軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

88.11 走狗ペトロ

「 今夜は(ヴブフラ・) 足音も(フヲネゥウ・) 寝ている(スレ゛プト) 」

痛みに耐え消音魔法を唱えた青年ペトロは、音も無くしなやかに夜の街を駆けだした。

月の見えない、静かな晩だった。

黒コートの襟を立て口元を隠したペトロは一つの影となり、屋根伝いに静かに目的地へ疾走する。

音もなく、灯りもなければ、クリスマスに浮かれる人々が屋根上を見たところでペトロを見つけるのは困難だ。

世界を混乱と絶望の渦に叩き落とした 脱影病(シェイドシンドローム) 終息宣言から一年余り。人々は未だに夜と影に怯えている。

冷たく恐ろしい夜闇の中に身を晒すよりも、明るい家の中で暖炉の火に手を翳し、温かな料理をつつきながら親しい人と語らう方が好まれた。

そんなクリスマスの夜にわざわざ人目を避け屋根上を疾走するペトロは、もちろんマトモな人間ではない。

ペトロは地元マフィア「ロドリゲス・ファミリー」の使い走りである。

妻を亡くし 魔造酒(ネクタル) に溺れた大酒飲みの父の借金先がロドリゲス・ファミリーだったのが運の尽き。

父が頓死した途端に家の戸を借金取りが蹴破り、一人息子のペトロの肩にはロクデナシ親父の借金が重くのしかかった。

以来、ペトロはマフィアの走狗になる事を余儀なくされている。

街の中でもひときわ高い煙突の縁にひらりと着地したペトロは、息を整えながら通りを二つ挟んだ向こうに伸びる線路に目をやった。

駅舎の魔法火灯にぼんやり照らし出された蒸気機関車には人夫たちが石炭を続々と運び込んでいて、次の出発に備えているのが見て取れる。

クリスマス臨時便は明日の朝まで一時間おきに出る。

今夜の仕事を首尾よく終わらせられれば、ペトロもあの列車に乗って街を出る事ができる。

ペトロは自由を渇望していた。

同い年の子供たちがふざけあいながら学校に通っている頃、ペトロは薄暗い地下の穴倉で一日中密造酒を造っていた。

同い年の青年たちが門限破りで叱られる代わりに、ペトロは逃亡未遂で懲罰房に入れられていた。

ロドリゲス・ファミリーが街に張り巡らせた根に絡めとられ、ペトロに自由は無かった。

ファミリーが400Kを超える破格の魔力を持つペトロを手放すはずがない。

死に物狂いで与えられた仕事をこなしても、法外な利子で借金は膨らむばかり。

ペトロの魔力は普通の人間としては最高峰に位置するが、先天性の魔力過敏症を患っている。魔法を使うたび全身が内側から細い無数の針で貫かれるような痛みが走るのだ。

本音を言えば魔法など使いたくは無かった。だがそんな泣き言が許されるような立場でもない。

元来陽気な性格だったペトロはマフィアの鎖に囚われ疲れ果て、世の中を斜めに構えて見るようになっていた。

それでも、決して自由を諦めはしなかった。

呼吸を整え終えたペトロは再び屋根の上を走り出す。その足にはいつもより力が入っている。

どれほど虐げられ搾取されようと諦めなかったペトロに、今夜ようやくツキが回ってきていた。

マフィアの 首領(ドン) が、一体なんの心変わりか「今回の仕事を終えれば自由の身にしてやる」と言ってきたのだ。

長年の奉仕への報償。

成人祝いのクリスマスプレゼント。

ペトロは 首領(ドン) が嘯いた気の良い言葉を鵜呑みにするほど青くない。本当にそんな優しさがあるのなら、魔力過敏症に苦しむペトロを軟弱者と嗤いはしなかっただろう。何か裏があるのは確実だ。

