軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第188話:『黄金の港、密議の始まり』

聖王都『 蓮華(レンファ) 』を出て数時間。

蒼穹と紺碧の海が溶け合う水平線を眺めながら、マリアは楽しげに独りごちた。

「……結果としては上々、かしらね」

カタリ、と小さな音を立てて『囁きの小箱』が机に置かれる。つい先ほど、『鋼のトビウオ』に乗るロッシから戦闘終結の第一報が届いたばかりだった。

完璧な貌に、自らの采配への満足が薄い笑みとなって浮かぶ。

ハヤトを動かし、ロッシを動かし、帝国と王国の駒を的確に配置する。リナというクイーンを欠いた盤面を完全に支配し、望む結果を手に入れた。それはまるで、完璧な詰みの一手を打った名人のような、静かな愉悦だった。

彼女は艦橋へ向かうと、この船の指揮官であるエンリコ少将そして海を見ていたセラに優雅に語りかけた。

「連絡が入りました。主役の登場を待たずに、幕が下りてしまったようですわ」

その言葉に、それまで鋼の仮面のように無表情だったセラの肩が、ぴくりと震えた。

「――リナ様は!? リナ様はご無事なのですね!?」

普段の冷静さが嘘のような、切羽詰まった声。マリアはそんな彼女の姿を面白そうに一瞥すると、肩をすくめてみせた。

「ええ、そうみたいよ。全く、何とかなったから良かったけれど…」

その言葉が、引き金だった。

セラは改めて『囁きの小箱』でロッシ中将へと回線を繋いだ。それで、ロッシにお願いしてリナを呼んでもらった。

『――もしもし? リナです。……セラさん?』

ノイズの向こうから響いてきたのは、少し掠れた、しかし紛れもない主君の声だった。

「リナ様! ご無事でしたのね!」

『はい。……それで、ポルト・アウレオに着いたら、先に船で助けてくれた掃除婦さんや船員さんたちに、感謝を伝えてほしいのです。彼らが故郷へ帰れるよう、私が責任を持つ、と』

その声には、自分より他者を優先する、いつもの気遣いが滲んでいた。だが、今のセラにその言葉は届かない。

「――なぜ! 危険なまねをなさったのですか!」

堰を切ったように、涙ながらの叱責が溢れ出す。

「掃除婦に扮して敵船に乗り込むなど、正気ですか! 私たちがどれだけ……! どれだけ心配したか、お分かりにならないのですか!」

『……ごめんなさい……。でも、そうするしか……』

「言い訳は許しません! 港に着いたら、真っ先にあなたのお顔を見に行きますからね! 覚悟しておいてください!」

セラは一方的に通信を切ると、涙を乱暴に拭い、エンリコ少将に向き直った。

「……ポルト・アウレオへ、全速でお願いします」

セラがそう言うと、マリアがそれに続けて

「奮闘した役者たちが戻ってくる前に、私たちが次の舞台を整えておいて差し上げませんといけませんわ」

エンリコは彼女たちの言葉に、静かに頷いた。

◇◆◇

ポルト・アウレオの港は、息を殺したように静まり返っていた。

事件発生の報を受けてポルト・アウレオに戻って来ていたマルコの右腕、ピエトロが率いる傭兵たちの鋭い視線が、港の一角を睨みつけている。行き交う商人たちの訝しむ声は、力ずくで捻じ伏せられていた。

そこへ、朝陽を浴びて白銀に輝く船体が、水面を滑るように現れた。

エンリコ少将が指揮する 高速巡航艦(アルバティン) 。

音もなく接岸するその姿に、港の者たちは息を呑む。少し遅れて、まるで罪人のように静まり返った拿捕船『 海燕(シースワロー) 』が、その後に続いて入港してきた。

そして更に二日後。

水平線に、待ちわびた船影が滲んだ。

深々と傷跡を刻んだ『鋼のトビウオ』。従うように、巨大なアルビオンの輸送船が続く。マストには、帝国のグリフォンの旗が風に翻っていた。

両船が接岸するや否や、武装した帝国海兵たちが鋼鉄のブーツを鳴らして輸送船へ乗り込む。抵抗する気力もなくうなだれるアルビオン兵たちが、甲板の一角へと追い立てられていく。

その殺伐とした光景とは裏腹に、船室からは煤と不安に顔を汚した掃除婦たちが、おずおずと姿を現した。

彼らの前に、一人の女性士官が進み出る。帝国軍の制服を纏ったセラ。その凛とした美しさに、甲板のざわめきが水を打ったように静まった。

「皆様」

セラの澄んだ声が、潮風に乗って響く。

「長旅、お疲れ様でした。『天翼の軍師』様より伝言がございます。『皆様のご協力に、心から感謝します。皆様が故郷へ無事に帰れるよう、私が責任を持って取り計らさせて戴きます。それまではこの港町にてご自由にお過ごしください』と」

