作品タイトル不明
115.
ミシェルの執務室には、張り詰めた糸のような空気が漂っていた。
険しい表情のピクシーが、ミシェルの前に立っている。
一方でミシェルは報告を聞く前と後で、表情は変わらなかった。
「グレース様を連れてきたですぅ~……」
ティルとグレースが部屋に入ってくる。
「はれ? 師匠。聖王国行ってたんじゃあ?」
「ああ。聖王国の軍部連中と、演習の打ち合わせをして、転移魔法で帰ってきたところだよ」
ティルはピクシーの塾生なので、師匠と呼ぶ。
転移魔法。
一度行ったことのある場所へなら、一瞬で移動できるという、破格の移動魔法だ。
大賢者ピクシーしか使えない魔法である。
「なんでこんなピリピリしてるですぅ?」
「……聖王国が、今回の演習を利用して、こちらに戦争をふっかけてくる可能性がある」
ティルがポカン……と口を大きく開く。
「どういうことだい?」
グレースが尋ねると、ミシェルが書類の束を差し出す。
ティルがあわてて書類に目を通して、さらに瞳を大きくする。
「軍事演習にしては、兵站に資金を詰め込み過ぎてる……。武具の流入も増えているし……」
「戦の準備だね、こりゃ」
グレースが神妙な顔つきでつぶやき、ミシェルたちがうなずく。
「ふぇー!? せ、戦争……そんな……嫌ですぅ……」
しかしミシェルは冷静に、グレースに尋ねる。
「新兵達の仕上がりは?」
(何冷静になってるんですかぁ、この人ぉ!?)
ティルはもちろん、グレースもまた、戸惑っているようだ。
ミシェルはあまりに動じなさすぎた。
「あ、ああ……。上首尾だね」
「で、あるなら問題ありませんね」
ティルがバンッ、と机に手をつく。
「マルコーくんたち、若い軍人を、もう戦争に投入するです!? そんなの反対反対! 大反対です……あぎゃっ」
ミシェルがティルの額を指で突いた。
「誰が戦争するなんて言いました?」
「はへ……?」
ミシェルのあまりに意外な発言に、ティルは馬鹿みたいに、ぽかんと口を開ける。
「私たちは軍事演習の話をしてるのですよ」
「え、え、で、でも……聖王国は、この機にこちらに戦争をふっかけようとしてるんですよね?」
「まあそれは十中八九そうでしょう。単なる演習にしては、物と金が動きすぎです」
「なら……」
「しかしこちらが勝てば、これは演習だった。そう主張でき、終わらせることができます」
ティルは本気で困惑した。
ミシェルの狙いと、言ってることがまったくわからないのだ。
「聖王国も一枚岩じゃあないんだよ、ティル」
ピクシーがメガネを直しながら言う。
「帝国に戦争をしたい派閥、したくない派閥があるのさ。今回演習を利用して、我らに戦争を仕掛けようとしたのは、前者。我々はその派閥を内々に潰そうとしてるのさ」
「金と物の動きから、主犯はわかりました。あとは勝って、演習を終えれば問題なしです」
ティルは、遅まきながら、ミシェルの狙いに気づいた。
「も、もしかして……今回の狙いは、聖王国側にいる、反乱分子のいぶり出し……?」
「そういうことです。帝国側からは、あえて、軍人を多数解雇したこと、若い軍人を急ごしらえしたことを、聖王国側のスパイに流させました」
ティルがずっこけそうになるのを、ぐっと耐える。
こういう手を、ミシェルが使うことは知ってるからだ。
「つ、つまり……ミシェル様は全部狙っていたと?」
「ええ、計画通り。あとは演習で勝利するだけ」
ミシェルの狙いは、聖王国穏健派側に恩を売ること。
つまり、今回は主戦派の暴走だったと、(ある意味相手側の嘘を)受け入れてあげること。
それと同時に、主戦派をいぶりだし、処分すること。
その二つだったようだ。
「で、でもそれって……うちが勝つ前提の作戦ってことですよね?」
「当然」
「負けるとは……思わないのですか?」
「微塵も」
グレースは、目を大きく剥く。
冷徹妃の瞳には、後ろめたさをまったく感じない。
本気で、グレースが鍛えた、若い軍人達が、聖王国の大部隊を相手に、勝利する。
そう、確信してるのがわかった。
(……あたしらを信頼してくれているのか……ふふっ)
グレースがニヤリと笑うと、自分の胸を叩く。
「あたしらに任せな、ミシェル様。あたしらはあたしらの仕事をする」
ミシェルは「当然です」とだけ言って、ピクシーに指示を出す。
「馬鹿どものリストアップをしておきなさい。ティル、おまえはグレースの補佐」
「は、はひぃん……」
ミシェルは小さく息をつく。
「さて、楽しいゴミ掃除の時間です」