だが、 首領(ドン) が目の前で振って見せた列車のチケットは少なくとも本物だったし、今回の仕事がいつにもまして危険で重要なものであるのも事実だった。

町の端から反対の端へと走り抜けたペトロは、一軒の豪邸を見下ろす教会の尖塔に降り立った。夜風にはためくフロックコートからも衣擦れの音はない。

口元に手を当て、悪事で稼いだ金で建てられた鼻持ちならない嫌味な豪邸を観察する。

1エーカー(約64m四方)以上はあるだろう広々とした敷地はぐるりと高い生け垣で囲まれていて、頭上に魔法火を浮かべ追従させたガードマンが二人、屋敷の外周を警邏している。

ギラギラと華美な装飾でこれでもかと飾り立てられた門扉には厳めしい守衛が立ち、杖を持ち銃を肩にかけ油断なく周囲を見回していた。

敷地の中央にある噴水はドラゴン像の口から吐き出された水がこんこんと湧き出していて、これもまた魔法火でライトアップされ、黄金製の像やふんだんにはめ込まれた大粒の宝石の数々を誇示している。

放し飼いにされ、芝生の上で前脚を枕に伏せウトウトしているアルビノの 虎魔獣(ドゥン) は番犬というよりペットだろう。虎魔獣は温厚で番犬に向かない。

ただ、虎魔獣の代わりに敷地の各所に配置された石像にグレムリンが嵌ったモノアイのゴーレムが混ざっているのが分かった。遠目で確認できるだけでも八体はいる。番犬代わりとしては優秀すぎる布陣だ。

クリスマスで少しは護衛たちも浮かれているかと期待していたペトロはガッカリさせられた。むしろ、平時よりも気を張っているように見える。

恐らく青の魔女が原因だろう。

世界中を巡り魔法を蒐集している東洋の恐るべき魔女は、今、この街に来ているという。

裏社会でも表社会でも、「青の魔女を怒らせると地図が変わる」という根も葉もある噂が囁かれている。国の名前が変わる事もあるし、湖ができたり、山が消えたりもする。

五十年も昔に製造された古杖を使っているというのに、青の魔女は未だ世界最強の呼び声高い。

そんな規格外の歩く天災を前に、人や魔人が防備を固めたところで何になるだろう?

だが何もしないよりはマシだ。

噂が流れるだけで街の情勢を変える青の魔女の影響力を忌々しく思いながら、ペトロはじっくり時間をかけた最後の偵察を終了した。

深呼吸を一つして。

ロドリゲス・ファミリーの走狗は自由を求め、尖塔のてっぺんから中空に身を躍らせる。

自由落下の重力と下から突き上げる風を全身で感じながら、ペトロは呪文を唱えた。

「 大きな体に(ニャミャゥ・) 小さな重さ(ッデイアン) 」

全身を貫く激痛と引き換えに体を軽くしたペトロは、展示された前時代のジドウシャの陰に静かに着地した。つくづく魔力過敏症は忌々しい。

屋敷の窓も扉も全て閉まっている事は確認済みだ。窓にはカーテンがかかっていて、中の様子は分からない。中が分からないまま勘で転移魔法を唱えれば壁の中に埋まって死ぬ危険性がある。

窓は内鍵。対して扉は外鍵がついている……

ジドウシャの陰から姿勢を低くし彫像のように立ち尽くすゴーレムの背後に走り込んだペトロは、巡回のガードマンが近づいたタイミングでゴーレムの足に手を当て呪文を囁いた。

