軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

58.幕間 永井昌也 2

大陸は竜の下顎に位置するヨウジュ帝国。

そのヴァッサーリ伯爵領では、ジュリアーノ・ガヴィーノ・ヴァッサーリがわずか14歳にて病死した父の跡を継いだ。

そして、そんなジュリアーノへと憑依したのが永井であった。

領主とは領を治める者であり、領内においては一番偉い者である。

常に一番を求める永井は、優々としてその権勢を振るった。

永井にはジュリアーノの記憶があった。

そのため、なんら逡巡することなく領主の仕事をこなすことができたのだ。

永井がジュリアーノとなって領政を行い、一週間が過ぎた。

これまで、特に問題らしい問題は起こっていない。

もし何か一つあげるというのなら、ジュリアーノの母と弟を一室に閉じ込めたくらいだ。

そして永井は、今日も己が執務室で報告書類の決裁を行っていた。

するとそこに扉を叩く者があった。

「入れ」

永井が許可を出すと、「失礼します」と言って入ってきたのは家臣の一人。

とある特別な任を与えた者だ。

永井は手を止めて背もたれに体を預けると、休憩とばかりに「ふぅ」と小さく息を吐いた。

「どうだ、町の方は。綺麗になったか」

「はっ、路地裏から側溝に至るまで町中の汚物を取り除きました」

「よし」

家臣からの報告に、満足して頷いた永井。

その報告の内容は、町の公衆衛生についてであった。

この大陸に住まう人々の衛生観念の低さは、思わず目を覆いたくなるほどだといっていいだろう。

城下町においては、至るところに便がばらまかれていたし、排水用の側溝はつまっており、雨が降れば水が溢れ町中が汚水まみれになる始末。

おまけに町中を家畜が闊歩していた。

また、永井が住まう屋敷においても例外ではなく、屋敷の庭からは凄まじい悪臭が漂う有り様であった。

日本で過ごしていた永井にはとても耐えられるものではない。

加えて、不衛生が病気を呼び込むことは元の世界では常識である。

実際に、永井が町を見回った際には、そこら中でハエが飛び交い、何らかの菌を媒介しているのではと眉をしかめるほどであった。

そして、領内の衛生状態の悪さを目の当たりにした永井は、すぐさま公衆衛生を向上させる命令を出したのだ。

閑話休題。

「しかし町を綺麗にしても、また町人達が汚して元に戻るのではありませんか?」

家臣の発言は実にもっともである。

とりあえず町人達総出で清掃をしたおかげで、当分は町を汚す者はいないだろう。

美しいものを汚す背徳感や、皆の成果を台無しにする罪の意識が、町を汚すのを躊躇させるはずだ。

だが、いずれ誰かが町を汚し始め、それを皮切りに、また町は汚物まみれとなっていくであろうことは簡単に想像がついた。

そこで永井は、机の中から一枚の羊皮紙を取り出して、「これを」と前に突き出した。

家臣がそれを受け取り、目を通す。

そこには永井が新たに考えた、町を汚した者に対する罰則が書かれていた。

「それを今から一週間のうちに全ての町人達へ通達せよ。

外から町に来る者にも必ず徹底させるよう、城門で触れを出しておけ」

書かれていた罰則は、いずれも厳罰といえるものである。

それに目を通した家臣は、わずかに顔を曇らせた。

この家臣自身、町や屋敷の庭を汚す粗相を何度もしているからだ。

「これはあまりにも厳しくはありませんか?」

「何を言う。甘い罰ではなんの成果もなかった。ならば厳しい罰にするのは当たり前であろう。

町の者は自分で自分の首を絞めたのだ。

そもそも決められた場所に汚物なりを捨てにいけば、なんの問題もない話ではないか」

永井の言葉に、家臣はぐうの音も出なかった。

汚物を捨てるための決められた場所は、町に幾つも存在しているのだ。

ただ町人達があまりにずぼらで、それを活用していなかっただけである。

