軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第195話:『光の残滓』

新生アルカディア王国の宰相執務室は、インクと古い羊皮紙の匂いに満ちていた。

窓の外から響く、再建へ向かう王都の活気ある 槌音(つちおと) 。だが、グランの机上は喧騒とは裏腹に、解決すべき問題の山が静かにそびえ立つ。

(……海軍の再編、港湾の整備、帝国との関税交渉、経済特区計画……)

課題を一つ片付けるそばから、新たな書類が枝葉のように増えていく。彼女は白魚のような指先でこめかみを揉み、重い息を吐き出した。

その静寂を破るように、テーブルの『囁きの小箱』が、ぶぶっ、と短く遠慮なく震える。灯る光は聖女マリアを示すもの。やれやれ、とグランはわずかに眉を寄せ、億劫そうに指を伸ばした。

『――聞いてくれる、グラン!? 今回の遠征、とんでもない大赤字だったわ!』

通信機から弾け飛んできたのは、聖女らしからぬ切実な嘆きだった。

「……また、ハヤトさんが何か壊しましたか」

グランがうんざりと尋ねると、マリアの苛立った声が返ってくる。

『違う! 金銭的な話じゃないの! これまで私が聖王国に築いてきた大事な大事な外交上の『貸し』を、あの子一つのために綺麗さっぱり使い切ったのよ! まったく、あの子を助けるのは高くつくわ!』

あまりに俗っぽい嘆きに、グランは思わず口元を緩ませかけた。

だが、その表情はすぐに凍りつく。通信の向こうで、別の騒がしい声が割り込んできたからだ。

『――おう、グラン! 聞いてるか! 俺様の大活躍、マリアから聞いたか!? まさに正義の鉄槌! 悪を砕く黒き疾風だっただろう! はーっはっはっは!』

『黒曜の疾風』ことハヤト。通信機が割れんばかりのその高笑いに、グランの眉間に再び深い皺が刻まれる。彼女は氷のように冷たい声で、英雄気取りの男を遮った。

「ハヤトさん。あなたに帝国から正式な抗議が届いておりますわ」

『……は?』

「『貴官の独断専行により、我が帝国の至宝たるヴォルフラム殿が生命の危険に晒された。この一点において、王国に対し厳重に抗議する』。……ロッシ中将直々の、大変ご立腹な親書です。さて、どう申し開きを?」

外交問題。その言葉に、通信の向こうで英雄が息を呑む気配がした。

『そうなのよ!』

マリアの声が、グランの叱責に完璧な連携で乗る。

『自分がどれだけの人を危険に晒したか分かっているの!? また人の信用を無くしてやっていけなくなったら、どうするつもりなのかしら』

『うっ……。で、でも、結果は出しただろ……』

ハヤトのしょげ返った声に、グランが追い打ちをかける。

「経過も大事だと、そろそろ学びなさい。あなた一人の武勇で国が動いているのではなくてよ」

『……はい……』

英雄は、完全に牙を抜かれてしまったようだ。

それを見計らい、マリアがすっと声のトーンを変えた。

『まあ、結果的に全てを効率よく解決した点は評価するわ。帝国側も、あなたの武勇そのものは認めているようだし。……頼りにしてるから、ちゃんと反省して、次からは頼むわよ!』

『そ、そうか!? よし、任せとけ! 早速、信頼を取り戻しに――!』

単純な英雄の心は、それだけで再び燃え上がる。だが、マリアは最後の釘を刺すことを忘れなかった。

『何をやったか分かるようになってるから、またひと様に迷惑をかけていたら、次は社会的に抹殺してあげるわね♪』

歌うような声色で、しかし酷薄な言葉が告げられる。

『そうならない事を期待しているわ。頼りにしてるわよ!』

『お……おう……』

燃え上がったはずの闘志が、冷水を浴びせられたように凍りつくのが声色から伝わってきた。

やがて話題は自然と、今回の事件の中心人物へと移る。

『しっかし、リナはスゲーよな!』

ハヤトの声から、それまでの軽薄さが嘘のように消え、純粋な畏敬と好奇心の色が宿った。

『アルビオンの拠点の崩落、聞いてるか? 凄かったんだぜ。山そのものが、あいつの言うことを聞いてるみたいだった。……あれは、凄かったよ...』

『崖が敵の自爆で崩れ、それをリナが食い止めたとは聞いてるわ。でも、あまりに漠然としていて……』

マリアの声も、いつになく真剣だ。

『いや、そんな生易しいもんじゃねえ。高さが十数メートルはある外壁が入り江全体がごっそり崩れ落ちたんだ。そしたらリナが何かを叫んで……次の瞬間、土砂も岩も、まるで意志を持ったみたいに空中でぴたりと止まりやがった。巨大なアーチを描いてな。信じられねえ光景だったぜ』

そして、ハヤトはふと思い出したように、声を潜めた。

『なあ、グラン。気のせいかもしれねえんだけどよ。……あの後から、リナの奴、時々目がぼんやり光ることがあるんだ。淡い、光だ。それに、なんか周りにキラキラしたもんが飛んでるような気がする時もあるんだよな。……俺、疲れてんのかな?』

何気ない一言。

だが、グランの背筋を冷たいものが走り抜けた。

(……纏う光……? キラキラしたもの……?)

脳裏に、与太話と切り捨てていた古い伝承の一節が、灼きつくように蘇る。

『――何よそれ? 詳しく聞かせなさいよ』

好奇心に火がついたマリアの声を、グランの静かだが有無を言わせぬ響きが遮った。

「……その話の前に、一つお願いがございます」

『あら、何かしら、改まって』

「リナさんには……今後、むやみにその力を使わぬよう、あなたから強く釘を刺しておいていただけませんか」

『……どういうこと?』

「私もそちらに向かいます。その時に、詳しくお話を。どうか、お願いします」

『……ふーん。まあ、いいわ。伝えておく』

「ありがとうございます。それでは...」

『えっ、おい、グラン!』

「ハヤトさん、くれぐれもマリア様の言うことをよく聞くように。……いいですね?」

有無を言わせぬ宰相としての声に、ハヤトは『……おう』と小さく応えるしかなかった。

通信が途絶え、執務室に再び静寂が戻る。

グランはしばらく椅子に深く身を沈め、閉じた瞼の裏にハヤトの言葉を反芻していた。

やがて、おもむろに立ち上がると、書架の一角へと向かう。

彼女が埃のかぶった背表紙から引き抜いた一冊。

その名は、『北地神話集』。

かつて与太話と断じた、大地と一つになった神子の物語。その真偽を、確かめねばならなかった。