軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

85.

ゲータニィガ王国の王都は、重く淀んだ灰色の空気に包まれていた。

かつては活気に満ち、諸国との豊かな交易で潤っていた美しい街並みは、今やすっかり色褪せ、見る影もない。

崩れかけたレンガ造りの家々からは、生ゴミと泥水が混ざったような不快な腐臭が漂い、道端にはやせ細った野良犬が力なく横たわっている。

大通りに面した配給所には、飢えと疲労に顔を歪めた民衆が長蛇の列を作り、わずかなパンを巡ってあちこちで殴り合いの喧嘩が起きていた。

冷徹妃ミシェルという、国を支える巨大な頭脳を失ってから数ヶ月。

王国のインフラは完全に機能不全に陥っていた。

主要な交易路の橋が崩れても修繕の予算が下りず、物流は滞り、市場からは新鮮な食料が姿を消している。

治安の悪化も著しかった。

夜になれば街のあちこちで怒号や窓ガラスの割れる音が響き、人々は恐怖に震えながら扉に重い鍵を下ろす。

その惨状たるや、かつて覇王ギデオンが統治を始める前の、腐敗しきった帝国よりも遥かに酷い有様であった。

場面は変わり、王城内部。

埃っぽく、古びた紙とカビの匂いが充満する執務室では、この世の終わりかのような絶望的な光景が広がっていた。

床から天井まで届くほどに積み上げられた未処理の書類が、まるで白い墓標のように延々と立ち並んでいる。

何日も家に帰れず、床で寝泊まりしている文官たちからは、ひどい汗と垢の異臭が漂っていた。

彼らは血走った虚ろな目で羽ペンを走らせているが、処理の速度よりも、各地から新たな問題が持ち込まれる速度の方が圧倒的に早い。

ガシャン、と大きな音がして、書類の山の一つがバランスを崩して崩落した。

雪崩のように降り注ぐ羊皮紙の下敷きになり、若い文官が白目を剥いて気絶する。

しかし、周囲の者たちは彼を助け起こす余裕すらなく、ただ機械的に紙の束に向かい続けていた。

かつてミシェルがいた頃は、彼女が一人で何十人分もの決裁を瞬時に終わらせ、国政という巨大な歯車を狂いなく回していたのだ。

その絶対的な支柱が引き抜かれた今、歯車は完全に噛み合わなくなり、あちこちで不快な摩擦音を立てて火を噴いていた。

重厚な扉の奥、最高幹部たちが集まる会議室は、さらに醜悪な空間と化している。

室内に漂うのは、高級な葉巻の香りではなく、脂ぎった男たちの嫌な汗の臭いである。

巨大な円卓を囲む高官たちは、一様に目の下に濃いクマを作り、苛立ちを隠せないでいた。

「どういうことだ。今月の税収が、先月の半分以下に落ち込んでいるではないか」

財務大臣の禿げ上がった男が、バンッと乱暴に机を叩いて怒鳴り散らす。

その衝撃で、テーブルの上に置かれた冷めた紅茶がチャプンと跳ね、純白のテーブルクロスに茶色い染みを作った。

「農村部からの徴税がうまくいっていないのだ。おまけに、治水工事がストップしているせいで、あちこちで水害が起きている」

「それを管理しているのはお前の部署だろうが。無駄遣いばかりしているから、肝心なところに予算が回らないのだ」

「なんだとっ。貴様こそ、軍の備品調達で私腹を肥やしているのではないか」

互いの胸ぐらを掴まんばかりの勢いで、醜い責任の押し付け合いが始まる。

建設的な意見など一つも出ない。

ただ、自分たちの保身と、相手の落ち度を非難することに終始していた。

「ええい、やかましいっ。誰のせいでもいい、この膨大な赤字をどうやって埋めるのかを話し合っているのだっ」

宰相が頭を抱え、自身の白髪を力任せに掻き毟る。

彼は机の上にドサリと分厚い冊子を投げ出した。

それは、ミシェルが帝国へ旅立つ前夜に書き残していった、国政運営のための『完璧なマニュアル』であった。

「あの小娘は、誰でも国政が回せるようにと、この手引書を残していったはずだ。ならば、これの通りにやればいいだけのことではないか」

「それが、できないのです」

文官の長が、膝から崩れ落ちるようにして項垂れた。

彼は幽鬼のような顔でマニュアルを指差す。

「ミシェル殿の残したマニュアルは、確かに完璧です。三手先の天候予測から導き出す穀物相場の変動率、それに基づく最適な備蓄量の算出など、国を救うための答えがすべて書かれています。ですが」

