作品タイトル不明
scene:63 パレンテ炭田
グレタがイサルコに弟子入りした日以降、三日に一度の割合で、グレタがリカルドの研究室を訪ねるようになった。
魔術を習いに来るなら、午前中にしてくれとグレタに伝えたので、グレタはリカルドが魔術士協会へ来る時間に合わせて研究室に来る。
「リカルド様、おはようございます」
「おはよう」
「モンタちゃんも、おはよう」
机の上に置かれた紙に向かって、ピカソに匹敵するシュールな絵を描いていたモンタが顔を上げ。
「グレタ、オハヨ」
モンタが描いている絵が気になったグレタは。
「それはウバタルを描いているの?」
ウバタルとは七面鳥に似た鳥である。
「チガウ……リカ」
「えっ」
リカルドは衝撃的な事実を知って、愕然とする。
「そう、リカルド様を描いているの。上手ね」
リカルドは苦笑しながら、グレタの顔が明るいのに気付いた。
「もしかして、魔力の放出ができるようになったんですか?」
「はい、昨日の夜に出来たんです」
グレタはそう答えると、右の掌から左の掌へ魔力を移動させてみせた。
「魔力制御の練習を始めてから、十八日目か。早くても一ヶ月は掛かると言われていますから、グレタには魔術の才能があるのかもしれませんね」
「そうだったら、嬉しいです」
グレタは『魔術独習教本』に書かれている内容をすでに暗記していた。それを知ったボニペルティ侯爵は、魔術の教本である『魔術の基本概念』『魔術における触媒論』『魔術言語の基礎』を買い与えた。
勉強熱心なグレタは、その三冊を読んで不満を口にする。
「父から頂いた魔術の教本なのですが、何故こんな書き方をしているのでしょう。『魔術独習教本』のように分かり易く書いてもらいたかったです」
「いや、魔術の教本は、『魔術の基本概念』のような書き方が一般的です。『魔術独習教本』は、分かり易いように工夫した新しいものなんです」
グレタは理解してくれたが、納得はしてくれていないようである。
「さて、次は初級下位の魔術を試してみましょうか」
グレタが不安そうな顔をした。
「大丈夫でしょうか?」
「初級下位の魔術は、魔力制御が少しでもできるなら大丈夫です」
リカルドは【着火】【召水】【微風】【飛礫】などの初級魔術を教え、グレタに実践させる。
何度か失敗したが、リカルドが指導すると、その日のうちに【着火】と【召水】の魔術を成功させた。
初めて魔術を成功させたグレタは、顔を赤らめ興奮しているようだ。
魔力量が少ないグレタは、これ以上の魔術訓練は止めておいた方が良さそうだとリカルドは思った。
「ちょっと身体がだるくないですか?」
グレタは否定しようとして、身体が重いのに気付いた。
「そういえば、身体が重く感じます」
「魔力が尽きかけているんです。続きは次回にしよう」
「……はい」
グレタは残念そうに返事をした。
「その代わり、魔力の回復に効果がある瞑想を教えるから、試してみて」
それを聞いたグレタが嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます」
リカルドはグレタにプローブ瞑想を教えた。リカルドは毎日のように瞑想を行い、瞑想のノウハウを築き上げていた。その要訣は姿勢や呼吸法から精神的なものまで数多くあり、奥深いものになっていた。
もちろん源泉門を持たない者は、すぐに魔力を回復するというわけにはいかないが、一〇分ほど瞑想を続けた後、魔力を使わずに安静にしていれば、四時間ほどで魔力を回復させることが可能だった。
瞑想することで、魔力を回復し易い状態になるらしい。
