軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

とても考えられない③

「次に、君の要請で、リュイスに一軍を率いてくる前のことだ。父と弟はこれを機に侵略してしまえと言った。正直、俺もそのつもりだった――怒ったか?」

「まあ為政者ならそうでしょうね」

「そうだ。できなかった。心情的な問題ばかりではない。できないようにされていた――武器商人はフュルスト商会の配下だった。我が軍の主力、アミラコム分領とされた地域に元から展開していた軍団の農地開拓には、フュルスト商会から融通される肥料と農具が欠かせない。加えて騎士たちの多くが君の父親に借金を抱えていた。いったいどこまで手を伸ばせば気がすむんだと思うほど、フュルストの名のつく金が軍事力の最奥にまで入り込んでいた」

「うふふっ」

アレクシアは誇らしげに鼻を鳴らし、双子が草陰で拳をぶつけあう気配がする。風はざわめき、薔薇のかぐわしい香りが香水より儚く周囲を包む。

「我が父は計略家だもの。そうやって縛られている軍や領主は御国だけでなく、ここリュイスにもテトラスにもファーテバにもいるわ」

家宝や領地など、死んでも手放せないものを担保に取るのがコツである。ついでにご子息ご息女を見習いの名目でフュルスト商会に預けていただければ、完璧。

「それだけじゃない。――始めたのは父親かもしれないが、その権利の一端を引き受けたのは君だ。ドレフ帝国の末端に借金による手綱を嵌めたのはアレクシア、君だろう?」

口調は問いかけだったが込められたのは断定の意である。アレクシアはお腹がいっぱいになった虎のように笑った。

「ドレフ帝国軍は撤退する。せざるを得ないだろう。有利な条件での貿易関税くらいは定められるかもしれないが。――名目上は、【雪花の誓い】を尊重した名誉ある撤退ということになるのだろうな」

【雪花の誓い】ははるか昔、この大陸に国々が芽生え始めた頃に交わされた盟約だ。リュイスにおいては建国王、ドレフ帝国においては始祖と呼ばれる王がいた。彼は凍える息を吐くドラゴンと戦う宿命にあったが、力が及ばず、他種族の手を借りることとなった。エルフ、ドワーフ、こびと、そして精霊の王とともに、彼は長い旅に出た。

旅路の果て、ついに王はドラゴンを食い殺し、大陸に平和をもたらした。それを見届けた他種族の王たちは、それぞれ種族を率いてこの大陸から去っていった。ドラゴン亡き今、大地のすべてを人間族が支配下に置くことは明白だったからである。

最後に立ち去った精霊王と我らが人間の王が交わした【雪花の誓い】は、このような内容だ。大陸を手に入れた人間族は、必ず相争うようになるだろう。人間族同士が互いに相食み合い、滅びの危機に瀕したとき、精霊族は舞い戻りこの大陸を我が物とする。エルフ、ドワーフ、こびとは肉体を持つ生き物であるから、一度次元の狭間を越え別世界に定着すればもう戻ってこられない。けれど精霊は違う。精霊の身体は元素のみで構成される、実体を持たない生き物である。

精霊王はすべての人間に呪いをかけ、それが【雪花の誓い】となった。

――いち、人間同士、平和に暮らさなければならない。に、やむを得ない理由で戦争を起こすときは、最短の時間で終結させなければならない。さん、精霊王は常に人間世界を見ていることを忘れるな。

太古の昔、リュイス、テトラス、ドレフ帝国、そしてファーテバの元になった古王国時代には、【雪花の誓い】そのものにも魔法的な強制力があったらしい。しかし魔法自体が衰退し、魔法使いの存在も珍しくなった昨今、どの程度までその効力が残っていることか。

これが転じて、利益を度外視した援軍や支援、いわゆる敵に塩を送る行為などを差し【雪花の誓い】と呼ぶ。ときには、膠着状態に陥った戦場から撤退するもっともらしい言い訳として使われることもある。

