軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第348話:『軍師の重荷と、空回りする夜』

北壁の砦は深夜の静寂に深く沈んでいた。

分厚い石壁の向こうから、時折北の風がヒュウと悲鳴のような唸りを上げて通り過ぎていく。

私の私室では暖炉の火がとろとろと赤い 熾火(おきび) を残すのみとなり、机上のランプが頼りなく揺らめいていた。

「……うーん……」

私は机に両肘を突き、両手で頭を抱え込んでいた。

目の前に広げられた北方の地図にはクルガンの大軍とバラクたち『北辰同盟』の配置が記されている。

盤面は私の描いた絵図通りに進みつつある。

クルガンの大軍は内側から腐り、疑心暗鬼に満ちた烏合の衆となって南下してくるだろう。それを帝国軍の圧倒的な防壁で受け止め、無力さを証明する。

だがその『 終幕(フィナーレ) 』をどう描くか。

それが私の頭を幾夜も悩ませていた。

(……ゲッコーさんたち『影』に動いてもらえばクルガンやヴィクトルを暗殺することはきっと不可能じゃない)

ランプの灯りが傍らに置いた銀の仮面を冷たく反射する。

寝首を掻くなり狙撃するなり、手段はいくらでもある。そうすれば帝国軍の血を一滴も流さず最も効率的に覇国を崩壊させることができる。

だが私の理性は即座にその選択肢を切り捨てた。

(駄目だ。それでは北の民の心は決して救われない)

外部の人間である帝国の手によって勝手に覇王が排除されたとなればどうなるか。

北の民は「強大な帝国に自分たちの王を独善的に封殺された」という屈辱と恨みを抱くことになる。自らの手で未来を勝ち取ったという『尊厳』を奪われれば、彼らはいつまでも帝国の顔色を窺うだけの属国になるか、あるいは新たな憎悪の火種を燻らせ続けるだろう。

北の地は厳しい。生半可な覚悟では生き抜けない。

だからこそ彼ら自身による運営、自らの尊厳を持った治世を行ってもらわなければならない。そうでなければ私が思い描く「子供たちの末永い笑顔」には決して繋がらない。

(そのためには……密かに進める陰謀や暗殺であってはならない)

私はぎゅっと拳を握りしめた。爪が掌に食い込む。

(多くの民が、できれば北の多くの人達が目撃する前で……正規の交代劇を行わなければ。公明正大にバラク殿たち『北辰同盟』に矢面に立ってもらうしかない)

それは言葉を選ばずに言えば、クルガンを失墜させる決定的な『舞台』を用意するということだ。数万の兵が見守る中でクルガンの絶対的な力を粉砕し、バラクたちが新たな指導者として名乗りを上げる。血塗られた権力闘争の極致。

呼吸が浅くなる。

ランプの炎が揺れるたび地図に落ちる私の影が不気味に蠢いた。

(……あの時私は読み違えた)

ヴィクトルの暗殺計画を想定しきれず、バラク殿を死の淵に立たせてしまった。エノク老師やガルド将軍の機転がなければ、彼は今頃この世にいなかった。

あの時は「想定外」だった。

だが今回は違う。私の明確な「思惑」で彼らを危険な目に遭わせようとしているのだ。

(人の命を預かる資格が私にあるのだろうか……。こんな小さな子供の姿をして偉そうに今もまた指示を出そうとしている。お願いをしようとしている)

胃の腑が鉛のように重い。

盤面を俯瞰すればするほど駒となった人々の顔が、声が私を責め立てるように迫ってくる。

(本当に先が読めればいいのに。本当に未来が判ればいいのに……)

届かぬ願いが脳裏をよぎる。そして即座にそんな甘えた考えを抱く自分への強烈な嫌悪感が打ち寄せる。

(最悪だ。そんなことできない事なんてわかってるじゃない)

唇を噛み締め、血の味が滲む。

(……でもこれが最善だと思える。バラクさん達。北辰同盟の方々。かの方々に危険な目に、矢面に立ってもらうのが。……ホントにそうなのか。ああ嫌だ……)

誰かに代わって欲しい。正解を教えて欲しい。

安全な場所から指示を出すだけの「化け物」にならないと決意したはずなのに、私はまた迷い震えている。

(……でも決断しないといけない)

何も決めない事はすべてを受け入れるという事。

クルガンの暴虐を、罪なき民がすり潰されていく現実を受け入れるという事。

それは駄目だ。絶対に。

(ああ決意をしたというのに私はまた迷う。まだ迷う。……でも。決めなければ。判断しなければ)

完璧な策など無い。誰も傷つかない未来など無い。

だからこそ。

(私の信じる、私が考えられる、私が感じられる、私が人としてどうあるべきか……その理想に向かう道だと信じるものを。するべき事を。最善を)

震える指先を開き、私は再び地図盤に手を置いた。

瞳に冷たい、けれど確かな光を宿し直す。

「……リナ様」

不意に頭上から心配そうな声が降ってきた。

顔を上げると、いつの間にかセラさんが湯気の立つホットミルクのカップを手に私の傍らに立っていた。その翠の瞳が痛ましいものを見るように私を見つめている。

「……また一人で難しい顔をされて。……あまり思い詰めないでくださいませ。お身体に障ります」

セラさんは私がこれほどまでに思い悩んでいる姿を見て胸を痛めていた。

(ああ、リナ様はまた北の民の命と安全のために一人で心をすり減らしておられる……。我々にもっと力があれば……)

「ありがとう、セラさん……」

私は差し出されたカップを両手で受け取りその温もりにほっと息をついた。

「でもここが一番の正念場なんです……私の言葉一つで運命が決まってしまうんですから……」

私は再び眉間に深い皺を刻み地図を睨みつけた。

「……どう説得すればいいのか……もういっそ……うーん……」

天翼の軍師の悩み多き夜は続く。

……だが私は知る由もなかった。

私が「どうやって説得しよう」「彼らを危険な目に遭わせてしまう」と頭を抱え、申し訳なさに身悶えしているまさにその頃。

当のバラクたちは荒野のゲルの中で『帝国の後ろについて回るだけのペットになるのは御免だ! 我らの手でクルガンに引導を渡す!』と勝手にやる気満々で牙を研いでいるということを。

エノク老師に至っては『軍師殿の策は遊びがないから我々で勝手に分け前をふんだくってやるわい』と、したたかに水面下での活動を活発化させているということを。

私の深刻すぎる悩みと悲壮な決意が見事なまでに空回りしている事実を知る者はこの部屋には誰もいなかった。

ただ窓の外で吹きすさぶ北風だけが私の背負い込んだ無駄な重労をどこか可笑しそうに笑っているかのようだった。