もっとも四時間で回復可能なのは、魔力量と瞑想の熟練度が釣り合っている場合で、回復する魔力量が多く、瞑想の熟練度が低い場合は、それ以上の時間が掛かる。
リカルドは早朝と昼、寝る前の三回、魔力制御の訓練か魔術により魔力を消費し、瞑想を行って回復するように指示した。
魔力を消費させ、その回復過程でグレタの魔力量を増加させる修行である。
本当なら魔獣を討伐し、魔力量を増やすという方法が一番手っ取り早いが、貴族の御令嬢を魔獣狩りに連れ回すわけにはいかない。
グレタが帰り、研究室に一人になったリカルドは、『魔術独習教本』に書いた独自の理論を論文に纏めた。
その理論とは、魔力と人体の関係について考察したことを纏めたものだった。
この世界の人々は、魔力が大気中を漂っていると思っている。そのことはリカルドも妥当な推測だと考えていた。
そして、人間は空気と一緒に魔力を吸い込み、心臓に蓄積すると言われている。
リカルドは、その点に疑いを持った。魔力が蓄積されるのは肺だと推測する。実際に肺から魔力が流れ出すイメージで魔力制御をしてみると心臓と仮定した時より、スムーズに魔力が動き始めたのを感じ論文として纏めたのだ。
論文の下書きが完成した時、小僕のロブソンが訪ねてきた。
「リカルド様、ベルナルド様から使いが来て、店に来て欲しいそうです」
ロブソンがベルナルドからの伝言を伝えた。
「ありがとう。……何だろうな」
リカルドは論文の清書を明日にして、モンタと一緒にベルナルドの店に向かった。
店に到着すると、ベルナルドが待っていた。
「リカルド君、待っていたよ」
「ベル」
モンタが自分もいると主張するようにベルナルドへ呼び掛けた。
「モンタも一緒なのですか。美味しい木の実が手に入ったので、後で持ってきますよ」
モンタは喜んだ。
リカルドが用件を尋ねると。
「石炭をご存じですか?」
「ええ、知っていますけど、それが何か」
「王家が所有するパレンテ炭田の採掘権を貸与する話が、王都の大商人の間で話題になっているのでございますが、私の本家になりますミラン財閥が、どうやら手を出そうと動き始めているようなのです」
ベルナルドの家系であるミケロッティ家は、王国の各領地が産出する品物を全国各地に運び販売するミラン物産輸送という商会を立ち上げ、財を蓄えた商家である。
現在、ベルナルドの甥がミケロッティ本家の当主となっており、分家であるベルナルドにパレンテ炭田採掘事業への出資を頼んできたらしい。
リカルドは首を傾げた。
「石炭に関しては、あまり知りませんよ」
「いえ、リカルド君を呼んだのは、パレンテ高原に住み着いている鎧山猫や地走り蜘蛛、妖樹デスオプについて、知っていることを聞こうと思ったのです」
リカルドはそれらの魔獣について知っている情報をベルナルドに伝えた。
「なるほど、鎧山猫や地走り蜘蛛は、武器によって仕留められるのですね」
「ええ、ただ妖樹デスオプを倒すのは、難しいです」
妖樹デスオプは全体が鱗のように変形した樹皮によって守られており、強力な【火】の魔術でなければ仕留められないほどの防御力を持っている。
しかもビヤ樽のような幹から生えている鱗牙鞭と呼ばれる二本の枝は、強力な武器となっていた。鱗牙鞭に打ち据えられた敵は抉られたような傷を負い、血を流して死ぬことになる。
「魔砲杖を使って、妖樹デスオプを仕留められるでしょうか?」
ベルナルドの質問に、リカルドはしばらく考えてから。
「中級上位の魔術を再現可能な魔砲杖なら、倒せるかもしれません」
イサルコが魔砲杖を試射した様子を思い出した。
【地】の魔術である【爆散槍】を再現した魔砲杖から放たれた魔術が、板を木っ端微塵にした威力から考えると、妖樹デスオプの樹肝の瘤に命中すれば仕留められそうだ。
