軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

80 エピソード・ゼロ(レイア)

最後に見た夫の顔は、今でもよく覚えている。

大きな商いになるぞ、儲け時だ、と笑っていた。

そして沢山の荷を馬車に詰めて旅立ち……帰ってこなかった。

原因は魔物による襲撃だったらしい。

このご時世、街道付近では珍しい話で、運が悪かったと慰められた。

夫を失って、私は悲しみに暮れた。

けれど、それだけをしていれば良いほど社会と言うものは甘くはない。

失った積み荷の取引先への補填、従業員の遺族への補償。

夫の死亡に対して商業組合から保険金は支払われたが、それで全てを賄うことはできなかった。大口の案件に対して、夫が少し無理をして荷を用意したことも災いした。

本当に運が悪かった。

盗賊の襲撃が原因であれば、その討伐に伴って幾ばくかのお金が返ってきたのに……。

最後には夫の死に対してそんな感想を抱くほど、私の心は擦り切れていた。

情け容赦の無い社会の奔流に呑まれ、疲れ果てていた。

そして、どうしても返せない負債を前に、私は一つの決断をする。

終身奴隷として自身の身を売り、負債の返済をすること。

そして息子を神殿に預けるという決断である。

当然その判断には大きな 躊躇(ためら) いがあった。

自分の元に来ないかと誘って来る商家の知り合いもいた。後家になった直後とは言え、戦時中には生活できない未亡人の身請けなど良くあることだったと。

私は特に商才がある訳でもない平凡な女だ。

負債を抱えながら息子を養っていくことなんてできはしないだろう。

しかしそうして商家に身を寄せるのは、あの子の将来を縛ることにもなる。私は良くても、息子の将来が、窮地を救ってくれた恩を返すために費やされるのは嫌だった。

それよりは、神殿を後見にするほうがいいと考えた。

神殿に寄付を行えば、多少の自由は利く。学校にも通わせてもらえるだろう。もちろん負債を返した上でそうした条件を付けるためには、身売りの契約内容を緩く……例えば性奉仕を可能にして、奴隷契約金を多く得る必要はあるのだけれど。

色々なことを考えた末、私は決意した。

その結果、私は性奴隷として奴隷館に入り、代わりにあの子は神殿へと入った。

それからのことは実のところ、あまり覚えていない。

奴隷館で炊事や掃除をして過ごした期間は数か月程度。長いとも言えないが、短くもない。

しかしそれでも記憶が彼方にいってしまうほど、購入されてからの経験の密度があまりにも濃かったからだ。

……私のご主人様。初対面の印象は良く覚えている。

探索者らしい無骨な格好をした、けれどどこにでも居そうな青年だった。

周囲に控える竜人や、バンダナを頭に巻いた青年の方が余程戦士然としていた。彼らと軽い調子でやり取りをしている様は、年相応に見えた。

一方で面談の時に私に向けていた視線や、奴隷商人のクロウ氏と話している時の振る舞いからは、とても聡明なものを感じた。まさに奴隷を扱うにふさわしい風格があったように思う。

まあ、もしかするとその後に見た身体欠損治癒という衝撃的な光景が、記憶を 改竄(かいざん) したのかもしれないけれど。

彼……リョウさんの奴隷として過ごした日々は、私が予想していたよりもはるかに幸せなものだった。ともすれば、神殿に預けた息子に悪いと思ってしまうほどに。そして可能なら、今の境遇で息子と共に生きられるのならと思ってしまうほどに。