文官の長は、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

「その計算式も、予測モデルも、あまりにも高度すぎて我々の頭脳では全く理解できないのです。読解しようとした若手の優秀な文官たちが、知恵熱を出して次々と倒れております」

「なんだとっ。たかが小娘の事務官が書いたメモすら読めないというのかっ」

宰相が顔を真っ赤にして激昂し、マニュアルのページを乱暴にめくる。

しかし、そこにびっしりと書き込まれた複雑怪奇な数式と論理構成を目にした途端、彼の目はチカチカと霞み、激しい頭痛に襲われた。

わけがわからない。まるで異国の呪文を読まされているかのようであった。

「あ、あの女の頭の構造は、一体どうなっているのだっ」

宰相はガクリと椅子に倒れ込み、白目を剥いて天を仰いだ。

ここにきてようやく、彼らはミシェルという存在の真の価値を思い知らされていた。

彼女はただの事務官ではなかった。

一人で国家の血流を管理し、最適な栄養を隅々まで行き渡らせる、心臓そのものであったのだ。

その心臓を、自らの保身と帝国との一時的な和平のために、生贄として差し出してしまった。

「ミシェルがいれば、こんな予算の穴など、半日もあれば完璧に埋めてみせたものを」

「なぜ、あんな有能な女を送り出してしまったのだ」

後悔の念が、重苦しい溜息となって会議室に充満する。

かつて彼女を冷血漢だと罵り、厄介払いできたと喜んでいた自分たちの浅はかさを、彼らは今になって激しく呪っていた。

しかし、どれだけ後悔しようと、過去は戻らない。

このままでは、国が滅びる。

いや、国が滅びるだけならまだいい。自分たちの豪奢な生活、蓄えた財産、そして命すらも危うくなる。

民衆の不満はすでに爆発寸前であり、いつ暴動が起き、王城に火が放たれてもおかしくない状況であった。

「なんとしても、ミシェルを連れ戻さねばならない」

宰相が血走った目で、円卓の面々を睨みつける。

以前、帝国に使いを送り、彼女を強引に連れ戻そうとした作戦は無惨に失敗している。

あの巨大で野蛮な皇帝が、手に入れた宝をそう簡単に手放すはずがなかった。

「まともに交渉して戻ってくる相手ではない。ならば、手段を選んではいられないぞ」

「帝国から引き剥がすための、強力な切り札が必要だ」

高官たちが、暗い目をしてヒソヒソと話し合いを始める。

もはや国政を立て直すことなど頭にはない。

ただ、自分たちを救ってくれる便利な道具を、どんな卑劣な手を使ってでも取り戻すことしか考えていなかった。

「聞いたか。今、帝城には、あの野蛮な皇帝の『隠し子』が匿われているらしいぞ」

「ほう。皇帝の血を引く隠し子とな。それは、非常に使い勝手の良さそうな情報だ」

禿げ上がった財務大臣が、下劣な笑みを浮かべて分厚い唇を舐める。

「その隠し子を誘拐し、人質に取るというのはどうだ。さもなくば、他国に隠し子の存在を公表すると脅すのもいい。ミシェルは論理的な女だ。損得勘定を提示すれば、必ずこちらの要求を呑むはずだ」

その言葉に、他の高官たちも一様に目を輝かせた。

自らの無能さを棚に上げ、幼い子供を標的にするという、最低最悪の悪巧み。

それは、彼らが完全に破滅への一歩を踏み出した瞬間であった。

暗く淀んだ会議室の中で、国を食い潰す愚か者たちの醜い笑い声は、夜更けまで延々と続くのであった。