軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

78.王都ドリスベンに住む日本人

草木の緑がいっそう濃くなる初夏の頃、園遊会に参加する者たちが続々と王都ドリスベンに集結していた。

時間に正確な移動手段など、ない時代である。

それぞれは時間に大きな余裕を持って街に入場しており、園遊会が行われる日までは思い思いの時間を過ごすことになる。

また王城においては、日頃は怠けていた城で働く者たちもにわかに活気づき、華やかな園遊会を思っていつつ、着々と準備を進めていた。

とはいえ、園遊会などに関係があるのは、一部の者だけのこと。

街に住む一般庶民にとってはなんの関係もない。

彼ら庶民は、今日もいつもと変わらず懸命に働いていたのである。

「水ー、水はいりませんかー?」

王都ドリスベンのぎゅうぎゅうに密集した住宅街を、ある一人の女が水を売っていた。

その者、黒い髪をしており、既に二十歳を超えているというのに顔の彫りは浅く、見ようによってはまだ十代の少女のようだ。

背中には大陸の言語で『水屋』と書かれている。

彼女は、いわゆる水売りと呼ばれる者であった。

「ちょいと、水をおくれ」

住宅の一軒から顔を出した、中年女性。

「はい! いつもありがとうございます!」

売り手と買い手である。

水売りの女は愛想を振りまくような声と笑みで対応した。

だがちょっと待ってほしい。

水売りの女は背に旗を差してる以外に、これといった持ち物があるようには見えない。

はたして、これでどのように水を売るのか。

水売りの女は、中年女性に家の中を案内されて、空手のまま台所の大きな甕の前に立った。

甕は三つあり、その内の二つが空となっている。

「大甕二つでよろしいですね?」

「ああ、そうだよ。早くやっとくれ」

水売りの少女が何を考えたのか、右手の指先を大きな甕の中に入れた。

すると、不思議なことが起こった。

その指先から、まるで蛇口のように、水がドバドバと放出されたのだ。

おわかりいただけただろうか。

これぞ体内の魔力を使い、水を生み出す法――水の魔法である。

水の魔法によって徐々に満たされていく大甕。

しかし、それを見ていた中年女性が驚くこともない。

魔法など大陸では特筆しない、極めて普通ことであった。

「あんた、あんまり見ない顔ね」

甕が満たされるまでの間、暇つぶしにと中年女性が水売りの少女に話しかけた。

「この地区を担当してる人が病気になって、今日は私がこの地区の半分を受け持ってるんですよ」

「ふーん、大変ねえ。それにしても若いのに、大した魔法の使い手だわ。

いつもより水が溜まるの全然早いわよ?

どう? おすすめの男がいるんだけど」

水の魔法に目覚めた者の将来はまず安泰。

貧困が渦巻く時代なればこそ、己の身内をその魔法の使い手に勧めるのはよくあることだった。

「いえ、その、養わなければならない弟妹たちがたくさんいるので、私が稼がないと」

「あらまあ大変ねえ」

訳ありかと、中年女性はさっさと話を打ち切った。

そう時も経たず、二つの大きな甕が満杯になると、中年女性が料金を支払い、水売りの女はまた新たな客を求めて外を練り歩く。

「水ー! 水はいりませんかー!」

水売りの女の名前は 山田薫子(やまだ かおるこ) 。

元は日本居住のどこにでもいる高校生であった。

薫子がいかにして今日にたどり着いたのか、まずはそれを語らねばならないだろう。

時は八年ほど前にまで遡る。

薫子は日本で電車の脱線事故に遭い、神との会合ののち、気がつけば王都ドリスベンの路地裏にいた。

誰もがそうであるように、まず驚愕し、それから現状を顧みる。

路地裏から顔を出せば、日本ならさして珍しくもない人の賑わいがあった。

しかし、建物も人が着る服も、果ては人の顔に至るまで何もかもが日本とは違った。

薫子は、ここでようやく己が異世界にいることをはっきりと自覚したのだ。

現状を大いに嘆く薫子。

それが済むと、次に考えることはこの世界でどのように生きていくか、である。

神から貰ったカードは既になくなっている。

されど、その代わりに内にある異様な感覚に気づいていた。

「これ……もしかして、カードの能力……?」

感覚に従って指先から放たれたのは、ビュービューと出る水。

彼女の選んだカードは【水の魔法の才】【小】【★★】。

薫子は水を自在に出すことができるようになっていたのだ。

話は変わるが、この世界において魔法というものに、呪文などの面倒くさい儀式は必要ない。

いわば魔法というものは、人間の内にある一つの特殊な器官を用いて起こる現象。

心臓が全身に血液を送るように、脳が何かを考えるように、胃が食べ物を消化するように、内にある特殊な器官が火を起こし、水をつくり、風を吹かせるのである。

そのため、この器官がある者は魔法を使えるが、ない者は決して魔法を使えないのだ。

さらに、魔法を使うにもちょっとしたコツがいる。

ある者は、魔法を使うに際して三挙動の感覚がいると言った。

たとえるなら、体の中にもう一本の腕があり、その腕で物を掴んで投げる。そんな感覚。

眠ってる最中、魔法による事故が起きないのは、この複数挙動の感覚のためである。

寝ぼけながら、物を掴んで投げる者などいないのだから。

「水……水ね。飲み水には困らないかもしれないけど……」

これで何をどうすればいいのかと、薫子は頭を抱えた。

水なんてなんにもならない。

日本人の感覚から、水はタダだという認識が強い薫子である。

一応、日本にも水道料金があり、水が無料というわけではないのだが、そこはまだ女子高生。

かつての世界においては、水がとてつもなく大きなビジネスになっていることすらも知らなかった。

(せめてもっと勢いよくいっぱいの水を出せれば、消防車の代わりになってお金に困らないかもしれないけど……)