「問題は、妖樹デスオプが群れで襲ってきた場合ですな。……鋼鉄サソリの毒は有効でしょうか?」
「あの鱗状の樹皮に矢が刺さるかどうか。駄目なら魔術しかありません」
リカルドは魔功ライフルを使えば仕留められるかもと考えたが、魔功ライフルの製作には特大魔功蔦が必要であり、簡単に作れるものではない。
「毒を試してみたいのです。分けてもらえませんか」
リカルドは残っている鋼鉄サソリの毒を半分だけ別の瓶に分け、ベルナルドへ渡した。
ベルナルドは礼を言うと毒の代金としてかなりの金額を払った。この毒が貴重だと知っているのだ。
ミケロッティ本家の当主であり、ミラン財閥総帥であるイゴール・ミケロッティは、パレンテ炭田の採掘権を買い、石炭掘りと護衛を集めパレンテ高原へ送り出した。
その集団のリーダーはイゴールの弟ランベルトである。
「何故、私がこんな苦労をせねばならんのだ」
文句を言いながらパレンテ高原を東へと進む。
見晴らしのいい草原の中にちょっとした林がポツポツと散らばっていた。総勢五〇人ほどの集団の内訳は、石炭掘り四〇人、護衛一〇人というところである。
護衛の中には、三人の魔術士が居る。
ランベルトは二〇代後半の青年で、ぽっちゃりとした体型をしており、吹き出す汗を拭いながら馬の背中で地図を見ていた。
「そろそろのはずだが……」
小さな池が無数に散らばる光景が見えてきた。
パレンテ炭田に到着した一行は、少し休んでからテントを張った。
これから目標量の石炭を掘り出すまで、ここで生活することになる。
ここでの生活と作業は過酷なものとなった。少しでも隙があると地走り蜘蛛が近付き毒の牙を突き立てようとするので、気が抜けないのだ。
四日間、魔獣を撃退しながら石炭を掘り、目標量の七割ほど採掘した時、護衛の一人が遠くにゆらゆらと揺れながら歩いてくる妖樹に気付いた。
「ヤバイ、デスオプだ」
ランベルトは妖樹デスオプが一体だけなのを確認し、護衛に撃退しろと命じる。
「まずは、毒矢が突き刺さるか確かめるんだ」
護衛の一人が弓を取り出し、毒矢を番え引き絞った。次の瞬間、矢が放たれ妖樹に向かい飛翔する。
毒矢は幹に当たって跳ね返された。
「チッ、ベルナルドの毒は役に立たないか」
毒突くランベルトに魔術士の一人が近付き。
「魔術士の出番のようですね」
ランベルトは妖樹デスオプを倒せと命令した。
三人の魔術士が準備を始める。散開し違う方向から、それぞれが魔術を放つつもりのようだ。
魔術士三人がほとんど同時に【爆散槍】を放つ。
最初の爆散槍は狙いを外し妖樹の左側を通り過ぎ、二本目は鱗牙鞭により打ち払われ粉々に砕けた。
最後の爆散槍だけが妖樹の幹に命中し爆散する。
だが、樹肝の瘤への直撃ではなかったので仕留められなかった。
ランベルトは焦りながら妖樹デスオプを見る。着実に迫ってきていた。
「も、もう一度だ!」
ランベルトが引き攣った声で命令し、再び【爆散槍】が放たれた。二本が妖樹に命中し、その中の一本が樹肝の瘤を直撃する。
爆散した衝撃で樹肝の瘤にヒビが入り樹肝油が溢れ出す。
ランベルトはなんとか倒せそうな様子に安堵する。
「大変だ。群れが近付いている」
石炭掘りの一人が叫び声を上げた。ランベルトが手負いの妖樹越しに背後を見ると、十数体の群れが近付いているのを見付けた。
「撤退だ。魔術士はそいつを仕留めろ!」
ランベルトは掘り出した石炭を収納碧晶へ入れ、馬の方へ近付いた。
その時、横の藪から鎧山猫が飛び出し、ランベルトの顔を鋭い爪で引っ掻いた。
「ギャッ!」