もちろんそれはあまりにも自分勝手な望みだろう。

リョウさんの都合を一切考えていない、身勝手な望みだ。

他の面々は「言ってみたらいいんじゃない?」という軽い反応だったけれど、私から言うのは憚られた。流石に厚かましいなんてものじゃないだろう。

気さくなリョウさんと会話していると、ちょっと言ってみようかと思えてしまうのが、最近の悩みの種だった。

そんな気さくで優しいご主人様。

私たちの生活は彼によって成り立っている。

探索で多くのお金を稼げているのは、彼の能力に依るところが大きいのだと、ズーグさんが言っていた。

妹と暮らせるのはリョウさんの配慮があってのことだと、トビーさんが言っていた。

自分が普通に生活を送り、学校にも通えているのはリョウさんが解呪をしてくれたからだと、シータさんが言っていた。

もちろん彼らが支え、彼ら自身が配慮してこその生活・関係性だとは思うけど、そうしようと判断し働きかけたのは紛れもなくリョウさんなのだ。

私とカトレアは後発組だけれど、彼が凄い人物なのはすぐに理解できた。

彼は紛れもなく、私たちが慕い、支えなければならない大切な主人だった。

けれどその彼が、つい先日、大きな仕事をこなすため迷宮へと出かけて行った。

出かける時の彼は笑顔だった。心配ない、必ず勝って帰ってくると。

その頼もしい言葉は私にとって、この上ない不安な光景だった。

そして不安が的中したかのように、やっぱりリョウさんは迷宮から戻ってこなかった。

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ズーグさんたちが帰ってきてから二日が経っていた。

リョウさんの捜索に向けての話し合いのため、出かけて行った彼らを見送って、私は食事の後片付けを始めた。

シータさんにも手伝ってもらいながら、てきぱきと食器を洗い桶に入れていく。

「……リョウさんは、大丈夫でしょうか」

片付けの手を止めて、シータさんが静かに言った。

「ええ、大丈夫ですよ。きっと」

不安げな彼女を安心させるように、笑顔でそう返す。

心配なのは私も同じ。けれど私も大人として、子供を不安がらせる振る舞いはできない。

それに……、

「ズーグさんも心配するなと言っていたじゃないですか。組合にも協力してもらえるって」

そうなのである。

彼らが迷宮から帰ってきてからわずかに二日。その間に、状況はどんどん動いている。

迷宮内で行方不明になったリョウさんの生存を、誰もが諦めていなかった。

彼を捜索するための再探索の準備、そしてその協力要請が、リョウさんが関わってきた人たちによって凄いスピードで進んでいる。

例えばズーグさん達は再探索のメンバーだ。けれど魔法使い無しでは無理だと言って人員を探し、すぐに知り合いの魔法使いに当たりをつけ、協力を得たらしい。

魔法学園卒業生だという彼らは、もう少ししたら魔導列車でキンケイルに行く予定だったようだ。マイトリスを離れる前でタイミングが良かったと、ズーグさんは言っていた。

彼らの持っていた魔導列車の切符は、キンケイル方面に協力要請の使者を出すために用いられることになった。

使者として、キンケイル探索者の協力を仰ぐのは武術師範のバーランドさんの役割だ。そして後ろ盾でもあるアルセイド公爵との面会は、奴隷商のクロウさんが。

過去に探索者として功績を残したバーランド師範や、リョウさんを絡めた取引きのあったクロウさんなら、それぞれ話が早いだろうという人選であるらしい。

私はあくまで片付けの手を止めず、そんな捜索に関する明るい話題を、次々例に挙げていく。

「……でも、もう四日目です」

「それは」

しかし、彼女の一言で私は言葉に詰まってしまった。

彼女の指摘は、 違(たが) えようの無い事実だったからだ。

迅速に進む捜索の準備。明るい情報なら他にもまだまだある。

再探索の準備金をクロウさんや組合が一部肩代わりしてくれるとか。あるいはあの英雄アーレンボルト将軍の働きかけで、軍から人員を引き出せるかもしれないとか。

けれど彼女の言ったように、過ぎていく時間が厳然として圧し掛かっている。

リョウさんが消え、ズーグさん達が魔法無しで迷宮を踏破し帰還するのに一日。そして準備のために二日が経ち、今日で四日目になる。しかしいまだに出発の目途は立っていない。

リョウさんが魔法で水を作れるとは言っても、食料無しでどれだけ生きられると言うのだろうか。

私が目を背けた現実を、目の前にいる私の半分しか生きていない少女は直視していた。それゆえの不安だったのだ。

「ごめんなさい、私、貴方を安心させられたらと思って……」

「いえ……私も悪いんです。レイアさんに否定してもらいたくて、あんな聞き方をしたから……」

恥じ入る私の言葉に、彼女は首を振りながら言った。

不安要素を否定してくれることを期待してのことだったと。

「でも簡単に否定できることならこんな厳しい状況になってませんよね。兄もあんな様子ですし」

そう言って、シータさんは苦笑を浮かべた。

「トビーさんの様子ですか?」

「ええ、兄さんは昔っからすごい強がりなんです。私の前で、あんまり辛いとか、そういうの見せたこと無いんですよ?」

シータさんの両親が亡くなった後、トビーさんが親代わりだったとは以前にも聞いていた。

確かに彼ならそういうところはあるかもしれない。たぶん、シータさんを不安にさせないように振る舞っていたんだろう。

これまで彼が、シータさん曰く「しんどそうな」表情をしていたのは、両親を失った直後と、シータさんの余命宣告を受けた時くらいだったらしい。

「そういえば、確かにこの二日間、いつもの軽口は無かったですよね」

「ええ、それはもう。いつもうるさいくらいなので、すぐに分かります」

シータさんが普段の兄を思い出したのかくすりと笑った。

こうして笑いを誘う話題で場を和ませようとするところを見るに、良く似た兄妹なのだなと思う。

そして同時に、つらい時に強がる性格であるところも。

トビーさんの軽口の相手はいつもリョウさんだった。

カトレアともそうした掛け合いはしていたけど、付き合いの長いリョウさんほどではなかったと思う。

その相手が行方不明で、助けるべき主で、トビーさんは軽口で楽観的なことを言うこともできない。

捜索のための手筈が進んでも、時間が過ぎていき焦燥感が募っていく。

そんな八方塞がりのような状況を前に、私たちのできることは多くなかった。

「……リョウさん、見つかるといいですね」

「ええ、本当に」

何の力も無い私たちには、結局のところそんな風に、互いに互いの不安を慰め合うことしかできなかった。