作品タイトル不明
scene:96 財政問題
ルジェーロが名前を挙げた魔獣は、とんでもない化物のようだ。巨蟻ムロフカは一度だけ魔境の外に出てきたことがあり、その時には四つの町が壊滅し数千の人々が犠牲になったという。
その後、暴れるだけ暴れ、殺した人間を食べた巨蟻ムロフカは魔境に戻った。
「巨蟻ムロフカは何が目的で、魔境から出てきたんです?」
「さあ、それは分からん。食料を探しに現れたという者も居るが、本当のことは巨蟻ムロフカにしか分からないだろう」
巨蟻ムロフカは巨大な蟻である。あらゆる武器や魔術が通用しなかったと記録に残っているそうだ。
リカルドは黒い煌竜石のように、魔力を黒く属性励起させる触媒はないか尋ねた。
「黒の触媒か。昔から触媒学を研究する者たちが、課題としている問題なのだが、未だに探し出せた者はおらん。……リカルド君は黒の触媒を探しているのかね?」
隠す意味もないと思ったリカルドは、肯定する。
「ええ、そうなんです」
ルジェーロは少し考え。
「黒の触媒を研究している者の中には、先程言った化物が黒の触媒となる素材を持っているのではないか、と考えている者も居る。だが、私はそうじゃないと睨んでいる」
「どうしてです?」
「アプラ領のムナロン峡谷に、影追いトカゲと呼ばれる魔獣がいるのだが、この魔獣から黒の触媒を手に入れられるんじゃないかと考えている」
影追いトカゲは脅威度の高い魔獣ではないらしい。しかし、仕留められたという記録がない。獲物として狙った魔獣ハンターは、尽く逃げられたようなのだ。
「影追いトカゲには、特別な能力があるらしいのだよ」
ルジェーロは影追いトカゲに注目している理由を教えた。それに拠ると、黒い霧のようなものを吐き出した影追いトカゲの姿が、突然消えたのを目撃した魔獣ハンターがいるらしい。
その黒い霧のようなものを、黒く属性励起した魔力ではないかとルジェーロは推理したのだ。
影追いトカゲの情報を聞いた後、ルジェーロから触媒について話を聞き、有益な情報が聞けたとリカルドは喜んだ。
学院からの帰り、リカルドはユニウス料理館へ寄った。しばらく来なかったので様子を見ようと思ったのだ。
風が冷たい季節になり、店の入口付近にある販売所には中華まんを求めて大勢の人が集まっている。リカルドは店に入り奥へと進む。一階には多数のテーブル席があり、大勢の女性客で賑わっている。
ユニウス料理館では、季節が秋に変わった頃からメニューを大幅に変更した。冷やし中華を止め、餃子・焼売・春巻き・ちまきなどの中華料理の点心と呼ばれる料理と米料理を中心にしたものに変えたのだ。
もちろん、アイデアはリカルドが出したのだが、料理を完成させたのは厨房で働くラヴィーナを中心とする料理人たちである。
この国に米料理はほとんど存在しなかったのだが、チャーハンや炊き込みご飯も受け入れられたようだ。
ジュリアは子供連れの女性や女性だけなどが気楽に楽しめる店にしたかった。それでリカルドに相談し、飲茶の形態に近いメニュー内容にして、女性客の来店を呼び掛けたのだ。
その狙いは当たり、昼間は大勢の女性客が訪れるようになった。
また、二階は天ぷらと肉料理を中心にした高級料理を出す店に変えた。こちらは貴族や裕福な商人が訪れる店となり、貴族や商人の間で評判になっている。
「リカルド、ちょっと」
ジュリアがリカルドを見付け呼んだ。
「どうしたの、母さん」
「二階に王太子殿下が来ているの。挨拶に行って」
リカルドは顔を顰めた。気軽に出歩いていい人物ではないからだ。
「挨拶してくる」
リカルドは二階に上がり、貴族用に作った特別室に入った。特別室では、王太子とサムエレ将軍が食事を楽しんでいた。もちろん、近衛兵が警護している。
特別室から隣の厨房が覗けるようになっており、近衛兵が天ぷらを揚げているラヴィーナの一挙手一投足を監視していた。不審な動きをしないか確かめているのだ。ラヴィーナはユニウス料理館で料理長を務める女性料理人である。お客様が王太子であるうえに監視されているので、彼女は緊張していた。そのことはリカルドにも判った。
ラヴィーナが揚げたばかりの小エビと野菜のかき揚げを王太子に出す。王太子は満足そうに食べ始めた。
「このかき揚げという料理は絶品だな」
満足そうに咀嚼する王太子が、リカルドに話し掛けた。リカルドは頭を下げ。
「お褒めいただき光栄です」
悪人面の王太子が鋭い視線でリカルドを睨み。
「リカルド、お前は大きなミスを犯した」
リカルドは混乱した。ミスとは何の事か判らなかったからだ。
「こんな美味しい店を開店したのに、余に知らせないとは何事だ」
