作品タイトル不明
第257話:『荒野のアフタヌーンティー』
夕陽が地平線の彼方へと沈みかけ、荒野が最後の黄金色に燃え上がっていた。
バラクたちの馬影が完全に丘の向こうへ消え去るのを待って、私は張り詰めていた息をふぅと長く吐き出した。
「……ゲッコーさん。もうよろしいでしょうか」
問いかける声は軍師の威厳を失い、ただの少女のか細い響きに戻っている。
石柱の影からゲッコーさんが静かに頷いた。その合図で全身から力が抜け、私はその場にへなへなと座り込みそうになる。
「リナ様!」
ヴォルフラムさんが慌てて駆け寄り、私の体を支えてくれた。
「……疲れました……。それに、寒いです……」
緊張の糸が切れた途端、北の風が容赦なく体温を奪っていく。
その時、すっと目の前に小さな折り畳み椅子が差し出された。
見上げれば、いつの間にかゲッコーさんがどこからともなく取り出した椅子を広げてくれている。私がそこに腰を下ろすと、今度は小さなテーブルまで現れた。
テーブルの上には見覚えのある防水布の包み。開けば、甘いバターの香りがふわりと立ち上った。
「おお! これは『ミルフィーユ・オ・マロン』ではありませんか!」
サクサクのパイ生地に濃厚な栗のクリームが挟まった、帝都でも入手困難な高級菓子。クララさんがこっそり持たせてくれたものだ。
「え? ゲッコーさん、そのテーブル、今どこから……?」
「……内緒です」
無表情のまま彼はさらに温かいミルクの入った水筒まで取り出す。
「え? え? も、もちろんいただきますとも!」
ぷはーと温かいミルクで喉を潤し、至福のため息をつく。あったまるわぁ…。
その光景をヴォルフラムさんが戸惑いの表情で見ていた。自分も何かせねばとおろおろしているのが手に取るようにわかる。
「んー? ヴォルフラムさん。無理しなくてもいいですよ。傍にいてしっかり私を守ってくれているだけで私は満足ですから」
私の言葉に彼女は一瞬の間を置いて「はっ!」と背筋を伸ばし、シャキーンと再び鋼の騎士に戻った。
そんな私たちの元へシュタイナー中将が数人の屈強な兵士を連れて、丘の上から降りてきた。ゲッコーさんがいつの間にか会談終了の合図を送っていたらしい。その隣には心配そうに眉を寄せたセラさんの姿もあった。
中将は最初孫の初めてのお使いを見届けたような安堵の表情を浮かべていたが、兵士たちの手前慌てて威厳を取り繕うように咳払いをした。
「うおっほん! 天翼殿! 無事会談は終わったようだな! 遠くからではあるがはらはらしておりましたぞ!」
彼はそう言って堂々とこちらへ近づいてくる。そしてテーブルの上の光景に気づき、訝しげに眉をひそめた。
「……して、これは?」
(あっ……!)
ミルクで口の周りを白くしたまま私は完全に固まった。
「こ、これは失礼を! ん、んんっ!」
慌てて口元を拭い、私は再び『天翼の軍師』の声色に戻る。
「滞りなく。事は順調に進みそうですので次の手に移れます。詳しくは砦に戻ってからご報告を」
「おお! そうか! では戻ってから楽しみにさせてもらおう!」
「はい。……では私はここの後始末を確認してから戻りますので……」
(うう……あと少しだけ残ってるあれを食べてから……)
名残惜しくお菓子に視線を送る私にシュタイナー中将ががっはっはと笑った。
「そうおっしゃらず警護も多い方が良かろう! 何よりこのわしの傍がこの世で一番安全だからな!」
有無を言わせぬ言葉に私はちらちらとお菓子に未練がましい視線を送る。
そのあまりに分かりやすい仕草に中将は「はっは……ん?」と動きを止めた。
(……あっ。……あれがもう少し食べたかった……のか? うぉう!そうであればそう言えばよかろうに! 天翼の威厳なぞわしの前では無用だと……。……とそうか。この兵たちが邪魔なのか!)
「うおっほん!」
彼は再び咳払いをすると連れてきた兵士たちに厳命した。
「お前たち! 一足先に砦へ戻っておれ! 天翼殿の護衛は私とセラ殿、ヴォルフラム殿、ゲッコー殿で十分である!」
「し、しかし……」
「なに! この四人がおれば過剰戦力もいいところだろうが! ……不満か?」
「い、いえ! では先に!」
兵士たちが慌てて去っていく。
そのやり取りの間、セラさんが私の肩にふわりと温かいブランケットを掛けてくれた。嬉しくなって私はそっと微笑み返した。
その背中が見えなくなると中将は途端に表情を崩した。
「うむ、して……リナよ! さあ、遠慮はいらんぞ!」
「え?」
「おお、そうだ! ちょうどわしも甘いものが食べたくてな! おい、ゲッコー! まだあるのであろう! 準備させよ!」
「う、うぇっ!? わ、私はそのようなつもりでは……」
「なーにを気取っておるか! ここにはわしらしかおらん。疲れたのであろう? ほれ、一息ついていこう。……おい、ゲッコー! 追加はまだか!」
それまで静観していたセラさんが優雅に一歩前に出た。
「中将閣下。リナ様はお疲れです。……あまりからかわないであげてくださいまし」
その声は穏やかだが、有無を言わせぬ圧があった。
「む……」
中将がたじろいだのを見計らい、セラさんは完璧な微笑みを浮かべるとゲッコーさんに手際よく指示を出す。
「紅茶の準備を。中将閣下にブランデー入りのチョコレート菓子を。リナ様には追加でフルーツタルトがよろしいでしょう」
ゲッコーさんがため息をつきながらすっと手を上げた。
その合図で岩陰や茂みから気配を完全に消していた『影』たちがわらわらと現れたではないか。
その中にはにこやかにティーセットを運んでくるクララさんの姿まで!
え? え? クララさんまで!? いつの間にそこに!?