軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ガイガリオンの場合④

ガイガリオン伯爵の死体が上がった。王宮護衛騎士団がただちに調査を開始し、事件性なしと即日判断された。行く末を悲観した罪人が自死を選ぶのは、珍しいことではなかった。

そんなわけで当たり前といえば当たり前のことであるが、アレクシアはガイガリオン伯爵家を相続した。愚かなことにガイガリオン伯爵――故ガイガリオン伯爵、アレクシアの実父は彼女を戸籍から外さず、相続権を停止することもなかったのだ。

伯爵は社交界では公然の秘密であった夫人の出奔をないことのように振る舞った。フュルスト卿との関係も、知らぬ存ぜぬで通した。そうするしかなかったのだろう。そして妾とその子らを家に入れた。貴族と平民女、半分平民の子供らが同居する奇妙な生活が始まった。

ザイオスを学院に入学させ、ペルアを修道院が運営する女学園に入れ。事実上、伯爵の嫡子として扱ううちに、周囲も納得されると思ったのか。

それで納得するのは平民までであり、貴族は決して彼らを受け入れなかっただろう。何故なら貴族社会の基盤は社交界にあり、社交界に居場所のない者はいないも同然。平民身分のままの妾エイナではパーティーに参列できず、慈善もしようがない。誰も顔を知らない女が伯爵家に居座っている? ならばそれは、愛人であろう。常識的な貴族であれば、そう解釈するのは当然である。

アレクシアは正直、困惑している。ガイガリオン伯爵家には時間だけはたっぷりあったはずなのに、どうして戸籍を改竄することもしなかったのか。妾エイナをどこかの貴族家の養女にして、身分の問題をクリアすることだってできたはずだ。ガイガリオン伯爵は王の寵臣、学院時代からの側近だった。やりようはいくらでもあったはず、伝手だってあったはずなのに。

そう思いながら、アレクシアは腰まで渦巻く土色の髪をふわりと揺らし、馬車のタラップから降りた。伯爵家から人が出てくる気配はない。大門は覚えているのよりがたが来ていた。ところどころ錆びているようだ。塗装を塗り直さないのだろうか? 禿げたところから錆が侵食している。

ちょうど朝食が終わったあたりの時間帯である。居並ぶのは、フュルスト商会の管財人や秘書たちだ。コトル運河にある商会の船着き場で働く積荷監督者と船舶管理の責任者たちである。総勢十二名。

皆、父フュルストの手配である。アレクシアが暗い離宮の池でやらかしたへまを苦々しく思い、かつ心配してくれているのだ、たぶん。過保護な父であるとは思うけれど、まあこれだけ頭数が揃えば押し負けることもあるまい。

「みんな、忙しいのに足を運んでくれてありがとう。あとで私から一人につきよいワインを一本と、特別手当を出します」

嬉しそうな小さなざわめきが起きた。

アレクシアは革の斜めがけ鞄の中から、議会の承認印が押された所有権利書を取り出す。

「これは議会の承認によって私がこの家屋敷と家督の相続人となったことを証明する書類です。女の私が持っていては危ないでしょうから、じいや、頼みます」

と、長年父フュルストの秘書官を務めてきた老爺に手渡す。南国ファーテバにおけるフュルスト卿の拠点である屋敷の管理人でもある彼は、信頼されたことが嬉しいようだ。嬉々として受け取り、大切に手持ちの書類鞄に収めた。

「確かにお預かりいたします。しかし、お嬢様。そのようなことをおっしゃるとは――これから危ないことが起きるかのようですな」

「だって起きそうじゃない? 中にいるのは長年貴族扱いされてきた無職の平民よ? 暮らしを奪われまいと、襲い掛かってきそうだもの」

集団から失笑が漏れる。彼らは皆、己の職務に誇りを持っている。

「それでは、突入」

アレクシアの号令一下、一同はガイガリオン伯爵家へと入り込んだ。呆れ果てたことに、鍵は錆びついて機能を果たしていなかった。

場所はリュイスの都アリネスの郊外。彼らが乗ってきた馬車の中には、数人ずつ若い男たちが控えている。何かあったときのため、アレクシアが急遽日雇いした積込人夫たちだ。コトル運河で身体を資本に働く若者たちで、見込みがあればフュルスト商会で正式雇用することもある。

