軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

58.緊急事態すぎる!

「どうしたのハンス!」

私が慌てて駆け寄ると、ハンスはよろけながら必死に口をぱくぱくする。

「あっ、あの、あの、こ、こう」

「落ち着いて、大丈夫だから」

声をかけている私の後ろから、ナリッサが素早くお水の入ったカップを差し出してくれた。カップを受け取ったハンスは、手を震わせながらなんとかそのお水を口にする。

「あ、あの、こうし」

ふたたび口を開いたハンスがそれを告げるより早く、別の声が聞こえた。

「あの、どうか玄関に! いますぐ開けますから、こんな勝手口からなんて! あの、お願いします! オレが、いや私が、怒られます!」

カールが何か叫んでる。

私だけじゃなくみんなの視線が、勝手口の扉に向く。

その瞬間、私たちは完全に固まった。

「なぜ厨房に夫人や令嬢まで集まっているのだ?」

そう言いながら勝手口から入ってきたのは……エクシュタイン公爵さまだったのだから。

なんかもう、いったい何が起きてるのかさっぱりわからない。

だって公爵さまよ?

なんで公爵さまが勝手口から、厨房に直接入ってきちゃったりするの?

玄関は、玄関のお出迎えは……そう思ってやっと私は気がついた。

ヨーゼフが寝込んでるんだったーーー!

「あ、あの、公爵さま、あの、玄関、玄関が閉まって、あの、どうか玄関へお回りに」

私も焦って上手く話せない。

公爵さまは、あのいつものむっつり小難しい顔で眉間にシワ寄せてる。

それでも、公爵さまの後ろであのイケメンなだけじゃない近侍さんが、笑いをこらえるように肩をひくひくさせちゃってる姿が見えたとたん、私はちょっと落ち着いた。

だってこれ、どう考えても、公爵さまのほうがおかしいよね?

よそのお家のお勝手から、いきなりお台所に入ってくるっていくらなんでも失礼でしょ。

ご近所のよく知ってるおばちゃんがお惣菜持ってきてくれるのとは違うのよ、昨日会ったばかりの、それも言ってみりゃ、自分トコの傘下に入らないかって誘いをかけてきてる大企業の代表取締役みたいな人が、よ?

「ご当家では、夫人も令嬢も厨房で料理をするものなのか?」

なのに公爵さまは、剥いたフルーツやカットされたパンが並ぶテーブルをちらりと見て、マイペースな質問をかましてくれちゃってる。

私はだんだん腹が立ってきて、つい胸を張って答えてしまった。

「我が家の料理人と新しいお料理について相談しているところだったのです」

ふつう貴族家の夫人や令嬢が厨房へ入るのは、料理人と料理の相談をするときくらいだ。

と、私は聞いている。なにしろ我が家は特殊だったからね。でもこの返答で合っているはず!

ふんす! と鼻息も荒く答えた私に、公爵さまはあっさりと言った。

「そうか。それならばいい」

拍子抜けである。

まったく表情を変えない公爵さまの後ろから、イケメンなだけじゃない近侍さんがちょっと苦笑気味に言い添えてくれた。

「申し訳ございません。失礼であることは承知しておりましたが、昨日の今日ですから、またご当家に何かあったのではと、閣下が心配をされまして」

「……アーティバルト」

公爵さまは近侍さんをたしなめるようににらみつけたけど……心配してくれたんなら、そう言ってよ! 料理をするのかとか、そんなこと訊いてないで!

「それは、こちらこそ申し訳ないことを致しました」

気を取り直したお母さまが、さっとスカートをつまんで膝を折る。

いわゆるカーテシーで正式な礼をしたんだけど……お母さまの指先がつまみ食い、げふんげふん、お味見した木苺の果汁で赤いんですけど。ドレスが喪色の黒だから目立たないのが幸いだったけど。

でもさすがお母さまは、澄ました顔で続けてる。

「すぐに客間の準備を致しますので、どうぞそちらに」

けれど、準備のためにさっと動いたナリッサを押しとどめるように、公爵さまは答えた。

「いや、構わぬ」

こっちが構いますって!

叫びそうになる私を前に公爵さまは、今度は自分で言ってくれた。

「ご当家の執事はまだ起きられる状態ではないだろう。それでなくとも人手が足りぬだろうに、手を煩わせるのは申し訳ない」

なんだかなー、なんかさー、この公爵さま、たぶんぜんぜん悪い人じゃない認定でもういいと思うのよ。でもなんて言うのか、ちょっといろいろ、残念だよね?

心配してくれたり、気を遣ってくれたりは、本当にありがたいのよ。

でも、こんな散らかり放題の厨房で、どうやって『公爵さま』をおもてなししろと?

なんかもうまるっきり、いきなり台所に上がり込んできて、いいからいいからって言いながら居座っちゃうおっさん状態じゃないの。

そんなことされて、キレない主婦がいたらお目にかかりたいもんですわー。

私は、なんとかフォローしてくださいとばかりに、ついイケメンなだけじゃない近侍さんに視線を送っちゃう。

でも近侍さんは、やっぱり笑いをこらえてるような顔を、すっと背けてくれちゃうんだ。

ダメだ、こいつ完全におもしろがってる。

思わず半眼になっちゃった私に、近侍さんは視線を戻してきて、それからその視線を意味ありげにテーブルの上へと動かした。

ええ、そうですか、わかりました。

要するにいま作ってる最中のフルーツサンドを、ここで食わせろとおっしゃるんですね! それほど我が家のサンドイッチがお気に召しましたか、そうですか!

「お心遣い、本当にありがとうございます、公爵さま」

私はにっこりとほほ笑んだ。「そこまでおっしゃってくださるのであれば、ここでお席をご用意させていただきます」

さっと振り向いた私はナリッサに声をかける。

「ではナリッサ、公爵さまのお席をここで準備してくれるかしら?」

「かしこまりました、ゲルトルードお嬢さま」

うん、ナリッサの笑顔が怖いよ。

いや、いまの私の笑顔も十分怖いだろうなって自覚はあるんだけどね!