軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

4(2)-11

ぴろ、と短いけれど澄んだ音がした。

冷たい地下室に響く、混じりけのないその音に、その場にいた誰もが顔を上げる。

「わ……っ! ちゃんと音が出た!!」

歓声を上げたのは、その音を出した当の本人――フルートを持ったフィーネだった。

顔には抑えきれない喜びと、それ以上の驚きが滲んでいる。本当に自分が出した音なのだろうかと、信じられない様子だった。

「すごいぞ、フィーネ! お前はやればできると思っていたよ!」

オットーが真っ先に、フィーネの歓声に応える。オットーは、フィーネと同じく管楽器の持ち主だ。未だ、オーボエの音を上手く出せない彼には、フィーネの音は希望に思えたのだろう。

「やるなあ。フルートって、こんなきれいな音だったんだね」

ディータが拍手の代わりに、スティックを叩き合わせる。これまで聞いてきた音が、かすれて裏返ったような、悲鳴のような耳障りなものだっただけに、驚きを隠せていないようだった。

「フィーネ、おめでとう」

ディータに合わせるように、フェアラートが拍手をする。済ました顔つきに、口元だけを曲げたニヒルな笑みは、実に彼女らしい表情だ。

「フィーネ、素晴らしいよ! お前才能があるんじゃないか!?」

しかし、ディータとフェアラートの拍手さえも打ち消し、ヴィクトルが強く手を打ち鳴らす。なんだかんだと、誰よりも彼が嬉しそうだった。

若者たちは喜びに沸き、口々にフィーネを褒めたたえる。フィーネは照れたようにフルートを抱き、頬を赤くする。それでも、拍手は鳴り止まない。感動が、地下室を包み込む。

が――しかし待て。

「まだ音が出ただけでしょう!」

一曲演じきったような喜びぶりの若者たちに、カミラは一喝する。

フィーネがしたことは、フルートの音を出しただけだ。しかも短い一音だけ。たしかに、これまではろくに音を出すこともできず、出てもやかましくて耳障りなだけの雑音にしかならなかった時に比べればましだろう。

が、彼らは曲を奏でることが目的なのだ。なのに、音一つでこの喜びようである。

まだろくに音も出ないオットーに、バイオリンの調弦もままならないヴィクトル。力加減を知らない騒音ドラマーのディータと、腹から声が出ないフェアラート。たしかに、フィーネが音を出せるようになったのは、一歩前進であると言える。言えるが――。

「先が思いやられるわ……」

カミラは一人、額に手を当てて首を振った。

数日前。夜のバルコニーでクラウスに出くわして以降、カミラは頻繁に地下に足を運んでいた。

理由はいろいろあるが、一番の原因は、クラウスが地下に通うようになったせいだろう。彼は酔狂なことに、地下に潜む五人の不良少年たちに、演奏の仕方を教えたがったのだ。

「楽器は一通り触ったことがある」

とクラウス本人が言った通り、彼はなんでもできた。さすがに楽隊の演奏とまではいかないが、カミラをもってしても、そこそこ上手いと思えるくらいの腕前だ。基礎を知らない素人に教えるには、十分だった。

どうやら楽器の演奏も、町にはびこる『先生』に教えてもらったらしい。それぞれの楽器の先生がいるあたり、不良なのはヴィクトルたちだけではなく、町全体がそうなのだろう。なんとも呆れた町である。

クラウスが出かければ、監視をしている――らしいアロイスも、彼について町に出る。一人で屋敷に残されることが嫌なカミラも、それに便乗してついていく。

そうこうするうちに、若者たちはすっかりカミラたちになじんでいた。

「まあまあ。それでもやっと音が出たんだし、喜ばせてやれよ」

そう言ってカミラを宥めるのは、相も変わらずへらへらとしたクラウスだった。

「こうやって、ちょっとずつできるようになるのが楽しいんだ。なんだって楽しくなくちゃ続けられないだろ、カミラ」

反論の余地がなく、カミラは「む」と口を曲げた。

その横で、傍に立っていたアロイスとニコルが、驚きに顔をこわばらせる。

当たり前のようにクラウスが口にした、「カミラ」という言葉。誰も呼ばないその呼称を、二人ははじめて聞いたのだ。

クラウスはここ最近、カミラのことを名前で呼ぶようになっていた。

原因は、カミラにも想像がついている。バルコニーで出会った夜、クラウスの身の上話を聞いたせいだろう。どうやらあれ以来、彼はカミラに対し、それなりに親しみを覚えてくれているらしい。