壮麗なはずの車寄せつきの前庭を、誰の出迎えも受けず黙々と進む。正面の大扉の蝶番を掴み、アレクシアはガンガンと叩いて訪問を知らせた。かなりの間があって、のろのろと扉が開いた。出てきたのは知らない顔の初老の男、うさんくさそうにアレクシアをねめつける。

「フュルスト商会より参りましたわ。アレクシアと申します。議会の承認の元、この家屋敷は私のものになりました。開けてくださいな」

「……あー、旦那様のお、ご許可なしにそういうことは」

アレクシアは苦笑し、じいやに合図した。示された書類を執事らしい初老の男はしげしげと見つめたが、内容を理解していないのは傍目にも明らかだった。だが、彼は結局、一行を通した。

やはり――。

こういう相手であれば、ひとまず数を揃えてきたのは正解だったわけだ。今だっておそらくアレクシア一人であれば入れてもらえなかったに違いない。十二人の男というのはそれだけで効果があるものだ。

アレクシアはガイガリオン伯爵家に足を踏み入れた。

最初に感じたのは、異臭。鼻が曲がりそうな、というほどではないが。空気中をずっと生ゴミのにおいが漂っている。貴族の家にはあるまじきことだ。まろい円のかたちに整えた眉がきゅっと寄った。

「あの、ご夫人はどちらに?」

と、さっきの男に聞く。男のお仕着せは覚えている通りだったが、襟は曲がっているしなんと上質の生地にフケが散っている。彼は白手袋をした手で、信じられないことにがりがりと頭をかいた。

「さーあ? 朝食室か、どっかにいるんじゃありませんかねえ……。あっしにゃよく……」

「あなた、服装からして執事の業務をされているようだけれど。本当にわからないの?」

「はあ……」

男はぼんやりするばかりである。見限って、取り急ぎ屋敷の奥へ進んだ。

荒廃した、としかいいようがない有様の室内。絨毯は毛羽立ち、禿げ、飾り棚の上には何もなく、あったかと思えば割れかけの花瓶に枯れた花が差されている。腐った水のにおいがする。窓の飾り枠の金メッキも禿げ、ひび割れたままかろうじて割れていないガラスごしに見た中庭は荒れ放題だった。――いったいどんな管理をすればこれほどの惨状に。いや、エイナは家の管理などしない女だったか。

「いったいなんのために貴族のお妾さんになったのだか……」

呆れ果て、呟きにも力がこもらない。後に続くうちの数人が無言で頷き同意を示した。

さて、そのような次第でアレクシアは朝食室へ向かった。扉は開け放たれていた、いや違う。元々あった扉は取り外され、金の金具も露出したままアーチ型の開口部の状態である。

部屋の中には三人の人間が、思い思いの体勢でくつろいでいた。なぜ朝食を食べるための部屋にソファと寝椅子が持ち込まれ、異母弟ザイオスがソファに寝転び、寝椅子にその母エイナがしどけなく横たわり、絨毯の上で異母妹ペルアがゴロゴロしているのか。アレクシアは考えたくもない。

開口部を指さし、尋ねた。

「これ、どうしたの? 扉は?」

確かオーク材の、高価な一枚板だったはず。ドアノブは本物の金だったはずだ、真鍮ではなく。

「おめーなんかに教えてあーげないよお」

男の声がここまでカン高く、震えることができるものだろうか。ザイオスはニタニタと、いつかカレンナ・ブレインフィールド伯爵令嬢を馬鹿にしたのと同じ表情で嘲笑う。ソファの肘掛けに頭だけを乗せ、首を痛めてしまいそうだ。そういえばあの卒業式の夜から、まだ二週間も経っていないことにアレクシアは気づく。

執事の男がオロオロと手を振った。

「あ、ザイオス坊ちゃんが。ちょっと前に……ぶつかって、転んじまったんです。そんで木が、壊れちまって」

「呆れた。オーク材は頑丈よ。どんな勢いでぶつかったのでしょうね」

どうせ手入れもせずに放っておいたのだろう。湿気を含んで脆くなったところ、ザイオスが八つ当たりで何かを投げたか蹴ったかしたのだ。見てもいないのに手に取るようにわかる。

