軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

北の風聞Ⅰ:『古狼の苦悩、癒えぬ傷』 276.4

夕陽が地平線の彼方に沈み、荒野を渡る風が肌を刺すほど冷たくなってきた頃。バラクたちの一行はようやく帰還してきた。炊事の煙が細く頼りなげにたなびき、乾いた土と家畜の匂いが彼らに戻ったことを告げていた。だがその空気は、まだ戦で仲間を失った悲しみがのこり、夕暮れの寂寥とした空気と溶け合って、重く澱んでいる。

斥候が族長の帰還を告げる。上がる声はどこか力なく、駆け寄ってくる民の顔には疲弊の色が深く刻まれていた。

バラクは馬上からその一人ひとりの顔を見つめ、鞍を握る指先にぐっと力を込めた。その胸の痛みを隠すように彼は馬から降り立つと努めて豪放な声を張り上げる。

その夜族長のゲルは男たちの熱気と猜疑心で揺れていた。中央の焚火が集った長老たちの顔に深い皺を刻み、その影を獣のように壁に踊らせる。

「――帝国は交易に前向きだ。だが、我らの誠意を見せろと言われた」

バラクが冷静を装い、当たり障りのない部分だけを切り出すと即座に反発の火の手が上がった。

「やはり罠だ!」「帝国の甘言に乗れば、我らはクルガン様に滅ぼされるぞ!」

最も強硬派の老戦士がテーブルを叩き、バラクを問い詰める。

「誠意とは何だ! どのような無理を我らに求めようと言うのか?!」

一触即発の空気をバラクはただ静かに受け止めていた。やがて彼は「考えがある」とだけ言い、一方的に議論を打ち切る。長老たちは不満を隠せないままゲルを後にしていく。後に残されたのは、揺れる炎に照らされたバラクの孤独な影だけだった。

その影が動いたのは夜が深く沈み、野営地が寝息と遠い狼の遠吠えだけに包まれた頃だった。

バラクはアランを伴い、病に臥せる若者のゲルへと足を運んだ。薬草の匂いと死の気配が混じり合う空気が重く澱んでいる。

痩せ細った若者の傍らで母親がシャーマンの祈祷にすがりつき、その顔は涙でぐしょぐしょに濡れていた。遠巻きに見ていた村人たちが族長の突然の来訪に驚き、息を殺して成り行きを見守っている。

バラクは母親の前に進み出ると革袋から黒い根――『星影草』を取り出した。

「これは帝国の軍師から授かった薬だ。呪いを解く力があるという」

その言葉にシャーマンが立ちはだかった。

「族長! 大地の呪いを軽んじるか! 帝国の毒で民を殺す気か!」

その絶叫に母親も泣き叫び、村人たちの視線が非難の色を帯びる。伝統と信仰という見えざる壁は彼の想像以上に厚く高かった。

その時アランが静かに一歩前に出た。

「この薬は毒ではない。俺も軍師殿から直接その話を聞いた。これは病であり、この薬草にはその病を癒す力があると」

彼は牢でのリナの姿を思い出し、確信を込めて語る。だが、一度生まれた恐怖と不信はそう簡単には消えない。

バラクは何も言えず、その場を去るしかなかった。

自らのゲルに戻ったバラクはランプの灯りの下、革袋の『星影草』をただ握りしめていた。民の恐怖は彼の想像以上に根深い。このままでは救える命も救えない。焦燥が彼の心をじりじりと焼いていく。

その時ゲルの入り口の幕が揺れ、妻が咳き込みながら入ってきた。その顔色は青白く、額には脂汗が滲んでいる。いつもの気丈な彼女からは想像もつかない弱々しい姿だった。

妻の姿にバラクの目が決意を宿した。

彼は震える手で『星影草』を差し出し、掠れた声で問う。

「……信じて、くれるか」

妻は夫の苦悩に満ちた瞳を見つめ、静かに、しかし力強く頷いた。

バラクは自らの手で星影草を煎じ、その苦い湯を妻に飲ませる。その一部始終をアランがゲルの影から固唾をのんで見守っていた。