「はあ……いえ、申し訳ありません。王太子殿下はヨグル領におられましたので、報告致しませんでした」
リカルドが一瞬混乱したのを見て、ガイウス王太子がニヤリと笑う。
「まあいい、座れ。食べながら話そう」
リカルドは恐縮しながら、サムエレ将軍の隣に座り、海岸沿いの土地売却を承認してもらったことを感謝した。
「あの土地はセラート予言の対策に使うのであろう。本来なら無料で下賜しても良かったのだが、五月蝿い小役人がおってな」
役人の中には慣例を盾に取り、王太子に異議を申し立てる者が居るようだ。リカルドは異議を唱えた役人の勇気に感心した。
リカルドがよく見ると、王太子の顔に疲労の色が滲み出ている。
「お疲れのようでございますね」
「分かるか。王都に戻って以来、ずっと書類の処理をさせられておったのだ」
国王が引き籠もったために、処理されていない書類が溜まっていたのだと言う。
サムエレ将軍が口を挟んだ。
「役人たちは後回しにされていた案件を、ここぞとばかりに積み上げたようです」
王太子の眼が少し釣り上がる。苦労の末、積み上がった書類を片付け終わったのが、今日だったらしい。
「何っ……役人共め!」
リカルドは笑いそうになるのを堪え、気になっていたことを確かめる。
「殿下、来月の末に王家派遣軍を引き上げるというのは、決定なのですか?」
王太子が無念そうに顔を顰め、小声で答えた。
「理由があるのだ。詳しく調査して判明したのだが、王家の財政が苦しい」
王家派遣軍を維持するのに必要な費用を捻出するのは、来月末までが限度だと言う。リカルドは王家にとって重要な内部情報を教えてくれるのか、不審に思った。
王太子が悪人面で笑う。子供が近くで見ていたら泣きそうだ。
「何故、教えてくれるのか不思議に思っている顔だな」
「はい。信頼されているのは嬉しいのですが」
「そうだな。信頼している。だが、それだけではない。王家、いや国の財政を立て直す手助けをして欲しいのだ」
リカルドは当惑した。それほどの金持ちでもなければ、商才があるわけでもないからだ。
「どうやって、手助けしろと言われるのですか?」
「飼育場で、タオル生地と呼ばれる布を織っているそうだな」
リカルドが肯定する。王太子はタオル生地を王領の特産物として広めたいと告げた。
「特産物ですか……ですが、タオル生地は輸出するほどの生産量がありません」
王太子が頷き、リカルドが贈った収納紫晶から一枚の書類を出しテーブルに置いた。そこにはタオル生地の生産量と販売価格、評判などが書かれている。
「調べさせたのですか?」
「王都に戻ってすぐの頃、タオル生地を知ったのだ。使い心地が良くてどこで作られたか確かめると、リカルドの所だと言うではないか」
今は供給量が少ないので、タオル生地とそれを使った製品は重要視されていない。けれど、王太子は重要な輸出品となる可能性があると感じたらしい。
現在、王都の特産物は魔術道具である。王都には大勢の魔導職人が集まっており、競い合っていい製品を作り出している。それらの製品は他の貴族の領地や他国に運ばれ、高値で売られているのだ。
また一部の穀物も輸出されており、王家の収入源になっていた。
ロマナス王国の税制は、人頭税・土地税・商業税の三つに代表される。他にも細々した税はあるのだが、主要税と呼ばれるのは、この三つである。
人頭税は成人した大人に均等に掛けられる税金でそれほど高くはない。土地税は固定資産税に相当する税、商業税はアメリカが採用している小売売上税に似ているが、他国との輸出入商品に掛ける税も特別商業税という名前で存在するので同じものではない。
この三つの税の中で人頭税と土地税は安定的な税収が見込める税だ。だが、商業税は違う。特に他の領地や他国でも魔術道具が作れる魔導職人が育ち始めた近年では、魔術道具の輸出が減るに従い税収も落ち込んでいた。
「最近は、魔術道具の輸出が増えていると聞きました。タオル生地などに頼らずとも大丈夫なのではありませんか?」
リカルドの意見に、王太子が苦笑する。
「輸出されている魔術道具の内訳を知らぬようだな」
そう言われて、リカルドは考え。
「……まさか、増えている輸出品というのは魔砲杖なのですか?」
王太子が渋い顔で頷く。
「余は魔砲杖の輸出を制限するつもりでいる」
当然のことだろう。国王が制限しなかったこと自体が不自然だ。いくら凡庸な王でも、他国に武器を売る愚かさは分かっているはず。故意に輸出品の内訳を報告しなかった者が居ると王太子は睨んでいた。
「それでタオル生地を輸出品として育てたいのですね」
「そうだ。余もできる限りの協力をする」