薫子は水を出すのをやめると、とにかく現状を知らなければと思い、街に出た。

人の波の中を歩く薫子。

道行く人たちの言葉がわかるし、看板の文字も読める。

けれど、周りは西洋人にしか見えない者ばかり。己が異物であることを、これでもかと実感させられた。

やがて一頻り街を見て回ると、薫子は身につけている物を売り、金に替えることにした。

「重い……とても重いわ……」

ある商店で、袋に詰められた硬貨を受け取った時、ずっしりとした手にかかる重みの他に、もっと別の――心にまで響くような重さを感じた。

限られたお金。

日本にいた時は、お金に困ったことはない。いや、お小遣いが足りないとか、そういうのはあった。

しかし、この世界でお金が尽きれば、それは死を意味するのだ。

(これは私の命の重さ……)

大切に使わなければならない。

すぐ隣にある死の恐怖に身震いしつつ、薫子は貨幣の入った袋をギュッと握った。

だが、生存への道はあっさりと開かれることになる。

「水ー、水だよー!」

金を得て、とりあえずは宿を探そうと、人通りがそれほどでもない宿が並んだ区画を歩いていた時だった。

大きく張り上げる声に釣られて見てみれば、そこにいたのは『水屋』と書かれた旗を背中に差している者。

水なんて売り物になるのか、という疑問よりも先に、水売りが肝心の水をどこにも持っていないことを、薫子は不思議に思った。

「まさか……っ!」

薫子はピンと来た。

己の能力がなんであるか。

それを考えれば、答えは自ずと見えてくる。

つまり魔法で水をつくっているのだ。

薫子は、水売りのあとをつけることにした。

そして、実際に水をつくり出して売るまでを盗み見て、むしろ【水の魔法の才】は生きていく上で都合がいいことを薫子は知ったのである。

「もしかしたら、私のカードって結構当たりなんじゃ」

一人呟く薫子。

希望の火が胸に点り、それは活力となって、薫子の足を踏み出させた。

「あのっ、すみません!」

薫子は水売りの人に声をかけ、己が水の魔法使いであることと、生活に困っていることを話した。

水売りが薫子を邪険にすることはない。

水の魔法使いは、厳しく管理されている。

水ギルドが統括し、さらに国がその手綱をしっかりと握っているのだ。

まずは実際に仕事を見学させられて、それが済んだのち、薫子は水ギルドに連れていかれ、色々と説明を受けた。

薫子はこの世界での水の扱いというものを知った。

魔法の水は清潔であるとされ、それ以外の水は汚いとされる。

唯一天からの恵みである雨だけは例外であるが、雨などいつ降るかもわからず、また水は溜めてもそのうちに腐ってしまう。

必要な時に必要なだけ清潔な水を生み出すことができる水の魔法使いの存在が、いかに重要であるか。

カードの星の数はたった二つ。

だというのに、これは星二つどころではない価値があるのでは、と薫子は思った。

こうして、薫子は『水売り』という仕事を得て、王都ドリスベンに生活の基盤を築くことになる。

さて、話は園遊会直前の日時にまで戻る。

「水ー! 水はいりませんかー! 飲んでよし、体を洗ってよしの魔法の水ですよー!」

中年女性に水を売った薫子は、その後も客を求めて声を張り上げる。

このなんでもない時間。

ふと、薫子は教会の近くで足を止めた。

――結婚式。

二人の男女が、家族や知り合いたちから祝福されているところだった。

とても幸せそうに、新しく夫婦となった二人は笑いあっている。

(あーあ、何やってんだろ私)

薫子は心をむなしくさせた。

時折思うのだ。

既に歳は二十歳を超えて、二十四歳。

日本ならば立派な大人。大学を卒業し、会社に勤め、もしかしたら結婚しているかもしれない。

では、この異世界での自分はどうか。

八年間、水ばかりを売ってきた。

水売りの給料の良さを考えたら、一財産をつくってもおかしくない時間だ。

だというのに、彼女はあまり休日を取ることなく、日々を汗水垂らして働いている。

幸せとは縁遠い生活であった。

理由はある。

彼女が根を詰めなければならない理由が。

「お疲れ様でしたー」

仕事を終えると、ギルドに寄って売り上げを納め、挨拶をして薫子は己の家に帰る。

家がある場所は城郭外にある区画。

貧困街とまではいかないまでも、下層民が住む住宅街だった。

「ただいまー」

周りよりは少しばかり大きい家。

その玄関を元気な声と共に、薫子は開けた。

「お姉ちゃん!」「お姉ちゃんお帰り!」

わらわらと集まってくる子ども達。

二十人は優に超えている。

(だってしかたないじゃない――)

