軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第83話:『嘆きの森の、鉢合わせ』

苔と腐葉土の匂いが立ち込める『嘆きの森』。

陽光さえ拒む木々が鬱蒼と生い茂るこの原生林には、王国建国のはるか昔、悲恋の伝説があったという。今となっては真偽を知る者もないが、森はただ静かにそう呼ばれ続けていた。

その奥深く。

湿った土を踏みしめる音だけが響く中、二つの人影が古びた小屋へとたどり着いた。

「――ここだよ。あいつを放り込んでおいたのは」

ハヤトが気だるげに顎で扉をしゃくる。

蔦に覆われた石組みの小屋は、音もなく静まり返っていた。数年放置されていたとは思えぬほど、その佇まいは変わらない。

「……ふーん。グランが魔法を掛けておいただけのことはあるわね」

マリアはかつての友人の仕事ぶりに、小さく息を吐いた。王宮での息苦しい日々の中、この小屋は三人の転生者にとって唯一安らげる秘密基地だったのだ。胸の奥を、ちりりと焼くような記憶が蘇る。

「それで? その軍師様はどこ」

「さあな。まだ中にいるんじゃねぇの」

ギィ、と耳障りな音を立て、ハヤトが扉を乱暴に蹴り開けた。

中は、もぬけの殻だった。

ひやりとした空気が肌を撫でる。棚に置かれていたはずの干し肉と水筒も消えていた。

「……逃げたか」

ハヤトはそう呟くと、心底どうでもよさそうに肩をすくめる。

「まあいいさ。この森のど真ん中だ、食い物もねぇ。どうせ野垂れ死ぬのがオチだろ」

「あなた、本気で言ってるの!?」

マリアの甲高い声が、静寂を切り裂いた。「探すわよ! 今すぐ!」

二人の声がぶつかり合う、まさにその瞬間。

ふ、と風が止んだ。木々のざわめきが消え、辺りを支配していた鳥の声がぴたりと止む。

不気味な静寂。小屋を取り囲む木々の影が揺らめき、そこから複数の黒い影が音もなく滲み出してきた。

その中から、数人がゆっくりと歩み出てくる。

クラウス。ヴォルフラム。そして影の部隊。

最後に姿を現したのは――グランだった。

「――ハヤトさん。マリアさん。……こんなところで会えるとは。残念ですわ」

静かだが、氷のように冷たい声。眼鏡の奥の瞳に、かつての友へ向ける親愛の色はない。燃えているのは、ただ静かで底知れない怒りの炎だけだ。

「……リナさんを、どこへやったのですか? ……いいえ。『天翼の軍師』様を、どこへ?」

その問いに、マリアが驚愕に目を見開く。

「グラン……!? なんであんたがここに……! それに、その物騒な連中は何よ!?」

咄嗟に言い訳が口をついて出る。

「私も今、ハヤトから話を聞いて連れてこられたところで、状況が……!」

「だからよ」

ハヤトが面倒くさそうに言葉を遮った。

「少し目を離したらいなくなってた。どこに行ったか分からねぇから、これから探そうかと……」

「……信じられると、お思いで?」

グランの声が、さらに低く鋭くなる。

殺気にも似た圧に、ハヤトの眉が苛立ちにひくついた。

「あー、もう、うるせぇな! 天翼の軍師だか何だか知らねぇが、もうどうでもいいんだよ! 勝手に探せばいいだろ!」

「「――はあ!?」」

あまりに無責任な言葉に、マリアとグランの声が完璧に重なった。

「……どうも……」

マリアは深々とため息をつき、こめかみを押さえながらグランに向き直る。

「……こいつが多大なご迷惑をおかけしたようで……。一緒に探させますから、それで手を打ってくれないかしら」

だが、その提案を遮り、一つの影がハヤトの眼前に躍り出た。

ヴォルフラムだ。

彼女の瞳は怒りに燃え、抜き身の剣が空気を切り裂く!