「 連環の担い手よ(ミオ・イム) 、 人形遣いに(ハトバト・コエ) 逆らっておくれ(ボホクブ) 」

操作権をハッキングされたゴーレムは途端に赤い単眼を光らせ、身震いし、ノシノシと歩き出した。

「おい? ゴーレムが動いたぞ」

「侵入者か?」

「いや……見ろ。これだからゴーレムは困るんだ。ハァ、また誤作動しやがった」

突然起動し前庭の池に飛び込み水遊びを始めたゴーレムを見た警備員たちは注意を奪われる。

その隙に、ペトロはまた呪文を唱える。

「 中身を(アンゥ゛ー) 知れば(ァロク) 盗みはしなかった(レイトス・ナ) 」

不可視の手がペトロから飛び出し、伸び、誤作動を起こしているように見えるゴーレムに杖を当て呪文を唱え直しているガードマンの腰にぶらさがる鍵束をスリ取る。

首尾よく鍵を手に入れたペトロは裏口に回り、鍵束の鍵を片端から突っ込んで試し解錠した。

侵入した屋敷の内部は静かなものだった。

運が良ければ、ガードマンは鍵をどこかに落としたのだと思うだろう。

運が悪くても、侵入者に気付いたガードマンは上役に連絡せず自分で事を治めようとするだろう。侵入を許したと馬鹿正直に報告して罰を受けるより、現場だけで内々に事をおさめ失態を揉み消したいと考えるはずだ。その程度の奴らだというのは事前に調べをつけている。

どちらにせよある程度の時間的猶予は保証されている。

その隙に、ペトロは屋敷の令嬢を誘拐し離脱する腹積もりだ。

この街は長らくロドリゲス・ファミリーが牛耳ってきた。

しかし脱影病騒動のドサクサに紛れ新参マフィアが入り込み、近頃デカい顔をしている。

それが気に入らない 首領(ドン) は、新参マフィアのボスの一人娘がこの屋敷に仕舞い込まれている事を知り、ペトロに誘拐を命じた。

大切にしている愛娘を攫われ人質にされたボスはロドリゲス・ファミリーに必ず屈するだろう、というのが 首領(ドン) の見立てである。

その見立てを現実のものにするため危険を冒し敵対組織の拠点に忍び込み誘拐するのはペトロなのだから、ふんぞり返って命令するだけの立場は楽でいいなと思う所ではある。が、組織からの解放を意味する列車チケットの魅力には抗い難い。

餌が美味しそうなら、食べるために危険を冒すのも受け入れられる。

ペトロは薄いのに沈み込みを感じるほど柔らかなカーペットが敷かれた長い廊下を素早く移動し、幾つもある扉を細く開け中の様子を窺って回った。

衣裳部屋。

厨房。

バスルーム。

食堂。

書斎。

物置き。

部屋数が無駄に多く、中々令嬢が眠っているであろう 寝室(アタリ) を引かない。

ペトロは苛々してきた。

捜索を楽にする魔法はあるが、今夜は四回も魔法を唱えている。魔力過敏症を患う身としてはキツい。医者が聞けば驚いてベッドで安静にするよう申し付ける段階だ。

離脱時にも魔法が必要になる可能性を考えれば、詠唱回数を節約するに越した事はなかった。

トイレに起きてきたのだろう、カンテラを持った寝ぼけ眼の寝間着メイドをアンティークな甲冑の陰に隠れてやりすごし、ペトロは七つ目の扉を開けようとする。

「…………!」

それまでの六つの扉と違い、七つ目の扉には鍵がかかっていた。

匂い立つアタリの気配にペトロの口角が上がる。

ところがガードマンからくすねた鍵束の鍵を全て試しても開かない。

なるほど、単なるガードマンが主人の寝室の鍵を持っているはずもない。

針金を使って時間をかけロックを外す技も心得ているが時間が惜しい。

ペトロは躊躇わずフロックコートの内ポケットから小瓶を取り出し、封を開け、瓶口を鍵穴に押しつけた。

すると外の空気を感じたスライムが瓶から這い出して鍵穴に逃げ込み、強酸性の体を蠢かせた。

静かに白い煙を上げて鍵の内部機構が融け、軽い音がして解錠される。

ペトロはアタリを確信し、そっと扉を開けた。

予感は当たっていた。

他の部屋と比べても特別に広いその部屋には、ふかふかのカーペットが敷かれていた。滑らかな木材で作られた文机や、磨き抜かれた鏡が美しい上品な化粧台、天井のシャンデリアはどれを一つとってもペトロの身柄を買えてしまうだろう。さらに落ち着く匂いの香が焚かれていて、室温も心地よく保たれている。

