作品タイトル不明
63.幕開けの斬声
「……来る」
その言葉とほぼ同時だった。
斜面の下方、霧の奥から突如として現れたのは、グレンダリング公爵家の紋を掲げた騎士団。
号令もなく矢が放たれ、重装兵たちが斜面を駆け上がる。
霧が蹴散らされ、戦場が一気に血の熱気を帯びた。
「布陣につけ!」
ギルド長の声が空を裂くように響いた。
各自が散開する。
右手の斜面にはヘンリー、アルバス、ルーファス、ヴィリオ。
左手にはチャールズ、ダレン、テレンス。
そして中央正面には、ヴァイオレットとローワン、ギルド長、そして踊る斧の面々がいた。
「俺が道を開く!」
ザンザスが吠えるように叫び、猛然と前へ踏み出す。
するとその背に黄金の魔力がうねり、圧倒的な【威圧】が敵陣を飲み込む。
数人の敵が膝をつき、足を止めた。
「僕も……行くよ」
アルバスの周囲に氷刃が形成され、しなやかな足取りで戦線へと躍り出る。
回転しながら放たれた氷の刃が、敵兵の首筋や胴をなぞるように裂いていく。
その隙を突いてルーファスが駆け、獣のような咆哮とともに突撃した。
「後方の弓兵を狙える位置へ移動する。援護を」
冷静な指示を飛ばすのはヴィリオだった。
目を細め、戦場の地形と敵の流れを素早く読み取っている。
彼の脳裏では、すでに全体の配置が組み立てられつつあった。
その隣で、踊る斧の戦士たちが勢いよく飛び出していく。
斧使いのガンツが吼え、ヨレフの巨大な槌が舞うように旋回しながら敵兵の陣を撹乱した。
その合間を縫うようにマルゴがとどめを刺し、ゾーリャが味方を回復しつつ、遠方の敵を射る。
ダレンは無言で前に出て、巨体に見合う巨大な盾を構え、敵の突撃を正面から受け止める。
重い音が鈍く響き、盾と斧とが火花を散らす。
無言のまま槍を払い、肩で体ごと押し返すその様は、まるで動く城壁のようだった。
「チャールズ、もうちょっと前に」
「任せな!」
左翼ではチャールズが剣を振り抜きながら前進し、その背後をテレンスの矢が正確に貫いていく。
テレンスの青緑の瞳が、一瞬敵兵の顔にとどまった。
(あれ、さっきも……)
一瞬の既視感。
だが思考を挟む余裕もなく、次の矢を番える。
混戦のさなか、味方の何人かも、奇妙な違和感を口にし始めていた。
「数が……おかしい」
「さっき倒した奴、また出てきた気が……気のせいか?」
「いや……なんか似てた気がする。顔も……」
中央ではローワンが槍で敵を正確に討ち取り続けていたが、額にうっすらと汗が滲んでいた。
「数が多すぎる。補充が異常に早い……」
ヴァイオレットも剣を構えたまま、霧の向こうを睨んでいた。
――これは、ただの物量戦じゃない。何かが、隠されている。
その時だった。
風が止み、戦場を包んでいた霧が音もなく引いていく。
まるで何かの意志に導かれるように、視界の奥が開けた。
その中心に、ひとつの人影が浮かび上がった。
黒の軍装に身を包み、銀の刺繍が裾を飾る長衣。
背に翻るマントは夜のように濃く、胸元にはグレンダリング家の紋章がくっきりと刻まれている。
男は確かな足取りで霧の中を進み、高台へと歩を進めた。
その立ち姿は堂々としており、誰もが自然と視線を向ける。
そして、戦場を見下ろす位置に立った男は、静かに口を開く。
「この地は我らが支配する。愚王の犬どもよ、ここで滅びよ」
その声音には、誇張も演出もなかった。
ただ淡々と、しかし絶対的な確信をもって空気を支配する。
味方陣営のあちこちで、動きが止まった。
誰もが一目で理解した。この男の名を。
グレンダリング公爵――王国に反旗を翻した貴族の筆頭にして、最も危険な存在。
「どうして、ここに……!」
ギルド長が唇を引き結び、低く呟く。
「まさか、戦場に直接赴くとは……」
だが、誰も疑ってはいなかった。
その風格、その姿、その声の響き。すべてが、真実として目の前にあった。
公爵はゆっくりと腰の剣を抜いた。
その動作には、無駄がなかった。戦場に慣れた剣士のそれ。
だがどこか、演出じみた重々しさもあった。
見下ろすその眼差しは、まるで舞台の観客を見下ろす役者のようだった。
静寂の中、風もないのに彼の黒衣が揺れ、霧がその足元で渦を巻く。
ただそこに立っているだけで、戦場の空気は縫い止められたように動かない。
誰かがごくりと唾を呑む音が、やけに大きく響いた。
張り詰めた空気が、皮膚に突き刺さる。
「我こそが正統だ。欺瞞の王権に、今ここで終止符を打つ」
そして、剣を高く掲げる。
「全軍、構え。この地に足を踏み入れた者を、一人も生かすな」
命令の号砲とともに、霧の奥から再び敵兵の姿が現れ始めた。
前線がどよめく。
見えない敵の補充。際限なき増援。
誰の目にも、劣勢の影がちらつき始めていた。
「くっ……押し返せ!」
ギルド長が怒鳴り、再び戦場が動き出す。
だがその背後で、ヴァイオレットはじっと高台を見つめ続けていた。
その瞳に映る黒い影――あの男の目の奥に、ほんのわずかな、揺らぎを感じた。
冷たく、非情なはずのその表情に、ごく一瞬だけ、何か別の色が混じったような――
(……おかしい)
だが、それが何なのかはまだわからなかった。
確信も、名も、口に出せる言葉にはならない。
戦場の空に、再び剣戟の音がこだまする。
霧がまた、濃くなった。