軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第116話:『鉄の馬と、大人たちの、ため息』

帝都での慌ただしさが、少しだけ落ち着きを取り戻した、晴れた日の午後。

北の研究所から、待ち焦がれた「アレ」が届けられた。

皇宮の石畳に降ろされたのは、屈強な男たちが数人がかりで運ぶほどの巨大な木箱。打ち付けられた釘の一本一本が、その中身の重要性を物語っている。

バールが木蓋をこじ開ける軋んだ音の後、私の目は、宝物を見つけた子供のように輝きを放った。

「――おお……!」

そこに鎮座していたのは、鈍い光を放つ黒鉄の塊。

大地を掴んで離さぬと主張するような、凹凸の激しいタイヤ。武骨な溶接跡も生々しいフレーム。そして心臓部には、先日私が魔法で命を吹き込んだ小型エンジンが、さらに凶悪な改良を施されて鎮座している。

私が想像していた可愛らしいスクーターとは似ても似つかない、獰猛な獣のようなフォルム。

マキナが言っていた『モトクロスバイク』。

私だけの、『鉄の馬』だ。

木箱の隅には、もう一つ包みが収められていた。

使い込むほどに味が出そうな、分厚い革のスーツ。頭部を守るための硬質な 兜(ヘルメット) 。そして、マキナらしい過保護さが滲み出る、肘、膝、背中に仕込まれた 衝撃吸収材(プロテクター) 。その徹底した安全対策に、思わず笑みがこぼれた。

「……リナ様。これは一体……?」

セラが、得体の知れない機械を前に、眉をひそめている。

「ふふふ。まあ、見ていてください」

逸る心を抑え、ヴォルフラムに手伝ってもらいながら、少し窮屈な革のスーツに体を滑り込ませた。

◇◆◇

場所は、皇帝陛下から特別に許可をいただいた皇宮の広大な庭園。

私のささやかな試乗会には、なぜかグレイグ中将まで駆けつけていた。前線が落ち着き、帝都での演習指導に戻ってきていたらしい。その腕組みをした厳しい横顔は、これから戦場にでも赴くかのようだ。

セラ、ヴォルフラム、そしてゲッコー。私の保護者たちが勢揃いで、固唾を飲んで成り行きを見守っている。

私は鉄の馬に跨った。

つま先が、ようやく地面に届く。だが、この頼りなさが逆に心を奮い立たせた。

(……うん、いい感じ!)

「リナ。……本当に大丈夫なんだろうな……?」

グレイグが、心底不安そうな顔で尋ねる。

「大丈夫ですってば。……さあ、行きますよ!」

エンジンの水タンクが満たされているのを確認し、ヘルメットの風防を下ろす。外界の音が少しだけ遠くなり、自分の呼吸音だけが大きく聞こえた。目を閉じ、意識を集中させる。

そして、あの言葉を紡いだ。

「――《ここに宿る水よ。少しずつ気体へと姿を変え、体を膨張させよ》》」

ブルルンッ!

次の瞬間、鉄の仔馬が低い唸りをあげて震え始めた。排気ガスも煙も出ない。ただ、気化した水が静かに吐き出される。魔法によって生命を宿した心臓が、力強い鼓動を私の体に伝えてきた。

マキナに教わった通り、右手のハンドルをゆっくりと、慈しむように捻る。

――ギュルンッ!

解き放たれた矢のように、鉄の仔馬が地面を蹴った。

芝生を深々と抉り、車体が猛然と前方へ飛び出す。

「おおっ!?」

後ろで上がる大人たちの驚声が、風にかき消されていく。

風が唸りをあげてヘルメットを叩き、景色が猛烈な速さで後ろへ溶けていく。速い、速い! 馬とは違う、機械と一体になるこの感覚! 楽しい!

私は夢中で庭園を駆け巡った。木々を縫い、噴水をかすめ、鳥のように、風のように、ただひたすらに走った。

だが、その夢のような時間は長くは続かなかった。

興奮冷めやらぬまま皆の元へ戻ると、そこには腕を組んだ三体の仁王が立ちはだかっていた。

グレイグ、セラ、そしてヴォルフラム。

その顔に、笑顔など微塵もない。嵐の前の静けさが、肌を刺した。

「――リナ」

グレイグが、地を這うような低い声で言った。

「……却下だ」

「…………はい?」

「危険すぎます」

セラのきっぱりとした声が続く。「あのような速度で転倒でもすれば、ただでは済みません」

「護衛が追いつけません!」

ヴォルフラムが断固たる口調で付け加える。「リナ様があれにお乗りになるのであれば、私は常に並走させていただきます!」

(……この人、馬より速く走る気だわ……)

その日、私の夢の『鉄の馬』は、三人の保護者による満場一致の猛反対により、公道での使用を全面禁止された。

走行が許されたのは、この皇宮の庭園と、監視の目が届く演習場のみ。

(そんな……私の愛馬が……)

私はしょんぼりと肩を落とし、まだ走りたいと音を立てている鉄の馬を撫でた。

その横で、大人たちが深いため息をついている。

「……はぁ。あいつは一体、どこまで俺たちの頭痛の種を増やせば気が済むんだ……」

グレイグの疲労に満ちた呟きは、誰の耳に届くこともなく、穏やかだったはずの午後の空気に溶けて消えた。