軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

閑話 酔っぱらえない者の独白

そいつは、いつの間にか僕の隣に立っていた。

「こんばんは?」

場末の古い酒場には、不釣り合いな男だった。手入れされてそうな長髪。傷一つない肌。神父のような高価な服。どれも白くて、しかも人の良さそうな顔をした色男だとしたら……他に客がいたら、いいカモにされていること間違いなし。ここまで無傷に来れたのが奇跡だろう。

……そんな奇跡に免じて。

僕は無視してあげているのに、そいつには嬉しそうな顔で僕の隣に座ってきた。

無精髭を生やし、腰に長短の二本の剣を下げる薄汚い男の隣に喜んで座る男など、まず居ない。しかも、この店には他に客がいないんだからさ。

「ここがきみのお気に入りの店なの? 人が少なくていい所だね」

夜も更けた丁度いい時間の酒場に対して、それが嫌味だと気付いたのは、残念ながら僕だけではなかった。カウンター向こうのマスター、敵意の視線を僕にまで向けてくるから。

面倒くさいけど、ここはしっかり『他人アピール』させてもらうしかない。どのみち、こんな僕に話しかけてくる奴なんて、大抵ろくでもないんだが。

「……誰、お前?」

「ぼくはナナシ。ちょうど、ぼくと同じ名前の人気者がここにいるって聞いたからさ、ちょっとご挨拶しようと思って? 名無し(ナナシ) さん」

「あぁ?」

僕は二年前、名前を捨てた。どうせもう罪人の名前だから……て理由だったら、どれだけ良かったか。あんな大罪を犯したのに、『でも、おまえが直接彼女を殺したわけではないだろう』と、不慮の事故として無実にされそうになったから。それに耐えきれず、自ら捨てた名前。

結局、僕を裁いてくれたのは――兄上のへなちょこパンチだけだった。彼女のビンタの方が、よほど痛かったな。

そんなことを思い出しながら頬を押さえている間に、その白い男は呑気に注文していた。

「マスター。このお店で一番高いお酒をボトルごとちょうだい。グラスは二つで」

ちょっとマスターの眉が上がる。こんな店でご新規がそんなカッコつけた注文したら、ふっかけられるのがわからないのかな。まぁ、僕が忠告してやる義理はなし。不気味だから、淡々と正体だけ探ることにする。

名前を捨てて、何の当て付けか彼女が好きだと言った 歴史上の人物(ナナシ) を使って路銀を稼ぐ仕事は、日の目に当たってはいけないことだらけだ。

「……仕事の依頼か?」

「違うって。本当にきみとお喋り……恋バナをしたいだけなんだけど」

「はあ? 野郎同士でそれは……生憎、それなら他を当たってくれ。興味ないね」

「あ、ごめん。ぼくもそっちは興味ないよ。ただ、きみに自慢話を聞いてほしいだけなんだ」

「……これを、飲み終わるまでは座っていてやる」

無愛想なマスターが出した、安いけれど美味い酒(飲み逃げされる可能性を考えたのだろう)を勝手に手酌しようとすれば、そいつはボトルを取り、僕のグラスに酒を注いでくる。

「ぼくね、長年好きだった女の子に告白されたんだ」

「へー、おめでとう」

……何の隠喩だ?

さっぱりこいつの目的がわからない。もしかして、本当に惚気け相手を探しにきたどこぞの坊っちゃんの可能性を考えつつ、僕は酒を飲みながらも、そいつの顔をさり気なく観察する。

ここは祖国ではないけど、他国の主要人物の顔と名前くらいは覚えさせられていた。どこかで、こいつの顔を見たことがある気がする。どこで……と記憶を辿っていると、そいつは言う。

「その子はとても高貴な生まれでね、常に姿勢が良くて、いつもニコニコし穏やかなんだけど……平気で毎日制服が擦り切れるくらい剣の練習をするわ、親に無断で弟の家出を唆すわ、男装してパーティーに参加するわ、クラスメイトに泥をぶん投げるわ……とんでもない子でね」