その結果が、「あんた」から「カミラ」への格上げである。

カミラはこれでも、クラウスよりも上の身分。彼の態度はどう考えても無礼ではあるが、「あんた」と呼ばれるよりはましだろう。それに、クラウスがカミラに「様」を付ける姿は想像ができない。「カミラ様」などと呼ばれても、嫌味か裏があるか勘ぐってしまうことだろう。

そういうわけで、不服ではあるが、カミラはクラウスの呼ぶがままにさせていたのだが――。

そのことを、二人は知るよしもない。

「奥様に対して、馴れ馴れしく名前を呼ぶなんて!」

真っ先に声を上げたのはニコルだ。

彼女はカミラの背中から前に進み出ると、クラウスを睨みつけた。

「アロイス様だって、呼び捨てになんてなさらないのに! あんまりにも失礼ですよ!!」

広い地下に、ニコルの声が反響する。普段のニコルの声はさほど大きくはないのに、こういうときの声は良く響いた。

ふむ、とクラウスは腕を組んだ。彼の胸には、ニコルの怒りなどみじんも響いていないらしい。けろりとした顔で、ニコルを見つめるだけだ。

「なんですかその態度! 改めてください!」

小さな体からあふれる、良く通る声を聞きながら、クラウスは思案するように首をかしげた。

「ちびちゃん」

「ちびって言わないでください!」

「いい声してるね。ちゃんと腹から出てるし、喉を傷めない声の出し方だ。滑舌もいい」

「……はい?」

思いがけないクラウスの言葉に、ニコルは呆気にとられたようだった。怒りの言葉さえも飲み込んで、目を瞬かせている。

そんなニコルの様子を、クラウスはまるで気にしない。おもむろにニコルに歩み寄ると、彼女の腕を強引につかんだ。

「歌ってみない? フェアラートに手本を見せてみてよ」

「えっ、わ、私は歌なんて……! は、話を聞いてください!」

戸惑うニコルを無視して、クラウスは彼女をフェアラートの傍まで引っ張っていく。クラウスに引かれながら、ニコルは救いを求めるような視線をカミラに向けた。

「奥様……」

「いいじゃない。いってらっしゃい」

「おくさまぁああ……」

さらわれていくニコルを、カミラは笑いながら見送った。真面目なニコルには少しかわいそうだけれど、歌って悪いことがあるわけでもあるまい。

「カミラさん。クラウスと親しくなったんですね」

手を振るカミラに、落ち着いた声が向けられる。常に変わらず柔らかな、アロイスの声だ。

聞いた途端、カミラの笑顔がぎこちなくないものに変わる。ニコルやクラウスがいるときは平気なのに、アロイスと二人きりになると、どうしても穏やかではいられなかった。

「アロイス様、あれはクラウスが勝手に呼んでいるだけで……」

「ああ、いえ、責めるわけではありません。単純に、意外だったので」

言い訳めいたカミラに対し、アロイスは慌てて首を振る。

「カミラさんにとって、親しい人間が増えるのは、良いことだと思っています。対等に話せるのであれば、なおさら」

カミラに向けられた言葉は、声以上に柔らかい。それがますます、カミラの気持ちを沈ませる。

アロイスの言葉は重い。アロイスの親切は辛い。アロイスがなにを言っても、まだカミラの中には、消化しきれないユリアン王子への気持ちが残っている。

視線を落とすカミラに、アロイスは苦笑した。その表情には、優しいけれど、優しいだけではいられないアロイスの感情がある。

「ただ、少し彼が羨ましいと思っただけですから」

カミラは顔を上げられない。どんな顔を向けるのか、自分でもわからないからだ。

フェアラートもディータも許した。

ニコルやクラウスの前でなら、平気でいられる。

王子の結婚を祝う讃美歌があふれる町を、なんでもないように歩いていられる。

だけどどうしても、アロイスの前では罪悪感が先に立つ。

――どうして。

どうして恋に落ちたのがユリアン王子だったのだろう。

頭の中で、カミラは自分自身に問いかける。

どうして叶わない恋をしてしまったのだろう。どうしてアロイスの気持ちに応えられないのだろう。どうして彼の気持ちに、同じだけのものを返せないのだろう。

どうして、最初に出会えたのがこの人ではなかったのだろう。

答えのない問いが、頭の奥に渦を巻く。後ろ暗さと、自分でもどうにもできない感情が、カミラの表情を凍り付かせる。

いつの間にかカミラは、アロイスの前で上手く笑えなくなってしまっていた。