軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第60話 管理人

鳥顔と別れた俺たちは、そびえ立つ螺旋階段のふもとに立ち、無言のまま、ゆっくりとその最初の一段を踏みしめた。

ごつごつとした無骨な石造りの階段は、ただ手すりが備え付けられているだけの簡素な造りだ。

それでも何の揺れもきしみもなく、重厚な安定感があった。だが、それがかえって不自然に思えてくる。

物理的に、いや構造的に考えて――こんな空中に向かってむき出しで延びる建築物が、現実に存在できるはずがない。

迷宮の理は、やはりこの世界の常識とは別のところにあるらしい。

「……まるで、空に向かって登ってるみたいね」

後ろを歩くメイリンが、手すりに手を添えながら呟いた。

その声に頷きつつ、俺も視線を足元から持ち上げ、先を見上げる。

果てしない階段が、ねじれながら空へと伸びている。

下から見るよりずっと高く、まるで天へと続く塔のようだ。

三鷹の迷宮、七所の迷宮――それらと比べても、この高さは別格だと思う。

途中、ふと中腹あたりで立ち止まり、俺は手すり越しに外を覗き込んだ。

「うわ……高いな」

思わず独り言が漏れる。

眼下には、歩いてきたあの深い森が、じゅうたんのように広がっていた。

針葉樹の濃い緑の海のようなうねりが、どこまでも続いている。

右手の方、遠くには海岸線がうっすらと見えた。

あの時、迷宮に飛ばされた直後に降り立った場所もどこかにあるのだろうか。

しばらく近づいていなかったが、水辺には何か別の意味があったのかもしれない……そんな、今さらどうにもならないようなことが脳裏をよぎる。

俺はかぶりを振り、足をまた一段、前へと進めた。

思考は切って、ただ上を目指す。

同じ方向に身体をひねり続けるせいで、三半規管が少しずつ混乱してくる感覚がある。

三周、四周……目が回る、とまではいかないが、いつもと違う酩酊感に、わずかに集中力が削がれていくのを感じる。

「……さすがに長いな」

隣のメイリンも息をついている。けれど、口元にはかすかに笑みがあった。

「ま、上の階層につくまでの辛抱よ。頑張りましょう?」

その軽さが、何だか妙に心強い。

俺も気を取り直し、また一歩ずつ、螺旋を踏みしめていった。

* * *

歩き続けて、どれほど経っただろうか。

幾度も螺旋を描いた先、ようやく階段の終点へと辿り着いた。

そこには、まるで空そのものにぽっかりと穴が開いたかのような、歪な感覚の空間。

そして、その先にぽつんと現れた、小さな踊り場と一枚の扉。

無骨でいて、妙に威圧感のある大扉だ。特に装飾もなく、ただそこに在る。

他には何もなかった。空間の隅々まで目を凝らしてみても、転送装置も、石碑も、案内板のようなものさえない。

本当にただ、扉が一つあるだけ――。

「到着っ、と!」

軽やかな声が響いて、メイリンが俺の横をすり抜け、扉の前へと跳ねるように歩いていった。

彼女は腰に手を当て、顎に指を添えながらしげしげと扉を見つめている。

