軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

旅立ち③

最終的に一行が落ち着いたのは、都アリネスの郊外にあるドレフ帝国軍に割り当てられた宿舎だった。母屋にはフィリクスが寝泊まりするための貴賓室があり、士官や参謀のための上等客室がある。その他の兵士たちは庭の東西に分けて建てられた使用人宿舎に寝泊まりしていた。

元々、【三日間の反乱】はレイヴンクール公爵家の主導で行われた。ドレフ帝国正規軍の存在感は大きかったが、タリオン一派に他国の重圧を与える意味が強く、戦略上そこまで重要視されたわけでもない。レイヴンクール公爵がさっさと引っ込んでしまった今、帰国を待っている状況だった。

群がってくる男たちをあしらって、フィリクスは一行を自分の貴賓室に入れた。ここなら盗み聞きの心配もない。

「若いのをテトラス貴族の邸宅に使いっ走りさせましょう」

というフィリクスに、ヴィヴィエンヌは頷く。

「ありがとうございます。恩に着ます」

壁際ではエマが率先して立ち働き、お茶を淹れる。まだ少年といっていい年の侍従が無言で手伝っている。

応接の場はドレフ帝国式だった。床に何重にも敷いた絨毯の上に並べられたクッションにもたれてくつろぐのだ。アレクシアは何度か経験があったので、なんとか座ることができた。ヴィヴィエンヌは裾の乱れを気にして足を揃えるのに四苦八苦している。二人とも普段着のドレスのまま、これは貴婦人としてなら着の身着のままといっていい。

二人の娘の正面にどかりとフィリクスが座る。胡坐をかくのも堂に入っている。つくづく、この男は王の気質だとアレクシアは思う。

シルヴァンはまだ険しい目つきのまま、ヴィヴィエンヌの後ろに立った。アレクシアは彼になんと声をかけていいのやらわからない。

「シルヴァン、どうしてアレクシア様を睨むの。やめなさい」

「そんなつもりは。――いいえ。すみません、アレクシア様」

「いいわよ。怒って当然だわ」

「二度目です。ヴィヴィエンヌ様の身柄が狙われたのは。ヴィヴィはこんな目に遭っていい人じゃない。それなのに、俺はまた……」

膝に頬杖をついてやりとりを眺めていたフィリクスが、ふいに片手を上げた。

「あー、少しいいか? 若者」

「俺ですか? 何でしょう」

フィリクスは目を細めた人好きのする笑顔のまま、すっくと立ちあがる。そのまますたすたと歩いてシルヴァンの腕を掴み、貴賓室から続くバルコニーへ。頑丈な大理石づくりの空間に出て、瞬間、腕を振り上げ青年の頬をぶん殴った。

「きゃ――」

ヴィヴィエンヌが悲鳴を上げ、口を覆う。

「ひゃえ!」

エマが砂糖ポットを取り落としかけた。彼女はアレクシアの護衛騎士だった頃のシルヴァンと顔見知りだった。慌てふためき、飛び散った角砂糖を集める。

アレクシアはため息を押し堪えた。男というものは、ときどきこうなる。そしてこれは必要なことなのだ、頭が痛いことに。

殴られてふっとんだシルヴァンはバルコニーの柵に背中を打った。したたかに叩きつけて動けない彼の肩に、フィリクスは次の一撃を腹に叩き込む。アレクシアたちが座る床さえ振動するほどの威力だった。

「公子、ほどほどになさいませんと――」

と侍従の少年が声を上げたが、フィリクスは振り返ることもなかった。

立ち上がりかけたヴィヴィエンヌを、アレクシアは制する。こういう場合は最後までやらせないと、禍根が残る。

フィリクスは無感動な声で言った。

「指示があるまで動いてはならない、顔に感情を乗せることさえ許されねばしてはならず、ましてや威嚇行為なんてものは厳禁。それが騎士だ。違うか?」

「ぁ――」

「お前は騎士の誓いをしたんだよな? なあ、なのに何故、主がやめろということをやめず、彼女の意図しない行動を取るんだ? 教えてくれよ」

「お、俺はヴィヴィを……守りたい」

「ヴィヴィ? ああ、まさかとは思うがお前、今、人前で剣を捧げた主のことを愛称で呼んだのか? てことはお前は王女殿下の愛人か? ア?」

「貴様、ヴィヴィへの侮辱は許さない……!」

「愛人か? って聞いてんだよ。聞かれたら答えろよ」

ぼぐっ。重たい打撃音。下からみぞおちを狙った膝打ちに、シルヴァンは完全に屈服した。

震えるヴィヴィエンヌの隣にアレクシアは座った。湯気の立つお茶ポットの乗った銀の盆を抱えて、エマもまたおずおずとヴィヴィエンヌの隣へ。二人に挟まれて、ヴィヴィエンヌは涙をにじませバルコニーを見つめる。

