きに動けるのかという謎は謎のままで、なんとなく肩書きを幾つか予測してみたけれど、知らなくてもいいかと思い至る。
「私は、あなたのことを信用してます」
「本当ですか?ここまでやってのけた甲斐がありますね」
本当に嬉しそうに浮かべる喜。それを見ただけで彼の愛が測れた。ラディシャには勿体無いくらいの愛。
彼が何者だろうと関係ない。彼と出会わなければ心が死に続けたことを思えば、命の恩人なのだから。