王太子にそこまで言われると、リカルドとて断ることはできない。全力でタオル生地の事業を発展させると約束した。約束した後、リカルドは厳しい顔になり考える。
現在、タオル生地は人力により織り上げている。タオル生地だけで財政を立て直すほど輸出を増やすには、イギリスで発達した機械動力式織機が必要になるだろう。ただ機械動力式織機を開発するには数年単位の時間が掛かるとリカルドは考えていた。王太子はその数年が待てるだろうかと不安になり確かめる。
「王太子殿下、タオル生地だけで短期間に王領の財政を立て直せるとは思えません」
「それは承知である。財政については、余が玉座の主となる頃に目処が立てば良いと考えておる。しかし、魔砲杖の輸出を禁止することで生じる税収減を穴埋めするほどの産業に育てたい」
王太子は魔砲杖の輸出を禁止する代わりに、タオル生地事業を育てると宣言したいようだ。
リカルドは機織り娘を増員し生産量を増やすことを約束した。だが、機織り娘を育てるのも時間が掛かることを伝え、承知してもらう。
「他に輸出品となるような産物はないか?」
王太子が尋ねた。リカルドは少し考え。
「今年から始めた塩干しバカラの生産はどうでしょう。来年は本格的に始めるつもりです」
「ほう、それは有望な産物なのだな」
「はい、冬場の食料として考えていたのですが、美味しい調理法を考えれば他領や他国へも売れると思っています」
「そうか、今度食べさせてくれ」
「分かりました」
二人の会話を黙って聞いていたサムエレ将軍は驚嘆した。目を瞑って聞いていると、国王と財界の大物の会話を聞いているように思えたからだ。
だが、目の前に居るのは身体の線が細い少年である。
(何という天才だ。彼が王太子殿下の味方となってくれて良かった)
サムエレ将軍はリカルドと王太子が巡り合った幸運を神に感謝した。
リカルドと王太子は食事をしながら会話を続けた。
王太子が天ぷらを堪能し満足した頃、リカルドがアプラ領のムナロン峡谷について尋ねる。
「あの谷に興味があるのか?」
「はい、谷に影追いトカゲと呼ばれる魔獣が生息していると聞きました。その魔獣から取れる触媒が欲しいのです」
「影追いトカゲか。仕留めるのが困難な魔獣だと聞いた覚えがある。それにムナロン峡谷はアプラ侯爵が立ち入りを禁止しているはずだ」
「そうなんですか」
リカルドが残念そうな顔をする。
「ムナロン峡谷は、元々一つの谷だったのが、真ん中で崖が崩壊し西と東の二つに分かれたと聞いている。影追いトカゲはどちらにも生息していたはずだ」
「そうでしたか」
そう呟くリカルドを見て、王太子が笑う。
「何か、おかしなことを言いましたか?」
「いや、ムナロン峡谷を知らぬのだなと思ってな」
「どういう意味です?」
王太子の説明によると、西と東に分かれたムナロン峡谷は、魔獣の生態系が変わってしまったらしい。魔境に近い西の谷は、魔境から溢れた魔獣が住み着き危険な場所となっているらしい。
一方、東の谷は珍しい魔獣が生息しているが、それほど危険な場所とはなっていないと言う。
「魔獣が魔境から溢れたというのは、セラート予言にあった出来事ですか?」
「そうであろう、と余は思っている。影追いトカゲが欲しいのなら東の谷を探すのだな。……いや、リカルドほどの魔術士であれば、西の谷でも大丈夫そうだ」
「しかし、アプラ侯爵により立ち入り禁止となっていると……」
「以前にも、学者達が谷の生態系を調べたいと申し出て許可が出ておる。余が口添えすれば、アプラ侯爵も立ち入りを許可するだろう」
王太子がアプラ侯爵と交渉してくれるようなので、リカルドは礼を言った。
後日、リカルドがムナロン峡谷へ行くとパトリックとタニアに告げると、二人も行きたいと言い出した。それだけではなく、グレタも行きたいと言う。
「東の谷の方は、それほど危険な場所ではないのですよね」
グレタが真剣な顔で訴えるので、リカルドはタジタジとなる。いつもは控えめなグレタなのだが、この時は強い意志を見せた。
「しかし、ホーン狼や妖樹トリルなどは居るようです」
「そんな魔獣など、リカルド様たちにとって強敵ではないです」
困ったリカルドは、グレタの叔父アルフィオの承諾を取ったら許可すると伝えた。
アルフィオは二人の護衛を付けることを条件に承諾した。
リカルドはアルフィオが承諾するとは思っていなかったので驚いた。この時、アルフィオはボニペルティ侯爵からリカルドに最大限の協力をするように命じられていたのだ。
数日後、リカルド・モンタ・タニア・パトリック・グレタ、それにボニペルティ侯爵家の兵士二人がムナロン峡谷に向けて旅立った。