その悲鳴で護衛が気付き駆け付ける。
護衛は剣を抜くと鎧山猫に斬り付けた。鎧山猫の毛は太く鋼のような剛毛であり、剣の斬撃を跳ね返す。
斬り付けた護衛は、剣の切っ先で突く戦法に変更する。槍を持つ護衛も応援に駆け付け鎧山猫は仕留められた。
ランベルトは顔から血を流し喚いている。
妖樹デスオプの群れが迫っている今、治療している時間はなかった。護衛たちはランベルトを担ぎ上げるようにして馬に乗せ、採掘現場を離れた。
炭田から逃げたランベルト一行は、高原の端に到着する。
そこでやっと、ランベルトの傷を治療する。但し治療が遅かったので、顔に傷が残ってしまった。
「ランベルト様、デスオプの群れからは逃げられたようです。ここで一日過ごしてから戻りましょう」
護衛の言葉で、ランベルトが癇癪を起こした。
「馬鹿言うな。何で戻らなきゃならないんだ」
「でも、石炭が目標量に達していません」
「行きたければ、お前たちだけで行け」
結局、そのまま戻ることになった。
高原から王都へ戻った一行はミラン物産輸送へ行き、採掘した石炭をミケロッティ本家の当主イゴールに渡した。
顔に傷を付けたランベルトが吐き捨てるように。
「二度とパレンテ炭田には、行かないからな」
イゴールは冷たい目でランベルトを睨み、無言で石炭の品質を確認した。
「品質はいい。だが、量が問題だな。何故目標量を採掘できなかった?」
ランベルトはイゴールの視線に込められた圧力に負け、目を逸らしてから。
「デスオプだ。群れが襲ってきたんだ」
「それは想定内だろ。一旦逃げてから、戻って採掘を再開する予定だったはず」
「この顔を見てくれよ。怪我をしたんだぞ」
イゴールは弟の顔に残る醜い引っ掻き傷を見て、溜息を吐いた。
「もういい。お前に期待した私が愚かだったようだ」
ランベルトが顔を紅潮させ、怒りを込めた声で。
「どういう意味だよ。僕は傷を負いながらも頑張ったんだぞ」
イゴールは弟を追い出し、使用人にベルナルドを呼ぶように命じた。
しばらくしてベルナルドが到着すると、応接室で話を始めた。
「叔父上、パレンテ炭田の件を聞かれましたか?」
ミラン財閥の総帥であるイゴールだったが、総帥としての仕事を教えたのはベルナルドであり、イゴールが唯一頭の上がらない人物がベルナルドだった。
「ランベルトが無事に戻ってきたそうじゃないか」
ベルナルドは少し警戒しながら、甥であるイゴールに返事をした。
「しかし、ランベルトの奴は失敗しました」
「性急過ぎたのではないか。もう少しじっくりと対策を練ってから出発すれば」
イゴールが厳しい顔になり。
「護衛も十分に付けて送り出した。それ以上の対策がありますか?」
「私が届けた妖樹に効く毒、普通の弓で射て駄目だったそうだな」
「そうですが」
「普通の弓では、デスオプの樹皮を貫通できないかもしれないと考えていたんじゃないのか。それなのに何も手を打たなかった」
「……」
イゴールは痛い所を突かれ悔しそうな顔をした。そして、何か思い付きニヤリと笑う。
「私の落ち度でした。……ですので、次の採掘は叔父上に任せます」
ベルナルドはイゴールの思い掛けない反撃に驚いた。
「何でそうなる。ここは若いお前たちが知恵を絞って、難局を乗り切る状況だろう」
「いえ、ここは人生経験が豊かな叔父上に手本を見せていただきたい。総帥としてお願いします」
ベルナルドは嫌がったが、イゴールに押し切られ引き受けた。その代わり採掘した石炭二割の販売権をベルナルドは手に入れた。
家に帰ったベルナルドは、どうしたら良いか頭を悩ませた。
「仕方ない。イサルコ殿とエミリアさん、それにリカルド君を呼んで相談してみるか」