軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第204話:『南の風、巨頭の憂い』

南の陽光が白亜の街並みを焦がす、軍港都市『アクア・ポリス』。

“海竜”オルランド・デ・ロッシ中将の執務室は、ここ数日、海図ではなく羊皮紙の山に占領されていた。

「――だから、寝台のリネンは帝国製で最高級のものを用意しろと言っているだろうが!」

「儀仗兵の礼服の刺繍が違う! 全てやり直させろ!」

腹の底から響く怒声が、司令部の廊下まで轟く。

『 狼の巣(ウルフズ・デン) 』での激戦を終え帰還した彼を待っていたのは、つかの間の休息ではなかった。皇帝陛下直々の勅命――『帝国・王国合同軍事会議』の会場設営。彼の性に全く合わない、煩雑極まる任務だった。

海の上ならば彼は無敵の海竜だ。だが陸での細々とした事務仕事や貴族的な儀礼の差配は、最も不得手とするところ。いつもなら腹心のエンリコ・ダンドロ少将が全てをそつなくこなしてくれるが、その老獪な男は今、王国の王族をエスコートする重要な任務で不在だった。

「……くそっ。エンリコの奴め、一番面倒な時にいやがらん」

ロッシはガシガシと頭を掻きむしり、インクと疲労の匂いが染みついた書類の山を見て深いため息をついた。

彼の忍耐が限界に達しようとした、まさにその時。

執務室の扉が、何の断りもなく勢いよく開かれた。

「――ロッシ。ずいぶんと難儀しているようではないか」

逆光の中に立つ、旅装束の男。この帝国でただ一人、許される傲岸不遜。

皇帝ゼノン・ガレリアその人だった。

背後には同じく旅の疲れを滲ませたグレイグ中将と数人の近衛、そして涼しい顔で書類の束を抱えた事務次官たちが控えている。

「へ、陛下!? なぜ、このような場所に……!」

ロッシは驚愕に目を見開き、椅子を蹴るようにして立ち上がった。

「うむ。そなたが陸の仕事で四苦八苦しておるであろうことは、分かりきっておったのでな。助っ人を連れてきてやったぞ」

皇帝は悪戯っぽく笑い、背後の事務次官たちに顎をしゃくる。

「よいか。三日だ。三日でこの会議の全てを完璧に整えよ。ロッシ中将の手を煩わせるな。良いな?」

「「「はっ!」」」

皇帝直々の厳命に、事務次官たちは一つの生き物のように統率された動きで敬礼し、嵐のごとく執務室から書類の山を運び出し始めた。

あっという間に雑務から解放されたロッシは、ただ呆然と立ち尽くす。

そんな彼の肩を、グレイグがぽんと叩いた。

「ま、そういうこった。お前さんは、お前さんにしかできねえ仕事に集中しろってこったよ」

「……さて、ロッシよ」

皇帝は、すっかり片付いた執務室の椅子にどさりと腰を下ろし、その瞳を鋭く光らせた。

「俺とグレイグも、お前からの直接の報告を聞きたくてな。……聞かせてもらおうか。あの『 狼の巣(ウルフズ・デン) 』で、一体何があったのかを」

◇◆◇

重い扉が閉まり、部屋には三人の男だけが残された。

ロッシはグラスの蒸留酒を一口で呷ると、あの日の光景を、言葉を選びながらも克明に語り始める。

崩れ落ちる天。それを止めた、小さな少女の祈り。大地が応え、世界が沈黙した、あの冒涜的なまでに神々しい瞬間を。

彼の静かな語りが終わった時、部屋は深い沈黙に包まれた。

グレイグは腕を組んだまま固く目を閉じ、皇帝はただ窓の外の青い空を、何も映さない瞳で見つめている。

やがて、皇帝が静かに口を開いた。

「……そうか、そうであったか」

その声には驚きよりも、どこか腑に落ちたような響きがあった。

三人は言葉もなく席を立ち、テラスへと出る。

どこまでも広がる南の海が、陽光を浴びてきらきらと輝いていた。潮風が、三人の猛者の顔を優しく撫でる。

「……陛下」

グレイグが低い声で言った。

「あの小娘は、もはや我々の手には余る。……そうではありませぬか」

「うむ」

皇帝は頷く。「あれは、もはや駒ではない。天災か、あるいは福音か。……我々は、その奔流のただ中にいるに過ぎんのかもしれんな」

その時、眼下のドックから、けたたましい金属音と少女の快活な怒声が響いてきた。

「――だから! 船底の曲線はもっと滑らかにしろと言っとるだろうが! 水の抵抗を舐めるな!」

マキナだった。彼女は屈強な船大工たちを相手に一歩も引かず、チョーク片手に巨大な船の設計図を書き換えている。その姿は、まるで戦場の指揮官だ。

その光景に、三人の口元にふっと笑みが浮かんだ。

「はっはっは! 元気なことよ」

皇帝が笑う。

「あの娘も、リナが何処からか連れてきたのだったな。あの娘がいるなら、リナの奴も少しは安心だろう」

グレイグも頷いた。

「……良い風だ」

ロッシが、目を細めて呟く。

「ああ。……新しい時代の、風が吹いておる」

皇帝もまた、その風を受けながら、遠い水平線を見つめていた。

大陸の未来を憂う三人の巨頭。

彼らは自分たちが守り育てた小さな軍師が、今や想像を遥かに超える存在となったことを、この南の海を見つめながら、静かに、しかし確かに受け止めていた。