軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

転覆劇⑧

彼は弾かれたように部屋の中をぐるぐる回り始めた。アレクシアはそれを目で追いかける暇もない。頭の中身を整理するのがあまりに忙しく、彼の言う通りだとすれば、そんな出来過ぎた愁嘆場で国が王族を失っただなんて理解が及ばない。

レイドニー王子。オストン・ミストヴェル侯爵。すでにいない二人。

ありうるのだろうか? 一国に責任を負う立場の人々が、そんなくだらない出来事で命を落とすだなんて?

「恥ずかしい、恥ずかしいって。恥ずかしくってありゃしないって。俺が生まれたことが……俺を産んで、その父親を死に追いやってしまったことが恥ずかしくてしょうがないって。あたしのために死ななくていい人たちだったって、言ってたんだよ」

がっくりと、青年は肩を落としうなだれる。ドレフ人らしい角ばった肩、太い首筋には汗が滲む。

女を巡る争いで、騎士であるミストヴェル侯爵が王子であるレイドニーを殺したのだ、とすれば……それは、バルドリック王がミストヴェル侯爵家を冷遇する理由にたりうる。いや、なんなら王こそがタルヴェル・ミストヴェルを唆し、兄を殺させたのかもしれないとまで考えうる。

きっと誰も、そんなことがあったとさえ認めない。レイドニー王子は狩猟の事故で死んだ。それが事実だとみんなが言うんだから、それが真実なのだ。

だが。

アレクシアはつくづくとデルマンスの顔を眺めた。彼の精悍な顔のどこにも、テトラス王国エヴレン王家の面影は見いだせない。ただ、強いていうならば――少しだけ尖った耳の形が、どこかで見たことあるような。そんな角度に見える。それだけ。

「お母様のことは、埋葬してあげた?」

「な、なけなしの金があったから。枕の下に……集団墓地に入れたよ」

「それでいいわ。それでいい」

アレクシアは目を伏せた。

「いったん、私の部屋へ。侍女のエマとぴったりくっついて、彼女の身に危険が迫ったら全力で守って頂戴」

デルマンスは神妙に頷いた。もしも切羽詰まった状況がやってきたら、彼はきっとそうするだろうと思われた。

だからアレクシアはある意味安心して、進みだした。部屋をいくつ越えたか、これは何部屋目か。怒りと憎しみを鎮めるのに、歩くことはたいへん役立ってくれた。足を止めることはせず、飾り立てられた真四角の部屋をただ進む。

王宮ルム・ランデは奥部へ進めば進むほど、部屋は古く、真四角はだんだん歪んでくる。煉瓦の冷たさは増し、暖炉の熱は消える。始祖王の英雄譚を描いたタペストリーが続々と続き、どんどん古びていく。彼に従った種族たちのうち、とくにエルフの森の物語が珍重されているようだ。衛士の数がだんだん増えていく。奇異の視線を浴び、それらを毅然と跳ね返して彼女は進む。胸の鼓動が速い。ヒールで踵が痛い。

アレクシアは行かなければならなかった。

王宮ルム・ランデは、聖なる宮殿とも呼ばれる。その静けさは神聖さの現れでもあった。アレクシアのヒールの音はコツコツとその沈黙を破る。歩みは速く、一定で、迷いない。

「ア、アレクシア様! お待ちください、そこから先は――」

と、背後から声がする。シュカルムだ。息せききって、扉から扉をバンバン開けて進むアレクシアを止めようとしている。少し裏返った声が、無理やりこじ開けた喉から出る。

最後の扉の前でアレクシアは振り返り、首を横に振った。土色の髪はふわりと広がる。青い目がきらっと光って、彼女は牙を剥いたけだもののようだ。

「いいえ、シュカルム。私は行きます。どうしても」

呆然と、シュカルムは立ちすくんだ。だがアレクシアに続いて、許しがあるまで決して入ってはいけないそこに、王の間に、入り込んだのは忠義の証と言えるだろう。

王の間は閑散としていた。分厚い緋色の絨毯、大窓にかけられた絹のカーテンはさやとも揺れない。アレクシアは進む。

使用人用の出入り口から、衣擦れを響かせ侍女たちが現れた。

「なりません」

「お控えくださいませ」

「ご禁制でございます」

「許可証は」

「通ってはいけませんよ」

「無断での立ち入りは……」

「御用件は私どもがお伺いし」

「然るべき者がご案内します」

「衛兵は? 騎士は?」

「ああ、誰も――止めなかったのね!」

か細い身体、結い上げられた髪。髪飾りや耳飾り、指輪がキラキラと輝くのは、窓から差し込む【大氷河】の青白さのせい。おしろいと頬紅で飾られた美貌、焚き染められた香炉の煙の香り。彼女たちは蝶の群れのように綺麗だった。