「結局のところ、【雪花の誓い】が持ち出された時点で騎士様方の負けですわ」

アレクシアは鼻高々に手を打ち鳴らす。はしたなくもスカートの中で足をぱたぱたさせる。

「うふふん。商人だって戦っているのです。フュルスト商会を倒せば全員分の借金がチャラ、なんてことなら一致団結もできましょうけれど。団結できないよう、わざと個々人ごとに少しずつ条件の異なる契約を結んでるもの」

父フュルスト卿の手腕は本当に、凄まじい。借金が返せなくなったときの追い込みも、物凄い。あれは金と書類とインクとペンと話術で行う戦争そのものだ。

ドレフ帝国はかつてにくらべて弱体化した。また、数年前の冷害から立ち直っていない食糧備蓄ではリュイスの即刻占領は無謀である。ドレフ帝国軍はリュイスの都アリネスにまで立ち入った。ならばここで武を振りかざし王宮でも占拠してしまえば実質的な勝利だ。だが、できない。名誉を失うばかりではなく、大陸全土を敵に回すことになる。

「うん、みごとだ」

しみじみと、フィリクスは首を横に振る。呆れ果てているようにも、感嘆しているようにも見えた。

「俺の知らない戦い方だった。あんなやり方があるとは知らなかった。ずっと側で見ていたいと思ったんだ」

「なんだ、つまりそういうこと」

アレクシアはほっとする。

「この力がほしいというのね、フィリクス様? 確かにドレフ帝国の人は金勘定には疎いもの。私に側で財政を助けてほしいってことなら――」

「違う!」

叫んでフィリクスは立ち上がる。ぐおっ。と音がしたような気がする。薔薇の香りと彼の麝香の香りが混じり合った風が起こる。すわ、双子が飛び出そうとして互いの足に引っかかって転んだ。薔薇の垣根が軋む。花弁が舞い散る。

びっくりしすぎて、というか縮み上がって思わず手摺にのけ反ったアレクシアを見、フィリクスは慌てふためいた。

「ご、ごめっ、すまないアレクシア。怖がらせるつもりはなかった。すまない……」

「びっくりしたけど大丈夫」

「すまない。座る」

と言って彼はまたもや片膝立てて跪き、アレクシアから一人と半人分ほど距離を取る。悪いことをしたと自覚している犬のように、黒い目がおどおどこちらを伺うのを見てアレクシアは怒る気も失せた。

「ま、まあいいですわよ。許してあげます」

「すまん。……その、信じられないと思うが、違う、利用したくて求婚したんじゃない」

「はあ」

「俺は――君の目から見た世界が見たくなったんだ」

アレクシアはしげしげとフィリクスを見つめた。精悍な美貌である。今流行りのなよなよした男みたいなところは一切なく、がっしりして逞しい身体。一心に狙いを定めてくるまなざしは、どこか虎に似ているようにも見える。立派な男だ、それは間違いない。

話した限り、嘘の兆候もなければ自分で自分に酔っぱらっているわけでもなさそうだ。だからこそ、解せない。

「君はあまりにも、俺と違うから。こんなことをする女の目から見えるものとはどんなのだろうと気になって、一度、気になり始めたら――止まらなくなってしまった。君に側にいてほしい。打算ではないよ」

迷いはあったが、アレクシアは目を閉じ覚悟を決めた。薄い瞼にうっすらと静脈が透ける。彼女は知らなかったが、フィリクスはその繊細な模様に内心息を呑んでいた。

少なくとも、彼は誠実だった。

アレクシアは商人の娘であり、自分自身もまた危険な賭けを始めようとしている商人である。ならば、誠実には誠実で返すべきだった。

「聞いてほしいことがあって」

「ああ」

「私にはやりたいことがふたつ、あるの」

細くて長い指を二本出す。フィリクスは飼い主のマテをよく聞く犬のように従順に、それを見る。

「ひとつ、生家ガイガリオン伯爵家を私は手に入れた。因縁がある人物たちを、合法的にどうにかしたい。しなくてはならない。かつて私はお母様に逃げることを選択させてしまった。今でも正しかったと思うけれど、あの人がしっぽを巻いて逃げた側だと言われるのは我慢ならない。帳尻を合わせる必要があるわ」

