軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第73話 縛り付けられた人たち

俺は部屋の隅、空いていた椅子に腰を下ろす。ギィ、と金属製の脚が床をこする鈍い音が響いた。

すると、向かい側に座っていた年嵩の男性が、ちらりとこちらに視線を向けた。一瞬だけだったが、まるでこちらを値踏みするような、鋭さのある視線だった。

他の二人──文庫本に目を落としていた眼鏡の男は微動だにせず、ページをめくる音すら立てないほど集中しているように見える。もう一人、ぼさぼさの髪の女性は、俺が椅子に腰を落ち着けたその瞬間、ビクリと肩をすくめ、明らかに警戒心を募らせていた。

──まるで野良猫みたいだな。

俺が何かしたわけでもないのに、完全に怯えている様子。事あるごとにびくびくされると、座りが悪いな。

……さて。こうして黙っていても、状況は一向に掴めない。どうせなら少しでも情報を引き出したい。

あの年嵩の男──さっきこちらを見たあいつなら、話に応じてくれるかもしれない。

問題は……英語だな。大丈夫か心配だが、まあ何とかなるだろう。

俺は小さく息を吸って、意を決して口を開いた。

「あー……すみません、初めまして。質問しても、いいですか?」

文法もイントネーションも自信がないが、こういう時は勢いと度胸だ。単語で押し通しても、通じることの方が多い。意思表示さえできれば、何とかなる。

男性は、一瞬こちらをじっと見る。

──あれ、通じなかったか。

そう思った次の瞬間、意外にも彼は口を開いた。

「……無理に他言語で話さんでも大丈夫だ。"この島は半分迷宮内"だからな」

……ん?

聞こえてきた言葉は、確かに理解できた。けれど、言っている意味は良く分からなかった。

いや……これは──

「……迷宮内の言語統一現象か」

迷宮内で発生する言語の自動翻訳現象。相手がどんな言語を話していても、意味は分かるように変換される、不思議な現象だ。

「その通り。半分迷宮内ってのも、それと関係してる」

男は、椅子の背にもたれながら答えた。

「この島全体──と言っても、地上部分だけだが、ここは迷宮の“セーフエリア”になってる。で、地下に複数の迷宮が入り組んで存在してる。いわば、巣の上に村を作ったようなもんだな」

「……巣?」

「そう、迷宮のアリの巣みたいな構造だ。普通は単一のダンジョンが形成されるが、ここは特殊なんだ。複数の“迷宮”が存在し、重なり合っている。だから、ひとつの大迷宮ってより、小型の異なる迷宮が同時に存在してるような場所だ。しかも、それぞれが微妙に干渉しあってる」

何だそれは……とんでもない場所じゃないか。

「特殊な環境、ってことだな。聞いたこともない」

男は葉巻を灰皿に押しつけ、目だけで俺を見た。

「俺はフランク。そっちで文庫を読んでる偏屈そうな眼鏡がジョン。で、震えてるのがアイシャだ。お前さんは中国か?」

視線を送った先で、ジョンという名の男はやはり無言でページをめくっている。アイシャという名の女性は、椅子の端に座って身を縮め、今にも泣き出しそうな表情だった。

「……俺は日本人。イトウ。よろしく」

俺はフランクに向かって、少し気を許したつもりで右手を差し出した。

だが──その手を見た瞬間、彼の顔がぐっと険しくなった。

眉間に深く皺を寄せ、まるで嫌悪でもするかのように頭を振る。

「……やめてくれ。“そいつ”は、もうこりごりだ」

差し出した俺の右手を見もせず、吐き捨てるような声だった。

「え?」

一瞬、何を言われたのか分からなかった。握手を拒まれること自体はまあ、そんなに気にしない。けれど──

「……そいつって、右手のことか?」

聞き返すと、フランクは面倒くさそうにため息をついて、背もたれに体を預けた。

「不思議そうな顔してるな。教えてやるよ。さっきの男……そう、マシューだ」

思わず肩がこわばる。

「アイツと握手、したか?」

その質問に、俺はすぐに答えられなかった。確かに、あの時──最初に会った時──強引に握手を求められた。戸惑いつつも、俺は手を取ったはずだ。

俺は頷く。

「で、あいつに協力するとか、約束事みたいなのを交わしたな?」

なんとなく、嫌な予感がする。

「……ああ、した」

「……だろうな」

どこか、あきれたような、不快げな声だった。

「……どういう意味だ?」

フランクは組んだ腕の中に片手を差し入れ、ぎゅっと肘を押さえるようにしながら、低く言った。

「アイツの持ってるスキルか、アーティファクトか、それとも契約魔法か……詳しいことは分からん。だがな、握手ってのがあいつにとっての“媒介”になってんだ」

「媒介?」

「そうだ。"約束"をした相手と握手することで、アイツは“契約”を交わすことができる。無意識のうちにな。で、一度その契約が結ばれると──」

フランクはそこで一度言葉を切り、俺の目をじっと見た。

「……あいつの“命令”には、逆らえなくなる。どんなに嫌でも、どれだけ恐ろしくても、だ」

その言葉に、背筋がひやりと冷えた。

「……冗談だろ」

「冗談なら、どれほど良かったか」

フランクはうんざりしたように頭を振り、窓の外に視線を向けた。

「普段の生活には支障はない。こうやって会話したり、食ったり寝たり、文句言ったり笑ったり……それは自由だ。だが、“命令”が来た時だけは違う。アイツの言葉が、体の芯に突き刺さるように響いてな。自分が、自分じゃなくなるんだよ」

