軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

74.マーケティングのお話

「これを、意匠登録ですか……」

若いほうのゲンダッツさんが、コード刺繍のレティキュールを手に、ひそみを深くしている。

小さなレティキュールをひっくり返したり中をのぞき込んだりする彼の手元を、左右からおじいちゃんのゲンダッツさんとエグムンドさん、それにクラウスが覗き込んでいる。

やがて、若いゲンダッツさんは眉間にシワを寄せたまま、顔を上げて問いかけた。

「その、これは、従来の刺繍と、どこがどう違うのですか?」

「おおう!」

リヒャルト弟が片手で顔を覆って天を仰いだ。

いや、ロベルト兄も同じ格好をしてるし、なんならベルタお母さんも同じ格好をしたいところをなんとか踏みとどまった、って感じのポーズになっちゃってる。

そろって『なんで違いがわからへんのや、このボケ!』くらいの気持ちなんだろうな。

リヒャルト弟は、広げた両手を震わせながら若いゲンダッツさんに詰め寄った。

「よろしいですか? このコードを使った刺繍は画期的なのです! 従来の刺繍のように一針一針縫っていくのではなく、こういった細いコードやリボンなどを生地に縫い付けるという手法で、立体的で華やかでかつ上品な 彩(いろどり) を、お衣裳やこのような小物に添えることができるのです! 従来の刺繍よりはるかに手軽に装飾できるだけでなく、図案によってはすばらしく凝った装飾に仕上げることもでき、とにかく立体的であることが何より画期的で、これまで何重にも糸を縫い重ね合わせることでしかできなかった表現が……」

今回はロベルト兄もぶった切る気がないらしく、リヒャルト弟のとなりでうんうんとうなずいている。

どうしようかな、と思っていると、エグムンドさんがすっと手を上げてくれた。

「つまり、図案ではなく、その手法を、意匠登録されたいということですね?」

「その通りです!」

ふんす! と鼻息も荒くリヒャルト弟が首を縦に振る。

そして息継ぎをしてさらにコード刺繍について言い立てようするリヒャルト弟が口を開くより先に、エグムンドさんが淡々と言った。

「手法の意匠登録は大変難しいです」

「……は?」

見事に固まっちゃったのは、リヒャルト弟だけじゃない。ロベルト兄もベルタお母さんも固まっている。

けれどエグムンドさんはかけている眼鏡を指でくいっと押し上げ、さらに淡々と言った。

「手法の場合、少し手順や素材を変えただけで、別のものであるとして流通させやすいからです。これまで我が商業ギルドで意匠登録された手法は、非常に優れた技術を持った職人の、その本人でしか再現できない細工方法という、1件のみです。ですから、今回のこの新しい刺繍についても、意匠登録は難しいと思われます」

あ、そういうものなんだ? と、エグムンドさんの説明に納得した私の傍らで、がっくりと、絵に描いたようにがっくりと崩れ落ちるツェルニック兄弟。

でも、さすがと言うべきか、ベルタお母さんは踏みとどまっている。やっぱりショックなのか顔色は白くなってるけど、それでもベルタお母さんは気丈に問いかけた。

「その……登録の可能性は、まったくないのでございましょうか?」

「細かく厳密に素材や手順を規定すれば、できないこともありません」

エグムンドさんの言葉に、ツェルニック商会一行がさっと色めき立つ。

けれどエグムンドさんは、淡々と言葉を続けた。

「しかし、私の個人的な意見として、この手法はむしろ意匠登録しないことをおすすめします」

エグムンドさんのなんだか意外な言葉に、またもやわかりやすく目を見張ってくれちゃうツェルニック商会一行。

その中からリヒャルト弟が身を乗り出して問いかけた。

「なぜですか? なぜ、意匠登録しないほうがいいと……」

「この新しい刺繍を、流行させるためです」

その手に小さなレティキュールをささげ、エグムンドさんはきっぱりと言い切った。

またもや目を見開いているツェルニック商会一行に、エグムンドさんはさらに言う。

「この新しい刺繍は、その権利を独占するよりも、開放することで流行させたほうが、貴方がたの商会により多くの利益をもたらす可能性が高いです」

「より多くの利益というのは……」

ひとつ喉を鳴らしたロベルト兄が身を乗り出した。

はっきりうなずいたエグムンドさんが続ける。

「流行というものは、それに付随する商品によって多大な利益を生み出します。ただ、流行には大まかにいって2種類の傾向があり、ひとつは特定の人々の間で希少な商品が盛んに取引される場合、そしてもうひとつは、より多くの人々が手にすることで膨大な量の商品が流通する場合です」

エグムンドさんはかけている眼鏡をまた指で押し上げた。「この新しい刺繍は、間違いなく後者です」

手にしていたレティキュールをテーブルに置き、エグムンドさんはさらに説明を続ける。

「細いコードを布に縫い付けることで、立体的な模様を描き出すというこの新しい刺繍は、ある程度刺繍の心得のある者であれば誰でも問題なく製作できるでしょう。しかも、材料となるコードや細いリボンなどは、平民でも簡単に手に入れることができます。工夫次第でさまざまな装飾が可能ですから、ひとたび世に出れば、多くの人々がこぞって真似をするはずです。それによって、大きな流行の発生が見込めます」

「……もしそのとき、コードを縫い付けるという手法そのものに意匠登録がされてしまっていたら、製作するたびに登録使用料が発生する……そうなれば、真似をしたくても気軽に真似することができないという状況になってしまう。そういうことですね?」

思わず口をはさんでしまった私に、エグムンドさんは軽く眉を上げた。

けれどすぐに彼はうなずいてくれた。

「おっしゃる通りです、ゲルトルードお嬢さま。この新しい刺繍は、制限を設けることなく大量に流通させることで、より多くの利益を生み出すべきだと、私は考えています」

すごい。

エグムンドさんが言ってるのって、完全にマーケティングの話だよね?

「エグムンドさんのお話は、非常にわかりやすいです。わたくしも、より多くの人たちにこの新しい刺繍を使ってほしいと思います」

そう言って私は、ツェルニック商会に顔を向けた。

彼らはなんだか茫然としちゃってる。たぶん、まだ理解が追い付いてないんだろう。だから私は、ひとつ後押しをしておくことにした。

「では、ツェルニック商会はこの新しい刺繍を使った図案を、例えばこのレティキュールに使われている模様でもいいですけれど、それを通常の形で意匠登録しておくのはどうかしら? まったく同じ図案でなければ登録使用料は発生しないけれど、最初に登録しておくことで、この新しい刺繍を最初に始めた商会として名前は残るでしょう?」

私の言葉に、ツェルニック商会一行がその表情をハッとさせた。

そして彼らが口を開くより早く、エグムンドさんがダメ押ししてくれた。

「すばらしいお考えです、ゲルトルードお嬢さま。それによって、この新しい刺繍を注文するならまずツェルニック商会へ、という流れができると思います」

おう、専門家のお墨付き出たよ!

と、私は思わずどや顔をツェルニック商会一行に向けちゃった。

崩れ落ちたままだったツェルニック商会の3人は、そのまま床に手をついてふるふると肩を震わせてる。

あ、あれ? なんか私、間違った?

そう思った次の瞬間、3人が同時に顔を上げて叫んだ。

「ありがとうございます、ゲルトルードお嬢さま!」