軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

エピローグ ~神のいない時代・前編~

「....あれから四年か」

秋も深まり、冬の風が朝夕をしばらせる頃。ロメールは物憂げに低い空を見上げていた。

四年前。嵐のように世界を吹き抜けていった幼女。

思うがままに突っ走り、転んでも止まらず、壁に激突しても。それを蹴倒してかっ飛んでいく猪突猛進な幼子。

周りを巻き込み、神々までをも働かせ、時代を塗りかえていった小さな小さな小人さん。

今思えば夢だったのかもしれない。

だが、大きく変わったフロンティアや、周辺国。何よりロメール自身が覚えている。

アレが現実だったのだと。

振り返れば怒濤の日々だった四年前。

「幼児退行?」

「はい、医師はそのように申しております」

深刻な雰囲気の室内で、大人達の前には無邪気に笑う子供。

帰ってきたチィヒーロは、ほとんどの記憶を失っていた。

父王やハビルーシュ妃、テオドールなどは覚えているが、ミルティシアやウィルフェの事は覚えていないようで、二歳あたりまで退行したのだろうとの医師の診断である。

「そんな.... なんて事」

王妃は口元を抑えて瞳を戦慄かせた。

「チィヒーロは俺の事も覚えていないのか?」

信じられ無い眼差しで幼女を見つめるドラゴ。その顔は凍りつき、膝を掴む両手はガタガタと震えている。

その背後に立つドルフェンも、憮然としたまま言葉が出ない。

それぞれが、驚愕と困惑で荒ぶる胸中を隠せない中、一人ハビルーシュ妃のみが通常運行。

「こちらへいらっしゃい、ファティマ」

「あいっ!」

呼ばれて抱かれる小さな子供。

「ファティマ?」

訝る国王に、ふわりと微笑み、ハビルーシュ妃は腕の中の子供を優しく見つめた。

「この子はファティマというのですよ。わたくしの娘ですわ」

途端、関係者一同が眼を見張る。

小人さんの名前はともかく、生まれや素性は極秘にされていた。

幼女が隠蔽されたハビルーシュ妃の娘だと言う事も、ここにいる面子しか知らないはずだ。

彼女も、あの場にはいたが、それを理解しているようには見えなかった。

事実、彼女は晩餐会のテーブルで、チィヒーロをファティマとは思っていないようだったし。

知っているのか? 一体何時から?

「その子がファティマと呼ばれていた子供だと知っているのか? ハビルーシュよ」

するとハビルーシュ妃は、きょとんと惚けて首を傾げる。

「当たり前ではないですか。この子はずっと、わたくしと一緒にいたのですもの。銀の褥で。ねぇ?」

「あいっ」

きゃっきゃっと笑う、微笑ましい母子。

ずっと一緒にいた? 銀の褥?