吐き出すように言ったその声に、怒りというよりは、深い諦めが滲んでいた。

「危害を加えることもできなくなる。暴力はもちろん、意識的な裏切りもな。たとえば──“殺せ”と命じられれば、たとえそれが親でも、仲間でも、何の躊躇もなく手を下すだろうさ」

フランクはその言葉を呟くように吐いた。

「……俺たちはな、あいつの“奴隷”みたいなもんなんだよ」

その口調は重く、言葉の一つ一つが、まるで鎖のように冷たく響いた。

「……じゃあ、その二人も?」

何気ないふりをしつつも、俺はそっと視線をアイシャとジョンに向けた。テーブルの向こう、黙ったまま本を読み続けるジョンと、怯えたように体を縮こまらせているアイシャ。

フランクは、小さく頷いた。

「ああ。他にも何人かいるがな……」

そこで彼の言葉が止まった。次の瞬間、眉を歪めて額に手を当て、ぐっと目を閉じる。

「ぐっ……!」

突然、呻き声が漏れた。

「……フランク?」

驚いて声をかけるが、彼は痛みに耐えるように奥歯を噛みしめ、首を振った。

「……っつ……! ……ふぅ……こんな具合さ……」

ようやく痛みが引いたのか、フランクは深く息を吐いて背筋を戻した。額にはうっすらと汗が滲んでいる。

「“この島から出よう”と考えるだけでこれだ……」

その言葉に、俺の背筋が冷たくなる。

「……そんな……」

「アイシャなんか、最初のころは気丈なもんでな。逃げ出す気満々だった。だが今じゃ……」

彼の視線の先では、アイシャがへらりと笑みを浮かべていた。作り物のような、虚ろな愛想笑い。心の芯が凍ったかのように、感情の温度を失っている。

……かつては、反抗しようとしていたというのか?

今の、周囲を過剰に気にしている彼女からはとても想像がつかない。

「…………」

一方で、俺は今までフランクのような“強制”を感じたことはなかった。変だ。何か違う。

……試してみるか。

俺は一度、軽く目を閉じる。

島を脱出するためのイメージを頭の中で描く。外周の断崖は高いが、慎重に降りれば海辺まで行けるかもしれない。身体能力も上がっているし、無理じゃない。

問題はそこから先──本土までの距離だが、泳ぐのは流石に現実的じゃない。できればゴムボートか、小型の船でも見つかれば……。

あるいは、メイリンに連絡を取って、彼女の人脈で何らかの手助けが得られるかもしれない。

脱出のイメージや算段を頭に思い浮かべる。

……けれど。

頭痛はこない。フランクのように、急な痛みや思考の遮断もない。普通に、考えることができる。

つまり……俺は、どうやら“契約”されていない?

いや、マシューは確かに俺と握手を交わした。ならば──

ふと、自分の左腕に目が留まる。

トレムナの腕輪。

そうだ。あれの効果の一つに、《自身より低位の魂による拘束・支配系の効果を無効化する》とあったはず。

……あれが、効いてるのか?

腕輪に指先を添えてみる。ひんやりとした金属の感触。今はただの装飾品のように見えるが、もしかしたら、この小さな装備が俺を守ってくれているのかもしれない。

となれば、俺は──“自由”ということになる。

だが、浮かれてはいられない。

(……さて。これから、どう動くか)

正面突破で島を脱出するには、装備も準備も足りない。何より、島の全貌がまだ掴めていない。メイリンに事の次第を伝えておく必要もある。

それに、俺が自由だとマシューに気づかれるのはまずい。

迂闊な行動を取れば、腕輪の効果を逆手に取られ、何をされるか分かったもんじゃない。

(……となると、やるべきことは一つか)

“契約にかかったふりをする”。

芝居を打ちながら、内部から崩せる隙を探る。あのマシューが何を目論んでいるか、その全容を探りつつ脱出の計画を立てる。

(はぁ……)

内心ため息をつく。こういうの、苦手なんだよな。腹の探り合いとか、騙し合いとか。性に合わない。

でも──やるしかない。

(……せめて、フランクたちくらいは、解放してやりたいしな)

俺は立ち上がり、あくまで無表情を保ちながら、フランクたちのほうを見た。

ここからが、勝負だ。