家臣は「わかりました」とだけ告げて退室した。

しかしこの時の永井は知らない。

罰則を厳しくしただけでは、町が綺麗になることはないということを。

元の世界の中世ヨーロッパでも、罰則が極刑にまで及んだにもかかわらず、町は綺麗にならなかったという事例がある。

町人達は人目を盗み、また誰にもばれぬ夜の闇の中で汚物を撒き散らすのだ。

だが、現代日本という清潔な世界を知っている永井が諦めることはない。

彼の悪戦苦闘の日々は、この先もしばらく続いていくのであった。

さて、公衆衛生に関しては町の公共物だけでは終わらない。

町全体の美化の次は、人の衛生管理についてである。

この世界において、庶民には体を洗うという習慣がなく、ほとんどの者が不潔で臭かったといえた。

これは元の世界の中世ヨーロッパと同様に、病が水から来るものであると誤解されていたからだ。

人々は川や井戸の水で体を洗うことを禁忌としたのである。

ただし、中世ヨーロッパとこの世界とでは、一つだけ決定的に違うところがあった。

それは魔法の存在。

魔法によって生み出された水は清らかであるとされ、金に余裕のある富裕層らはその水をもって体を清めていたのだ。

つまり、庶民が体を洗わなかったのは、飲食に使うべき高価な水をそんなことにつかうのは勿体ない、と考えてのことであった。

そして、それらの対策についても永井は既に腹案を持っている。

「――ここだ」

それは、ある日の執務室でのこと。

家臣らの前で町の地図を広げ、ある場所に指を差す永井がいた。

「ここに大浴場をつくれ」

「し、しかし、町人の立ち退きは、それに費用が……」

「構わん、立ち退かせる町人は金で黙らせる。屋敷にある金になりそうな美術品は全て売却するつもりだ。

それを立ち退きの費用と、浴場の建築費に当てる」

永井は町に大浴場を建設。

注ぐ湯は、水の魔法使いと火の魔法使いを雇い入れ、その者達につくらせている。

入浴料は無料とし、自由に開放すると、町人達はこぞって浴場へ向かった。

誰だって、汚いよりはきれいな方がいいのである。

こうして城下町の公衆衛生に関して一応の目処をつけた永井。

村々の衛生管理にはなんの施策も講じなかったが、これについては特に気にする必要もない。

人が少なければ汚物も少なく、自然に還ることが可能な量となるためだ。

そして、今回の件で相当の資産が消えていた。

まだまだ蓄財はあったが、このまま領内の改革を進めれば、いずれ底をつくのは明らかである。

そのため、永井はすぐに次の施策に取りかかった。

次の目標は金儲け、つまりは新たな事業の開発である。

日々の書類作業の中で、永井は紙というものに目をつけていた。

この大陸で紙といえば羊皮紙であったが、羊皮紙は1枚につき、およそ新バーバニル銀貨1枚(約2800円)という高級品。

これが書籍ともなると、書き写しの料金も含め優に新バーバニル銀貨500枚(約140万円)を超えるというから驚きである。

永井はこの世界で羊皮紙に代わる、安価な紙がつくれたら金になるのではと考えた。

あいにくと洋紙のつくり方はわからなかったが、和紙のつくり方については多少の知識がある。

原料も植物であるため、開発自体に特にこれといった費用はかからない。

せいぜいが人件費くらいなもの。

あとは試行錯誤を繰り返す時間だけだ。

永井はすぐに人を集め紙の開発に当たらせた。

己の知ることを職人らに伝え、また自分自身でも時間があれば実験に参加した。

これより紙の開発は、永井のポケットマネーにて、長い年月をかけて行われることになる。

永井の手によって、進む領地の改革。

しかし、永井も領政ばかりにかまけていたわけではない。

永井は領地の改革に平行して、同郷の者を集めようと試みていた。

『日本という国を知る者を求む』

この布告を領内に出し、また国内、国外問わず人をやって同郷の者を探したのである。

