軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

6-終章

「アロイス様。アロイス様! 待ってください!」

足早に歩くアロイスに、カミラは何度目かわからない静止の声をかけた。

カミラの手を引き裁判所を出た後も、アロイスはカミラの手を離さなかった。そのまま城下町を歩き、王都を囲う街壁へ向かう。そこに、エッカルトが馬車を手配してくれているはずだった。

昼から始まった裁判も、騒動の中でずいぶんと時間が経っていたらしい。陽はすでに暮れかけていた。王都の路地に西日が差し、夜の気配を孕んだ風が、町々を飾る祝福の花を散らした。

こんな時間に、街壁へ向かう人は少ない。町の中心部を外れ、建物もまばらになった通りには、すれ違う人もほとんどいなかった。

「アロイス様!」

その静かな通りで、アロイスはようやく足を止めた。痛いくらいに握りしめていた手も、ようやく離してくれる。

「どうしたんですか、アロイス様。あなたらしくもない!」

カミラの声を聞かないのも、力加減ができないのも、いつも合わせてくれる歩幅を合わせないのも、すべてアロイスらしくない。追いかけてくるディアナにも気を遣った様子がないことも、普段のアロイスとはかけ離れていた。

思えば、裁判所でカミラの両親に対面したときからずっと、彼は様子がおかしかった。

「怒っていらっしゃるんです? あんなの、私は平気ですのに!」

「――すみません、カミラさん」

アロイスはそう言うと、ためらいがちにカミラに振り返った。ばつの悪そうな、それでいて、まだ昂りが収まらないような、どうにも渋い顔である。

「人前で、あなたの両親を貶めてしまいました」

「あんなの、貶めるうちに入りません! だいたい、アロイス様があんなこと人前で言わなくたって、私、自分で言い返せましたわ!!」

カミラは小さい子供ではない。親が怖い年は過ぎた。腹が立って、許せなくて、認められないとき。今のカミラはきちんと言いたいことを言える。

アロイスがカミラのために、不要な後悔する必要なんてなかったのだ。

「わかっています」

アロイスの表情は苦々しい。渋い顔のまま、抑えきれないように吐き出した。

「でも、 私(・) の(・) 腹が立ったんです!」

不機嫌なアロイスの声に、カミラは面食らった。

誰のためでもなく、自分のため。彼は自分の腹が立ったから、人前で強固な態度を取り、強引にカミラを連れ出したのだと言う。

「みっともないところをお見せしてしまいました」

「いえ……」

恥じるアロイスに、カミラは首を振る。穏やかならざるアロイスの顔を、しばし見上げた。

アロイスは、腹を立てたことがなかった。

誰かに強い感情を抱くことがなかった。

いつも穏やかで、感情を揺らすことは少なかった。泣いたり、笑ったり、怒ったり、悲しんだり。いくつもの自分の感情を抑え込み、他人を優先するばかりだった。

「アロイス様」

他人本位で、感情を殺し、人の言葉ばかりを聞く「良い子」だった。

そんなアロイスを、カミラは知っている。

「わがままになられましたね」

アロイスの眉間には、しわが寄っていた。カミラの視線に口を引き結び、どことなく居心地が悪そうだ。

ずっと見つめるカミラを、アロイスは窺うように見やり、やはり彼らしからぬ素っ気ない口調で言った。

「あなたがいるからですよ」

ふ、と笑い出したのはどちらからだっただろう。

なんだか妙におかしかった。

苦々しさと、痛ましさと、喪失と、重荷を下ろしたような解放感があった。息苦しさが波のように引いて行く。失った代わりにカミラが得たのは、自分で選んだ新しい道だ。

笑って、笑って、笑ってから、少し目の端が滲んだ。

「カミラさん」

気づかわしげなアロイスの声に、カミラは慌てて目元をぬぐった。知らない間に涙が出るなんて初めてだ。苦しいとき、悲しいときであれば、いつも歯を食いしばって耐えることができたのに。