朝食室には腐臭が漂っていた。見ればテーブルに幾重にもかけられたレースのクロスの上、食べかけの朝食が放置されている。メイドは誰も下げにこないのだろうか。

「エイナさん、お話があります。少しよろしくて?」

アレクシアは言ったが、エイナは反応しなかった。ただ寝椅子の上に横たわり、自分の爪を見ている。赤く塗られた染料がやや禿げている。

「エイナさん?」

アレクシアは強めに、商談相手を揺すぶるときの声を出した。ザイオスの肩がびくっと跳ねあがり、ペルアが小声できゃーと言う。こっわーあい。それから少女は媚びた目つきでアレクシアの背後の大人たちを見つめたが、誰一人として反応しないのだった。

結局、のっそりとエイナが立ち上がったのは数秒が過ぎてからだった。

「えー? これ誰えー? あたし、あんたなんか知らない。知らない人と話したくないんだけどー?」

と言いながら、ゆっくりゆっくり、寝椅子から降りる。動きは鈍重そのもの、優美なところはひとつもなかった。アレクシアは田舎の農場で見かけた牛を思い出した。

「私はアレクシア。ルクレツィアの娘です。我が父セオドア・ガイガリオン伯爵は死にました。よってあなたが方はすでにこの家にいる資格はありません。即刻退去していただきます」

ザイオスがソファから跳ね起きるが、思った以上の人数がいることに怯えたようで黙り込んだ。何も言えず、ただ口をパクパクさせてアレクシアを睨みつけるばかり。

「あっのねー? エイナ、そんなの信じないもん。また嘘言ってぇ。嘘ついて、あたしを傷つけようってんでしょ? 貴族女ってさあ、自分のことわかんない奴多いよねー」

エイナはにやにや笑った。ペルアと同じ笑みだった。

「かわいそー。自分が笑われてるの、気づいてないんだ? みんな言ってるよお。この家はルクレツィアとアレクシアのせいで落ちぶれてるんだって。恨まれてるよお? どうするのお?」

アレクシアはつくづくと彼女を眺めた。父の妾だった女。元平民。ザイオスとペルアの母親だというのに、その身体つきときたらみごとなものだ。出るところは出て引っ込むところは引っ込んで。だが顔は――醜悪だった。つくりは美貌と言っていい。けれど、表情がおかしい。スラム街の子供のように物欲しげで、目が淀んでいる。

彼女の目はガイガリオン伯爵に似ている。何も考えず、動くことを拒否する者の目。

父に近づきガイガリオン伯爵家に上がり込んで、貴族の家で貴族のように暮らしたいのではなかったのだろうか? 正妻でさえも社交や慈善、子供たちの教育の役目を果たせていなければ離縁されても仕方ないのに、まさか本当に悠々自適に暮らせるとでも思っていたのか?――いたのだろうなあ、と思うしかない状況ではあるが。

アレクシアは首を横に振った。

「行く当てはおあり? ないのでしたらこちらで斡旋します。すでに父から私への爵位譲渡までが書類で済まされました」

「エエッ」

とザイオスが悲鳴を上げる。まさか、半分平民の自分が本気で跡取り息子になれるとでも思っていたのだろうか? まさかね。

「手続きは非常に迅速でしたよ。議会の承認もあります」

「嘘つくなっ、嘘つくな売女のくせに! あるってんなら見せてみろよ!」

「あなたでは見たところで判別できますまい。どうしてもというならその足で公文書保管院を訪れて調べなさいな」

ザイオスはきいいいっと呻いた。男の声とも思えない金切り声だった。

ペルアがばっと俊敏に立ち上がり、母親に寄り添う。母子は揃ってにやにやと同じ表情を浮かべる。ぼさぼさの金髪をいじりながら、ペルアは早口に喋り出した。

「あのねー? わかってないのかなあ? ここのおうちはパパのなんだよ? 今更来ても、もう、お、そ、いっのっ。わかんないのかなぁ? わかりまちゅかー? お前は求められてねえんだよ! 消えろお!!」

便乗するようにエイナもわめき出す。

「あたしたちを痛めつけたら、あたしの夫が黙ってないよ? あたしも怒るし、ホラ、ペルアちゃんも怒ってるでしょ? あたしのザイオスは強いよお? 学院で剣の授業取ってたんだもん。なんかいっぱい連れてきてるけどさあ、平民でしょ? ザイオスくんは貴族の跡取りだよ。平民が貴族に手を出したらどうなるか、知らないのぉー?」

間延びした声にイライラしながらアレクシアは後ろに向かって頷いた。心得た秘書たちがここにはもう用はないとばかりに屋敷内部に散らばっていく。この屋敷と領地の財政状況がわかる書類をどこからか発掘しなくてはならない。