だが、アレクシアは意に介さない。シュカルムがおどおどとその肩に手をかけようとするのに、身を翻してはほとんど駆けていく。王と王妃、ふたつぶんの玉座の向こう側へ。

最初にバルドリック王に謁見したとき、まるで王が突然現れたように思われた。それはおそらく、見えない箇所に隠し扉があるということだ。アレクシアは玉座へ至る階段を見上げ、その脇に回り込んだ。どこか、あるはずだ。取っ手か、くぼみか何か。

「アレクシア様、いい加減になさいませ!」

シュカルムが悲鳴のような声で叫び、侍女が呼んだ衛兵がとうとう王の間へ突入したそのとき。

アレクシアは階段の裏に隠された戸口を見つけ、手をかけ、思いっきり引いた。

小さな小さな通路が見える。魔法灯が白くなめらかなその道を照らしている。なぜだか、ほっとした。王宮ルム・ランデで初めて見た、人が通るための廊下だった。

アレクシアはその中に身を滑り込ませる。シュカルムが続き、侍女たちがざわめき、衛兵たちは戸惑う。騎士たちの鎧ががしゃがしゃ言う音がする。

狭く短い廊下は香炉の香りでいっぱいだった。頭の芯がふわんとする、紫色の煙の甘さが鼻腔をくすぐり、アレクシアはとろりと涙ぐむ。

(あ、これ。薬だったのね)

怪我や病気を治すためではない目的に使うための。

危なかった。もっと早く気づくべきだった。まだ、完全に摂取したわけではないから依存症には至っていないはずだ。

アレクシアはなるべく息を止めて廊下を渡り終えた。そこにあったのは小さな部屋だった。真四角ではない。いびつな三角形の形をして、衝立もカーテンも見当たらない。

そこには二人の人間がいた。椅子に腰かけ、膝の上の香炉に酔ったバルドリック王と、その傍らではっと振り返った女官長オルベッド。年老いた二人の顔には、まだ若い頃のみずみずしさの片鱗が残っている。

アレクシアはスカートを持ち上げかけたが、王が右手をわずかに上げ止めた。小さな部屋の入口で、息を切らしたシュカルムが、目を見開いてその情景を見つめていた。

アレクシアは王の瞳を真っ直ぐに見つめた。ヴィヴィエンヌにもエドレッドにも似た瞼の形をしていた。

「おくつろぎのところお邪魔いたします不敬をお許しくださいませ。お聞きしたいことがございます、バルドリック王陛下」

「申せ」

「あなたは知っていたのですか。カーミエールの街に、あなたの孫かもしれない子供が生まれたことを」

王は微動だにしない。何かを考えるように、何も考えていないように、じいっと天井を見上げている。そこにはただ発光する術式を刻まれただけの魔力石が埋め込まれており、彼はそれを見ているのだった。ただ、ひたすらに。張り詰めた静寂が耳をきいんとさせる。

「誰から聞いた?」

王の声は轟くように低く、しゃがれている。無数の皺に覆われた手が香炉を撫でると、女官長は心得た動きで追加の葉を足した。

「デルマンスという若い兵士からです。カーミエールの街の、守備隊所属の。彼の母はドレフ人の傭兵で、レイドニー王子と親交があったそうです」

アレクシアは息を吸う。甘ったるい煙の香りを、もはや楽しむすべはない。

「あなたは息子の子かもしれない子を孕んだ女傭兵を弟君であるランデリオ公の直轄地に軟禁し、その子育てを監視したのではありませんか? そしてあなたは――自分の孫かもしれない若者を、私への生贄にしようとした。フュルスト商会の五人を殺した犯人にしようと……」

言葉は続けられなかった。

王の手が、突如として膝の上の香炉を薙ぎ払う。関節が白く浮き上がった拳。半歩下がった女官長オルベッドと、逆に一歩進んで部屋に踏み入ったシュカルム。彼の忠臣たちも、こんな状態の王を見たことがなかったに違いない。

「あの女は死んだのか」

王は肩で息をしながら尋ねた。目を見開いた表情は王とも思えない。

アレクシアは頷いた。

「アルバ河に身を投げたと聞きます。確認はまだですが、嘘をついている様子ではありませんでした。遺書があったそうです。『また利用されてしまった』と」

王の肩が一度だけ大きく揺れた。ハ、と彼は嘲笑い、続いてより大きな声で笑い始める。

嘲笑がこれほどに悲しい響きを持つことを、アレクシアは知らなかった。この国に来てから、自分は知らないことばかりだということに気づかされる。