「すみません。なんだか、安心してしまって」

妙に気が抜けてしまったのだ。アロイスが来てくれたことに安堵した。自分で思うよりずっと、カミラは怖かったのだろう。それでもうつむかないために、力んでいた感情が、アロイスのせいでほころんでしまった。

そういうときにも泣けるということを、カミラははじめて知った。

「ありがとうございます、アロイス様。来ていただけて、嬉しかったです」

涙をぬぐって、カミラはまた笑う。まだまだ安心するには早いけれど、少しくらいはいいだろう。ずっと気を張り詰め続けてきたのだ。

「……カミラさん」

アロイスは、そんなカミラの泣き笑いを、しばし呆けたように見ていた。

瞬き、口ごもり、一度目を伏せ、息を吐く。手を上げかけて、一度引く。落ち着かない仕草だった。

「もう一つ、わがままを言ってもいいでしょうか」

「はい?」

「あなたがよろしければ、ですけれど」

カミラには、アロイスの意図がすぐに読み取れなかった。

アロイスはカミラを見つめている。はじめに会ったときと比べ、すっかり痩せた体。高い背丈は変わらず、銀糸の髪が風に流れる。西日を受けて、長い影が伸びる。影がそっと、カミラの頬に触れた。

肌荒れはもうない。肉厚な手は、すっかり骨ばった男のものになった。今の彼を見て、沼地のヒキガエルと呼ぶ人間はいないだろう。

「私は、あなたに認めていただける容姿になれたでしょうか」

端正な顔が、不安そうにカミラを見やる。優しい赤い瞳が、かすかな欲を隠している。感情を殺しきれない、カミラに見せたことのない男の顔だった。

そこで、ようやくカミラも気が付いた。

おののき、俯き、反射的に足を引く。

離れていくカミラに、アロイスは悲しげに眉を寄せた。拒絶と受け取り、傷ついたのかもしれない。

だとしても、カミラには言っておかなければならないことがある。

「わ、私は! 私は、あなたがユリアン様だとわかったから認めるのではありません!」

ユリアンだから、恋をしたわけではない。ユリアンだから、受け入れるわけではない。

「あなたがアロイス様だからです」

ぐっと手を握りしめ、俯かないように力を込める。頬が赤くても、耳まで赤くても、カミラはアロイスから目を逸らさない。

「あなたが本当は誰であってもいいんです。顔も、姿も、本当は関係ないんだわ。……そりゃあ、もちろん良い方がいいけれど! でも、それは大事なことではなくて!」

もしもアロイスがまた太ったとしたら、カミラは必死になって痩せさせるだろう。だけどそう。尻を叩いて肉を引っ張り、痩せさせたいと思うのは、この先きっとアロイスだけ。そういうことなのだ。

口がめちゃくちゃなことを言う。言いたいことは伝わっているだろうか。額から妙な汗がにじむ。動悸がして、熱を持って、目の前が眩むような心地だった。

「私と一年を過ごした、アロイス様だから…………いいんです!」

カミラが恋をしたのは、醜い『沼地のヒキガエル』と呼ばれた男。腹を立て、衝突し、歩み寄り、手を取った。

笑って、泣いて、触れ合った。ここまで共に歩んできた。すべての相手はアロイスだった。

「わかっています」

アロイスは笑った。光の下。屈託のないその笑みは、誰よりも美しくて魅力的だった。

それから、もう一度カミラに手を伸ばす。もうじき暮れる西日の下、やわらかい風が吹く。

祝福の花が舞う。北に向かう春の風に乗って、花びらが黄昏の空を彩った。

近付いてくるアロイスの影に、カミラは戸惑った。嫌なわけではない。きっと嬉しいのだ。だけど、どうすればいいのかわからない。

困惑の中、ぎゅっと目を閉じるカミラに、アロイスは愛しさを込めて口づけた。