「うーん、普通に考えるとさ……ここって、いつもだったら階層ボスを倒したあとに、次の階層へと進むために出てくる扉、だよね?」

なるほど、確かにそうだ。

今まで何度かボスを倒してこの手の扉を通ってきた。でも――

ふと、あることに気づく。俺は今まで一度として、その“扉”をくぐったあと、戻ろうとしたことがない。

いつだって帰還は、ポータルか転送キーを使っていた。

「なあ、メイリン。ボスを倒したあとって、この扉を戻ることって……できたっけ?」

「え? 戻る? ああ、それならね、試したことあるわよ」

彼女は手をひらひらさせながら、楽しげに笑った。

「扉を戻ると、ボス部屋はスキップされてて、その手前に繋がるの。不思議よねー。迷宮の仕様って」

「……ってことはさ、もしこの扉を開けたら、すぐボス部屋の前に出られる可能性もある、ってことか」

「なくはない、わね。ただ――」

メイリンはすこし眉を寄せて、真面目な顔になった。

「――正規のルートじゃないでしょ、私たち」

「……そうだな」

俺も扉を見つめる。

もしこれが本来通るべき順序なら、それでいい。

だが、俺たちは階層を逆走してきた。

迷宮がそれを“よし”とするかどうかは……

「ボスとの戦闘、か」

「うん……。むしろ、居る可能性のほうが高いかも」

メイリンは頷きつつも、どこかで覚悟を決めたように視線を強くする。

「よし……じゃあ、ボスがいる前提で開けるよ」

俺は深く息を吸い込みながら、メイリンに言った。相手の情報は何もない。姿も見えなければ、気配も感じない。だが、こういうときほど、最悪を想定して動くのが肝要だ。

「戦闘は俺が主体でいく。メイリンはサポート、守主の時みたいに回避優先でかく乱をお願い」

どこかで感じている不穏なものを押し込めるように、言葉に芯を込める。

メイリンのレベルでは恐らく適正外。だからこそ、無理をさせるわけにはいかない。

「りょーかい!んじゃ、バフかけておくわね」

メイリンはいつもの調子で笑って、手を差し伸べると、軽く詠唱のような呟きを口にした。

ふわりと、何か透明な風が俺の頬を撫でた。

すうっと意識が澄んでいく――目の前の景色が、急に明瞭になるような、そんな感覚。

これは彼女のスキル、《集中強化》。空気が冷えたように感じるのは、気のせいではないだろう。

「……ありがとう。じゃあ――行こうか」

扉に手をかける。

ヒンヤリとした石の質感が、手のひらに吸いつく。

それを押すと、ギギィ……という鈍い音を立てながら、重い扉がゆっくりと開いていく。

開いた先にあったのは――静かな、石造りの広場だった。

天井は高く、空間は広い。

壁には、何か魔力の光源だろうか、火でもなく光でもない淡い明かりが、ぽつぽつと並んでいる。

空間全体を満たすそれらの光は、明るすぎず、かといって暗すぎず――

ただ、天井の上の方は少し陰っていて、視界には届かない影がゆらいでいる。

音がない。風もない。

ただ、自分たちの呼吸と足音だけが、やけに大きく響く。

そして、部屋の中央。

そこに――"それ"はいた。

「……人?」

思わず、呟いた。

だが、すぐに違和感が襲ってくる。まさかこんなところに人が?