ガキィンッ!

甲高い金属音が響き、火花が散った。ハヤトがヴォルフラムの剣をやすやすと受け止めている。

「――こいつッ! よくもリナ様を! たたっ斬る!」

「ヴォルフラム殿! 落ち着け!」

クラウスが慌てて彼女の腕を掴み、引き下げた。

「離せッ、クラウス殿!」

「今はリナ様を探すのが先決だ! こいつには後で全ての責を負ってもらう!」

クラウスは歯を食いしばる。(……くそっ! 腐っても相手は『剣聖』だ! 今ここで戦っても勝てる保証はない……! それより早くリナ様を……!)

「ぐ……ぬぬぬ……!」

ヴォルフラムは悔しそうに唇を噛み締め、ようやく剣を鞘に押し戻した。

「……こいつは事が終わったら好きにしていいから……」

マリアが疲労を滲ませた声で言った。

「幸い、この森の獣は私たちが住んでた時に狩り尽くしたわ。そういう意味では安全でしょうけど、急がないと。……もう、『天翼の軍師』を害したところで、私にいいことなんて何もないし」

「……グラン殿。どう思われるか?」

クラウスが尋ねる。

部屋の空気が、まるで薄い氷のように張り詰めている。

グランの射抜くような視線が、ハヤトとマリアの間を往復した。長い沈黙が三人の間に重くのしかかる。やがて、彼女は静かに、しかし一つ一つの言葉に重い響きを込めて結論を口にした。

「……二人のことはよく知っています。一応、この件は信じましょう」

その重苦しい空気を切り裂いたのは、ハヤトの投げやりな声だった。

「で? どうすりゃいいんだよ」

壁に寄りかかり、腕を組んだその態度は、どこまでも他人事だ。反省の色など微塵も見えない。

その一言が、引き金だった。

それまで冷静さを装っていたグランの表情から、すっと温度が消える。能面のように無表情になった彼女の唇が、ゆっくりと開いた。

「……どうすればいいか、ですって?」

声は凪いでいた。だがそれは、嵐の前の静けさ。凍てつく湖の底に沈むような、冷え冷えとした怒りが満ちている。

「まず、あなたは自分が何をしたのか、理解しているのですか」

「あ? だから、軍師を捕まえただけだろ」

「――その『だけ』で、済むと思っているのですかッ!」

静寂を打ち破り、グランの絶叫が壁を震わせた。握りしめた拳が、白く色を失っている。

「あなたが攫ったのは、ただの軍師ではない! あの人は……あの人こそが、この腐りきった王国を救う唯一の希望! 私たちの未来そのものだったんですよ!」

「……!」

「それをあなたは、己のちっぽけな自尊心と復讐心のためだけに踏みにじった! その意味が、分かりますか!」

魂を絞り出すような叫びに、さすがのハヤトも気圧されて一歩後ずさる。

マリアは隣で息を呑んだ。いつも冷静沈着なグランの、見たこともない激情。

(グランがここまで感情を露わにするなんて……。彼女にとってそれほどまでに……)

舌打ちが一つ、小さく響く。

「……ちっ。うっせーな……悪かったよ」

ハヤトは視線を逸らし、ぼそりとそれだけを吐き捨てた。

グランは天を仰ぎ、一度だけ大きく息を吐き出す。その瞳には、燃え盛っていた怒りの炎の代わりに、深い諦観の色が浮かんでいた。

彼に何を言っても無駄だ。

彼女は乱れた呼吸を整えると、リーダーとして、凍るような声で決然と言い放った。

「…これより、捜索を、開始します」

「三手に、分かれましょう。……リナさんが、残した、痕跡を、探しながら……」

こうして、奇妙な合同捜索隊が結成された。

だが、彼らはまだ知らない。

捜索対象であるリナは、すでに森の山小屋から、一人の少女によって助け出されていることを。

そして、その背後からヴェネーリアのハイエナたちが、静かに牙を研いでいることを……。