令嬢の私室かくあれかしというような部屋の中で特に目を惹くのは、詰めれば四人は寝られそうな大きさの贅沢な天蓋付きベッドだった。

ペトロの目を惹いた理由は、ただ寝るだけの家具をなぜこれほど飾り立てる必要があるのかという呆れからでも、ベッドの上にいる黒髪の令嬢が夜闇の暗さの中でなお輝くほど美しかったからでもない。

令嬢に馬乗りになり体を押さえつけた粗野な男が、恐怖で血の気が引いたほっそりした白い首にナイフを当てていたからだった。

「はぁ?」

目の前の光景が予想外すぎて、ペトロは思わず大きな声を漏らした。消音魔法が解け、声はベッドの上に届く。組み伏せられた令嬢と組み伏せている男は同時にペトロを見た。

この状況は誰にとっても予想外だったに違いない。

一瞬の奇妙な沈黙と硬直を経て、一番最初に叫んだのは男に押さえつけられていた令嬢だった。

「たっ、助けて下さい! 殺される!」

「このアマ、騒ぐんじゃねぇ! 大人しく死ねッ!」

叫んだ令嬢の口を、男が慌てて塞ぐ。

ペトロは異常な状況の中、短いやりとりから素早く正確に状況を読み取った。

侵入のバッティングが起きたのだ。

暗殺者と 誘拐犯(ペトロ) が、同時に令嬢の寝室に忍び込んでしまっている。

暗殺者にとってペトロは最悪の闖入者だろう。

一方でペトロにしてみればこのタイミングで鉢合わせる事ができたのは僥倖に他ならない。

ペトロの仕事は令嬢の誘拐だ。殺害ではない。

あと数秒遅れていれば令嬢は殺されていた。

咄嗟の判断でペトロはナイフを抜き放ち突進した。

令嬢を殺すべきか乱入したペトロに対処すべきかナイフの切っ先を迷わせていた男は体当たりをモロに受け、ベッドから転がり落ちる。

「 凍る投げ槍(ドゥ・ヴァアラー) !」

「 撃ち砕け(ダゥア゛ー) !」

ベッド横に落ちた男とペトロは全く同時にお互いに向け呪文を唱えた。

男の氷槍魔法の方が殺傷力が高く、確実に人を殺す威力が担保されている。

だが、ペトロの光弾魔法の方が僅かに詠唱文が短い。

その僅かな差が明暗を分けた。

光弾魔法が倒れた男の顔面に命中しひしゃげさせ、氷槍魔法は狙いをズラされペトロの頬を掠めて射出され天井に突き刺さった。

朦朧とする男の首を素早くナイフで掻き切りトドメを刺したペトロは、持病による反動で喉元までせり上がった血を無理やり呑み込み、唖然とする令嬢を有無を言わさず横抱きに抱きかかえる。

令嬢は可愛らしい声を上げ、身を固くした。

「きゃっ!? だ、大丈夫です。怪我はありません。自分で歩けます」

「黙れ喋るな。今からお前を誘拐する」

「え」

絶句する令嬢をペトロは無視した。

静かな屋敷がにわかに騒がしくなっていた。

令嬢は大声で叫んだし、魔法の撃ち合いをしたし、寝室の天井には太い氷槍が突き刺さっている。これで誘拐がバレないと思うのは余程のアホだ。

隠密行動は最早望めない。何をおいてでも迅速に敵地から離脱する必要がある。ゴーレムとガードマンたちを同時に相手にしていたら魔力がもたない。

ペトロは令嬢を横抱きにしたまま、窓を突き破り派手に屋敷から飛び出した。

今夜の誘拐が厄介な仕事だというのは分かっていた。

だが当初の想定よりも輪をかけて厄介な事になってしまった。

長い夜になりそうだった。