一本の指が畳まれる。彼の黒い目の瞳孔がきゅっと小さくなる。薔薇の影が浅黒い肌に落ち、くっきりした目鼻立ちを強調する。

双子が息を詰め、話に聞き入っている気配がする。ごめんね、先に話しておけばよかった。でもあなたたちは姉を止めたでしょうから……。

「ふたつ、貴族社会で目立つこと。私はここにいるわよ、って。恥じ入って隠れたりしないわって示したい。そして思い出してもらうの、私の血筋を」

「王女の血脈か。そうか……君には王位継承権がある」

はっきりと、フィリクスはそのことを口に出す。

アレクシアは頷いた。思えばこの野望をハッキリ口に出して示したのは、この男に対してが初めてだった気がする。わずかな逡巡と、やがて湧き上がる欲望がフィリクスの顔を覆った。

だからね、とアレクシアは続けようとした。だからあなたの花嫁にはなれない。私はドレフ帝国の一分領のお妃様で終わりたくない。

私がなりたいのは王だ。リュイスとテトラス、双子のようによく似た二国の王だ。

フィリクスの黒い目の中で瞳孔が収縮し、心なしか潤む。薔薇の香りがする。どこからか飛んできたオレンジの花びらが彼の肩に乗って、すぐに離れていく。

「女王になりたいんだな?」

「ええ」

「そうか。ならば、分領の妃では確かに役不足だ。一国と領地では釣り合わない。君の望むものを俺は君にあげられそうにないな。悲しいことだが仕方ない」

「わかってくださって嬉しいわ」

「……俺もドレフ帝国を、いや、家族を捨てられない。一度捨ててしまったのに、再び背を向けるのは親不孝がすぎる」

しんみりと、彼は言う。

「リュイスにはもうしばらく滞在する。また会いに来ても?」

「ええと、ご厚意をいただけるのは身に余る栄誉ですが……」

「わかった。――遠くから君を崇拝するのは許してくれるか?」

「そのくらいなら、ええ」

「ありがとう」

そうしてフィリクスは寂しそうに笑った。自分が捨てられることを予期した子供のようだった。あんなに大きく、堂々としていた男が縮んで見えた。アレクシアの良心は痛む。だが意地になって笑った、耳を伏せた虎のように。

フィリクスは立ち上がり、アレクシアへ右手を差し出した。大きく強く硬い手を彼女は握る。決裂した商談の終わりよりも物寂しい。彼が踵を返して庭園を立ち去る間も、どこか心臓がシクシク痛んだ。

こ、これが音に聞く、ふる側の辛さというものだろうか。別に一生会えなくなるわけじゃあるまいに。

しばらく、呆然と立ち尽くしていた。ガサゴソ音がして、手を取り合った双子が垣根の裏から出てくる。してほしいときに邪魔をせずほしくないときにするのが、こいつらである。

「あー、姉様?」

「姉様、ねえ?」

アレクシアは頭を抱え、呻き膝を抱えてその場に蹲った。神聖集会用の黒いドレスが黒薔薇のようにまるく広がった。

双子は顔を見合わせる。アレクシアの土色の髪がふわふわと薔薇の香りの風に舞う。

「まあでも、姉様悪くないよ。ねっ?」

「俺たちもからかって悪かったよ。な?」

と背中を叩いてくれたり、互いをつつき合ったりする双子の言い分に耳を貸す元気もなく。アレクシアはただただ項垂れる。こんなに落ち込んだのは、昨日まで元気だった商売敵が一家心中したとき以来かもしれない。

「あーあ」

と彼女はため息をつく。目下、それしかできることはない。

……あーあ。