軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第197話:『黄金港の饗宴』

穏やかな陽光が街並みを黄金色に染める午後、ポルト・アウレオの静かな海面に、異質な船影が姿を現した。

帆はない。

水を切り裂き進む姿は、さながら鋼鉄の獣。マキナが生み出した帝国最新鋭の 高速蒸気揚陸艦(スレイプニル) 。その無骨で戦闘的な威容を前に、船大工の手が止まり、魚売りの威勢の良い声も途絶える。カモメさえも甲高い鳴き声を潜め、空へと逃げ去っていった。

やがて船が接岸し、 道板(ランプ) が地の底から響くような轟音を立てて岸壁に叩きつけられる。

最初に現れたのは、磨き上げられた鎧に身を包んだ王家の親衛隊。彼らが両脇を固める中、王国の若き指導者たち――新王アルフォンスと宰相グランが姿を見せた。

だが、その威厳に満ちた佇まいとは裏腹に、二人の顔色は船旅の疲れで青白く、その足取りは覚束ない。

「……うっぷ……乗り心地の改善が必要だな、この船は……」

アルフォンスが、絞り出すような声で呻く。

「同感ですわ、陛下。五臓六腑がまだ揺れているようで……」

グランもこめかみを押さえ、深いため息を漏らした。スレイプニルは速さこそ圧倒的だが、乗り心地は嵐の中の小舟に等しいらしかった。

それでもアルフォンスは一度深く息を吸うと、ふらつく身体に一本の芯を通し、王としての威厳を取り戻す。

「グラン。皆も疲れているだろう。明後日の朝まで、このポルト・アウレオに滞在する。異論はないな?」

その鶴の一声が、黄金の港町に静かな嵐を呼び起こした。

◇◆◇

その報は、風よりも速くマルコ・ポラーニ商会の支部へ、そしてこの港を預かるピエトロ・ロレンツォの元へ届いた。

山のような書類の海から、ピエトロが弾かれたように顔を上げる。その怜悧な顔に浮かんだのは、かつてない焦燥と、それを凌駕するほどの獰猛な興奮の色だった。

「国王陛下が、このポルト・アウレオに……!? しかも、二泊もだと!?」

独立独歩を貫いてきたヴェネーリアの地に、他国の王が公式に足を踏み入れる。歴史が、今この瞬間、動こうとしていた。

「――総員!」

ピエトロの絶叫が、商館の空気をビリビリと震わせる。

「今すぐこの街で最高の宿とシェフを押さえろ! 警備は最上級だ! アリの子一匹、近づけるな!」

その号令は、狼煙となった。

噂を聞きつけたヴェネーリアの新興派商人たちが、帳簿を放り出し、馬車を飛ばし、次々とマルコ商会へと集結してくる。彼らの瞳には、同じ野心の炎が燃え盛っていた。新しい時代の潮流は、帝国と新生王国との繋がりの中にこそある。この歴史的な一夜を、己が未来への最大の布石とするのだと。

◇◆◇

その夜。

港で最も豪奢なホテルは、ワインの芳香と商人たちの熱気でむせ返っていた。

急遽設えられた歓迎の宴。その渦の中心で、アルフォンスとグランは次から次へと挨拶に訪れる商人たちの波に揉まれている。

「陛下! 我が商会は、貴国との交易拡大のため、あらゆる協力を惜しみません!」

「宰相閣下! 我が工房の技術、必ずや貴国の復興の助けとなりましょうぞ!」

アルフォンスは、船酔いの疲労など微塵も感じさせない。揺るぎない眼差しで一人ひとりの顔を真っ直ぐに見つめ、力強く握手を交わしていく。その誠実な王の隣で、グランが的確な言葉を補いながら、相手の目の奥にある真意を鋭く探っていた。

そして、その宴の片隅。

シャンデリアの光を浴びながら、もう一つの静かな戦いが繰り広げられていた。

聖女マリアだ。

彼女は優雅にグラスを傾け、蝶のように商人たちの輪を舞う。そして、相手の耳元に唇を寄せ、蜂蜜のように甘く、毒のように冷たい言葉を囁く。

「あら、織物商ギルドのガットーゾ会頭。先日、禁制品の密輸で少しお困りでしたわね? ……わたくしがお力になれるかもしれませんわよ?」

「まあ、宝石細工のロッセリーニ親方。跡継ぎの問題、ずいぶんと難航しているとか。……良き縁談をご紹介いたしましょうか?」

最も触れられたくない弱みを的確に突かれ、商人たちは冷や汗を流し、引きつった笑みを浮かべるしかない。マリアは微笑むだけで、彼らの首に見えざる金の首輪を一つ、また一つとかけていく。

私はただ、立ち上る紅茶の湯気の向こうに、その熱を帯びた光景を静かに見つめていた。

「……すごいですね、皆さん」

私の呟きに、セラさんは「ええ。ですが、あなた様が一番、お疲れでしょう」と、温かい紅茶を差し出してくれた。ヴォルフラムは無言のままだが、その背中が放つ気配は、この欲望渦巻く空間において確かな防壁となっていた。

若き王の誠実さ。冷静沈着な宰相の判断。そして、したたかな聖女の深謀。

それぞれの力が絡み合い、この黄金の港で、新しい時代の礎が静かに、しかし確かな熱を帯びて築かれていく。

私はその光景を、ただ静かに見守っていた。

明日は皆で、何も考えずに羽を伸ばそう。