「お前は意志を持たない剣となるべき騎士の任をこなしながら、主を侮った。女だと思って舐めたんだよ、お前は。尊敬し敬愛し忠誠を誓いながら仕える主人を、崇拝すべき女性を、お前は下に見たんだ。いくら腕が立とうがどこの生まれだろうが、その性根では彼女を守ることなど無理だ」

四つん這いになり、なんとか頭だけを上げるのに必死なシルヴァンを、フィリクスはケッと毒づいて見下す。

「しばらくそうして寝てろ。反省しながらな」

右手をわざとらしく振ってフィリクスは吐き捨てた。室内に戻ってきたとき、すでにいつも通りに柔和な表情である。三人が寄り添いあっているのを見て、しまったと肩をすくめる。

「怖がらせちまったかな? 悪かったよ」

アレクシアはふうっと息をついた。

「憎まれ役、ご苦労様」

「いやいや、ついこらえきれなくて」

「エマ、お茶は?」

「ひゃ。はいっ」

そうしてお茶が配られた。リュイスのものよりこっくりと赤く、味も濃い南大陸式のお茶だ。銀のカップに入れて飲む。ふんわりと香る芳香に、徐々にヴィヴィエンヌの身体の強張りもほぐれた。

彼女は王女である。ならば、今は護衛騎士よりこの場の話を優先しなければならない。震えが収まり、顔色が元に戻った。無理やり首を巡らせてシルヴァンから視線を外したのち、王女は唇を引き結んで頷いた。

アレクシアは銀のカップを揃いのソーサーに置く。

「ヴィヴィエンヌ様にお報せがございます」

「――ええ、言って。あなたが息せき切って駆けつけてくれる前に、あの忌々しい侯爵から少しばかり聞き齧ったけれど……やはり、信用のおける人に聞きたいわ。祖国の話は」

アレクシアは簡潔に語った。

ドレフ帝国での反乱。皇帝と皇后の謀殺。失われた皇太子。これから帝国は未曽有の混乱に叩き落とされるだろう。

リュイスはドレフ帝国軍を警戒し、交易路を封鎖。今後、二国は緊張状態で、どこまでいくかわからない。……下手をすれば開戦一歩前まで。

フィリクスの反応が気になったが、彼は穏やかに微笑んでいる。社交界でよく見る、話を聞いているふりをしているのか、聞いているのかわからない男の恰好だった。リュイスの貴族から先に聞いていたのか。両親と、弟の話を。

アレクシアはフィリクスのことを考えまいとした。考えるには彼のことを何も知らなさすぎる。

「ああ、それで――」

ヴィヴィエンヌは軽蔑の息を吐いた。

「あの侯爵、私と自分が結婚すればいいと言ったのよ。花嫁となったわたくしを筆頭に、テトラスに戻りましょう、トンムークの軍がお守りしますなどと。何を言っているか、さっきはわからなかったけれど」

「それでシルヴァンさんが激昂したんですねえ……」

思わずと言ったようにエマが呟き、アレクシアは苦笑する。まだ喋れないシルヴァンがバルコニーで呻いている。

「ヴィヴィエンヌ様、すぐにでも帰国なさいますか?」

「こうなってはそれしか。もうリュイスの出方を待ってはいられないわ。一刻も早く帰国しなくては。……私は祖国にとっての反逆者になるつもりはないし、この国にとっての侵略者になりたいわけでもないのだから」

「お供させてくださいませんか?」

「なんですって?」

「フュルスト商会は次の売り込み先をテトラスと見定めて、一足先に支部を創設しかけていたのです。そのためにテトラス入りしていた商会員と連絡が取れなくなりました。私は彼らの無事を確かめねばなりません。それが私の義務ですから」

「……危ないかもしれなくてよ?」

「覚悟の上です」

アレクシアはきっぱりと言い切る。ヴィヴィエンヌは微笑した。その苦労はよくわかる、と言いたげな、どこか荒んだ笑みだった。

「わかりました。――アミラコム分領公。使者にはなんと伝えられたのですか?」

「テトラス貴族の誰でもいいから引っ張ってくるようにと」

「では、その貴族がつき次第その足で出国した方がよさそう。アレクシア様もご同乗なさいませ」

「そうさせていただきます。エマ、エマは残っていてもいいから……」

「とんでもない!」

エマは薄い金髪の前髪が跳ねあがるほどの勢いで飛び上がる。

「私はアレクシア様にお供します。お父様はもう治りました。家は大丈夫です。御恩を返すと、何度も申し上げていますでしょう!」

アレクシアはふっとこみ上げる微笑を隠し切れない。フィリクスがカップをくるくる回しながら、懐かしいものを見る目でエマを見つめる。

「ああ、忠義者の侍女だ。よい貴婦人のそばには、いつだってこういう女の人が侍っているものだ」

さて、そのとき腹を抑えながらシルヴァンが室内に戻って来て、よろよろとヴィヴィエンヌの後ろに直立不動した。死んでもフィリクスに情けない姿を見せたくないらしく、両足で踏ん張っている。

その姿は、その場に苦笑をもたらすのに十分だった。