鬱屈した思いをぶつけるように、薫子は心の中で誰かに呟いた。

それはいい訳。

最低限の裕福な生活を捨ててまで、今の貧しい暮らしをするいい訳だ。

目の前で飢える子どもたちを見捨てられなかった。

何度も見捨てようとした。でもどうしてもできなかったのだ。

そのせいか、魔法の才があっても貧乏と隣り合わせ。

お金を稼ぐために、毎日を頑張らなければならなかった。

「みんな、ちゃんと勉強した?」

水売り用の綺麗な一張羅を着替えつつ、子どもたちに優しく声をかける薫子。

その声色には不満など微塵も見せてはいない。

「うん! 頑張ったよ!」「今日もいっぱい文字を覚えたんだ!」

子どもたちが薫子に褒めてもらおうと、自分たちの勉強の成果を先を争って報告していく。

それを一人ずつ優しく頭をなでながら、薫子は聞いていた。

養うためだけでは駄目。

彼らがいつか立派に独り立ちできるように、子どもたちに文字と計算は教えている。

現に二人、商人の下働きとして、この家を出ていった。

その二人は、たまにやってきてはお金を置いておこうとし、薫子はそれを断っている。

下働きの給料なんて高が知れている。

この家を、巣立っていった者たちの足枷にしたくはなかったのだ。

これは薫子の親心ともいうべきものだったが、彼女自身は子どもたちを弟妹たちだと普段から口を酸っぱくして公言している。

「バーネット兄ちゃんとジョシュアは勉強せずに外に行ってたんだ」

誰かの糾弾する声。

すると、集まっていた子どもたちの群れが二つに割れて、皆の視線がある二人に注がれる。

十歳のバーネットと八歳のジョシュア。

まだ遊びたい盛りの子どもだ。

勉強しろと言っても、それを聞かない子どももいることはわかっていた。

だから二人に対し、薫子が怒ることはない。

何故なら、毎日を好きなことをして暮らしていけた日本の子ども時代を知っているから。

「……お姉ちゃん、これ」

ジョシュアからの差し出されたのは果物である。

他の子どもにばれないようにしていたのか、それは服の中から出された。

姉である薫子のために、という思いがあったのは明らか。

しかし薫子は目を鋭くした。

「どうしたの、それ」

薫子は底冷えするような声を出した。

過去に子どもたちは食べ物を盗んでいたことがある。

薫子に出会うまでは盗みは彼らの日常であったし、盗まなければ食べていけなかった。だからそれはいい。

でも、一緒に暮らしてからの盗みは、どんな理由があろうと薫子はおもいっきり怒った。

貧困者にとって、食べ物は命と同義。

盗めば殺されても文句は言えない。

一般の者相手であっても同じこと。彼らは貧困者を汚い者として見る。

二度と盗みをしないように集団で暴行されるのがオチだ。

それゆえ子どもたちが盗みをした時、『お姉ちゃんに美味しいものを食べてほしい』という理由であっても、薫子は子どもたちが泣くまで怒った。

だというのに、また盗みをしたのだ。

「違うよ、お姉ちゃん! 今度は盗んだんじゃないんだ!」

もう一人、おそらく行動を共にしていたであろうバーネットの弁護。

心配のしすぎだったか、と思い、薫子は表情を和らげて問いかけた。

「ごめんね、それでその果物どうしたの?」

しかし、ジョシュアは言いにくいのか答えない。

ならばと、薫子は先ほど弁護をしたバーネットに顔を向けた。

「大通りで……貴族に貰ったんだ」

――貴族。

バーネットの回答に、薫子は再び目をつり上げた。

貴族に近づいてはならない。

貴族に対して、物乞いをし殺された者はいくらでもいる。

貴族の全員がそうだとはいわない。

だが近寄っただけで汚いと、殺そうとする者は確かにいるのだ。

「あれほど普段から言ってるのに、なんで貴族なんかに近づいたの!」

「う……」「ぐすっ」

これにはバーネットも何も言えなくなり、またジョシュアは今にも泣きそうに目を赤くする。

「いい? 貴族は私たちを同じ人間だとは思ってないの! ちょっとした気分で私たちは、殺されちゃうんだから!」

「で、でも……」

「でもじゃないわ!」

ジョシュアが言い返そうとしたが、薫子は反論を許さない。

するとジョシュアを助けるようにバーネットが言った。

「違うんだよお姉ちゃん。その貴族、お姉ちゃんと似たような雰囲気だったから……」

「……?」

「髪の色も顔もなんだかお姉ちゃんみたいで、優しそうだったから見てたんだ。そしたら手招きして……」

黒髪というのは珍しくない。だが黒という色をさらに細分化すれば、薫子の髪色はとても珍しい。

ということは、日本人の髪もまた珍しいということだ。

顔も彫りがなく、この世界では特徴的なのが日本人。

薫子は、まさかと思った。