「……へぇ」

――なるほど。そっち系の話ね……。

そんな勝ち気な令嬢など、世界広しと言えど、一人しか思い浮かばない。

俺は気のない相槌を打ちながら、マスターの動向を見た。酒を出し終えたマスターはカウンター内の丸椅子に座り、新聞を読み始める。僕がこの店を気に入っている理由は『無頓着』だからだ。店に迷惑さえ掛けなければ、何をしようが話そうが無関係を貫いてくれる。

そいつは僕の空になったグラスに、再び酒を注いできた。

「そんな子に、言われたんだ。『あなたと恋がしてみたい』って。熱烈だと思わない?」

「ちなみにそれ、いつの話だ?」

「んー、きみの時間軸でいえば、二年くらい前になるのかな?」

だから、たとえ人を斬ったとしても、清掃費として多めに金を渡せばおしまいなわけだ。

僕は酒を飲みながら尻でも掻くフリをして、少しだけ腰を上げた。

《ルルーシェの死》で僕を利用しようと言うのなら、いつでも剣を抜けるように。

「お前の目的はなんだ?」

「そんなコソコソしてないで大丈夫だよ」

小さく笑って、そいつはなぜか指を鳴らす。途端、カウンターの中からドサッとした音が立った。慌てて腰を上げて見やれば、新聞を読んでいたはずのマスターが、調理台に伏せっていびきを立てている。

「クソッ!」

驚かせるな!

たまたまの偶然に憤りつつ、僕はのほほんと自分のグラスを回しているそいつに向かい、小剣を突き刺そうとする――が、そいつは剣を指先で止めやがった。脅しとはいえ、顔に傷は付けるつもりだったのに……。しかも、マジマジとその剣を観察してきやがる。

「よく手入れされているね。大切にしているんだ? 彼女の形見(・・・・・) 」

心臓が跳ねた。

たしかに、これは今の僕のようなゴロツキには不釣り合いの高価な代物だ。僕の依頼で毒が塗られ、彼女を死に追いやった凶器でもあり、彼女が毎日楽しそうにブンブン振っていた形見。

それを、僕はルルーシェの最期を見届けてから、懐にこっそりしまいこんで――そのまま国外まで持ち出して今に至る。だから、そもそもこの小剣が彼女の所持品であったことを知っている人物すら少ないだろう。……それこそ毎日剣の訓練を付けていた師匠くらいしか。

それを――、

「……どうしてお前が知っている。そもそも凶器すら未だ、不明となっているはずだが」

「そんな物騒なこと言ってないじゃない。別にぼくは、きみが兄王子に殴られた後、詳しい取り調べが始まる前にその剣と一緒に姿を眩ませたこととか、それから密航して隣の国まで逃げてきたこととか、まったく咎めるつもりはないよ? もちろん、連れ戻そうとする気もサラサラない。……ぼくに、そんな権限ないからね」

どうにも的を得ない返答を、僕は鼻で笑い飛ばす。

「なら、僕の死神にでもなりに来たか?」

「死神! それカッコいいね。だけど残念ながら、ぼくは普通の神様――だから予言してあげると、きみの寿命はまだまだ先。その銀髪が全部抜け落ちるまで、きみは死ぬことができない」

えっ、僕、将来ハゲるの?

思わず剣を納め、酒を飲み干す。

そんなことにショックを受けている間に、急に上機嫌になったそいつは再び指を鳴らしていた。すると眠ったマスターの元へ、奥にいつも置いてある毛布がふわふわを浮かび、掛けられる。これが……本当に神の御業とでも言いたいのか? 周囲を凝視してみても、種も仕掛けもまるで見当たらない。