その一言に、張り詰めていた空気がふっと緩み、あちこちから安堵のため息とすすり泣きが漏れた。

セラは一度言葉を切り、今度は少し声を和らげる。まるで個人的な伝言を付け加えるように、優しく微笑んだ。

「――それと。皆様が船の上で親しくしてくださったという、リナという少女がおりましたでしょう?」

その名に、掃除婦たちの顔がぱっと輝き、船員たちの間にもざわめきが広がる。

「あの子も、無事に保護されております。そして、『皆様に直接会って、お礼を言いたい』と。後ほど、改めてご挨拶に伺うとのことです」

温かい知らせに、彼らの顔に心からの笑みが浮かんだ。

「おお、あのチビっ子も無事だったか!」

「よかった……本当によかった……」

彼らの心からの安堵の表情を、セラは静かに見届ける。どうやら彼女たちは、建物の中に居てリナが奇跡を起こした事には気が付いていなかったようだ。そして、彼らを別の区画へと丁重に案内した。

◇◆◇

リナから託された務めを果たし、セラは弾かれるように駆け出した。向かう先は、隣に停泊する『鋼のトビウオ』。ライナーもまた、彼女の背を追うように続く。

心臓が、早鐘のように胸を打つ。

一歩、また一歩とタラップを駆け上がるたび、焦燥と安堵が綯い交ぜになって思考を麻痺させた。

船内の一室。扉の前で、ヴォルフラムが静かに出迎えた。その目元がわずかに赤いことに、セラは気づく。

扉が開かれる。

そこに、いた。

少しやつれてはいるが、窓から差し込む陽光を浴びて、亜麻色の髪をきらめかせている、愛しい主君の姿が。

「――セラさん……。……ライナーさんも」

か細い、けれど確かな声。

その瞬間、セラの中で張り詰めていた全ての糸が、音を立てて切れた。

彼女は言葉もなく駆け寄ると、リナの小さな体を、壊れやすい宝物のように、しかし力強く抱きしめた。

「……リナ様……! ご無事で……! 本当に、ようございました……!」

肩が、微かに震えている。普段の冷静さが嘘のような、魂からの声だった。

だが、次の瞬間。彼女はリナの肩を掴むと、その瞳をまっすぐに見据えた。潤んだ翠の瞳の奥で、心配と安堵、そして抑えきれない怒りが渦を巻いている。

「――なぜ! なぜ敵船に侵入するような危険な真似をなさったのですか!」

その声は、涙で震えていた。

ライナーもまた、リナの前に進み出ると、その場に深く片膝をついた。彼は何も言わない。

二人のあまりに痛切な想いに、リナはただ、涙をこらえながら頷くことしかできなかった。

「……ごめんなさい……。……でも、その時はそうするしか、ないと思ったんです……」

その光景を、艦橋から二つの影が見下ろしていた。

“海竜”ロッシと、聖女マリア。

「……やれやれ。大したお姫様だ。……だが、あれだけ愛されているのだ。羨ましい限りよ」

「ええ。まあ、あれだけ叱られておけば、少しは懲りるかしらね」

マリアもまた、扇で口元を隠しながら、その瞳を慈しむように細めた。

◇◆◇

港を見下ろす丘に建つ、マルコの商館。

その最も奥まった一室に、今回の事案に関わった者たちが集っていた。

日が差し込み、テーブルの海図と、そこに集う者たちの硬い横顔を照らす。

リナ、ロッシ中将、マリア、ライナー、セラ。そしてリナの後背には、影のようにヴォルフラムが控えている。

ハヤトは初めて来たポルト・アウレオで、早速、正義の戦いを繰り広げているらしかった。マリアが笑って言っていたから大丈夫だろう。大丈夫だと信じたい。

船はエンリコ少将が守備の指揮を執っている。こちらは全く心配いらなそうだ。

部屋を満たすのは、重い沈黙だけだ。『 狼の巣(ウルフズ・デン) 』で起きた出来事の残滓が、空気そのものを鉛のようにしている。

誰もが聞きたいはずの「奇跡」の真相。だが、腕を組み目を閉じるロッシの威圧感が、いかなる問いも許さなかった。

息の詰まる空気を破り、銀髪と仮面――『天翼の軍師』の姿で、リナは告げた。

「――まずは、客人のお話を聞きましょうか」

扉が軋み、二人の帝国兵に両脇を固められ、一人の男が引きずられるように入ってくる。

デニウス・ラウル。

その顔から抜け目のない商人の貌は剥がれ落ち、全てを失った男の、昏い絶望が浮かんでいる。

彼の存在が、部屋の空気をさらに数度、冷たく引き下げた。

静寂の中、密議の幕が、ゆっくりと上がった。