軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第254話:『荒野の天秤』

風が荒野を吹き抜け、枯れ草をカサカサと虚しく揺らす。

『忘れられた神々の遺跡』を見下ろす丘の稜線に、バラクが放った斥候たちは狼のように息を殺して伏せていた。岩陰に身を隠し、その目は眼下の石の円環に注がれている。約束の刻、陽が傾き影が最も長くなる時が近づいていた。

やがて地平線の彼方から数騎の影が現れる。帝国の軍馬だ。

斥候たちの間に緊張が走った。

だが、遺跡の手前で歩みを止めたのはわずか三人。先頭に立つのは銀糸の髪と蝶の仮面をつけた、異様な出で立ちの小柄な人物。その後ろに女騎士と影のような男が控えている。

彼らはそれ以上近づくことなく、ただ静かに遺跡の中央へと進みその場に佇んだ。

日が沈み月が昇るまで、彼らはそこに留まった。ただ荒野の風にマントをはためかせているだけ。その姿はまるで古の石像のようだった。

「……どう思う」

斥候の一人が隣の仲間に囁く。

「……分からん。だが、伏兵の気配はない。ただ、待っているだけのようだ」

「それにしても、あの仮面の女……風の噂に聞く『天翼の軍師』か。噂通りの美しい出で立ちだが……あれほどの者が、なぜ我らと……」

男たちの間に重い沈黙が落ちる。肌を刺す夜風が、彼らの心に巣食う絶望を掻き立てた。

「……どのみち、いまのままだと俺たちに先はねえ」

一人が吐き捨てるように言った。

「前に進めば帝国の刃。退けば帝王クルガンの牙。そして留まったとしても、あの呪いの病が俺たちの骨を蝕むだけだ……」

二日目も光景は同じだった。

陽が傾くと三つの影は再び現れ、そして夜の闇が全てを覆うまで、ただ静かに待ち続けた。彼らが本気で「対話」を望んでいるのだという無言のメッセージが、丘の上の斥候たちにまでひしひしと伝わってくる。

◇◆◇

その夜、バラクのゲルは男たちの熱気と怒号で揺れていた。

中央の焚火が集った部族の長老や戦士たちの険しい顔を赤黒く照らし出す。斥候長からの報告は議論の火に油を注いだ。

「罠ではない、だと!? 甘い! 帝国が我らをただで帰すはずがない!」

腕に深い傷跡を持つ老戦士がテーブルを叩いて叫ぶ。

「だが、斥候は二日間何の動きもなかったと報告している! こちらの出方を待っているのだ!」

アランが冷静に反論するが、熱狂の中ではかき消されそうだ。

「それこそが罠だ! 油断させておいて、族長が出向いたところを捕らえる気だ!」

「しかし、このままでは我らはじり貧だぞ! 病の問題もある!」

意見は二つに割れ、互いに一歩も引かぬまま怒声が飛び交う。

その喧騒の中心でバラクだけが腕を組み、黙して語らず、ただ静かに目を閉じていた。

やがて議論が白熱しきった、まさにその時。

彼がゆっくりと目を開いた。その狼の瞳に宿る光が全ての声を薙ぎ払う。

「――静まれ」

地を這うようなただ一言。

それでゲルの中は水を打ったように静まり返った。

「……俺は行く」

その声に迷いはなかった。

「斥候の目を信じよう。そして、アランの目もだ。……だが、俺自身の目で確かめねば、何も始まらん」

彼は立ち上がるとゲルの入り口の幕を静かに開けた。

外では満天の星が凍えるほどに輝いていた。

その星空の下で彼は独りごちる。

(……せめて、その仮面の人物が信じるに足る相手であることを……)

その願いが天に届いたかのように、夜空の一点にひときわ明るく輝く星があった。彼はその星をただじっと見つめていた。

その孤独な背中をゲルの影からアランが見つめている。彼もまた同じ星を見上げ、族長の覚悟の重さを感じていた。

◇◆◇

翌朝。バラクの目にもはや迷いはなかった。

(……我らの背後にはもはや道はない。前方に射したこの一条の光が我らを誘う幻か、真の救いか。この目で見極める)

彼はアランを含む五人の屈強な戦士を選び出した。馬に跨る直前、彼は仲間たちに向き直り、努めて気楽な口調で言った。

「まあ、部族がより良く生きるための一つの可能性を見出しに行くだけだ。気負うな」

他の四人はその言葉に頷いたが、アランだけはその声の裏にある族長の覚悟を痛いほど感じ取っていた。

(……族長はこの会談に一族の命運とご自身の命を懸けておられる……!)

その視線にバラクも気づいた。彼は不敵にニヤリと笑ってみせると、アランにだけ聞こえる声で囁いた。

「もしもの時は……あとを。部族のことは頼んだぞ」

◇◆◇

そして三日目の午後。

バラクはアランを含む五人の屈強な戦士を伴い、自ら馬を進めた。

遺跡に近づくにつれ、心臓の鼓動が馬蹄の音と重なって大きく響く。

そこにいたのは斥候の報告通り、たった三つの影。

バラクは馬から降りると、ゆっくりと仮面の人物の前へと歩み寄った。値踏みするような視線が仮面の上から足元までをじろりと射抜く。

相手は動じない。ただ静かにその挑戦的な視線を受け止めていた。

「――俺は北方諸族が一つ、『風読む民』の長、バラク」

彼は自らの名を風に乗せて告げた。

「お初にお目にかかる。『天翼の軍師』殿で宜しいか?……して、我らとの未来とは一体何を語られるおつもりかな」

風に乗って届いた声は地を這うように低く、重い。