確かにヒトの形をしていた。

腕を組み、静かにこちらを見据えて立っている。

全身から発せられる、異様な圧力。見下すようでも、威嚇するようでもない。ただ、確かに――そこに“待ち構えている”という気配。

上半身は裸だった。浮き彫りになった筋肉の線は、まるで岩のように硬そうだった。

下半身は、和風とも中華ともつかない、ゆったりとした袴のようなものを履いている。

黒髪はザンバラで、腰まで伸びていた。

目を細めたその顔立ちは、どこか異国風で、深い彫りと強い骨格。

笑っていた。

薄く、だが明確に。挑む者を試すように。

ぞくり、と背筋が震える。

"ただのボス"ではない――そう直感するには、十分すぎる気配だった。

俺は短剣の柄に、静かに手をかけた。

指先に、微かな汗が滲んでいる。

ゴクリ――俺か、メイリンか。

どちらの喉が鳴ったのか、分からなかった。

だが、その一音が、この空間に張り詰めた糸のような緊張を、ほんの少し震わせる。

あの男――いや、“あの存在”は、微動だにしない。

ただ静かに、だが明確に、こちらを見据えている。

空気の密度が違う。守主トレムナと対峙したときですら、ここまでの圧はなかったはずだ。

本能が警鐘を鳴らしている。この男、常軌を逸している。

汗が、背中をゆっくりと伝った。

それでも視線を外さず、チラリとメイリンの様子を伺う。

弓を握る指が、白くなるほど強く締められている。

胸の上下も、彼女らしくなく激しい。呼吸を整える暇もないほど、圧で押されているのだろう。

――駄目だ。

メイリンでは、例え回避に徹したとしても厳しい。

それほどまでに、目の前の“それ”は桁が違っていた。

それならば――俺がやるしかない。

追い払うように頭を振り、思考を“戦闘”に切り替える。

どこから攻めるか。どんな間合いで。動きを見て、読み、差し込むしかない。

だが、ほんの一瞬、その思考すらも吹き飛んだ。

すっ――と、

あの男が、組んでいた両腕を、静かに解いた。

ただそれだけの動きだった。

心臓が跳ね、反射で腰を落とす。

「……っく!」

顎から一筋、冷や汗がつぅっと垂れる。

いつの間にか、俺は短剣を体の前で構えていた。

《影走りの短刀》――頼りになる愛用の武器。

だが今、この手に握るそれは、頼もしいどころか、まるで小枝のように心もとない。

「あー」

不意に、男が口を開いた。

その一音が、深く、低く、腹の底に響く。

まるで梵鐘でも鳴らされたかのような、重くて心地よい音――そのあまりの響きに、一瞬、身体の力が抜けかけた。

だが、ギリギリで意識を引き戻す。

握る短剣の感触を確かめるように、ぎゅっと手に力を込めた。

「すまんすまん」

……は?

緊張が、唐突に霧のように散った。

あまりに急な落差に、俺の口から間抜けな声がこぼれる。

「……は?」

空間にその声が間の抜けた音で響き、メイリンが「えっ?」とでも言いたげな顔でこちらを振り返った。

目の前の男は――さっきまでの殺気に満ちた"何か"ではなかった。

一転して、妙に人間味のある、気の良いおっさんのような雰囲気になっていた。

* * *

「いやー、悪かった悪かった!」

男が頭をかきながら豪快に笑う。

「こっちまで来るのが久しぶりでな、つい気が張ってしもうたわ!」

カラカラと笑いながら、まるで旧友にでも会ったかのように話しかけてくるその姿は、さっきまでの圧倒的存在感とまるで繋がらない。

いや、実際は同一人物なのだろうが……ギャップが激しすぎる。

「……許すのはいいんですが、まず、どなたですか」

今度はこちらが問いを投げる番だ。

どう見ても、ここに“たまたま居ました”なんてあり得ない。

この異質な空間に、この男――只者なわけがない。

「うむ、そうだな」

男は胸を張り、何を誇るでもなく、自然な調子で続けた。

「ま、"管理人"の一人ってとこだな」

「……管理人?」

その単語は、聞き覚えがある。

けれど、同時に、俺の知るものとは少し違う意味を含んでいるような気がしてならなかった。

「トレムナのようなものとは違うぞ」

俺の疑念を読んだように、男は笑って言う。

「あれはな、無数にある端末の一つよ」

こちらの思考を読んだような回答。さらに相手のことが分からなくなった、が、どうやら守主より明確に格上ということは確実のようだ。

「それで、その管理人さんが、どうしてこんなところに?さっき“久しぶり”って言ってましたけど、普段はどちらに? あと、“一人”ってことは、他にも……?」

一気に質問を畳みかけてしまった。

しまった、と気付いたのは、男の目が細くなった時だった。

「おうおう、そんなに聞いてくれるな」

その声色が、少しだけ低くなる。

次の瞬間――

「別に、答える義務もありゃせん」

――ぎろり。

一瞬だけ、視線が刺さる。

呼吸が止まり、空気がねじ曲がったように感じた。

足元が沈み込むような重圧。

最初の“睨み”と同じだ。いや、今度はほんの一瞬だったが、むしろ鋭く、深く刺さった。

「……っ」

背筋に汗が伝う。だが、今度は何とか崩れずに踏みとどまる。

すると、男はすぐにふっとその気配を引き、まるで何事もなかったかのように、肩をすくめて笑った。

「……ま、気持ちはわかるがな」

腰に手を当て、やれやれと首を振る。

「まずは、こっちの用事からにしようじゃないか」

――しまった。

焦りすぎた。

この男は明らかに、俺たちの知る常識とは別の次元にいる。

舌の根一つで、戦慄と安堵の間を自在に行き来できるような存在――

……このあと、何が起こるのか。

気を引き締めるしかなかった。