相変わらず意味がわからない御仁だ。

ロメールが物憂げに思案する中、ドラゴの顔から生気が抜けていく。

ドラゴはチィヒーロが帰ってきたと聞いて、一目散に大広間へ駆けつけた。

そして満面の笑顔で抱き上げようとした時、チィヒーロは火がついたかのように泣き出したのだ。

ドラゴを厭うて、わんわん泣く小人さん。

あの時の凍てついたドラゴの顔をロメールは忘れられない。

見ていたこちらも胸が痛くて堪らなかった。あれほど仲の良い親子だったのに。

未だに彼の顔は凍りついたままである。その心中は察して余りあるロメールだ。

何日もの話し合いの結果、チィヒーロはファティマと名前をあらため、正式に国王とハビルーシュ妃の養子となる。

今までは仮親の延長だったので王妃が養母になっていたが、小人さん自身がハビルーシュ妃にしか懐いていないため、このような形になった。

居住も後宮に移し、ドラゴとの養子縁組みは解消され、晴れて正しく王族の一員となる。

元々がテオドールとハビルーシュ妃しか知らないファティマは、あっという間に後宮へ馴染んで、外に現れなくなった。

居るのに居ない小人さん。

凄まじい寂しさが王宮を吹き抜け、誰ともなく深い溜め息が、そこここから聞こえてくる。

騎士団の演習場などまるで灯が消えたような有り様だ。

事情が事情だし、小人さんが某かの理由で記憶を失ってしまった事を、フロンティアは自国や周辺国にも通達した。

猜疑心から確認に来る人々もいたが、ハビルーシュ妃と笑う幼女を見て、逆にショックで放心状態になる者が続出。

「あんなの小人さんじゃない」

口を揃えて呟く面々に、不敬うんぬんを問う気にもならない王宮関係者。

気持ちは痛いほど良く分かる。

こうして、中身二歳児になってしまった幼女は、ひっそりと表舞台から消えた。

あれから四年。

件の幼女は七歳となり、年が明けたら洗礼を受けて、後宮から王宮へ居住を移す。

幸いな事に幼児退行の影響も薄れ、年相応の成長を見せてくれたらしい。

らしいと言うのは、ロメールが殆ど後宮に行かないからである。

男子禁制の後宮な上、ロメール自身も今のチィヒーロを見るのが辛かった。

何時かは記憶を上書きされそうで、以前の彼女を忘れたくなくて、ロメールは無意識にファティマと会うのを避けていた。

まあ、王宮に居を移すならば、そうも言ってはおられまいが。

この四年間で王宮も落ちつき、城の者らも幼女が小人さんであって小人さんではないのだと理解していた。

季節は巡り、時は流れ、カストラートとの争いも風化の兆しを見せ始め、人々の心の中で小人さんは思い出に変わる。

ドラゴも達観を極め、今でも王家のためにその腕を奮っていた。

「チィヒーロは俺の中にいます。ファティマ様の中にも。あの方の中のチィヒーロの面影を愛して行こうと思います」

そう呟いたドラゴは、寂しさと諦めを同衾させた物悲しい光を瞳に浮かべている。

脆くて今にも崩折れそうな彼を、ロメールはいたく心配していたが、それを支える者が現れた。

いや、支えると言うか、張り飛ばすと言うか、苛烈な御仁が。

「何時までもグジグジしてんじゃないよっ、デカイ図体してっ!」

サクラである。

意気消沈し、脱け殻のように日がな一日ぼんやりとするドラゴを、彼女は文字通り蹴倒した。

ぼうっとしていたところに、強烈な蹴りを背後から食らい、ドラゴはつんのめる。

それを辛辣に睨めつけて、サクラは忌々しそうな顔でドラゴに吐き捨てた。

「アンタがそんなんじゃ、千尋が心配するだろうっ? 今、ここに千尋がいたら、しょげたアンタを見て、何て言うかねっ?!」

ここにチィヒーロがいたら?

オロオロと心配そうにまとわりつくに違いない。悲しげな顔で。

そんな幻覚が本当に見えてきそうなほど、はっきりとドラゴには確信出来る。

「そうだな..... 記憶が無くなってもチィヒーロはチィヒーロだ」

ドラゴは王宮を見上げて、明らかに空元気だと分かる笑みを浮かべた。

だから、ロメールとドルフェンは沈黙する。

ファティマの中にチィヒーロはいないのだということを。

あの後、森を訪れたロメール達は、クイーンと話し合う。筆談だが。

ジョーカーとの話から、小人さんの出自や事情を知ったドルフェンと、それを報告されたロメールは、大体の成り行きを察していた。

同じ説明を受けたクイーンも、いくらかの戸惑いは見せたが、従容とする。

《一つの身体に二つの魂ですか。ではチヒロ様は何処へ?》

金色の魔力を失った森は徐々に枯れてきていた。しかし、全てではない。

数千年の長い年月に、自生し育まれた物は失われなかったのだ。

緑が薄くはなれど、森は健在だ。これから植林などで木々を増やし、以前のような濃い緑を甦らせよう。

チィヒーロのためにもと、ロメールは心に誓っていた。

「あの子がどうなったのかは分からないが、神々が言っていたんだよね」

そう。キルファンで顕現した創世神様は言った。チィヒーロの事を客人だと。

それはつまり、どこからか訪れた異邦人。そしてさらに神々は言っていた。キルファンの人々は地球からの借り物だと。

あの後、キルファンは失われた。

海を割るような大音響が世界中に轟き、しばらくして、キルファン周辺の小島から、キルファンが無くなったと報せが届いたのだ。

沫を食ったゲシュベリスタ辺境伯が騎士団を確認に差し向けたところ、報告どおり、本当にキルファンの大陸は無くなっていた。

いったい何が起きたのか。

これがチィヒーロの消失と無関係である訳がない。

「チィヒーロは帰ったのかもね。本来の世界へ。キルファンも」

淡々と呟くロメールを見つめるクイーンの左目には、未だに金色の瞳が光っている。

これもいずれ消えるのだろうか。

「ファティマ様の魂が深淵に囚われていたあいだ、チヒロ様の魂が王女の中で覚醒した。とすれば、ファティマ様がお戻りになられた今、チヒロ様は......」

ドルフェンの言葉に、三者三様の沈黙がおりる。そして同様の予想が三人の脳裏を過った。

小人さんは、もういないのだと。

大変なことも非常に多かったが、慌ただしくも夢のように楽しかった時間は終わりを告げたのだ。

あの快活で人を食ったような笑顔を見ることは二度とないのだろう。

「チィヒーロ......」

君の魂は、今何処なのかなぁ。地球とかいう世界へ帰っちゃったの?