いくら永井が優秀であったとはいえ、高校生が学校で学ぶ知識などたかが知れている。

永井としては、もっと専門的な知識を持つ者が欲しかったし、己だけが富むために、元の世界の技術流出を防ぎたかったのだ。

しかし、同郷の者の捜索は難航した。

一年経とうとも、なんの情報も得られない。

もしかしたら、この世界に来た者は己しかいないのではないか。

そんな考えが浮かんだが、永井は家臣らに捜索を続けさせた。

そして、永井がこの世界にやって来て二年が過ぎた。

初めて同郷の者が見つかったのは、その年の初夏のことである。

永井の執務室に連れてこられた少女。

日本人特有の黒い髪と、浅い彫りの顔を彼女はしていた。

『きみは日本人か?』

永井が久しく使っていなかった日本語で問うと、少女はホロリと涙を流した。

それは嬉し涙である。

話を聞けば、少女の得た力は【剣の才】【中】【★★】。

しかし、彼女の性格はとてもおとなしい。

剣を使って金を稼ぐなんて真似はできるはずもなかった。

そのため彼女は、商会にて下働きをして生活していたそうだ。

神の力故か、この世界の文字の読み書きに不自由がなく、計算もできたため職には困らなかった。

しかしそれでも寂しさは埋められず、少女は貼り紙を見て、この地にやって来たのだという。

そして一人見つかれば、二人三人と芋づるのように同郷の者は見つかった。

皆の話からすると、どうも異世界に移動してきた時間が、永井と他の者とでは違うようである。

永井に与えられた【領主になる】というカード。

領主になるために誰かが死ななければならないというのなら、ジュリアーノが死ぬ時期が、他の者と転移の時間がずれた原因であろうと永井は考えた。

皆が転移する際に、都合よく死ぬ領主がいなかったのだ。

そして、見つかった同郷の者達が得た力も様々であった。

【犬】【★】

【英雄の鎧】【★★★】

【闇の魔法の才】【中】【★★★】

【何でも治る薬】【★★★】

【壊れにくい靴】【★】

【弓の才】【小】【★】

【火の魔法の才】【大】【★★★★】

しかし、そんな力には永井はあまり興味がなかった。

今の己は領主。

誰よりも優れた領主となるために必要なものは、日本の知識だけだったからである。

その後も永井の下に続々と集まってくる同郷の者達。

それに伴い、領地は着々と成長を遂げる。

そして永井がこの世界に来て8年、他の転移者にとっては6年という月日が過ぎた。

この時には領で開発された植物紙が量産体制に入っており、永井は莫大な財を蓄えていた。

とはいえ、これも最初から順風であったとは言い難い。

当初、安価な紙の存在は教会にいい顔をされなかったのだ。

理由はある。

現在までは、教会によってのみ行われてきた知識の保存。

それは教会が権力を維持するための手段であった。

だが、紙が安く手に入るようになれば、知識の保存は他の者にも容易にできるようになる。

そのことを教会は危惧していたのだ。

しかし、永井が活版印刷を開発し、それを使って大量の聖書を低価格で教会に卸すと、手のひらを返すようにして多くの教会関係者が好感を示した。

低価格で大量に刷られた聖書は教会の夢である。

これまでの聖書は、あまりに高価であり、庶民が買うことなど到底できなかった。

しかし、低価格な聖書を民にそこそこの値で購入させることで、教会は莫大な富と、より敬虔な信徒を得ることができるのだ。

もちろん今まで売っていた羊皮紙の聖書も、これまで通りの価格で売れるだろう。

なぜならば、貴族とは見栄を張る生き物。

彼らは、庶民と同じ安価な聖書など求めようとしないからである。

永井の領地の躍進は、紙ばかりではない。

この8年の間に永井の領地の農業は、三圃式から四輪作へと移行した。

同郷の者の中で農業に携わっていた者はいなかったが、少しでも関連する知識を持つ者が意見を出しあって、手探りながらも農業改革が進んだ結果である。

また無色透明のガラスの生成にも成功。