「あなたたちがどんなひどい目に遭ったとして、あの男がなんら痛痒を感じることはないわよ?」

と噛んで含めるように言い、アレクシアは踵を返した。

「書類は私も探すわ。じいや、ひとまずその執事さん? と一緒に使用人を集めて。彼らが希望するならフュルスト商会で次の就職先を見つけます」

「かしこまりました」

「残りの人たちは屋敷の検分をお願いします。リヤトフさん、念のため若い男たちを連れてきて。手分けして片付けてしまいましょう」

積荷監督者リヤトフはすぐに家の外へ走っていった。じいやの動きも素早く、すでに大広間に使用人を集める号令を出している。

「ちょっとお! 逃げるのお!? 誰かー!」

「プップー! やだあ、逃げてるんですけどお。髪の毛ウネウネ! きもちわるうーい!」

女二人の姦しい声を遮断しつつ、アレクシアは二階へ上がる階段へ。手入れを放棄され埃にまみれてはいたが、まだ崩れてはいなかった。ガイガリオン伯爵の書斎ではすでに数人の秘書たちがきびきびと動いている。

「お嬢様、土地の権利書です」

「ありがとう。領地の農場ね。ここの権利書はある?」

相続権が認められ、すでにガイガリオン女伯爵の称号はアレクシアのものだ。だが実務に必要な書類がなければ、単なる名誉称号と同じである。秘書たちは頷いた。うちの一人である中年女性があ、と声を上げる。書斎の戸口にザイオスがいた。

「おいっ! 無視するんじゃねえぞてめえっ。無視すりゃお貴族様に見えるとでも思ってんのか? ああ?」

と怒鳴り、ずかずか入ってこようとするのを後ろからやってきた積荷助監督が止めた。

「ありがとうデーケス。しばらく抑えておいて頂戴」

「へい、お嬢さん」

「オイてめえ! 男の手なんか借りて恥ずかしくねえのかこのババア! 年増のくせに男侍らせやがって母親そっくりだな、この雌犬! 父がいつも言っていたぞ、あいつらは犬だって。犬のくせに人間ぶっても犬なのは丸わかりなんだよ――あああっ、パパの椅子を触るなああああ!」

秘書の一人、イネスタ・ベッタはエマ・リシャルと仲がいい。学院を卒業する前からたびたびフュルスト商会を訪れ、見習いとして見様見真似で仕事を手伝っている彼女のことを妹分と見做して色々世話を焼いている。ザイオスに付き纏われてエマが死ぬほど迷惑していたことも知っているので、検分の手には一部の隙もない。

イネスタは座面のへこんだ椅子をひっくり返し、布地と脚のつなぎ目をナイフで切り裂いた。溢れてる湿った綿にも部屋の臭気が染みこんでいる。彼女は顔をしかめもせず中を探り、声を上げた。

「ありました、お嬢様。家屋敷の所有証明書と、当主の印鑑です」

「よくやったわ、イネスタ。ご褒美のワインはクイ・フォルン産? ディルマレアの赤?」

「ディルマレアの重たい方の赤、一昨年のがいいです。当たり年だったそうで」

「了解よ」

アレクシアは受け取った書類一式を自分の鞄に収める。燃えるような憎しみの目でザイオスがそれを見つめている。

「それじゃ、少し話しましょうか、ザイオス」

「呼び捨てにすんじゃねえっ」

「デーケス、もうしばらくいて頂戴ね」

「へい」

アレクシアに続き、二の腕を掴まれたザイオスは廊下に出た。静かなものだった。腐敗臭は廊下の方が強い。窓はと見ると、蜘蛛の巣が張った上金具が壊れており、どうやら開かないようである。壁紙は剥がれ落ち汚れている。絨毯は足をひっかけそうにもろい。

「俺は認めねえぞ。お前なんかに死んでも爵位譲渡しねえ。するわけねえだろ!」

「何を勘違いしているの? この家の跡取りは最初から私です。正当な貴族の当主とその正妻から生まれた、正当な私がね」

ザイオスの顔が真っ赤になったが、後ろの男に腕を抑えられているので飛び掛かってくることはなかった。こんなとき、アレクシアはひ弱い女の身であることがちょっぴり恨めしくなる。ちょっぴりね。基本的に、母譲りの美貌は誇りだ。