冬間近な、どんよりとした厚い雲を見つめ、ロメールは胸に穿たれた大きな孔を塞ぐことが出来なかった。

そんな人々の悲痛な想いも知らず、小人さんは天上界から下界を見ていた。

『うっは、えぐいな。大陸ごと深淵かぁ』

《地球から貸した命は四千と少し。浄化して、こちらの転生の環に戻すのだよ》

元々返還予定だったキルファンは、その大陸ごと深淵に落とされた。

貸した命と数が合えば良いらしく、増えていた分は、そのままアルカディアに譲られるとのことで、フロンティア側に移住したキルファン人は見逃してくれるという。

《ほんとは少し足りないんだけど、オマケしとくね、君には世話になったから》

そんなアバウトで良いのか、神様よ。いや、こっちにしたら助かるけどね。

思わず据わる眼で、千尋は神々を、じっとりと見つめた。

そんなこんなしている内にも、ジョーカーの網にドサドサと魂が増えていく。

それを選別しながら、地球の神々は千尋を労った。

《本当に良くやってくれた。暴走気味だったレギオンを止めるには、アルカディアを利用するしかなかったのだ》

生まれたばかりの世界、アルカディア。

神々が下界に顕現出来る唯一の世界を、滅亡待ったなしなレギオンが見逃すはずはない。

案の定、彼はアルカディアの神々をハメようと賭けを持ちかけてきた。

それを予想しつつも、地球の神々は黙って事の成り行きを見守りながら、レギオンが暴走するのを待っていたらしい。

《神はな。世界と共にあるのだよ。世界が滅ぶ時、神も消える。その恐怖が奴を狂わせたのだ》

本来なら粛々と滅びを迎え、従容として消滅する。

《だが、奴は若かった。奴の世界も。己の過ちを認められなかった》

己の存在が消えることを認められなかった。そのために幼いアルカディアの神々を騙そうとした。

ここで、既にアウトだったらしい。

高次の方々とかいう、神々よりも力のある存在の逆鱗に触れた。

さらには、余所の世界への多大な干渉。そして千尋を召喚して殺そうとした事がトドメになったらしい。

結果、レギオンの世界は滅び、アルカディアの勝利が確定した。

金色の魔力だけを回収出来れば、あとの些細な事は不問となるのだとか。

主達らのことらを含めて。

《後始末は我々がやるよ。君はどうする?》

『へあ?』

《君の妹さんいるよね? 地球の。彼女が女の子を妊娠してるんだよ。まだ魂は入ってないから、君を入れる事も出来るよ。形は違うけど元の家族の元に返してあげれる》

『おおお、それは良いかも。でも、孫になるのかぁ。お母ちゃん達びっくりしないかな』

嬉しさ半分の苦笑いを浮かべる千尋に、神々は少し口ごもった。

《あのね。記憶の継承は出来ないよ? あれは異世界を生き抜くために与えた特典だから。ほら、翻訳ルビと同じにね》

言われて千尋は思い出した。

謎の翻訳ルビ。あれは一体何だったのか。

単刀直入に聞くと、神々は苦虫を潰したかのように閉口する。

《あれはね。君が森の主を殺してしまった時の保険だったんだよ》

いわく、森の主でなくば金色の王の詳しい事情や隠蔽された歴史を千尋に伝える事が出来ない。

しかしそれを知る前に、悪魔の右手が問答無用で森の主を殺してしまう可能性は大いにある。

そうなると、千尋は古語で記された古い文献を探しだして読まないと世界の成り立ちを理解出来なくなるのだ。

今のアルカディアに、神世の時代の文字を読める者はおらず、その補助として翻訳ルビを持たせたらしい。

結果は御覧の通り。小人さんの暴走によって、神々の配剤は悉く無駄になった。

あはははは、さーせん。

千尋が主と盟約したのも、金色の環を完成させてしまったのも、主の森を破壊しようとしたのも、全てが神々の思惑の範疇外。

森の主らを処分する事が前提だった神々の思惑から盛大に外れ、どのような結末になるのか、全く予想もつかず、天上から見守る神々はハラハラし通しだったらしい。

だが、終わり良ければ全て良し。

《ファティマも元に戻ったし、これで歪みは全て正された。あとは君に御礼をするだけだ》

地球の神々は柔らかく微笑むと、再び千尋に願いを問う。

《神の理に関わった人間は、総じて辛い終わりを迎える。そなたもな。だから、来世は溢れんばかりの幸福を約束しよう。望むならば、どのような家にでも転生させてあげるよ。君の元家族の家でもね》

辛い終わり。

確かに。千尋は慣れ親しんだ全てから、いきなり引き裂かれた。

レギオンが高次の使者に回収された時、フロンティアに戻ることを望んだ千尋に、神々は複雑な顔をしたのだ。

返せないと。勝敗が決した今、この場で全ての精算がなされなくてはならないのだと。

貸与した魂の返還。それには千尋も含まれる。

そういえばキルファンで言っていたな。

《次にまみえるのは最後の時だろう》

アルカディアの神々が残した言葉。今、その二人は目の前にいる。

つまり、今が、その最後の時か。

千尋は顔を強張らせ、再び終わってしまった自分の人生に愕然とした。

前世でも交通事故でいきなり親不孝したのに、今世もまた、親不孝してしまうのだろうか。

必ず戻ると約束したのに。ごめんね、お父ちゃん。

千尋の脳裏に優しい熊さんが浮かぶ。

思わず、ほたほたと零れる涙は頬の曲線を伝い、顎から滴り、小人さんの足元に小さな水玉模様を描いていた。

ここにアルカディア滅亡の序曲は、高らかに鳴り出す前に終わりを告げる。

全力で踊り狂った小人さんは、最後まで踊り切ったのだ。アルカディアの人々と共に。

誰も知らない伝説が、人知れず静かに幕を閉じた。