僕が息を呑んでいると、そいつはどこか得意げに「信じてくれた?」と訊いてくるから。

僕は大きく嘆息してから座り直し、鼻の付け根を押さえた。

「はあ……僕もとうとう幻覚まで見るようになったか。酒の飲みすぎかな」

「まぁ、お酒は程々にした方がいいと思うよ。正直きみ、そんなに強くないでしょ?」

「ほっとけよ」

「お水用意しようか?」

「結構だ――それで、本当にカミサマが僕に何のようなの? もうすぐこれ、飲み終わるけど?」

空いたグラスに酒を注ぎ、何も音の鳴らないボトルを揺らせば。

自称カミサマとやらは、子供のように口を尖らせる。

「だから、きみに自慢しに来たんだって! ルルーシェの心を射止めたのはぼくだよって」

「……それ、本当なの?」

もしも本当なら、めちゃくちゃお前、性格悪いけど。

だけどそれを悪びれる素振りもなく、そいつは肯定する。

「本当だよ! てか、きみはルルーシェの口からはっきり聞いたはずだよ? 『わたくしが好きなのはナナシ様ですわ』って」

「お前、口真似は上手いね」

「ちょっと自慢」

ガキか、お前は。一見僕より年上に見えるけど……その年齢や立場に関係なく、変なところで嬉しそうに得意げになる様子が、なぜか彼女と被って見えて。

彼女が好きな男の名前として、挙げていたことを思い出す。

こいつに似た、神の姿を描いたという絵画のことを。

「本当にルルーシェが好きな人って『ナナシ』だったの? 『ナナシの落日』の?」

「そう! そうなの! そして彼女から告白されて、来世で付き合うことになったの!」

「じゃあアレかよ。てっきりルルーシェはずっと兄上が好きなんだと思ってたんだけど……兄上も本当に思いっきり振られていたってこと?」

「まぁ、そうなるね。きみら兄弟の恋敵は『神様』だったわけだ」

「はっ、神様‼」

僕は腹を抱えて笑い出す。だけど次第に我慢できず、一人で大声をあげて……ハァハァと息が切れだして、僕は酒を煽ってから叫んだ。

「ははっ、兄上ザマァ! 結局お前も、僕とそう変わらなかったってことじゃん‼」

「まぁ、彼女に振られたという点ではね」

「あーあ、バッカらしい。てかルルーシェも、カミサマに『わたくしと恋をしましょう』とか……肝が据わっているにも程があるだろ。ほんと、ルルーシェには敵わないなぁ」

ひとしきり笑い終えてから、僕は「それ飲まないの?」とそいつの酒を指差す。そいつは何も言わずグラスごと差し出してくるから、「どーも」とありがたく頂戴した。……飲まないとやってられないよ、もう。バカバカしすぎてさ。

「お前、ルルーシェとはいつ出会ったの?」

「彼女が死ぬ百日前。ちょうどきみが階段から彼女を突き落とした日だよ」

「へぇー。僕が聞いていい範囲で惚気けてみろよ。全部聞いてやる」

「わぁ、ありがとう! それじゃあね、まずは出会った時のことなんだけど、ぼくが彼女の余命を告げた直後に彼女が賭けを――」

それから、本当かどうかもわからない、だけどとても 彼女(・・) らしい話の数々をいくつも聞いて――いつの間に、僕は眠っていたのだろう。

「ん……」

外れかけた扉の向こうから、もう朝日が漏れてきていた。

寝ていたはずのマスターも仏頂面で新聞を読んでいるフリをしながらも「起きたならさっさと帰れ」なんて言ってきて。

「あぁ、そうだね……」

僕は重たい頭を振りながら、立ち上がる。そして、僕は気がついた。

「ねぇ、僕が一緒に飲んでいたツレは?」

「はあ? てめぇはいつも一人で飲んでいるだろうが」

「……だよね」

きっと、昨日のアレは夢だったのだろう。

まさか、いきなりカミサマが僕とお酒を奢ってくるだとか。

その理由が、好きな女に告白された自慢をしたいからだとか。

そんなバカバカしい話が、実在するはずないんだから。

それでも――、

「マスター。しばらく僕、来ないかも」

「……勝手にしろ」

「うん、そーする。でも、いつかまた必ず来るから……ハゲる前にはね」

カウンターに置かれた二つの空グラスを、指先で倒れない程度に弾いて。

僕はひとり、店を出る。あぁ、朝日が二日酔いの目に沁みる。

やっぱり今日も、空は嫌味なまでに青いけど。

「さーて、これからどこに行きますかねぇ……」

なぜか僕は空を見上げながら、小さく笑っていた。

《変更前タイトル『やっぱり向いてなかったと思いますわ』 完》