これは量産が難しいが、珍しいもの好きの資産家に高値で売れていた。

さらに徴税に関しても改革を行おうとしたのだが、税率の軽重については国の中である程度の足並みを揃えなければ、他の領主から睨まれることになる。

各地で税率に大きな差があれば、税の重い領の民がその地の領主に不満を持つのだ。

そのため永井の領地の税率も重いままだった。

だがその分、多く還元することで人々から生活の不安を取り除いている。

そして同郷の者達。

彼らについては、誰であろうと永井は優遇した。

中には役に立たない者もいたが、その者達に不遇を与えては、他の者にまで不信を抱かれかねないからだ。

領地に居住を移した同郷の者は、もう40人を超えている。

しかし、ある時を境にそれ以上同郷の者が増えることはなくなった。

誰しもが、この世界で自分の居場所をつくっているということだろう。

順調。なにもかもが順調。

己が領地は異常な速度で発展し、永井はヨウジュ帝国において一躍、時の人となっていた。

ある日の夜。

永井は一人、屋敷のバルコニーにいた。

その手にはワイングラスがあり、視線は城下町に向けられている。

「まだまだ真っ暗だな」

永井が小さく呟いた。

城下町にポツリポツリと見える白熱灯の光。

それは科学の光だ。

この大陸のどこにもないものであり、己が城下町の領地だけにある永井の成果の一つ。

そんなぼんやりとした光を見ながら、永井は口元に薄い笑みを浮かべた。

(俺の領地は、俺の力で急激に発達した。

俺の成果を誰もが褒め称える)

永井は酔っていた。

酒に、ではない。

遥か昔に味わった、己が一番であるという感覚に、だ。

だが、まだ足りない。

永井は、自身がこんなところで終わるわけがないと思っていた。

手の届く場所に、己よりも偉そうにしている奴がいる。

永井はそれを許さない。

(いずれ俺が全部呑み込んで、トップになってやる)

永井はいつも、己が一番になった姿を脳裏に描いている。

誰よりもうまく国を、大陸を統治できるという自信があった。

神からもらった【領主になる】というカード。

そして、現代日本の知識。

これらがあれば、大陸の制覇も夢ではないのだ。

すると思考の隅で、小さなものが横切った。

とるに足らないものであるのに妙に気になる、そんな感覚。

それは、この異世界に来る前にあったこと。

『す、すいませんでしたーー!』

あの真っ白い部屋で情けなくも神に土下座をした男。

そのおかげで、男は神から特別扱いを受けているようであった。

永井も後になって神に土下座をしたが、それは認められてはいない。

(あいつは何を得たのか)

あの男が得たものは、永井が先に土下座さえしていれば、手に入れるかもしれなかったはずのものだ。

そのカードがなんであるかについては、これまでに会った同郷の者のカードの傾向から思い付くものがある。

誰よりも優れた武術の才や魔法の才。

何よりも優れた武器や防具。

誰よりも優れた地位。

(だが、それらがなんだというのだ)

永井の領地では、火薬の精製に成功している。

既に大砲は完成し、現在は火縄銃の開発を始めた。

この大陸で、未来に登場するはずであった兵器を永井は手にしているのだ。

それらは、個人の能力では決して抗えないものである、と永井は考えていた。

抗えるとするなら、永井と同じく兵器を開発した権力者。

しかし、他の国に放った密偵の情報では、永井の領地のように急速な発展を遂げた地は存在しなかった。

すなわち、この大陸において永井に並ぶ者は存在しないのである。

「大陸は荒れ始めている。

いずれは大乱が起こり、この国も巻き込まれるだろう」

その時こそ、と永井は思うのだ。

すると、突如として強い夜風が吹き抜ける。

シロッコと呼ばれる南東からの季節風だ。

時折、砂粒が混じるその風を気にも留めず、永井の視線は遥か未来を見つめていた。